第5話 all the way
2月 9:54分
“長い旅路に一人たたずむ時には、心に浮かぶ日々をめぐり、歩き出す”
「ちょっ! ヤバッヤバッ!」
「マジで手を離すなよ」
一台の古風を思わせるバイクが高速を駆ける。男が前でバイクを操縦し、細身の女が後ろに座る。しかし後ろの女はそのスピードに慣れていないのか、不規則に体を揺らし、あべこべなバランスを男はなんとか保とうとする。
「す、スピード落としてよっ!」
「これでも最低速度ぎりぎりだっつうの! これ以上落としたら逆に危ないんだよ!」
周囲の乗り物たちは彼らの危険性を察しているのか、トラックも、軽自動車も、マスツーリングのバイクたちも、早々に追い越していく。後部座席の女は暴れ、ハンドルを握る男はそれをなんとか制止しつつ、第一レーンから極力ブレないよう直進する。
揺ら揺らと危なげなバイクは、彦根と書かれた看板の横を通り過ぎる。
「ここが彦根城だ。俺なりには、ビワイチ(琵琶湖一周のこと)のスタート地点だな」
「てかそれよりタバコ吸いたい」
「もっとマシな感想ないのか」
そこは人通りの少なげな城下町。見た目は華やかで、時代をさかのぼった気分にさせるが、外れには駐車場が点在し、目を凝らして周りを観察すれば、いたるところに駐車場の看板を見かける。加えてその古風な外観も十数メーターが限界で、外人や主婦に受けそうな土産屋が少しと、名産の近江牛を使ったステーキ屋くらいがあるだけだ。岩倉道雄はしばし羊頭狗肉の感を思う場所だ。
「この辺りってコンビニないんだよな。とりあえずなんか食い物でも買おうか」
旅行バスの駐車場についでのように作られた駐輪場にバイクを停め、駆け足でやってきた管理人に駐車料金を支払う。他にバイクの停車は少なかったが、それ故になのか、見かけないバイクなんかもそこにあって、道雄はまじまじとそれを観察し、理解できていないめぐりはやれやれと終わるのを待っていた。
そして二人は近江のコロッケやアユの塩焼き、たこ焼きなどを一つずつ購入し、ぶらぶらと歩いていて見かけた灰皿があるベンチで休息をとる。
「よいしょっと。やっと一息だな」
「てか、城の中に入らないの?」
「入らん。入場料が高いし、どうせつまらんし、ひこにゃんも興味ない。それにたぶん禁煙だぜ」
「うーん、ちょっと興味あるんだけどなぁ」
「勘弁してくれよ。たしか2人で2000円くらい取られるんだ。お前金ないんだろ?」
「うん」
かちっ、と音を立ててライターに火を灯す。そして咥えた煙草に火を当てる。
「道雄くんさ、……てかこの呼び名はかたっ苦しいね。ミルチーはさ」
「どんなニックネームだよおいおい」
「どうしてバイクに乗るの?」
「知らね。ほかに趣味がないからだろ。ああ、ただあのバイクにした理由は、昔読んだ旅人の話に出てくるバイクに似てるからだな」
「あんなに危ないのに、バイク」
「娯楽って言うのは、危険が付き物なんだよ。楽しければ特にな。そう、例えばお前が吸っていたものとか」
七星めぐりは「あー」と落ちるようにネガティブな声を出し、同時に薄く煙草の煙が漏れる。
「こう言うのって見た目でわかるの?」
「なんとなくだが。皮膚が妙に荒れてるし、コンビニで倒れてる時点で何となく察したな」
道雄は熱々のたこ焼きを口に入れる。舌が少し火傷しそうだったが、女の子の手前、焦った様子は極力隠す。ただ、しばらくは口内の筋肉や舌を目まぐるしく運動させて熱を逃がそうとしていた。
「名古屋は、最近はちょっとやばいよな。俺が通ってる大学でも、ちょいちょい逮捕者が出てる」
2、3個のたこ焼きが残った紙の皿を道雄はめぐりに渡す。めぐりは俯いているようにも、無理に微笑するようにも見える顔だ。
めぐりはその顔を見、どこかで『しまった』と思いつつ、それでもその感情を飲み込む。気を紛らわすようにアユを一口、二口、と食事の口が進む。その間、道雄は別の話題を探そうと思考を巡らせていると……。
「アル高って知ってる?」
「ああ、有名な馬鹿高校だな。近所の住民が、教室に檻を作れ、生徒を帰宅させずに全寮制にしろ、なんて抗議したのが施行ギリギリのところまで行ったトンデモ高校だ」
「私、そこに通ってる」
「ふーん」
「あそこ、クスリの売買やってるの」
「へぇ」と答えた後、道雄は気まずそうに口を閉ざす。自身の言葉が次々とめぐりの心を抉っているようで余計に不安になった。めぐりも、岩倉が何も言わないことで、続きの言葉をなかなか出さない。
七星がさっそく煙草を追加し、ライターをカチカチと鳴らす。
「色々と……運も悪くて……。運命がイタズラ屋さんなんだ」
「イタズラ屋さんか」
「ピクシーみたいにね」
また二人に静寂が囲む。それはめぐりがタバコの煙を吐く音を鮮明にした。
「でも、ちょっとヤバいと思って、今はこれで何とかしようと思ってる」
タバコを見せびらかすように七星は指でそれを揺らす。岩倉は細い目でそれを眺める。さっきまで原型があったアユがもうほとんど残っていない。すると途端に、自分が何をすればよいのかどうか、何を言えばいいのかが全く分からなくなった気がした。
「ちなみに、今、クスリは持ってるのか」
「ううん。持ってないよ」
「本当か?」
「うん」
道雄は少し思慮を入れたが、すぐにそれを振り払う。
「ま、なら全然構わないけどな」
「ありがとう、ございます」
「気にすんな。てか堅苦しいから敬語はやめろ」
「そ? ならそーする。てかタバコ少なくなってきたんだけど、後で買ってね」
「いい性格してんなお前」
にひひっ、と七星は不器用な笑顔を見せる。岩倉は口から漏れたタバコの嫌な臭いに辟易しているのか、それともただ呆れているのか、苦笑するだけだ。
「そういえば、琵琶湖はどれくらいで一周できるの?」
「んー。一周がだいたい300キロから400キロって考えて、10時間くらいだな」
「夜はどうするの?」
「前に来たときはネットカフェに泊まったな。ちょうど一周し終えて、帰る気力もなかったから彦根で一夜を過ごした。ああ、言い忘れてた」
「ん?」
「昼飯は琵琶湖博物館にするからな。あそこはお気に入りなんだ」
「おいしいものがあるの!?」
「まーな」
この後、めぐりはそこでナマズの天丼を半無理矢理に口に入れさせられるのだが、今はそんな事をつゆにも知らずに腹の虫を鳴らせていた。