第2話 My_Name_Is
2月1日 6時13分
“Try acid and get fucked up worse that my life is?”
彼がバイクに乗っているとき、色々なことを考える。
大学の課題はいつやろうか、自作小説の展開をどうしようか、明日は休みだから少しお酒でも飲もうか、そういえばレンタルしたいと思っていた映画があったとか、少し高いコミックを買おうかどうかだとか、とにかく色々だ。
ついさっきまでは、ストレスケアクリニックへ行ったことを思い出していた。不憫なことに、バイクに乗って考えることは、楽しいことばかりでない。あまり楽しいとは思えない記憶である。
あの日から約半年が経ったが、それからの彼は一度とあのクリニックの門戸を叩くことはなかった。あまり後悔はしていない。していたら、とっくに、あの男に会いに行っているだろう。だが、もし通っていれば、学生でいられる期間が、一年ほど縮まったのではないかと考えてしまうようだ。
「あんまり考えてもしょうがないな」
彼は自慢のバイクをコンビニに駐車した。スズキのst250だ。お洒落目的で買ったジェット型のヘルメットを脱ぎ、それと分厚い手袋をバイクに掛ける。
ポケットに財布があるかを確認し、安心をする。彼は昔から用心しすぎる癖があり、電車に乗っては痴漢冤罪にならないように手をつり革に掛け、店を出るときは必ず店の商品がカバンやポケットに入っていないかを確認する。また、最近はその用心癖が悪化し、財布もなしに店にいると、店員に冷やかしが店に来るなと怒られるのではないかと被害妄想に襲われる。
「ん?」
コンビニの入り口に、女がぐったりと倒れていた。意識はなく、おそらくは酔っ払いの類と思える。彼は物珍しさが高じて、その女をよく観察してみる。
女の髪は茶色に染めてあり、体は拒食を思わせるほど細い。皮膚がところどころ炎症しているのか、赤身のブツブツがうかがえた。いわゆるギャルにしては化粧が荒くはないが、アウトローなイメージを見せる少女だった。
「俺なんて夜遅くにバイクに乗ってるだけで死にそうになるのに、よくまぁ」
髪の毛や顔を少し触れてみる。あまり手入れはされていないようだ。髪の質は手入れされてないとわかるほど悪質で、肌はアトピーみたいに荒れている。学生服も洗濯が必要だとすぐわかり、どんな経緯でこんな風になっているのかを、彼は問いたい気持ちでいっぱいだった。
しかし、早朝とはいえ、あまり倒れている少女をジロジロと観察している自分が他人にどう思われているかを思い、彼はついにコンビニに入る。
コンビニの入場音を聞いて、若いアルバイターが音を立ててレジに駆け寄る。店内には誰もおらず、店員も気を抜いて控室でのんびりとしていたに違いない
「いらっしゃいませー」
取り繕うような笑顔でアルバイターは迎えた。
「あの、玄関に変なのいますよ。倒れてる女」
「えっ、あー、ホントだ」
入口の前で堂々と転がっていたのにもかかわらず、どれほどの時間、彼女は放置されていたのだと、彼は呆れ果てる。このコンビニは名古屋の外れのあたりで、たしかに早朝の車通りも少ないが、まさか客がまったくいなかったわけではあるまい。ともなると、それなりに見て見ぬふりをしていた人間も多いだろう。
「どうしましょ」
「さー。すいません、今日俺一人なんすよね」
適当な奴だ。と彼は思うが黙る。
いつのまにか彼とアルバイターで倒れている女を囲むように立ち、互いに二言三言と彼女をどうするか議論する。彼は倒れている女の興味を隠すように口を回す反面、アルバイターはどこか気が抜けた様子でいた。アクビも2つか3つ見せ、仕事上のトラブルだというのに焦りを全く表さない。
「とりあえず、起こしてみてください。未成年だったら色々問題ですし」
と言って、アルバイター君は彼へ起こす役割を押し付けた。
彼は奇妙なものに対する興味はあったものの、面倒ごとを押し付けられるのには気分を害し、眉をひそめた。しかし、物議の一言を言ったところで何もならないとも思ったので、仕方なしに女の体を揺らす。
「うぁー、ん?」
「あの、大丈夫ですか?」
「あー、うん。てか誰?」
「通りすがりのものです」
「へー。それ怖いわ」
女はまだ寝ぼけているのか、ぼけーっとした顔で返事をする。
「コンビニの前でオネムな人には言われたくないです」
「まー、それはごめん」
「僕は別に困ってませんけど、コンビニ側は迷惑かもですよ。ほら、威力業務妨害だと思われて警察呼ばれても知りませんよ、あははっ」
「あー、難しいことはよくわかんないや。でも私は大丈夫だから」
彼がおかしく笑って見せると、女は視線を揺らす。彼は些細に動いたそれを見逃さなかった。
「あのー、学生さんかな? 一応、親御さんを呼んだほうがいいんじゃない?」
しばらく黙っていたアルバイターが尋ねる。あいもかわらず真剣味のない抜けた声だが、対応はいたって常識的で、責めようのない意見だ。
「あー、大丈夫です。歩いて帰れます」
「でも、今日は平日だよ? 学校行かなきゃダメでしょ」
「あー、それも大丈夫です。家近いんで」
少女は反抗的な態度になり、アルバイターも億劫だと言わんばかりの顔をする。
「事件とかに巻き込まれたんじゃないのか? 本当に大丈夫なんだな?」
彼は少しプレッシャーをかけるような口調で尋ねる。
「平気だって」
女は嫌気が刺したのか、アルバイターの質問攻めの時すら見せなかったほどに攻撃的に言い返す。釘を刺すような鋭い目は、あっちに行け、と暗に言うようだった。
彼はその対応に肩をすくめる様子を見せ、アルバイターに視線を送る。
「まぁ、ならいいんじゃないですか?」
彼はアルバイターに向けて言う。
アルバイターは納得をしない表情をそこそこにするが、面倒ごとを予感したのかすぐに諦めた。
「そうですか? なら俺は戻りますけど」
その一言を契機に、二人は女を開放した。
彼は嗜好品をいくつか、それにカイロをいくつか購入し、そしてアルバイターもレジを戻って対応する。その間も奇妙な存在に触れた後味が残っていたが、それでも忘れようとしつつあった。ついさっきまであった彼が抱く女への興味は、女が起き上がり、2、3の会話をすることできっぱりと断ち切られていた。
「よっ。通りすがりの人」
コンビニを出てすぐ、彼は女に話しかけられた。彼女のフレンドリーな挨拶も含め、彼は困惑が強まる。
「さっさと帰れよ。せっかく未成年が煙草を持ってるの見逃してやったのに」
「……バレてた?」
「煙草はバレバレ。おそらく、もう一つのほうも、もしかしたら、ってとこだな。」
「まっじかー」
「匂いがスゲーんだよ。てか、ポッケに赤マルが見えるし」
「あーうん」
言い当てられた気恥ずかしさからか、彼女の顔は笑みが薄れ、露骨に視線を泳がせる。
「てか、そこのバイク君のだよね?」
「ん? まーそうだよ」
早朝のコンビニで客も一切いないものだから、駐車してあるバイクが誰のものかは、女にとって明白である。そして彼にとっても、そこのバイクと呼ばれたものが誰かは確認するまでもなかった。
「どこいくん」
「琵琶湖巡りしようかと」
「でっかい川だっけ。滋賀の」
「いや湖じゃないのか……少なくとも川じゃないはずだ」
彼は茫然としつつ答える。
「よくわかんないけど、バイク旅なんしょ? 楽しそうじゃん! 連れてってよ」
「ええ……面倒な」