第20話 微笑みの爆弾
14時14分
“苦痛をともなう
ものしか僕等は
愛と認めない”
パート・紅
ナゴヤドームの中央に、ブクブクに太った緑の塊があった。形はマリモのように小さな緑の紐細胞によって構成されている。その紐細胞の塊は、高性能なクロロフィルを持ち、普通の光合成(もちろん、それでも地球の植物がなしえないレベルでエネルギーを獲得している)はもちろん、太陽からの放射能、それに地中に這ったマザーと直結した植物が地上での足音や車などの振動を受け取り、その運動エネルギーなどを自身の化学エネルギーに変換していた。このベータ線の電磁波や振動の運動エネルギーを変換は黄のⅢの技術を用いたものである。
今のマザーは、すでに東海地方のほとんどを緑に染め上げることすら容易いほどに凶悪な生物と化している。そして、自身の細胞の粒が地球上を覆うことも、時間の問題である。もし人類が早急に対策を行い、持てる兵器を大いに活用しようとも、おそらく第三次世界大戦と呼ぶにふさわしいくらいに甚大な被害が発生し、そして勝てる見込みも五分五分であろう。
「あらあら。おデブちゃんね」
そんな地球でも最上級の危険地帯に、紅は鼻歌でも奏でるかのようにやって来た。そう、それはゆったりと庭園を散歩するような、そんな足取りだ。しかしよく見れば、彼女が抜けてきた出口は、熱で溶けた後があり、どうやら迷子になって無理矢理出口をこじ開けたらしい。
そんな悠々とした紅を見ると、マザーの周りにいた感染者が群れを成して襲い掛かる。やはり、それらは学生服を着た学生たちだった。つまりは手下の中でも古参で、運動能力は通常以上に強化された人間たちだった。筋肉の成長を促す特殊なたんぱく質が体内で生成されており、彼らの筋肉は鉄のように硬く、ゴリラ並みの怪力を誇る。知能はそこそこであるものの、この物量の彼らが波のように襲い掛かれば、戦車小隊をも易々と壊滅させるであろう。
「邪魔よ」
紅は少し彼らへ目をやると、感染者の群れは静かだが確かな速度を持って燃え上がり、かつての春巻のごとく悲鳴を上げる間も塵を残す事もなく焼失した。ついでに襲い掛からず、その場で座り込んでいたり、倒れていたりしていた静的な感染者たちも、点々と狙いを定め、一つ一つを同じく焼失させた。
「あらあら。お友達がいなくなっちゃたわね。この星では、独り身はトイレでご飯を食べるそうよ」
紅は皮肉を口にする。蒼が特別だといったのは、紅がこういった意味や利益のない、ただの皮肉を、まるで人間のように、楽しめる性質の故なのかもしれない。もちろん、紅はそれを口にすることで、マザーが激怒し、冷静さを欠いて攻撃してくるだろうなどとは考えてもいないし、実際に、マザーもその皮肉については何とも思わなかった。
紅の意味深な皮肉は、何かを現実へ及ぼすこともなく、緑の煙が流れる鈍重な風の音だけがドーム内に響く。感染者によって破損された施設の一部がその風にバランスを奪われ、どこかで重いものが倒れる音がした。
だが、ドーム内の小さな紅と大きなマザーの2人はそんな些細な事には一切の関心もなく、ただ対峙していた。紅は余裕の顔で微笑み、対してマザーは緑の煙の散布をストップさせ、体内組織を臨戦態勢へと移行する。
パート・道雄
どこかで重火器の音がした。そして誰かの悲鳴、獣のような叫び声、爆発音とそれによって建物の一部が崩れる音。まるで紛争地帯のようだが、その音のうち、重火器の音や爆発音は次第に弱まっているように思える。
緑の煙が充満するエリアでは、通常の人間はものの数分でも立ってはいられない。例えば、つい先ほどそこへ侵入した調査隊も、そのほとんどが壊滅した。そのうちの半数以上が新たな感染者となって暴れ始め、残りは狂暴な感染者に致命傷を負わされるか精神病を患ったように地べたに伏せる。事態を面白がって、警察や自衛隊の封鎖に割って入った愉快犯や新聞記者などもいたが、もちろんただでは帰ってはこれなかった。
感染者たちの行動パターンのうち、確実であることは、緑の煙が支配するエリアの外には出ない事だった。これはドールとの決戦の為、いつか戦力となる、またはなるであろう兵隊を分散させず、ある程度の集中を保つ意図がある。もちろん、ある程度の知能を持った感染者が外の人間を攫い、兵力を増強させるものもいた。しかしその場合、攫う人間のほとんどが自衛隊や警察という武装した人間であり、これはこれで、かなり増強の糧となっていた。
今、緑の煙が充満するエリアで正気を保っていられるのは、ただの数人。
道雄と本田、それに調査隊の生き残りである中年の男性、それにドールである蒼のⅡである。
「ここのコンビニなら安心です。感染者はタバコを特に嫌うんです。というか、口内をニコチンやタールだらけにすると、この緑色の煙で感染者になることもない。それどころか、体中にそれらを塗りたくるだけで、感染者が寄ってきませんし、その拳で殴るとアイツ等は溶けて死にます。だからこのコンビニにあったタバコをいっぱいに使って、室内を煙草に臭いだらけにしました。ほら、よく見ると、ここだけ緑色じゃないでしょ?」
「はははっ、地獄に仏だな」
道雄の解説が冗談の様でおかしく思い、男性はつい笑ってしまう。
その調査隊の男性はヘビースモーカーだった。突入の前にもタバコを数本摂取し、体の中も外もタバコの脂でいっぱいであった。だから緑の煙の効果が半減したし、感染者も直接的な攻撃がまるでできず、結果的に取り逃がしている。ある程度の知能を持ち、武器を使いこなせる感染者によって足を負傷したものの正気であることは間違いがなかった。
「タバコか。タバコって……。まさかそんなものが武器になるとは。ははっ。あのゾンビたちが世界を支配したら、喫煙者は相当に肩身の狭くなるだろうね。ファミレスは完全喫煙だ」
「ええ。ディストピアです。だから地球を防衛しないと」
「ははっ。良いね君。気に入った。こんど禁煙席で一服しようじゃないか。俺はな、新生児や妊婦の横で吸うタバコが大好きなんだ。やれ禁煙だの分煙だのほざく連中を鼻で笑いながら副流煙を吹きかける快感はたまらないね。そうそう、あの苦い顔や苦しい顔……。まぁそのせいで女房に逃げられたわけだが」
「気持ちはわかりますけど、ほどほどに楽しみましょうよ」
饒舌な男性の文言に道雄は呆れることも同調することもなく、どこか事務的に言い返した。男性はそこからどんな解釈をしたのか、それとも単にお喋りがしたかっただけで道雄の反応など関係なかったのか、ただ笑って見せた。
それから、道雄と男性は情報を交換し合った。道雄は主になぜ自身がマザーと関わったのか、そして紅というマザーに対抗できる存在の事など。男性は主に自分の所属していた調査隊が壊滅するに至った経緯などだったが、しかしこの男性、この状況下で妙に饒舌が加速し、果てには感染者やマザーと全く関係のない雑談話を始めた。道雄は話の流れを上手く導く才能はほどほどしかなく、結局のところ、道雄にとってはあまり実りのない会話が続いた。
そして、道雄がいい加減に男性との雑談に飽き飽きしてきたころ、ナゴヤドームの辺りで大きな爆発音が鳴った。それはまるでマグマが噴火したしたような音。咄嗟に道雄と男性の2人がドームの方へ目をやると、赤や黄色の光が混じった火花が空を舞っていた。
「ああ、おそらく紅の仕業だ」
「おったまげー」
唖然とする男性。道雄は少し安心したように顔を緩める。
そして、連続する爆発音の中に、感染者を薙ぎ払うように走って来るステップワゴンのドライブ音が紛れていた。運転席から本田の腕が道雄と男性に向けて無事であるサインが贈られる。
「怪我人がいたぞ。2人いる。1人はおっさん、もう1人は女性。女性の方はちょっと疲れてるらしくて後ろで寝てる」
車から出るなり、本田は道雄へ向けて報告をした。短期間の間だが、道雄と本田はそれなりの信頼関係を築いたらしい。
道雄はステップワゴンの助手席の方を見ると、ぐったりした様子のメタボ体系の男性が少し会釈をした。どうやら、その男性もそれなりに疲労し、会話に参加する元気はないらしい。
「蒼さんはどうしたんです?」
「あいつは単独行動だ」
本田の諦めたような顔を見て、道雄も蒼の協力は頼れないと悟った。
「だが、蒼が優先して武装した感染者を滅している。おかげで、銃弾で撃たれる心配はほとんどない。このタバコの脂を塗った車なら、おそらく安全にここを抜け出せる」
「おお、よく話はわからんけど、それならもう一安心じゃないか?」
「ああ、そこのおっさんの言う通りだ」
男性は狂喜乱舞の様子を見せ、本田に握手を求める。本田は少し男性のテンションに戸惑いつつも、軽くそれに対応した。
「女性の容態も気になる。人がいっぱいいたイオンモールも気になるが、あそこはもう感染者でいっぱいだ。流石にあそこまでは見てられないし、生存している確率も低い」
本田と饒舌の男性で何やら話が盛り上がる。道雄はなぜだかそれに混じらず、ただスマホの画面を見ていた。
「すいません、俺は残ります」
「は? 何を言ってるんだ、道雄君」
「やりたいことがあるんです」
流石に楽しげに会話をしてた男性も必死の顔で道雄へ説得の言葉をかけた。道雄は「ええ」とか「しかしですね」などと薄い反応をしていた。説得の言葉など、半分も理解していないし聞き流していると誰もが明白だった。
「道雄君、俺も確かに宇宙人に地球の運命を託すのは良く思わない。だが、だからこそ俺たちはここにいる人間の命を救った。3人も。長年、警察やマトリしてたって、そうそう救えるかどうかわからないぞ。きみは十分に立派なんだ。この弱点だって、言えばドールが発見したんじゃなくて、俺たち……人間で発見したものだ。その弱点が、いつかまた大勢の命を救うかもしれない。そもそもあの化け物だって、元はと言えば……」
「そうですね。ですが、俺は別に、地球人としての矜持とか、そういうのはないです」
「だったら……君は正義の味方になりたいとかか? 止めておくといい」
「いや、そう言うのじゃなくて、ええっと、俺には死んだ恋人がいて……」
「敵討?」
「それもちょっと違います。ただ……」
その死んだ女の子から、LINEが来たんです。




