第6話 Very Special Journey
2月1日 10時23分
“有名? 無名? 最低限、しょぼくれた顔して街には出たくない”
空との区別がつかない青色の湖。その先を覗こうとしても、まるで霧に隠れたようにぼんやりと建物が見えるか見えないか曖昧で、たまにそこへコハクチョウが雄大に羽を広げる。そんな琵琶湖の景色が一望できる道路にて、st250に2人乗りする彼らは時計回りに周回をしていた。まだ彦根を出て間もない。
「すっげええーっきれええええぇ!」
「危ないから暴れるな!」
めぐりは風に当てられてドーパミンでも出ているのか、たびたび体を揺らして自身の興奮を表現していた。道雄はそれを鬱陶しがり、バイクが傾くたびにギョッとした顔したりしてそれを直す。めぐりの体は軽いが、あまりにそれが激しいためにバイクが気を許せば反対車線にバイクが揺られてもおかしくなかった。それによって彼がハンドルを握る拳は自然と強くなる。
「あーもう、少しは落ち着けよ。お前だけ落ちたら俺の責任になるんだからな。保険入ってて本当によかったよ、高かったけど」
「じゃあその音楽聞けるヘルメット貸してよ!」
めぐりはBlue toothが付いたヘルメットへ指を指す。
「ダメだ。これが無いとナビの声が聞けないんだよ。ただ琵琶湖を一周するだけに思えるが、俺みたいなビギナーはちょっとしたことで道を外れるし、それを修正しようとするとまた労力がかかるし、最悪の場合は迷子が酷くなるからな。特に、今はただでさえ2人乗りで大変なんだから」
「ミルチー話長いよ。学校の先生かよって感じ」
「バーカ。てか、お前は音楽聞くと余計に踊りが激しくなりそうだからそれ抜きでも渡したくないね」
めぐりはどの罵倒に付いて腹が立ったのかはわからないが、プクッとほほを膨らませて、片手で花柳の背中を小突く。それによりめぐりの重心がブレるため、また揺れるバイクを整える彼の顔はまた青ざめる。
「てか、音楽聞きながらじゃナビの声なんて聞こえないでしょ」
「いや、声がするときは音楽の音量下がるよそら」
「てか何聞いてるのよ?」
「m.c.A・Tだけど」
「なにそれ」
「ラッパーだよ。ほら、ボンバヘッ! ボンバヘッ! オーッスター もっえだすよーなー、あっついたまっしー」
「あっ、DA PUNPでしょ。母さんが聞いてた気がする」
「違うわ。なんでみんな『Bomb a head!』や『ごきげんだぜっ!』をDA PUMPの曲だって勘違いしてんだよ。オードリーの若林が『ごきげんだぜっ!』をうたった時も、DA PUMPの曲とか紹介されるし。いやまぁそらDA PUMPはすこぶるモテるさ、見た目じゃm.c.A・Tも吹けば飛ぶだろう。でも違うんじゃないか? それは刹那じゃないか」
「意味わかんない」
「ちょっと話が長くなると読み取る努力を無くす癖、何とかしてくれい。最近のJKってどんな会話してるんだよ」
道雄は興奮したように語っていたが、めぐりがそっけない態度をとる為、すっかり萎えて表情が消える。
気分晴らしのように、彼はすれ違うマスツーリング中(集団でのツーリングのこと)のバイクに手を振ったりする。しかし、彼らの気分でも悪かったのか、それとも突然のことだったから返すタイミングが無かったのか、返事は来なかった。
「ミルチーだっせー」
「うーるーせー」
道雄はリベンジのように大振りに手を振ってみるが、大概は「しょうがないなぁ」という感じに手を振り返すか、「なんだコイツ……」と言いたげに無視をする。たまに、人差し指と中指の間に親指を入れる、いわゆる女性器を表すジェスチャーなんかをしてくる変人もいたりして、道雄とめぐりで大笑いしていた。おそらく、後座席のめぐりが女だってわかり、セクハラをしたくなった親父バイカーだろうか。
「てか、平日なのに結構バイクいるね」
「まぁ、大学生ライダーは今の時期でもそこそこいるな。それに俺らが時計回りで回ってるから、反対車線のバイクが目につきやすいんだろう。普通はみんな反時計回りに回るんだよ」
「なんで?」
「日本の道路は左側通行だろ? だから時計回りだと琵琶湖見ると対向車線があって車が景色を邪魔するんだよ」
道雄は手をハンドルから離し、振るように琵琶湖を指さしてみる。めぐりがそっちをむくと、彼女はそれを楽しんではいたが、確かに反対車線からやって来る車などが鬱陶しいとも思えた。
「じゃあなんでミルチーは時計回りなのさ」
「まず俺らが向かう琵琶湖博物館へ行くのに都合がいいから。そして俺はバイクとすれ違う時に手を振るのが好きだからだ」
「変な趣味―。どうせ一瞬しか会わないのに」
「そのちょっとした出会いがいいんだよ」
「じゃあそれがバイクに乗る理由みたいな?」
「んー。まぁ楽しみではあるな」
「バイクで知り合った人とかいないの!?」
「お前以外いない」
「私は違うでしょ」
「ぶっちゃけ、誰かとツーリングするとか疲れるだろ。他人が行きたい場所にいくなんて面倒くさい」
「もしかして、ミルチーって友達いない?」
「そんなにいないな、実は」
「でもさ、友達に付いて行ってみて、すっごーく楽しくなれるかもしれないじゃん。それに、他人とお喋りしながらだと楽しいでしょ? 一人でずーっと一人でいるなんて寂しいくない?」
道雄はめぐりの漏らした奇天烈な日本語に少し呆れつつ
「俺は他人と一緒にいて、楽しいと思うことはあんまりない。というか、喋ってても飽きる」
「ふーん」
めぐろは先ほどまでの問い詰めるような口調の流れを続けることなく、何か思うことでもあったのか、簡単に黙ってしまう。道雄はそんな彼女の様子に、同情か何かを感じ、形容のしがたい形をしたモヤモヤとしたものが腹に蓄積される。
「暗くて、理解できない考えだろ? 俺ってそういうやつなんだよ。ちょっと病気入ってる。20年近く、そんな奴だった」
「いや、ちょっとわかるかもしれないな―、みたいには思うかも」
道雄は意外そうな顔をする。
「友達とか、多そうに見えるタイプだと思ってたが、違うのか?」
「あー、まぁ、私にも嫌いな人たちがいるから。顔も会いたくない」
「そうなんか。まぁ、そんなもんだ。誰にだって嫌いな奴とか、殺したくらいに憎んでる奴はいつも2~3人は心当たりがあるもんだ。俺も、単位を落としやがった教授とか殺せねえかと思ったもんだ」
「こ、殺すは流石に……」
「まぁ、俺はそう言うのいても半年後とかには忘れるな。妙なところで単純というか。ポジティブなんだ」
「ミルチーもけっこう馬鹿だね」
「今笑っただろ、くっそ。馬鹿にしやがって」
ブゥーン! とアクセルを握る道雄の手に力が入った。めぐりはその様子がまたおかしくて、くすくすと小さく笑っていた。