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 母の父は、二代目のホルガー伯爵だった。

 彼は隣国イリリア王国の出身であったので、母は子供の頃に度々イリリアへ行っていた。


 イリリアの町並みは洗練されていて、どこもガルシアより魅力的に見えた。だから母は自分の祖父母宅へ帰省するのが、大好きだった。

 母の祖父母の屋敷は非常に立派で、年齢を重ねてもなお、格好良い祖父と、可愛らしい祖母は母の自慢だった。母の祖母ーーセーラ・ショアフィールドはかつてガルシアとイリリアが敵対していた頃、戦争の人質にもされた事があるという、波瀾万丈の人生を歩んだ人で、母が訪ねて行くたびに、ガルシアの話を詳しく聞きたがった。


 ある時、母がイリリアに帰省中に、ガルシアの国王が崩御したとの知らせが舞い込んだ。

 その日、祖母は自室から出てこなかった。

 幼い母はそれが寂しく、祖母の部屋に様子を見に行った。

 祖母は窓辺の椅子に座り、声もなく泣いていた。

 泣きすぎて目を開けられないのか、ただ閉じた瞼の隙間から、さめざめと涙が流れていた。


「おばあ様?」


 母にはその涙の理由が分からなかった。

 ただ、祖母が皺だらけの震える指で、胸にかき抱く小さな木箱が、ひどく印象に残った。

 やがて祖母を心配した祖父が部屋に入ってきた。

 彼は祖母を優しく抱きしめ、二人は声もなく抱き合っていた。その後で祖父は孫娘である母の手をそっと取ると、静かに部屋を出て行った。

 後年、祖母が亡くなると、母は祖母の遺品の中にあの木箱を見つけた。中も見ずに、母はそれを手に取り、祖母の形見として貰い受けたのだ。

 それが何か、自分の祖母にとってとても大事なものだったと信じた。




 そこまで話すと私は疲れて雑草の上に座り込んだ。ドレスが汚れると思ったが、特に汚れて困る上等な服でもない。

 見上げると男は隣に同じく座り込んだ。

 肘と肘が触れ合う。

 その温もりが、私を安心させた。


「泣いたりしてごめんなさい。こんな話、興味ないでしょ」


 すると男は私の二の腕にそっと触れ、極めて真剣な目を私に向けて言った。


「そんな事はない。続けて」

「木箱の中は、金の腕輪だったの」

「それを、昨日から探しているんだね」


 気がつくと私は彼に寄りかかっていた。無意識になんて事をしていたんだろう。

 慌てて身体を離す。

 だが彼は私の肩に腕を回し、私を引き寄せるように手に力を入れた。

 驚いた私は、勢いよくその場から立ち上がって、飛び退く。

 その時だった。

 道の横の、斜面になっている草むらの中に、キラキラと輝く光を目にした。目を凝らすと、それは腕輪の鎖だった。

 あんな所に!


「あった! 私の腕輪が!」

「危ない。私が行こう」


 斜面を下りようとした私を制止し、男は両手をついて斜面を下った。

 落ち葉にまみれた地面に手を入れまさぐると、しばらくしてから男は腕輪を手に、私のもとに戻ってきた。

 感激のあまり、男の手からひったくるようにして腕輪を受け取る。

 震える手で留め金や鎖を確認すると、腕輪はどこにも異状なく、無事だった。金色に優しく輝き、私を見上げている。


「ああ、良かった…………!」


 横から腕輪をじっと見ていた男は、不思議そうに首を傾けた。


「その腕輪はもしかして本来、男性用かな? 最短箇所で留めても、女性には緩すぎるように見えるね」

「そうなんですけど、私の曽祖母の持っていた物なんです」


 ホッと安堵の息をついてから、私は裾に付いた汚れを払い、重ね重ね男に礼を言うと、ようやく自己紹介をした。


「私、リーナって言うの」

「リーナ・ホルガー伯爵令嬢だね」


 ホルガーの名は教えていないのに、と目を丸くすると、男は笑った。


「君の話から何となく想像がついたよ」


 きっと、この辺りでは有名なホルガー城を知っているんだ、とにわかに恥ずかしくなった。お化け屋敷と呼ばれていることも、さしずめもう知っているんだろう。

 お化け屋敷の娘だとバレるのは、あまり嬉しい事ではない。お化けは本当は出ない、と自分の名誉の為に教えたい。


「君の祖父の妹は、恐らく私の祖父の兄に嫁いでいる」

「えっ?」

「アリアンナ・ショアフィールドという絶世の美女が、イリリアからガルシアの国王に嫁いでいる」

「ええ。知ってるけど…」


 という事は、この男性は…。


「君と私とは血のつながりはないけれど、他人でもないね。私は、アレストン・デーシェンという。」

「デーシェン……? もしかして、デーシェン公爵様?」

「知っていた? それは光栄だな」


 デーシェン公爵家と言えば、古来からガルシアで続く由緒正しい家柄だ。つい最近登場したポッと出のホルガー伯爵家とは、ワケが違う。

 私は今更ながら、数歩後ずさりをして早口に詫びた。


「公爵様とは存じあげず、大変な失礼を…」


 公爵は面倒そうに笑い、首を左右に振った。


「明後日には王都に帰る予定だったんだ。その前に見つかって、良かった」

「お友達との大事な時間を、私の探し物になんて割かせてしまって、なんとお礼をいったら…」

「お礼がわりに、明日また、付き合ってくれるかな?この辺りを散策したい」


 そんな事をしたら、余計に公爵と友達との時間がなくなるのに。そう疑問に思いながらも、私は二つ返事で承諾した。







 帰宅してからは、公爵のことばかり考えている私がいた。

 私を見つめる彼の顔を思い浮かべるだけで、妙にドキドキして胸がくすぐったくなるのだ。

 あの綺麗な瞳に見つめられていると、それだけでうっとりとしてしまう。

 穏やかな落ち着いた話し方も、とても品があって素敵だ。


 ーーーーもし。もし、私の婚約者が公爵様だったら。そうしたら、どんなに……。


 愚かな妄想を止めようと、頭を左右に強く振った。

 公爵はほんの短い期間、ここに遊びに来ているだけだ。少ししたら彼は帰ってしまって、もう二度と会うことはできなくなるだろう。

 私に婚約をしようとしているのは、ドムナ子爵だ。彼との今後を考えると、気持ちは暗く沈んでいくけれど。





 翌日の昼過ぎ、果たして公爵は森の中の小道に現れた。

 公爵は私を森の中にある湖のボートに誘った。風光明媚なこの地方を堪能するのには、うってつけだ。

 湖まで歩きながら、私たちは他愛ない話をした。なんて事はないお喋りなのに、公爵と話すととても楽しく、わくわくするのが不思議だった。

 公爵の手を借りて、グラグラと不安定に揺れる小さなボートに乗ると、公爵は木の櫂を握り、力強く漕ぎ出した。ボートは水面を滑るように進んだ。

 櫂がボートを擦る木の音と、続けて湖面に潜る心地良い水の音。櫂が回るたびに作る、その小さな飛沫の涼やかさ。

 私たちはお互いに無口になり、しばらくの間水の上を楽しんだ。

 岸を離れて湖に浮かんでいると、現実の悩みを束の間忘れた。

 かなり岸から距離がある所まで漕ぎ進むと、公爵は口を開いた。


「思い出した」


 彼は青い目を見開いて呟いた。


「君と初めて会った気がしなかった理由が分かった。君は、ある女性にとても良く似ているんだ。赤毛の…」


 思ってもないことを言われた。

 多くはないとはいえ、世の中に赤毛の女性が何人いるのか。髪の色だけで前に会ったことにされては、たまらない。


「髪の色だけじゃ……」

「髪の色だけじゃない。ソバカスがたくさんあるのも、そっくりだ」


 一瞬耳を疑った。

 大真面目に失礼な発言をされ、グサッと胸が痛んだ。


「……そ、それだけじゃ、似ているとは言えないのでは…」


 いや、似ている。公爵はそうつぶやくや否や、向かいに座る私の手首を引き、強く引っ張った。

 危なっかしく揺れるボートの中で、私は公爵の腕の中に倒れこんだ。


「何を…」

「似ている。なぜかな。初めて会った気がしない。君とは、ずっと前から知り合いだと言う気がする」


 公爵が私を抱き寄せ、私は彼に包まれる様な格好になった。

 ドクドクと心臓が早鐘を打ち、顔がカッと暑くなるのを感じた。彼は腕の中の私の髪に、口付けた。

 恥ずかしくて、でも怖くて、逃げようにも逃げ場がない。激しく動くとボートが揺れるので、転覆するのではないかと心配になる。

 公爵は私の耳に口元を寄せ、囁いた。


「セーラだ」

「えっ?」


 びくり、と私の全身が震えた。


「君と似ている人の肖像画を、子供の頃に見た。君の曽祖母のセーラ・ショアフィールドだよ」


 私は目を剥いて公爵を見上げた。

 なぜ曽祖母の絵を公爵が?


「アリアンナ様には、子供の頃に可愛がって貰ったんだ。彼女は部屋に母親である赤毛の女性の肖像画を飾っていた」


 私の曽祖母であるセーラ・ショアフィールドの娘アリアンナは、この国の王妃になっていた。

 やっと思い出した、とやたら爽快そうに笑うと、公爵は再び私をぎゅっと抱き締めた。

 ぎこちなく私は身体を離すーー誰かにもし、見られでもしたら。

 この辺りには知り合いも多い。

 不安になって私は、岸辺に視線を投げた。

 すると公爵は私の身体から手を退けると、ボートの櫂を再び握った。

 岸に戻るのだろう。

 そっと安堵のため息をついた矢先、公爵の予想外の行動に、目が釘付けになった。

 彼は櫂をボートからヒョイと外したかと思うと、湖面に放り投げたのだ。

 声を失う私の目の前で、櫂がドプンと音を立てて、湖の中に沈んでいく。


「公爵様、櫂が……!」


 慌てて振り返ると、公爵は残るもう一本の櫂をもボートから外し、流れるような仕草で投げ捨てていた。櫂はあっという間に水に沈み、見えなくなる。

 何をしてるんだこの人は!!


「櫂が無かったら……!」

「君が帰りたそうな顔をするので」


 極めて涼しい表情で淡々とそう言うと、彼はまた私を抱き寄せた。

 反射的に両手を突っ張り、距離を取ろうとする。


「人目が気になるなら、この中に隠れていれば良い」


 公爵は自分のマントを広げると、私を包み込んだ。フワリと、香水の甘い香りがした。

 マントに後ろを覆われ、顔面を公爵の胸下に押し付けられ、視界が殆どない。

 公爵の体温と自分自身の体温で、とても暑く感じ、心臓がうるさいくらい騒いだ。

 でも心は舞い上がり、私は突っ張ろうと彼の胸に当てていた手のひらから、そっと力を抜いて、下におろした。





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