第19話 愛を取り戻せ!
2月2日 12時23分
“愛で空が落ちて来る”
ナゴヤドームの付近には自衛隊の駐屯地もあり、人類がとったマザーと呼ばれる化け物への対応は、それなりに迅速だったと見て良い。
まず、緑の煙が人体に有害であることは憶測するに易く、付近の住民を早急に避難させ、ナゴヤドームから半径1.5km以内には人が簡単に出入りすることはできない状態になった。
といっても、被害は少なく収まらない。ナゴヤドーム内はもちろん、イオンにて買い物をしていた群衆は軒並み感染者となり、生存者もほとんどが怪我をしているか、軽いドラッグの影響を受けていた。
マザーが覚醒して2時間がたつ頃には、半径1.0キロメートル内は濃度の高い緑の煙が充満し、常人ならば数秒もしないうちに体調に異常が発生、それから間もなく意識を失うレベルに達していた。
「クッソ! ダメだ、全然相手にしてくれない!」
運行の見合わせによって人が未だに屯している大曽根駅を背景に、本田は大きく愚痴を放った。JR中央線や地下鉄は軒並み機能を停止し、名古屋の交通はパニック状態だった。
マザーの細胞が、タバコのニコチンやタールに弱いことを知っていた本田は、現場の立ち入りを制限していた警察や自衛隊たちを説得してみるが、相手にされなかった。当然だと本田も思ってはいる。なぜなら、対策としても、それは遅効性であったし、そもそもタバコという嗜好品の社会的地位も低いため、緊急時に耳へ入れるは難しいはずだ。
「これは短期戦を誘ってるね」
少しイライラしながら、緑の煙対策の為にタバコを加えている本田の横で、蒼が呟いた。蒼の片手には本田のスマートフォンが握られていて、どうやら情報を収集していたらしい。
「進行速度が遅すぎる。2時間でこれだけしか煙が進行しないなんてありえない。ついで、紅や蒼のようなドールの存在を知っていて、ある程度は警戒していてもおかしくないはずなのに、なんの計画もなく、居場所を教えるかな。いや、ありえない。おそらく、何らかのアクシデントがあって、すぐに決着を付けざるを得なくなったか。おそらく、マザーはエネルギーを拡散するのではなく、ドールを抹殺するまで自身に集中している」
「アクシデントってなんだよ」
「例えば、自身の弱点が割れたとか」
その弱点が何かは、本田も容易に推測で来た。
「つまり、俺らがマザーの弱点を発見したから」
「いや、どうだろ」
蒼は珍しく考えるような仕草を見せた。すぐに物事を言い当てて、そして遠慮のない性格の蒼が悩むような姿を、本田は初めて見た。
「あの4人は確かに知能を持ってはいたけれど、マザーと深くつながり、シグナルを頻繁に更新する程の個体ではなかった。それに、キミの唾による攻撃も、とどめの一撃で、マザーに報告する暇なんてなかった」
「じゃあ……」
「おそらく、本田と蒼以外の誰かだろうね。そう……例えばこの間の春巻あたりなら、マザーの手下として長いし、彼の身に何かがあったと考えるべきかな……。そして、確実に紅のⅠは関わっている。ドール以外に調査している者が地球上にいるとは思えないし、なにより紅というドールは、蒼や黄とは一味違う。なにか、深い何かを持っている」
本田は蒼の言葉に説得力を感じず、ニコチンが頭を溶かす陶酔感と半分に聞き流していた。春巻がマザーの手下として長かったとか、紅のⅠだとかが良く分からなかったからである。しかし、蒼には確たる裏付け(それは蒼が得意とする化学的であり量子的な分野のもの)
を持っている自信があるのだろう。
「そうか」
本田は朝から過剰に摂取しているニコチンのせいか、ジワジワと頭痛と吐き気を我慢しているような顔で返事をし、
「それで、どうする? いつまでもあのままと言うわけにはいかないだろう」
「もちろん。現状、一番マズイのは、武装している自衛隊や警官が感染者となることだね。マザー周辺の警備が厚くなり、戦闘中に武装兵に囲まれるのは避けたい。といっても、もう手遅れだろうけれど」
「おい、どうするんだ」
「君が足止めするしかない」
その言葉の真意に、本田は怒りと呆れが同時にやって来た。見捨てられたことに対する遺恨も混ざり、腸が煮える錯覚がリアルに感じた。しかし、徐々にこの人形に人類のすべてを託して何もしようとしない自身の惨めさも加わり、どうにもにっちもさっちもいかない顔になる
「あちらの狙いは長期戦が不利になる状況を作ることだろう。下手をすれば、こちらの弱点を知っている、という利さえ潰してくるかもしない。今なら、多少はまだこちらが優勢なんだよ」
「わかったよ。やるさ。やってやるさ」
言い聞かすような本田の言葉に、蒼は満足した顔をする。本田はヤケになるようにタバコを大きく吸った。少し後悔するくらいに口内に熱が入った。
「ちょっと待って……」
と蒼が突然、驚いたような顔をすると、
「紅が来る……。それも結構なスピードで、こちらに」
蒼がその言葉を終えると、純正品マフラーと単気筒の音が静かな鼓動で近づき、少しずつ本田の耳にも聞こえるほど大きくなってくるのがわかった。
「よぅし! 来たぞ大曽根駅!」
ドライバーの青年……道雄が怒鳴るように叫んだ。
『
あら御機嫌よう、蒼のⅡ。
マザーは私たちで対処するわ。貴方は金魚の糞を掃除しておいて頂戴。
』
ドール専用の回線による意思伝達が蒼にまで届く。
「前言撤回」
忙しないst250のドライバーがナゴヤドームの方へ突進していく。道雄の運転は荒い上に、一方通行の道を逆らっては速度違反を行っていた。この様子だと、自衛隊の交通規制もお構いなしだろう。
「マザーは紅のⅠに任せるよ。もうちょっと到着が遅いと思ったんだけどね……。これは手柄を取られたかな」
「一緒にやればいいだろう。協力すれば、すぐに片が付くかもしれないし、手柄も半分だ」
「そんな簡単じゃないんだよ」
蒼は初めて微苦笑するような表情を見せ
「紅のⅠの戦闘は荒々しいことで有名でね。それに気難しい性格だ。ドライバーの彼、それだけ信用されているのか、闘うついでに燃やされるかのどっちかだよ」




