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第十四話  「女王と戦士」

『どうか我々に、稽古をつけていただけないでしょうか?』


 不安がなかったと言えば嘘になる。


 助けてくれた相手とはいえ、相手は魔物の国。ただ一人の王を除き国民の全てが魔物という人外魔境の極地だ。

 同盟を結んだ直後は親交を深めるどころの話ではなく、お互いにおっかなびっくり、手探りで図り合っているような状況だった。


『我々の街にはアルキマイラの民が派遣されていますが、貴国の地を踏んだことのあるラテストウッドの民はレイファ様を代表とした一握りの者だけです。親交を深める交流活動の一環として、無駄にはならないかと……』


 無い頭を捻り出して作った建前だった。

 女王の許可を得て先方の大使にそう提案したものの、駄目で元々という心境であったことは否定しない。


 しかし、意外にも話はトントン拍子で進んだ。

 どうやら魔物と人類という垣根が存在する中、どう交流を始めたものかと苦慮していたのは先方も同じだったらしく『一定期間共同生活を送ることにより常識の乖離を埋め、今後始まるであろう本格的な国家間交流に向けた相互理解を図る』という大層なお題目の下、彼の国の訓練施設にて一月余りを生活する運びとなった。


 繰り返しになるが、不安はあった。


 当然だろう。ないはずがない。なにせ相手は闘争を好む『魔物』の国なのだ。そもそも魔物が国家を形成しているという時点で色々と意味不明だが、魔物の気質を考えれば街中でいきなり殴りかかられたとしても不思議ではない。

 ついでに言えば殴りかかってきた相手が巨人族や魔族の類であればそれだけで死にかねないのだが、それらの不安を押し殺して彼の国に足を踏み入れた。勇気を奮い立たせた結果だと胸を張れれば良かったのだが、どちらかと言えば蛮勇の類だったろう。


 しかしそれでも、国家間交流などという建前を作ってまで、そして人外魔境と承知の上で万魔国を訪れた理由は唯一つ。


 強くなりたい。

 戦う力を手に入れたい。

 ただただ、その一心だった。


『お初にお目にかかる。吾輩の名はバラン=ザイフリート。この度行われる異文化交流の一環事業――諸君らの『訓練』について全責任を任された者である』


 魔国の民は意外にも紳士的であり、そして訓練は地獄だった。

 しかもどうやら容赦を知らないわけではなく、容赦を知った上でアレらしい。

 魔物どうこう以前の話として、彼らが常識も価値観も異なる『異世界の民』だと思い知らされた初日だった。


 地獄の日々は続く。

 自分のように前線で戦う者のみならず、後方支援を担当する魔術師たちまで等しく基礎訓練を課せられた。

 短い手足を懸命に振って走る幼馴染の小人などは最早拷問か何かかという形相だったが、それで訓練の強度が緩められるということもない。誰もが皆、一日一日を生き延びることに必死だった。


 そんな日々が続くとなれば、気合や根性ではどうにもならない物理的な問題として肉体が限界を迎える筈なのだが、館の副管理人から支給される蜜酒を飲めばたちどころに快癒した。おかげで体力の限界を理由にへこたれることすらできない。食事と睡眠以外の全てが訓練に割り当てられる毎日だ。


 だけど、それでも、誰一人として諦めたりはしなかった。


 教官から『辛ければ辞めてもいい』と言われていたが、誰もが首を横に振った。

 実戦訓練の後では倒れ伏した者の口から『死ぬかと思った』『死んだと思った』『いっそ殺せ』などという泣き言に似た何かが垂れ流されるのが日常風景になりつつあったが、そんな末期と言うべき状況になってさえ『辞めたい』とだけは意地でも口にしなかったのだ。


 そんな戦士らの心を支えていたのは、過日の記憶。


 慎ましやかながらも平穏な日々を過ごしていた最中、首都を襲った炎の海。

 逃げ惑う市民を追い立てるノーブルウッドの狩人や兵士。

 辛うじて逃げ延びた集落の中、真綿で首を絞められるが如き日々。

 そして――地に頭を擦り付け『助けて下さい』と旅人に懇願する、若き女王の姿


『――強くなりたい』


 誰かが言った。

 誰もがそう考えていた。


『――戦う為の力が要る』


 最低でも女王の戦士を名乗れるだけの力が。

 その為ならどんなことでもしてみせよう。


『――今度こそ護りたいんだ』


 それは、それこそ、此処にいる誰もが想っていることで。


 だから。

 だから今度こそはと。

 戦士長に任命された彼、フェルクは、確かな覚悟を胸に秘めて――




    +    +    +




「――――ォォォォオオオオ!!」


 雄叫びを上げて突貫する。

 喉から奔る音の震えは過去へと挑む鬨の声だ。

 白衣(びゃくい)に身を包む戦士らが一斉に駆け出し、その先駆けとして戦士長(フェルク)が抜け出す。


 その背を追い抜くのは、乱立する長杖から放たれた援護射撃の群れだ。

 風の刃、岩の弾丸、炎の矢、雷の球――いずれも下級の階位ながら、後衛の魔術師隊から放たれた多種多様な属性魔術が襲いかかり、緑衣の集団に着弾する。


 とはいえ一発ごとの威力は大したものではない。案の定、緑衣の敵が揃って展開した障壁によって尽くが防がれた。だが障壁の展開に意識と動作を割かせたことで、魔術や弓矢による迎撃行動を阻害するに至る。牽制射によって生まれたその隙を逃さず、白衣の戦士らは速度を落とすことなく肉薄した。

 先頭を走っていたフェルクが敵陣営に到達し、杖剣を振り抜く。


「シィ――ッ!」


 鋭い呼気を吐き、魔力を徹した杖剣を一閃。

 疾走の勢いを乗せて放った一撃は辛くも受け止められた。

 鍔迫り合う刃の向こう側には、腰から引き抜いた小剣を震わせる緑衣の男――狩人長代行セルウィンの双眸がある。


「どこまで……どこまで我らを虚仮にすれば気が済むのだ……!」


 地の底から滲み出るような低い声。

 そこには起爆寸前の爆弾に似た危うさがあった。

 セルウィンは鍔迫り合う小剣を戦慄(わなな)かせながら、整った顔を憎悪に歪める。


 彼らが唖然と立ち尽くしていたのは、何も侵攻ルート上で待ち構えられていたからではない。ノーブルウッドの狩人らの前に立ちはだかったのが、あろうことかラテストウッドの有象無象だという事実に衝撃を受けていた為である。そして小癪な牽制射によって我を取り戻した後、消え去った衝撃の代わりに自覚するのは憤怒の感情だ。


 なにせ百年を超える修練を重ねたノーブルウッドの狩人に対し、ラテストウッドの雑兵が自ら戦おうというのだ。しかも時間を稼ぐような素振りさえ見せず、つまりは『旅人』とやらの力を借りるでもなく自らの実力で打ち勝とうというのだ。

 身の程を知らぬその不遜――万死に値する。


「思い上がるな〝穢れ〟めがアァァ――ッ!!」


 遂に爆発した感情に身を委ね、セルウィンは荒々しく刃を振るう。

 如何に内心で怒り狂っていようとも、研鑽を積み重ねた剣術の冴えは本物だ。

 下方から迫る切り上げ、一直線に飛んでくる刺突、袈裟斬りに流れる刃、首を狩りに来る斬撃――それは狩人長の系譜に相応しい鋭さで、容赦なくフェルクを攻め立てる。


「くっ……!」


 受け、躱し、捌き、弾き、かろうじて被弾を免れる。

 余裕などは何処にもない。ただただ必死だ。瞬きをすればその瞬間、首を刎ねられていても何らおかしくはない。


 上方から弧を描いて刃が迫る。フェルクは杖剣の根本でなんとか受け止めるも、衝撃のあまり握る手に痺れが走った。危うく杖剣を取り落としそうになるのを堪えつつ、腰から引き抜いた左手の短剣で反撃。届かない。いつの間にか逆手に持ち替えられていたセルウィンの小剣が、短剣による刺突を防いでいた。


 追撃が来る。しかし次なる一撃は刃ではなく、僅かな間合いから繰り出された蹴撃だった。まともに食らった肋骨が嫌な音を立て、肺から押し出された空気が苦鳴になる。フェルクは奥歯を噛みしめて苦痛を堪え、浮きかけた足を地面に押し付けた。


 そこへさらなる追撃。続く第三撃は逆手に持った小剣の柄による突き上げだ。

 人体急所の一つである顎を狙った打撃にフェルクは仰け反ることで躱すも、直後に刃の切り上げが襲ってきた。手首の動きだけで繰り出されたのは至近距離からの斬撃。三日月を描いて迫る凶刃に、彼は咄嗟の判断で大きく後ろに飛び退いて――


「――、ッ!」


 致死の連撃を凌いだ代償として互いの間合いが空いた。

 セルウィンが小剣を持った手とは逆、空いた左の掌を真っ直ぐに翳す。

 収束する魔力の気配がフェルクの背に戦慄を走らせた。


放つ疾風の矢(フェルジピア)!」


 瞬時に組み上げられる術式。高速で交わされる攻防に割り込み、省略詠唱で発現を果たしたのは風属性の攻撃魔術だ。


 本来、魔術の発現には多かれ少なかれ精神集中が必要であり、近接戦闘の最中に術式を組み上げるのは至難の業とされる。ましてや詠唱の補助も心許ない省略詠唱で発現するとなれば尚更だ。しかし大陸四大種族のうち最も魔術に優れるとされるエルフ、それもノーブルウッドの狩人にまで至った練度がその困難をねじ伏せた。


 疾風で象られた太矢がフェルクの身を襲い、鮮血が散る。


「が、ぁ……!」


 咄嗟に身を捻るも、至近距離で躱しきれるものではない。頭部と胴体中枢部への被弾だけは避けたが左肩を抉られた。白衣に朱が混じり、染みが広がっていく。


 しかしフェルクは被害状況の確認に先んじて敵との間合いを詰めた。

 距離を空ければ魔術の追撃が来る。そして魔術の撃ち合いになれば確実に敗北する。戦士団のうち、近接戦闘を旨とする者の中ではそれなりに魔術を扱えるフェルクではあったが、狩人長の系譜(セルウィン)と張り合えるほどの腕前ではなかった。

 活路は接近戦を於いて他になく、故にこそ彼は迷いなく敵の懐へと飛び込んでいく。


 そうして再びの接近戦。

 必殺を期した『放つ疾風の矢(フェルジピア)』を凌がれたことで矜持を傷つけられたか、セルウィンはいよいよ悪鬼羅刹もかくやという形相になりつつあった。襲い来る苛烈な剣撃に、フェルクは杖剣と短剣による変則の二刀流で応じる。


「はっ、はっ、はっ……! は、ぁ――!」


 喘ぐような呼吸。息が乱れた分だけ僅かに対応が遅れ、頬に裂傷が走った。

 飛び散った鮮血が白衣にまだら模様を作るも構っていられない。すぐに追撃が来る。狙いは首。かろうじて弾き、幾度目かの死線を超える。


 ――強い。やはり強い。ノーブルウッドのエルフは横暴な純血主義者だが、かつて大樹海で覇を唱えた実力は本物だ。


 ましてや誇り高き一族を自称して憚らない彼らである。ノーブルウッドの歴史に汚点を残した人間への復讐、その一心で鍛え上げた殺人技術は伊達ではなかった。平穏な日々を捨て、ただただ復讐に打ち込んできた執念の為せる業は、いっそ芸術的なまでに磨き上げられている。

 だが――


「ゴブ次郎殿ほどではない……!」


 襲い来る剣撃はなるほど、確かに致命の鋭さを秘めているが回避が叶わぬものではない。躱しきれずとも刃を合わせれば防ぐことが可能であり、それはこれまでの数十合で証明されている。少なくとも一発で骨を粉砕されるような理不尽さはなかった。


 敵が得手とする魔術とて同じことだ。魔術の打ち合いでは勝機がなく、少しでも間合いを空ければ魔術が放たれるとあらば詠唱の隙を与えず接近戦を挑み続ければいい。狩人長の系譜ともなれば無詠唱魔術への警戒も必要だが、魔術を編むだけの余裕を与えなければ予防することが可能だ。


 いずれも困難ではあるが、決して不可能ではない。それを為すだけで自分は戦える。戦士として抗い続けることができる。


 ――どれもこれも、一ヶ月前にはできなかったことだ。


「はっ、はっ、は、ぁ――――は、ははは……!」


 戦える。戦える。劣勢ではあるが戦える。全霊を振り絞れば肉薄できる。

 あの日為す術もなく敗北した相手に対し。

 護りたかったものを奪っていった仇敵に対し。

 女王の戦士たる自分たちは、真っ向から抗うことができているぞ――!


「調子に……乗るなァ!」


 怒声と共に小剣が叩きつけられる。一際重い斬撃は左手の短剣を弾き飛ばし、その切っ先が額の上を切り裂いた。溢れ出た流血がフェルクの左目に入り込み、視界が半分になる。


 まずい、と戦慄するフェルクの死角から大振りの一撃が放たれた。フェルクが左側の視界を失ったことを瞬時に把握し、確信したことによる渾身の一撃だった。濃厚な死の気配を感じ取るも対処しきれない。

 斯くして風の魔力が篭められたその凶刃は、無防備なフェルクの首筋へと吸い込まれ――


「させんわい!!」


 背後から飛び出てきた小男がその間に割り込んだ。

 全身鎧の小男は大地に根を張るように腰を落とし、自身の背丈よりも巨大な大盾で以って致死の斬撃を防ぎ切る。


 低い背丈に対して不釣り合いなほどに野太い手足をした彼は、ドワーフの重装盾士だ。手先が不器用過ぎたあまり「お前などドワーフではない」と貶され、故郷を追われた男の長男だった。


 彼の父親は三ヶ月前の一戦の折、逃げ延びる王女と市民の盾となって殿を務め、戦死したと聞く。


「とりゃー!」


 瞠目するセルウィンの横合い。そこから蹴撃を見舞ったのは獣人の少女だ。

 頭頂部から特徴的な長耳をにょきりと生やした少女は、兎人族と呼ばれる獣人の一種であり、双子の姉としてこの世に生を受けた。


 しかし彼女の生まれた里では双子は忌み子とされ、迫害に遭った一家は安住の地を求めてラテストウッドを訪れた。

 その旅路の途中、魔獣の襲撃によって彼女の父親は命を落としたという。母親も既に他界しており、遺された家族は姉と妹の二人のみだ。


 驚くことに、彼女は防具らしい防具を一切身につけていなかった。速度重視のフェルクでさえ軽装鎧を纏っているというのにそれすらない。最低限の守りすら捨てたその装いは、機動力をひたすらに追求したが為の結果である。

 少女は不意打ちを見舞うなり自慢の脚力で即座に距離を置き、頭頂部の長い耳を忙しなく動かして周囲の気配を探る。そして目の前の戦士に気を取られている別の敵を見つけるや否や、奇襲のチャンスを窺うべく群集の中に姿を消した。


 きっと彼女の妹もまた、この戦場の何処かで姉と同じように戦っているのだろう。一発でも喰らえば致命傷になりかねない装いのままに。


「フェルク! 傷口診せて! 今のうちに、早く――!」


 ドワーフの重装盾士がセルウィンの連撃を防ぐ中、フェルクは背後から声を聞いた。

 ラテストウッドで生まれ育った幼馴染の小人だった。

 成長過程で生じた幼馴染(フェルク)との身長差を気にしていたりする彼女は、種族特有の幼い声とは裏腹に鋭い言葉を発し、手早く治癒術式を編み始める。


 そして短杖によって増幅された治癒の光により、最低限の止血と折れた骨の接合が行われた。優しくも厳しい聖女によって鍛えられた彼女は、常人なら思わず目を逸らすであろう凄惨な傷口を凝視し、損傷具合を観察しながら最適な治療を施す。

 重傷だった左肩は完治には程遠いが、急場凌ぎの治療としては十分だ。


「――――」


 フェルクは無言のままに視線を合わせると、幼馴染の小人はコクンと頷いて次の怪我人の姿を探し始めた。

 彼らの常識で語れば、治癒士は前線から離れた安全地帯――救護所で待機し、運び込まれた怪我人の治療を行うのがセオリーである。しかしこの状況でそんな悠長なことをしている暇はない。小人の女性は短い手足を懸命に振り、彼女の助けを必要とする者の下へと駆けていく。


 ――そんな光景が、戦場の至るところで展開されていた。


 フェルクと同じ鎧を身に着けたハーフエルフの軽戦士を中心として、ドワーフや獣人の前衛組が随時サポートに入り、僅かな数の利と連携力で前線を形成する。

 言うまでもなく誰もが必死だ。此処にいる誰一人として余裕のある者などいない。後先を考えずに全力を振り絞り、死力を尽くし、そこまでしてどうにか実力差を埋めているような状況である。薄氷の上で舞うような危うい戦況が続く。


 だが、そんなものは今更に過ぎた。

 なにせこの一ヶ月間、地獄もかくやという環境に身を置き続けてきたのだ。

 勝てぬ敵との戦いなど慣れている。理不尽に打ち勝つ方法を知っている。弱い自分たちを『戦士』として扱ってくれた彼らから、確かにそれを教わっていた。


 だからこれはいつも通りのことに過ぎないと、彼は戦士の双眸で敵を見据え――


「オ――アァァァァァ!!」


 吶喊する。

 その足取りに迷いなどない。

 今度こそ戦士の本懐を遂げる為、フェルクは再び血飛沫の舞う最前線へと身を投じた。




    +    +    +




 戦場から離れた見晴らしの良い高台。

 妖精母竜との『繋がり』を強化する即席の祭祀場を設けたその場所で、神官と長老らに囲まれた大長老は怒りに声を震わせた。


「何故だ……何故勝てぬ!?」


 問い掛けが意図するところは、特技兵の視界越しに視る非現実的な戦況についてだ。


 つい先日復活させた妖精母竜フェアリー・マザー・ドラゴンは、元々完全な状態のまま封印処理が施されていたのか、解放直後から十全な力を蓄えていた。しかし他の六体の妖精竜(フェアリードラゴン)については以前解き放った個体と同様に酷く飢えており、完全復活には多数のエルフを喰らう必要があった。

 一体だけならいざしらず、六体ともなればオールドウッドの民だけでは到底賄えない。その為ノーブルウッドもまた、長老議会の面々と妖精竜の指揮権維持に必要な神官、そして最低限の白兵戦力を除いた全ての民を妖精竜の贄として捧げるに至った。

 結果として残された白兵戦力は、卓越した兵士として『狩人』の称号を得た一部の者だけであり、その総数は決して多くない。先の戦争で数を減らしたラテストウッドの戦士団と比較しても、数的不利は否めない程だ。


 だがそれでも『狩人』の称号を得るまでに修練を重ねた者ならば、二人や三人の数的不利など跳ね除けて敵の首を狩れるはずだ。

 他国ならいざしらず、ノーブルウッドにおける狩人の称号は安くはない。

 もともとエルフは長命種であるが故に少数精鋭の気質があるが、ノーブルウッドの狩人ともなれば、その実力は凡百な冒険者など容易に蹴散らせる程である。


 なのに現実はどうだ。


 得意とする大魔術は接近戦で封じられ、その接近戦でも接戦を強いられている。首を跳ね飛ばす筈の一閃は致命傷未満の損傷に抑えられ、その傷もまた無謀にも最前線を駆け回る治癒士らの手で癒やされていく。

 定石に従い戦闘能力の低い治癒士を狙おうとすれば、どこからともなく奇襲を仕掛けてくる獣人や大盾を持つ重装歩兵のドワーフなどによって阻まれ、届かない。そして最低限の治療を終えた敵兵は不死者が如く幾度なりとも立ち上がり、戦線に復帰してくるのだ。


 まるで一匹の獣のようだ。


 こんな戦い方は優れた個体能力を活かしたエルフのものではない。

 さりとて、数を頼りにするしか脳のない人間どもの戦い方でもない。

 互いが互いを補完し合い、一個の群体生物が如く戦うその様は、もっと悍ましい別の何かである。


「相手は〝穢れ〟だぞ……! 先遣隊で最精鋭を失ったとて、仮にも狩人、仮にも栄えあるノーブルウッドのエルフ! それが寄せ集めの一派にすら勝てぬのか!? 狩人にまで至った我らの兵は〝穢れ〟にすら劣るというのかぁ!?」


 大長老は顔を赤くして喚き散らすが、その言葉には少々誤りがある。


 一見苦戦を強いられているように映るが、ノーブルウッドの狩人らは決して押されているわけではない。あくまで拮抗状態だ。それもラテストウッドの戦士らがペース配分を無視して全力で戦い、そうすることでようやく均衡を保っているような戦況が続いているに過ぎない。


 しかし、大長老にとってはそれだけでも十分憤慨に値した。そもそも〝穢れ〟如きは鎧袖一触に掃えて当然の存在なのだ。敗北はおろか苦戦も論外。そんな相手に今以てなお戦闘が続いているというこの現状が、十分以上に耐え難い屈辱だった。


 一秒が経つごとにノーブルウッドの歴史が穢されていく。

 百年前と二ヶ月前の汚点を祓う筈の戦いで、さらなる汚点が染み付いていく。

 大長老はこの数分で数十年は老いたかのような形相で頭を掻き毟り、頭皮から溢れ出た血が金の髪を朱色に汚した。


 限界だった。もう何もかも限界だった。狂気に瞳を濁らせた大長老は遂に、血に汚れた指先を戦慄かせながら天を仰いだ。

 そして竜が舞う曇天の空に向け、叫ぶ。


妖精母竜(マザー)よ、エルフの母なる守護竜よ! 忌まわしき〝穢れ〟どもを一掃せよ! ――我ら諸共にィ(・・・・・・)!!」


 整った顔を激情に歪め、発せられた言の葉。

 その有り得ない命令を耳にした周囲の者たちは揃って目を剥き、大長老へと詰め寄った。


 神官や長老らが必死に諫言を叫ぶが、悲鳴のような言葉も既に届かない。大長老の瞳は最早彼らを映してはいなかった。母なる妖精竜は盟約に従い、大長老の命令に応えるべく上昇を開始する。


 大長老は狂気に血走らせた瞳のまま、殉教者のような心境でただ待ち侘びる。

 この有り得ない現実を消し去ってくれるであろう、全てを無に帰す破滅の光を――。




・次話の投稿予定日は【12月28日】です。

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