第十八話 「女王との会談にて」
「久しいな、レイファ=リム=ラテストウッド女王陛下」
会談はそんな言葉で始まった。
場所はラテストウッドの首都中心に位置する小城、その応接間だ。戦勝祝いを兼ねた会談として、アルキマイラからヘリアンが訪問してきた形である。
対面には白と緑を基調とした正装を纏うレイファと、その背後に控える数人の側近。そして自分の背後には第一軍団所属の側仕えが静かに佇んでいた。戦後処理で忙しい中、派手な会談を執り行うわけにもいかず、参加者は必要最小限である。
「まずは此度の勝利についてお祝い申し上げる。貴国の戦士団の活躍は既に聞かせていただいた。僅か一月あまりの訓練で成果を出した彼らの活躍には、私も称賛を禁じえない」
「過分なお言葉、恐れ入ります。他でもないヘリアン様からお褒めのお言葉を頂けたとあらば、戦士団の皆も喜ぶことでしょう」
レイファは浅く頭を下げつつ、落ち着き払った言葉で返礼を口にした。
そうしてしばらくの間、互いに格式張った言葉遣いで賛辞や返礼の応酬を交わし合い、やがて話題は実のある内容へと移っていく。迂遠なやり取りだが、双方の従者に視られているこの状況下では必要なことだ。
「時に、ヘリアン様は体調を崩されていたと風の噂で耳にしましたが……お加減の方は如何でしょうか?」
「出先で少々面倒事に巻き込まれたが、見ての通り支障ない。至って健康だとも」
但し今この瞬間は、という枕詞が付く。
実はと言うかなんというか、今回の一件で地味に死にかけていたのである。
だがなにも戦闘に巻き込まれた為だとかそういった話ではない。万が一の事態に備え密かに後詰めの戦力を伴って待機していたのだが、結局出撃の機会はないままに戦いは終わった。従ってヘリアンが死ぬかと思ったのは開戦前夜、ラージボックスにて秘奥を発動した際の一幕である。
あの日、ヘリアンはリーヴェの反対を押し切って秘奥〝覚醒めろダインの遺産〟を発動させた。そしてファフニールの最後のパーツとなる魔剣を顕現させるに至ったわけだが、その結果を見届ける間もなく気絶してしまったのである。
後で聞いた話だが、付き添っていたリーヴェはこの時点で顔面蒼白だったらしい。彼女は倒れるヘリアンの身体を受け止めるや否や、統括軍団長の権限を行使して現場人員を掌握し、そのまま王城の寝室へと緊急搬送。そして一夜明けた翌朝、ようやく意識を取り戻したヘリアンは簡易な診察を終え、開戦間際に現場に到着したという運びだ。
(戦ってもないのに死にかけたなんて、なんとも情けない限りだけどな……)
正直なところ「もしかしたらやばいかも」程度には危機感を抱いてはいた。秘奥の連続発動による衰弱状態から回復しきってはいなかった為、普段よりも強いフィードバックが来るかもしれないと覚悟はしていたのである。しかしながら、ただ一度きりの秘奥発動で意識を失う羽目になるとは考えていなかったのも事実だ。
検証のしようがないことなので[タクティクス・クロニクル]の知識を基準に予想を立てていたのだが、どうやら今の自分の体は想像以上に弱っているらしい。
だが、秘奥の発動が軽挙だったかと問われれば否である。何故ならあれは事前にレイファと約束していたことだからだ。本来戦争に用いられるべきではない超常の戦力が投入された際、それはアルキマイラ側で請け負うと、確かな約束を交わしていたからだ。だからこそ、あの場面で秘奥を使わないという選択肢はなかった。
約束したことはきちんと守る。
その程度のことすら出来ずして、誰が三崎司を王として認めてくれるものか。
「私などより、貴公の方こそ身体の調子は如何か? 今回の戦においては陣頭指揮を執ったばかりか、大魔術の要を担ったと聞くが……」
「お気遣い痛み入ります。ですが、体調にはさしたる問題はありません」
レイファはニコリと微笑んで返答する。
彼女の気丈な性格を考慮すれば、その言葉を額面通り受け取るのは難しい。集団詠唱がどれほどの負担を強いるのかは分からないが、それを差し置いても最前線で指揮を執っていたのだ。開戦に至るまでも女王としての仕事に忙殺されていたことを考えれば、今の体調は万全とは言い難いのではないかと思う。
だが余人の目があるこの状況でそれを追及しても意味はないだろう。無駄話はなるべく避け、実務的な話へ移ることにする。
「さて。今回の一件で得られた諸般の成果についてだが……概ね想定通り事が進んでいると認識している。貴公の方では、何か特筆すべき問題などは?」
「特に御座いません。首都も無傷で済みましたので、事後処理も滞りなく進んでおります」
「それは何よりだ。集落に逗留中だった冒険者についても問題なく対処を終えたと報告を受けている。これも貴国の戦士団による成果の一つと言えよう」
なにせノーブルウッドというエルフの強国が滅んだのだ。しかもその終焉には弱小国家であるラテストウッドが関わっていたという。大樹海の情勢に何ら興味のない一般人ならともかく、疑うものの一人や二人出てきても何らおかしくない話だ。少なくともラテストウッド側が弱兵のままでは説得力に欠けていたに違いない。
だがしかし、ラテストウッドの戦士団は相応の力を得た。彼らは何処からともなく訪れた『旅人』によって深淵森素材の武具を手に入れ、少数ながらも精鋭部隊を創り上げていたのである。
実際には本人らの実力によるものだが、境界都市の冒険者達にも確かめた通り、『深淵森製の武具』というのは分かりやすい説明材料だろう。白を黒と信じさせるのは至難の技だが、グレーを白と認識させるなら難易度は随分と下がるものだ。戦士団が自ら力を示したことによりカミーラたちの仕事がやりやすくなったのは疑いようのない事実である。
それに――
「今回の一件は誰一人として損をしない。元々深淵森に潜りに来ていた冒険者は勿論のこと、鼻の利く商人連中もラテストウッドに興味を示すことだろう。ノーブルウッドが過激なエルフ至上主義という事実が、今回ばかりは良い方向に働いてくれるというわけだな」
危険度を度外視すれば、深淵森というのは非常に魅力的な資源地帯である。
大樹海からエルフ至上主義の過激派が消え、深淵森素材を加工できる優れた職人がラテストウッドに存在するという事実は、深淵探求者を代表とした冒険者や周辺諸国にとって歓迎すべき事態というわけだ。
そして社会心理学の専門用語で『確証バイアス』という言葉が存在するように、ヒトという生き物は『それが自分にとって都合のよい情報』であれば信じようとする心理が働く。疑ったところで益はなく信じたことによって得をするのなら、そもそも疑おうとする気持ちが湧かないのだ。
ましてや、今回の一件に総動員されているのは情報戦を専門とするカミーラ率いる第六軍団。ここまで下地が整えられている舞台で彼女らがしくじるはずもない。無論、ラテストウッドが国際社会に受け入れられるにあたっては長い道のりが必要になるだろうが、そのキッカケとしては十分な一手と言えた。
ともあれ、
「しばらくすれば人の往来が増えることだろう。それに伴い、ラテストウッドも否応なく変化を求められることになると思うが……」
「覚悟しております。元よりノーブルウッドという脅威の排除は、我が国にとって避けては通れない問題でした。力添えいただき、心より感謝しております」
「……我々が戦力を提供したのは、あくまで妖精竜の対策のみだ。此度の勝利は貴国が自らの力で勝ち得たものであることに疑いはない。感謝の言葉を受け取る理由がないな」
アルキマイラはラテストウッドを隠れ蓑に使おうとしている。それを踏まえて考えれば、今回の戦はアルキマイラの都合で戦ってもらったようなものであり、間違っても純粋な感謝を受け取れる立場ではないだろう。
レイファから向けられる真っ直ぐな感情に耐えかね、ヘリアンは翠緑の瞳から視線を逸らす。
しかし逸らしていた視線を元に戻すと、対面に座るレイファは何故か困ったような微笑みを浮かべていた。苦笑、とでも表現すればよいのだろうか。どことなく不思議な表情に思える。
コホン、と咳払いを一つ挟んで言葉を続けた。
「ところで、だ。今回の一件とは別に、貴国に派遣した者たちから色々と報告を受けている。ついてはこれに関して忌憚のない意見を交わしたいと思うのだが……構わないだろうか?」
レイファの背後に佇む側仕えたちをチラリと一瞥する。
するとレイファは肯定の意を発するなり、自身の側仕えたちに小声で指示を出した。ヘリアンもまた右手を払うように軽く振り、その動作に紐付けられた〈圧縮鍵〉を通じて背後の護衛に〈指示〉を飛ばす。
アルキマイラ側の従者は即座に行動に移し、ラテストウッド側の従者もまた僅かに躊躇しつつも退出していった。そうして人払いが済まされた部屋の中には、レイファとヘリアンの二名だけが残される。
「お気遣い感謝する。――それでは、本題に入ろうか」
一呼吸を置いて告げると、レイファの背筋に力が入るのが分かった。
「議題は他でもない。これまでの活動で判明した、我が国と貴国の交流に関する問題点についてだ。レイファ殿と膝を突き合わせて話し合える機会は稀有な故、こうして時間を取っていただいた次第である」
問題点と聞かされたレイファはピクリと眉を動かした。きっとその聡明な頭の中で思考を巡らせているのだろう。
ヘリアンは唇を舌先で濡らしてから続ける。
「私としては、貴国との友好的な関係が今後も続くことを切望してやまない。そして将来を見据えた上で、今回改めて浮き彫りになった問題……我が国の常識と貴国、ひいては人類の常識が大きく乖離しているという問題について避けては通れないものだと考えている」
現在のところは大きな問題が起きたという報告は上がっていない。
しかしそれは、ラテストウッドと接触する人員を厳選しているが故の見せかけの平穏だ。派遣した彼らとて『例え相手に非があろうと絶対に暴力を振るってはならない』という厳命を数度に渡り通告していなければ、少なからず摩擦を起こしていたことだろう。
まず間違いなくそうだと確信できる、その理由とは――
「知っての通り、我が国の民はその全てが魔物だ。そしてその性質上、意見の衝突や些細な摩擦が発生した際、解決手段として『肉体言語』での語り合いを望む傾向が強い」
「肉体言語とは……いわゆる、その……」
「飾ること無く言ってしまえば、殴り合いやその延長線上の戦闘行為……つまりは『暴力での解決』ということになるな。だが、この説明を字句通り受け止められるとなると語弊がある。適切な言葉が他にない以上、肉体言語としか表現しようがないのだ」
そしてこの肉体言語という言葉は、両国の文化と常識の違いを端的に現す代表的なものだ。
アルキマイラにとっては、この言葉一つで十分に相互理解が得られる。肉体言語とは暴力ではなくあくまで対話方法の一つとして認知され、住民もまたそれを当然のものとして捉えているからだ。
それが常識であるからには、それが正しい行いかどうかそもそも疑うことすらせず、皆が当然共有していて然るべき『文化』として認識されている。
一方、ラテストウッドにとっては、これはもう『暴力』以外の何物でもない。意見が衝突した際に実力行使に出るというのは、彼らにしてみれば恫喝や脅迫、或いは暴行といった犯罪行為でしかないのだ。
決闘という文化はあるかもしれないが、それは話し合いや第三者の介入による調停でさえ解決できない場合に採られる最終手段のような位置づけであり、決して初手から選択すべき行為ではないだろう。
「無論、我々の文化や常識を一方的に押し付けるつもりはない。そもそもこの『肉体言語』という文化一つとっても、貴国に適用するとなればただの武力侵略になりかねんしな」
「恐れながら仰るとおりかと。我が国の民が貴国の民から力比べを申し込まれた場合、そこには悲惨な結末しか生まれぬものと思われます」
「完全に同意見だ。当事者を含め誰も得をせず、互いにとって不幸な結果に終わるだろう。だからこそ互いの交流には細心の注意を払う必要があると考える。……身内の恥を晒すようで忍びないが、我が国の民、アルキマイラの魔物にはそのあたりの機微に疎いものが多くてな」
ぶっちゃけ、面倒くさくなったら殴り合いでいいやと考える脳筋どもが多すぎるのだ。あのリーヴェですら第八軍団の竜種相手に拳で語っていたのだから、低位の魔物など語るまでもない。
「しかし、現状は貴国の民が素直な意見を述べられる環境とは言い難い。派遣団との交流においても意見の相違や文化の衝突があった筈だが、その全てが貴国の民が譲歩する形で決着していた。これまでの経緯を思えば無理もない話かもしれんが、健全な関係とは言えまい」
「その件については私も耳にしています。ですが復興支援や医療活動など多くのご厚意を戴いていることを鑑みれば、些事において我々が身を退かせていただくのは当然のことかと……」
「これまではそれでも良かったかもしれん。だが、今回の一件で貴国は力を示した。隷属者ではなく良き隣人たらんと行動を示した。ならば今後の付き合い方もまた、それに応じたものにすべきだろう。――そこで、だ」
言葉を区切り一拍を置くと、レイファは眼差しを鋭くした。
ここまではただの前置き。そしてここからが余人を排した上で語ろうとした核心なのだと、正しく理解している。
気圧されぬよう腹に力を篭め、ヘリアンは口を開く。
「これまでは言えなかった、そしてこれから言うべきである、我が国に対しての陳情や苦情……忌憚のない意見を受け付ける為の窓口を設けたいと思う」
「……窓口」
「そうだ。こちらから担当者を配置し、その者を通して意見を聞き届けたいと思う。そしてその者に届いた意見については全て……そう、その全てにおいて、例えその内容が我が国の理念や私自身を批判・侮辱・否定するものだったとしても、決して咎め立てはしない。またこれにより貴国や意見者に対し、一切の害意や悪感情を抱かないことを約束しよう。――ヘリアン=エッダ=エルシノークの名に懸けて」
「――……ッ、いえ、お待ち下さいヘリアン様。私は、我々ラテストウッドは、貴方様と貴国の双方に対し一切含むところなどありません。これほどの恩をいただいておきながら、仇で返すような真似は決して……!」
慌てて言い募ろうとするレイファに手を翳して静止する。
……国家元首同士の会談の席としてはマナー違反かもしれないが、レイファの必死な形相に思わず手が上がってしまった。
後でこの世界におけるこうした礼節についても調査・予習しておかねばと心のメモを取りつつ、レイファの勢いを削ぐ為の一呼吸を置いてから口を開く。
「そうではない。そうではないのだ、レイファ殿」
レイファの表情を観察し、落ち着く為にはもう少々時間がかかりそうだと判断。緩やかに首を振り、時間を稼ぐ。
そして更に二呼吸を置いて、彼女の瞳に静けさのようなものが戻ったのを確認し、ヘリアンは再度切り出す。
「情けないことだが、レイファ殿、私は本当に困っているのだ。故にこれは提案というより……そうだな、要望と表現した方が正しい」
「……申し訳ありません。私にはヘリアン様のご意向が分かりかねます。我が国からの意見申し立てが貴国の要望とおっしゃるのは、いったいどのような意味合いでしょうか?」
彼女の混乱はもっともだろう。こうこうこうしてくれ、という要望を上げてくれることを要望する、などと言われているのだから。
無論、一方的に庇護することを良しとするなら話は別だ。子供の我儘を容認しありとあらゆるものを買い与える親のように、アルキマイラがラテストウッドをひたすらに持て囃すとあらばそうした要望も有り得るかもしれない。
しかしヘリアンはつい先程、良き隣人であることを望むと口にしたばかりだ。それでは話が食い違う。まるで一貫性がないことになる。庇護者と被保護者の関係は良き隣人とは程遠いものなのだから。レイファの混乱は、そのあたりに起因するものだろう。
「ふむ……少々話を急ぎすぎたかもしれん。しかしな、レイファ殿。私の先の言葉に含意はなにもないのだ。私は貴国からの意見陳情を切に望んでいる。その理由は先ほど述べた常識の乖離、そして今後の国家間交流を見越した長いスパンでの話が関わってくるのだ」
あえてややこしい話し方をしている自覚はある。
かくいう自分も、テレビで見る政治家連中はなんでああも回りくどく、婉曲な言い回しをするのかと。そして最終的な要望や意見を述べるまで、何故そこまでダラダラと時間をかけるのかと、ずっと疑問に思っていた。けれど自分がこうした立場になることで、ほんの僅かだがその一端を理解できた気がする。
それは布石であり外堀埋めだ。
わずか数秒で言い終える程度の最終的な要望・意見をなんとしても通す為に、ありとあらゆる手段を尽くしているのだ。
例えるならそれは将棋やチェスといった陣取り合戦に近い。ジワジワと敵陣地を崩し、自陣の駒で敵陣を制圧し、本命を獲りにいく。それを彼らは、そして今の自分は、駒ではなく言葉を操ることで必死こいて勝ちにいっているのだ。
「繰り言になるが、我らアルキマイラの常識は人類のそれとは異なる。幸いにも貴国は我が国に配慮を示してくれており、そして現在のところは良好な関係を維持できているのは事実だ」
だがしかし、とヘリアンは否定の一度で言葉を繋いで、
「今後アルキマイラが接触する他勢力もまた、貴国のように最初から友好的であるはずもない。どころか、それが敵対的ですらなく中立的な勢力だったとして、それでもやはり問題は起きるのだ。――相手に配慮してもらうことでどうにかこうにか友好的な関係を保てている今のアルキマイラの有り様では、な」
はっ、とレイファが表情を変えた。
翠緑色の瞳には理解の光がある。
「……そういうことだ。だからこそ我が国は今のうちに今後の接し方を学んでおきたい。今後の国家戦略観点上、国の存在を伏したまま活動せざるを得ない我が国は、唯一無二の友好国たるラテストウッドを通じて民の教育を行いたいのだ。此度の提案ならぬ要望はそれ故のものとご理解いただきたい」
前もって用意していた台詞をまくし立てる。
まだ本命までは今少しの距離が残されているが、まずはここを突破しなければいけない。とりあえずここまでの流れは事前の想定通りにいけた。ある程度差異はあったものの、自分のアドリブ力でクリア可能な範疇だったと言える。
しかしここから先は分からない。ここを乗り切ればゴールが見え始めるのだが、果たしてどこまで自分の言葉が届いているものか。
「――――」
レイファはしばし熟考の構えに入っていたが、こちらの心境は判決を待つ被告人のようなものだ。なんだか前にも同じようなことを考えていた気がする。そして進歩がない自分に落胆の気持ちが湧いた。
いい加減そろそろプレッシャーに慣れてもいい頃だろうに、この待たされている感覚だけは今でも苦手なままらしい。
「……改めて申し上げておきたいのですが、私は貴国に対し大恩を感じております。派遣団の方々も紳士的で、与えられたものに比べればこれまでに起きた諸問題など本当に些末なものだと思っております。神樹の名に誓って、それは真実です」
「今更貴女の言葉を疑おうなどとは思っていない。本音で話してくれていると、そう理解している。だが、それとこれとは話が別なのだ」
「はい。私にもヘリアン様のご意向が理解できました」
初めて肯定的な言葉が出てきた。はい、と肯定を意味する言葉が彼女の口から出てきたことに、期待感が湧く。
「ここに至り、ご提案を固辞し続けることはただの自己満足に成り下がりましょう。私と同様に民もまたアルキマイラの方々に感謝の念を抱いている中、どれだけの意見が集まるかは分かりませんが……文化の衝突や摩擦が生じた際は率直な意見を小城に届けるよう、民に周知したいと思います」
「――では?」
「ご提案、ありがたくお受けしたいと思います。我が方からの陳情に関して窓口をご用意いただくこと、心より感謝いたします」
交渉が――交渉と言い切るには微妙な内容かもしれないが――始まって以来、初めてレイファが柔らかな微笑みを見せてくれた。
大きな山場を乗り越えたことを自覚したヘリアンは、安堵の溜息が出そうになるのを懸命に堪えつつ、目と目を合わせて首肯する。
「感謝するのはこちらの方だ。これは提案ではなく、貴国への要望なのだから」
「いえ。窓口を設けていただいた上、更に感謝をいただくなど……」
「貸しと借りは明確にしておくべきだろう。これは世界や種族を違えようと、共通の認識だと思っている。違うだろうか?」
問えば、レイファはまたも眉尻を下げた笑みを浮かべた。
どう受け取ればいいのか微妙に判断に困るが、少なくとも明確に否定はしてこなかった。ならばこの場においては受け入れてくれたものだと考えていいだろう。
「……さて。長々と話してしまったが、陳情や意見についてはそれがどれほど侮辱的な内容であれ、これを問題視しないことを改めて約束する。欲しているのは真実かつ率直な意見である故、むしろできるだけ手厳しい意見をいただきたい」
改めてそのことに言及すると、レイファが思い出したように何かを言おうとする初動を見せた。
しかしそれを口にさせるわけにはいかない。せっかく論点を『窓口設置の可否』に集中させたのだ。ここで『如何なる苦言も問題視しない、あらゆる無礼を許す』という点に関し、議論の場を設けてはならない。これは話の前提条件として、既に合意に至ったものとして、一気に話を推し進めるべき場面だ。
ヘリアンは立て続けに言葉を紡ぐ。
「また窓口の担当者についてだが、勝手ながらこちらで決めさせていただいた。意見を伺った上での選考も考えてはみたのだが、それを行うには相互理解が不十分だと判断したのでな。互いの幹部の人となりすら十分に把握しきれていない状況では、無理のないこととご理解いただきたい」
「それは、はい。勿論ですが……」
「感謝する。それと『如何なる苦言も問題視しない』という点が形骸化しないよう、その条件を成立させる為の魔道具を提供させていただこうと思う」
レイファの言い募ろうとする言葉に被せて、強制的に次の話題に切り替える。
多少強引な交渉をしている自覚はあるがぎりぎりセーフの範疇だろう。最低限の礼節は維持できているはず。そう思い込む。
それに魔道具の提供という新たな話題は、レイファとしても気になる内容のはずだ。すかさず、そしておもむろに懐に手を差し入れると、彼女の視線がその動きを追うのが見て取れた。
注意を惹きつけられたのを確認しつつ、ヘリアンは取り出した銀の腕輪をテーブルの上に置く。
「こちらから提供する形になるが、これは窓口を設けるにあたり前提条件を満たす為の措置と考えてもらいたい。当然、貸し借りの範疇には含まない」
コン、と指先で銀の腕輪を叩いて言った。
「これは装着者の正体を偽装する魔道具だ。如何に無礼を許すといっても、他国の者を前にして批判や苦情を読み上げるのは厳しかろう。窓口の場以外でその者と顔を合わせた際、健全な交友関係に支障をきたす可能性もある。それを未然に防止する為の必要処置だ」
「正体を偽装……それは、つまり」
「こちらの窓口の者は、ラテストウッドの誰が代表者として意見陳情してきたのか、それを認識できなくなるということだ。他人の目からは別人として見えるようになると思ってくれればいい。使用限度回数も特にない故、遠慮なく使ってもらえればと思う」
レイファの双眸が軽く見開かれた。ヘリアンが口にしたその内容が、秘宝級の代物を語っているようにしか思えなかったからだ。少なくとも彼女は、そのような魔道具が市場で売り買いされているなど聞いたことはない。
そして実のところ、アルキマイラにおいてもそれなり以上の『格』に位置する魔道具だったりする。使用限度回数云々はともかくとして――レイファへの説明では変身能力としてボカしたが――この腕輪には認識阻害術式が付与されており、ことによっては第六軍団の偵察任務にさえ耐え得るレベルの代物だからだ。
さすがに王専用装備である灰のローブほどの性能ではないが、付与されている効果の種類だけを見れば、灰のローブとほぼ同じである。
「む。そろそろ時間か……」
と、懐から取り出した懐中時計を見て呟く。
時間を確認している体を装っているがただのポーズだ。話を切り上げる為の手段として用意していたカードを切っただけである。
ヘリアンは時間に追われている身の非礼を詫び、その場を辞す為の礼節を示した後、粛々と扉のドアノブに手をかけた。本来なら従者が扉を開けるのを待つべきシチュエーションなのだろうが、肝心の従者連中は外に追い出している。この状況なら自分で開けても大丈夫だろう。
そうしてヘリアンは立ち去る寸前、さもたった今思い出したかのような仕草でレイファに振り返った。翠緑の双眸とヘリアンの視線が交わる。
「ああ、そうだ。肝心の窓口担当者についてまだ紹介してなかったな。失礼した」
息を吸い、呼吸を整える。心臓の鼓動は少々うるさいが許容範囲だ。
レイファに見えぬよう唾を呑み込んだヘリアンはそうして、ようやく、一見迂遠な道を辿りながらもその台詞に辿り着く。
「担当者の名は『グリームニル』という。詳細な情報は改めて届けさせるが、外見的にはほぼ人間と思ってくれていい」
ピクリ、と。
僅かに。ほんの僅かに。注意深く観察しておかなければ到底気づけなかったであろう些細な変化ながら、レイファの笹耳が跳ねた。
――グリームニル。
『始まりの酒場』でレイファ改め『レイナ』が出会った、とある青年の名。
その名を彼女が覚えてくれていたことに安堵の感情を抱きつつ、ヘリアンは言葉を続ける。
「特に秀でた能力を有しているわけではないが、我が国では稀有なことに『人類』に近い価値観を有している男でな。本人曰く、既に貴国の者とも知己を得ているらしい。その感性と実績を踏まえて任命した次第だ」
レイファの表情に変化はない。指導者として振る舞う彼女はどこまでも完璧だ。少なくとも自分程度の洞察力では、レイファの心情を察することはできなかった。
けれどグリームニルの名を出したことで、その瞳に柔らかな光が灯ったように感じた。あまりにも自分勝手だが、それはきっと、自分の気の所為ではなかったと思いたい。
「本人はラテストウッド側の担当者に『知己となった人物』を希望していたが……我が国が独断で担当者を決定した以上、当然ながら貴国の担当者選定に介入するつもりはない。貴国の裁量にて担当者を選定されるといいだろう」
ラテストウッドの自由意志に任せる。同盟国の意志を尊重する。――そんな言葉を隠れ蓑に、こっそりとグリームニルの希望を会話の中に忍ばせた。
後はラテストウッド側の担当者に『彼女』が選ばれるのを祈るのみだ。ヘリアンの正体を明かせない以上、これが限界ぎりぎりのラインである。
「承知致しました。最適な担当者を選出できるよう尽力させていただきます」
落ち着き払った声で答えるレイファと目礼を交わす。
結果の成否はどうあれ、これで事前に準備していた言葉は全て言い切った。小賢しい交渉もこれで終わりだ。
だからヘリアンは最後に、ただ守られることをよしとせず誇り高い選択をした彼女と彼らに対し、今この場で伝えるべき真摯な言葉を紡ぐ。
「――此度の勝利、誠に見事であった。貴方と、貴方の戦士団と、そして戦士団を支えた誇り高き貴国の民に、私は心より敬意を表する」
今度こそ告げるべきものを全て告げ、背を向ける。
そして誰よりも気高い女王に見送られながら、静かな足取りでヘリアンはその場を後にした。
+ + +
「――お待ちしておりました、ヘリアン様」
退席し、侍女服の女官たちに見送られた城の外ではリーヴェが待ち構えていた。
既にラテストウッドにおける仕事は終えたらしく、彼女の周囲には帰国の為の人員が待機している。
「会談の首尾は如何でしたでしょうか?」
「実のある話が出来た。極めて有意義な時間を過ごせたとも」
「それは何よりです。それでは早速、本国へ帰還致しましょう」
リーヴェにしては珍しく語気が強めだ。しかしながら彼女の心境を思えば、それも無理のない話だとは思う。
なにせリーヴェの目の前で倒れたのは、これでかれこれ三度目だ。ラテストウッドの民を治療した際の一件、蒼騎士との一戦、そして昨日のラージボックスでの一幕――どれもこれも必要な処置だったとはいえ、目の前で主人が何度も倒れる様を見せつけられるのは、彼女の気質からして耐え難いものなのだろう。
「派遣団からの聞き取りも会談中に済ませておきました。現状、当都市にて喫緊のご用件はないものと存じます。後のことは私と現地の人員にお任せいただき、ヘリアン様は寝所にて休息いただければと」
言い募るリーヴェの表情はいつも通りの澄まし顔だが、どことなく必死感が浮き出ている。これ以上一分一秒たりともヘリアンを活動させたくないのだろう。会談の場に立ち会うことを断念し、その間に喫緊の仕事を代行していたリーヴェの瞳には強い意志が宿っていた。
できればロビンやカミーラの論功行賞を済ませておきたかったのだが……負い目がある以上、この進言を跳ね除けるのは難しいだろう。
「……分かった、お前の言う通りにしよう。活動時間が一定以上に回復するまでは安静に過ごすことにする」
告げると、リーヴェはあからさまにホッとした様子を見せた。
表情は相変わらず澄まし顔のままなのだが、耳と尻尾と醸し出す空気感が雄弁にその心情を語っている。
そこまであからさまに安堵しなくてもよかろうに、と思わなくもないのだが――
(そう言えば……今までこの手の進言は全部却下してたんだっけか)
彼女にしてみれば、頑固な主人がようやく耳を貸してくれた、という状況なのかもしれない。そう考えればリーヴェの反応にも合点がいく。
……なんというか、凄まじく申し訳ない気分になった。
(当面は城で休むしかないか……)
少なくとも体調が回復するまでは軟禁状態を甘受しなくてはならないようだ。正直なところ現場で働いていないと不安でならないのだが、リーヴェがここまで強い態度に出ているからには諦めて療養に努めなければならないだろう。
それに考えてみれば働き詰めだったのも確かである。ノーブルウッドの一件は時期的な期限があった為に計画を強行したが、並行して進めている境界都市の拠点化については順調だ。焦って物事を運ぼうとせず、ここで一息つく時間を設けるのも悪くない。
「……ん?」
そうと決まればと【転移門】を設置した場所に移動しようとした矢先、空から何者かが降りてきた。
鴉に似た黒翼を広げ、素早く舞い降りてくるその影は――
「カミーラ?」
「そのようです。……このような時に、一体何だというのだ」
後半部分の台詞は独り言のようだが、思わず口をついて出たそれには忌々しげな響きが含まれていた。滲み出る怒気に思わず気圧される。触れるな危険状態だ。
「我が君。頭上より失礼を――」
「カミーラ、ヘリアン様はひどくお疲れだ。報告に関しては私の方で受け持つ。後にしろ」
降りてきたカミーラの言葉を遮り、リーヴェが口を開いた。
出鼻を挫かれたカミーラは一瞬ムッとした表情をリーヴェに向けたが、流し目でヘリアンの様子を確認するなり、赤い瞳に納得の色を見せる。しかしその一方で口を閉ざすことはなかった。
「出来れば妾とてそうしたいが、これは火急の件じゃ。今この場で我が君に確認しておく必要がある。邪魔立てするでない」
総括軍団長の言葉と言えど聞き入れるわけにはいかない、とカミーラが明確な意思表示をする。
そんなカミーラの強い姿勢に、リーヴェは――極めて珍しいことに――眉を顰めつつ口を噤んだ。そしてヘリアンに対し視線で是非を問いかけてくる。
当然、ヘリアンは問い質した。
「何があった、カミーラ」
「我が君。体調が優れぬところ、誠に申し訳なく……」
「そんなことはどうでもいい。ノーブルウッド絡みで問題が残っていたのか? それともまさか、ファフニールに何か致命的な問題が?」
顔色を悪くして問いかけるヘリアンに、カミーラは首を横に振る。しかしながらその美貌には、はっきりとした憂いの色が浮かんでいた。
「いや、そういうわけではない。そういうわけではないのじゃが……実はつい先程、境界都市の配下から速報が入っての……」
速報? とヘリアンは眉を顰める。
現地に残してきたガルディとセレスには、本格的な情報収集活動に向けての拠点化を進めさせていたはずだが……何か問題が発生したのだろうか。
考えられる内容としては、店舗に厄介な客が訪れてきて対応にしくじったか、或いはガルディが街の荒くれ者と喧嘩して騒動を起こしたか、はたまたセレスが研究中だった薬品開発にて爆発事故でも発生させたか。
……どれもこれも十分有り得そうである。最後のパターンは別として、やはり人類の常識に関する教育は急務だ。取り急ぎ境界都市に派遣している人員だけでも速成教育を済まさねばなるまい。
「ところで、その……境界都市の南には魔族領域からの侵攻を防ぐ為の砦があると聞き及んでいるのじゃが、間違いないかの?」
「……唐突だな。確かにその地域――境界領域には防御陣地として幾つかの砦を築いているらしい。辺境伯の話によれば魔族領域からの襲撃は既に沈静化したと聞いているが、それがどうした?」
答えると、カミーラの口端が引き攣った。
何気にカミーラのそれは初めて見る感情表現である。淑女然とした彼女に似合わぬ表情を前に、嫌な予感が鎌首をもたげる。
もしや再び魔族領域からの襲撃があったというのだろうか。だとすれば相当に厄介な話だ。予定を崩してまで迷宮暴走や迷宮探索に首を突っ込み、現場情勢の安定に尽力した苦労が水の泡になる。現地のガルディやセレスにも追加で指示が必要になるだろう。
そんな思考を巡らせるヘリアンに対し、表情を曇らせたカミーラは「現地からの報告によれば」と恐る恐る口を開いて――
「ガルディとセレスめが境界領域の砦を攻め落としたらしいのじゃが……これも我が君の計画のうちかの?」
+ + +
時は聖魔暦一五〇年九月十日。
現地時間換算にて、聖暦九九七年一二月一四日。
平穏が訪れた大樹海の片隅にて、一人の青年の悲痛な叫びが木霊した。
- 第三章 了 -
・これにて『異世界国家アルキマイラ』の第三章は終了です。
四章については投稿日程が固まり次第、活動報告にてお知らせする予定です。
・それでは皆様、良いお年を!




