第4話 蒼のランタン
2月1日 5時24分
“Green lantern's light!”
名前 春巻数一
年 17才
有野高等学校 2年B組
住所 愛知県名古屋市〇×区△□X番地Y
電話番号 XXX……
「ありえないわ。これ」
谷口が残したメモを眺める本田は、愕然としていた。
谷口はメモを取るようなマメな人間ではなかった。日記も、カレンダーもあまり見ない。机には時計さえ置くことも少なく、散らかるのは資料の束と弁当のゴミくらい。せいぜい、高級な腕時計を大事に使うくらいだろか。
しかし、そのメモに記述されている情報は、決して少ないものではなかった。それこそ谷口が気まぐれで始めたにしては、その気まぐれに対して少々の誠実さが表れている。筆跡は、確かに彼のもので間違いはない。しかし、それはまるで、谷口ではない誰かが書いたかのようだった。もしくは、誰かに書くよう指示された?
黒塗りの車の中で、物思いに本田は春巻が住むアパートを眺める。昭和あたりに建築されたのか、年季の入った木造の二階建てのアパート。外層から埃だらけで、あまり見ていていい気分にならない。周囲は早朝だからか辺りは人通りが少ない。たまにジョギング趣味が流れて来るか、犬の散歩を2、3見かけるくらいだ。
本田が谷口によるメモに疑いはなかったが、とりたて春巻への警戒心を煽ったのが、二点あった。
1つは、帰宅が遅いこと。春巻は部活の所属はなく、それでいて教師さえ校門を潜り出る頃になっても、彼は缶詰のように学校に籠る。図書館で学校の勉強をするにしても、限度があった。帰りも友人や恋人と並ぶ様子もない、孤独の下校だ。そもそも、教師がそれを見過ごしている事実も不審だ。高校の内部に忍び込むまでには至っていないが、本田は彼がそこでなにをしているのかについて、とてつもなく興味があった。
最後に、有野高等学校の学生だということ。かの高校は万引き、売春はもちろん、暴力事件や薬物の販売なども盛んに行われている底辺高校だ。生徒は偏差値どころかモラルも日本の高等学校随一に悪い。周辺の商店では、この高校の生徒は立ち入り禁止であることが多く、善良な生徒でさえ万引きの冤罪を受けることもままあった。だから図書館で勉強しているという考えも、本田にはほとんどない。図書館の本をパクって中古書店に売り飛ばしている方が信じれる。
これはまさに偏見に満ちた理由だったが、本田自身がドラッグ関係で有野高等学校の生徒の多くを縄にかけていた。抵抗され、頬に傷を負った経験もある。特に谷口が有野高等学校の卒業生であったためか、有野高等学校のウワサが偏見でないと教えられていた。
公的な捜査を拒まれ、それでも谷口のメモを入手して1日が経つ。彼が自殺に至った理由は現実的な解釈では取れないと判断し、本田はまるで縋るかのように春巻を監視している。彼自身、谷口の死を壮大な陰謀によるものだと思いたいだけなのかもしれない、本来の谷口は簡単にくたばる人間だったのかもしれない、などと臆病風も吹かれたものだ。
しかし、春巻が謎のベールに包まれている事実に、彼は高揚を抑えきれなかった。たしかに、上記に挙げた理由だけならば屁理屈や無理が過ぎるだろう。疑うにしても陳腐だという人間もいるだろう。しかし、感情論で動いている節のある本田は、たったそれだけの理由でも盲目的に春巻を疑った。
だからこそ、彼との出会いは本田を高揚させるに相応しかった。
春巻が住む部屋に、一人の少年が門戸をたたく。これが奇妙な衣装を纏っていて、薄い青色のウェストコートとズボンに、プリッツの付いた真っ白なシャツ、首元にネクタイ、黒いグローブと革靴を身に着けている。まるで西洋から来たフランス人形のような彼の様子は神秘的とさえ思えるが、しかし本田の目にはその奇異さのみしか映らない。
少年は数秒ほどドアの前に立ったが、やがて時間が無為に過ぎることに気が経ったのか、ドアノブを少し弄り、何事もなくそこへ侵入した。
「……っ!」
本田は目をギョッとして驚く。
もちろん、本田はその少年がインターホンを鳴らしたことを知っているので、招待された様子もない、ただ無許可に侵入したその様子は、一般的な礼節があるとはとても思えなかった。
彼の立場、いわゆるマトリには危険な薬物や向精神病材に関する逮捕権しか持たないが、この状況のように現行犯の取り押さえならば逮捕権は十分にあった。そもそも、それは個人でさえ持っている権利だ。
その理屈を腹に抱え、本田は車から抜けて春巻の部屋に急いだ。この時の彼に、理屈や論理はいらなかった。ただでさえ相棒の谷口が喪失された怒りと闘いながらの張り込み。本田には一刻も早く真相が姿を見せないかと気が気でなかった。少年の登場は一見、釣り針が生えて良そうな餌で、本田はそれに飛びついたようにも見える。しかし、それでも本田は足を止めなかった。そのバクバクと鳴る心臓の鼓動にすら聞く耳を傾けない。
彼は部屋の前に立つと、慎重にドアを開く。どうやら、少年は施錠をしなかったらしい。
本田が真っ先に目に入ったのは、春巻数一の母と思われる女性が、沈むように倒れていた光景だった。彼はすぐさまその女に駆け寄る。暴行を受けた様子はなく、そして死んでもいない。ただ眠っているか、気絶をしているのかどちらかだった。
物が散乱している部屋の中に、春巻数一も母親と同様に倒れていた。しかし、母親と違い、彼は争いが起きた形跡があった。大きなけがや傷跡はなかったが、まるで直立した状況下から無理矢理倒されたような姿勢でいたからだ。
「見張っていた人だね」
物陰からの一言に、本田はハッと視線を変える。
確かに近場にいたはずなのに、声を掛けられるまで彼は少年に気付かなかった。まるで幽霊を目にしたような、底の知れない雰囲気に本田は気圧された。少年はタキシード姿で、それでいて男女と区別できぬ美しい容姿の持ち主であることも、1つの影響になっていたかもしれない。
「何者だ、お前」
眉を顰め、警戒心をむき出しにして本田は尋ねる。少年はその澄んだ瞳をビクとも動かさず、ただ本田の姿を少しの間だけ凝らして見て後、口を開く。
「ローカル惑星の生物保護を目的としたインターフィラブル型ヒューマノイド、個別名は蒼のⅡ」
「……」
本田は頓珍漢な言葉に、ますます警戒心が増す。ふざけているにしても、蒼のⅡと名乗る少年は弁舌の最中に微かにも笑みを見せないのだ。作業のように自己紹介をしただけのようにしか見えなかった。
「こういえばいいのかな、いわゆる、宇宙人なのさ」