第六話 「とある女官長の受難」
――魔物とは、悪である。
これは改めて語るまでもない『常識』だ。子供でも知っている人類の共通認識である。自分もまたご多分に漏れず、そのように教えられて育った。
『魔物』という言葉は、魔に属する人類敵の総称だ。ゴブリンやオーガなどの魔種は勿論のこと、魔族領域に棲まう人類の天敵種たる『魔族』、世界各所に生息する獣の似姿をした『魔獣』もまた、広義の意味では魔物と呼称される。
学者の中にはそれぞれ別の呼称を正しく用いるべきだと説く者もいるらしいが、自分にとってはどうでもいいことだ。それら全てが等しく脅威である点に何ら変わりはない。人類の敵であり、心の通わぬ怪物であり、凶悪な蛮族であり、恐ろしく忌むべき化物ども。それが魔物だ。
……少なくとも、つい先日までは、間違いなくそうだった。
なのにどうしてこうなったのか。今でも理解が追いつかない。いや、理解が追いつかないなどと呑気なことを言っていられる立場ではないのだが、今まで抱いていた常識と目の前にある現実との差異が大きすぎて未だに戸惑っているのが正直なところだ。
万魔国アルキマイラ。
異世界国家を名乗る魔物の国。
唯一人の例外を除いて、そこに住まう全ての者が魔物とされる、恐るべき魔国。
中にはエルフや獣人などいった人類種も住んでいるらしいが、彼の国の常識としては彼らもまた『魔物』と称される存在だという。まったく常識とは何なのかと思い知らされる話だ。このことを安全な都市内でぬくぬくと育った学者どもに聞かせれば、さぞや愉快な反応を見せてくれるに違いない。
「よーし、そこの瓦礫片付けたらE8に移動だ。今日中に城周りは全部済ますぞ」
「あいさー。……ところでこの瓦礫、どこに捨てりゃいいんだっけか」
「捨てるな馬鹿。集積所に持っていくんだよ。ウチの職人どもが手ぐすね引いて待ってるんだから」
いや、それよりも窓の外に見えるこの光景を見せつけるべきか。愉快な反応どころか狂乱するかもしれないが、毒にも薬にもならない論議をぶつけ合うのは大概が人間種の学者だ。発狂しようがどうでもいい。むしろくたばればいいと思う。
だが学者でなくともこの光景を目にすれば己の正気を疑うことだろう。
なにしろ窓の外で話し合っているのは、家屋よりも大きな巨人と、その肩に乗るコボルトなのだから。
一般的に語られる常識として、魔物は異種族間の繋がりに乏しい。集団生活を営むことはあっても精々が部族や群れという単位であり、複数種族による洗練された組織を形成することは極めて稀である。だからこそ生命としての強度に劣る人類が『文明』という名の武器で繁栄を勝ち取ることが出来たのは誰もが知るところだ。
にも拘らず、窓の外では愚鈍で凶暴な魔物とされる巨人に対し、人間種よりも小さなコボルトが当然のように指示を出していた。信じがたいが肩に乗っているコボルトの方が役職が上らしく、巨人の頭をポカリと殴りつけている。
「ああ、それとこの辺りでは周囲に気を使って動け。間違ってもそのデカイ図体を城にぶつけるんじゃないぞ。復興支援に来てるのに建物壊しちゃシャレにならんからな」
「へいへい。了解ですぜ監督官」
巨人はコボルトに急かされつつ、小城周りの瓦礫や残骸を掴んで去っていった。異種族間の壁を感じさせぬ軽快な会話を交わす彼らは、我が国の復興支援に派遣された同盟国アルキマイラの魔物である。
中でも目を瞠るのが巨人らの働きだ。本来ならば機材を用い、十数人がかりで撤去作業に取り組むであろう巨大な残骸を、彼らは指先二つでヒョイと摘んで持ち去っていく。小城周りの撤去作業は今朝始まったばかりのはずだが、数時間足らずで完了しつつあった。自分たちラテストウッドの民だけであれば何十日かかっただろうかと考えると乾いた笑いしか出ない。
しかも、彼らはその巨体に反して燃費が凄まじく良い。
いや、あの巨体のままであれば食事量も相応なはずではあるのだが、彼らは食事時には人間になるのだ。
改めて考えると不条理にもほどがあるのだが、どうやら彼の国に住まう国民らは一人残らず、あの王から変身能力を与えられているらしい。その能力を使うことで彼らは人間の似姿を、または完全に人間と同じ姿をとることができるのだという。これにより、例え二十メートルを超える巨体を持つ巨人だろうが人間的な食事量の範疇に収まっているというわけだ。
先方からは人員派遣の対価として派遣員らの食事の面倒を見て欲しいと言われているが、提供されている労働力を思えばなんてことのない対価だ。むしろ軽すぎるとさえ思える。
……恐らく、これは彼の王からの恩情なのだろう。
何か裏があるのでは、などと今更邪推はしない。当初こそ『魔物を率いる王』とあって魔王そのものだと誤解し、同胞とは名ばかりの隷属を強いられるものだとばかり思い込んでいたが、その誤解は既に解けている。
なにしろあの王はレイファ様の身柄を固辞したばかりか自治権を譲り渡し、更には癒えぬ傷を得た者達の全てを目の前で救ってみせたのだ。それも、自らの身を削ってまで。
会談に同席していたアルキマイラ側の幹部らの反応を見るに、恐らくはかなり危険な行為だったのだろう。ともすれば命の危機すらあったとさえ思えた。歯を食いしばり、苦悶の声を押し殺し、両足を痙攣させながら、それでもなお最後まで立ち続けたあの姿は今も目に焼き付いている。
自分は頭の固いハーフエルフだという自覚はあるが、あのような姿を見せつけられてなお彼を魔王などと思い込むほど、盲目でなければ恥知らずでもない。「隷属は求めない。良き隣人であることを望む」という彼の言葉は本物だった。彼の王は本気で、我々と友好的な関係を望んでいるのだ。
……だからこそ、まるで理解できない。
こうして手記をしたためることで情報整理を行えば或いは、と試みたものの、やはり駄目だ。まるであの王の考えが理解できない。
これまでの常識を捨て、先入観からの思い込みを無くそうと全力で心がけているつもりだが、一欠片も理解に至らないのは自分の頭が固すぎるせいか。しかし他の女官らも戸惑っている様子を見るに、これは自分個人の問題ではないように思う。
……ああ、駄目だ。やはり分からない。全く以って理解できない。いったい如何なる理由から、彼の王はあのような人物を総責任者として派遣し
「――きゃああああああああ!!」
絹を裂くような悲鳴。
甲高い悲痛な叫びが小城に満ち、木製の扉を貫通して部屋に届いた。
『女官長室』という文言が扉に刻まれている部屋の主、ラテストウッド女王レイファの側近であるウェンリは、筆を動かしていた手をピタリと止める。
しかし、慌てて部屋を飛び出すことはしない。
だからといって唐突な悲鳴に身体を硬直させたわけでもない。
彼女はただ、手記を記していた筆を卓上に置き、頭痛を堪えるようにして頭を抱え込んだのだ。
そうして俯いた姿勢のまま深く深く息を吸い、その全てを吐き出した後、女官長ウェンリは力ない呟きを零す。
「……始まったか」
声には隠しようもない、疲労の色が混じっていた。
+ + +
アルキマイラが世界に誇る八大軍団が一つ、第七軍団。
その所属者のうちの一部は今、ラテストウッド首都及び集落の復興支援の為、アルキマイラ本国より派遣されていた。
第七軍団は平時において、アルキマイラにおける主要な生産活動を一手に引き受けている軍団だ。鍛冶、木工、彫金、裁縫、革細工、その他生産に関連するあらゆる分野の職人が集い、日々その技術の研鑽に励むと共に第二次産業の礎を担っている。
他軍団で職人を抱えていないわけではないが、第七軍団には各分野を代表する第一人者が集結していると言えた。中でも魔導工学においては隔絶した高い技術力を有しており、他軍団はおろか[ワールド№Ⅲ]の列強諸国と比較しても群を抜いている。
そんな技術集団の長を務めているのは、八大軍団長の中で最も年若い魔物だ。
彼は小人種とドワーフ種との【混合種】として生を授かった、生まれながらの職人にして先駆者である。
彼は自由をこよなく愛していた。
彼は束縛をなにより嫌っていた。
見た目通りの、無邪気な、陽気で、いつだって楽しむことを忘れない、日々を全力で生きる『子供』という概念が形を成したかのような存在。それこそが第七軍団長ロビンその人である。
――そう。
彼は草原に吹く風にも似た、何ものにもとらわれることのない、誰よりも自由を愛する少年だったのだ。
「ヒャッハアアアァァー!!」
そして、ちょっとばかり自由すぎた。
「青、60点! 水色、デザインで加点して65点! 白、基本を抑えてるのはグッドだね70点! おおっと大人しめな顔立ちに反して黒! ギャップが活きてて高得点だよ85点! イヤッフゥー!!」
ロビンは廊下を疾走し、女官の姿を見つけるなり素早く足元に潜り込んだ。続けざまワンピース・スカートの内側にちんまい腕を引っ掛け、万歳をするように振り上げる。当然の結果としてスカートの中身が全開になった。彼は素早く視線を走らせ、狩人が如き瞳で中身を検める。
色・形状・装飾は基本中の基本だ。だが玄人であるロビンの採点基準はそれだけに留まらない。装備者の顔立ちや性格と照らし合わせた際の調和やギャップなどといった、十を超える採点項目で厳しく評価する。そして瞬時に算出された点数を子供特有の大声で告げるなり、次の獲物目掛けて走り去っていくのだ。
後には何が起きたのかも分かっていない表情の女官が残されるも、大きくめくれ上がったスカートが元の形を取り戻すと同時に我に返り、甲高い悲鳴を響かせた。そんな光景が小城のいたる所で連鎖的に発生している。
「…………はぁ」
重い足取りで廊下に出てきたウェンリは思わず溜め息を吐いた。
初日こそ悲鳴を聞きつけて廊下に飛び出したものだが、今ではもう日常の一コマと化しつつある。
部屋の近くで蹲っていたのはショートカットの若い女官だった。ウェンリの記憶が正しければ、彼女が被害に遭ったのは今回が二度目だ。
こんなことを真面目に考察するのは馬鹿馬鹿しいのだが、どうやら彼の犯行は無差別ではないらしい。というのも女官らに『慣れ』が生じぬよう、日によって対象を選定しているフシがあるのだ。しかし、何故か女官長である自分だけは例外扱いらしく、毎日毎日被害に遭い続けていた。もはや彼女らのような初心な反応などできまい、とウェンリは二度目の溜め息を零す。
スカートの裾を押さえてしゃがみこんでいる女官は、執務室から出てきたウェンリを見つけて弱々しい声を発した。
「ウェ、ウェンリ戦士長ぉ……」
「今はもう戦士長ではない。女官長だ。……で、またなのか?」
「……はい、またです。女官長」
予想通りの回答に、ウェンリは額に手を当てて天井を仰いだ。これでかれこれ六日目である。もはや怒る気力もない。
女官長たるウェンリを含め、小城に勤める女官らは揃いの服を着ている。
紺のワンピース・スカートにフリルの付いた純白のエプロン。胸元にリボンを付け頭にホワイトブリムを載せたその服装は、いわゆる侍女服と呼ばれる代物だ。
これは友好の証の一つとして、派遣された第七軍団から女官らに贈られた品である。
当初は何故侍女服なのかと困惑していたウェンリ達だったが、服に魔術付与が施されているのを知り、揃って息を呑んだ。魔術付与されている物品はただそれだけで価値があるが、この侍女服一式には合計四種類もの術式が付与されているという。しかもそのうちの一つは物理・魔術攻撃双方に高い効果を発揮する複合防御術式だった。間違っても侍女服などに付与されていいものではない。
これを市場に流せばどれだけの値が付くのかは想像もできないが、少なくとも自分たちが一生かけても払いきれない金額になるのは間違いない。本来ならば空恐ろしくて袖を通す気にもなれない代物だが、これはアルキマイラ側の好意により贈られた品だ。着衣を拒める勇気の持ち主はいなかった。
こうしてラテストウッドの女官らは揃って侍女服を、つまりはワンピース・スカートを仕事着として身につけることになり、贈られた翌日から今日に至るまであの小人によるスカートめくりの被害に逢い続けているというわけである。
着心地や機能性は勿論のこと、何故か防御力に至るまで素晴らしい逸品であることは確かなのだが、あえて侍女服にしたのは彼の仕業ではなかろうかとウェンリは疑っていた。
「あの、女官長。やはり我々はそういったことを望まれているのでしょうか?」
「……いや。私も最初はそれを疑ったが、邪推であることが判明した。あの御仁にその類の意図はない」
これは確かな情報だ。なにせウェンリ自身が実際に確かめた。
エルフ種である彼女らは、人間種の美的感覚からして美しい容姿をしている。事実百年前の戦争にて、虜囚となったエルフ達は獣欲に晒されることになった。ラテストウッドのハーフエルフはその結果として生まれた者の子孫だ。
そういった背景を持つからこそ、ウェンリもまずそこを疑った。彼の美的感覚に関しては不明だが、性的な悪戯を続けるからには暗に要求しているのだろうと推察したのだ。
だからこそその日の晩、他の誰かが犠牲になる前にとウェンリは夜更けに彼の部屋を訪れたのだが、白けた顔のロビンにすげなく追い返されることとなった。
「んー、悪いけどボクそーゆーのはお断りなんだよねー。っていうか知り合って間もないのにそんな格好で男の部屋に来るとか、もしかしてキミ痴女なの?」
ウェンリなりに覚悟を固めていただけに、その台詞は色々と刺さった。しかも台詞の後半部は完全に素の口調だった。怒りを押し殺した声で「失礼いたしました」と返答し、寒々しい夜の廊下を薄着で帰ったあの日の屈辱は生涯忘れまい。
ともあれ、彼はそういったものをお望みではないらしい。ならば風紀を乱す行為は控えていただきたいとの陳情を――最初は命懸けの心境で――何度も重ねたのだが、面白がってむしろ被害が拡大する始末だ。どうしようもない。
「何故あのような子供が……あ、いえ、あの方が派遣されたんでしょうか?」
「私にも分からん。だが、ああ見えて八大軍団長なる称号をお持ちの御仁だ。我々には想像もつかない恐ろしい力の持ち主に違いない」
「あの方が、ですか? 正直なところ、私にはただの悪戯好きな子供にしか見えないのですが……」
「……ああ、そうか。お前はあの光景を見ていないのだったな」
集落で契約を交わした直後の出来事。急遽連れて行かれた白亜の城、そのバルコニーから見届けた光景をウェンリは思い返す。
アレは正に万魔の集いだった。一体だけでも恐ろしい力を持つ数多の魔物が一堂に会し、意志を一つにして熱狂に身を浸している様は思い出すだけでも背筋が震える。へたり込み失禁するに至った記憶は今すぐにでも捨て去りたいのだが、あまりにも鮮烈すぎる光景だっただけに忘れたくても忘れられない。あの時はこの世の終わりを目にした気分だった。
それだけに、ラテストウッドに派遣される総責任者の肩書を見た際、ウェンリは目眩を覚えた。
八大軍団長。十万を数える魔軍においてたった八人しか存在しないという称号の持ち主。ノーブルウッドの精鋭を一瞬のうち鏖殺せしめた『あの竜』と同列の地位に就く第七の軍団の長。それが派遣団の総責任者として名を刻んでいたのである。
さすがにあの竜を上回るとは思えないが、ああ見えて凄まじい力を有しているに違いない。そう思うと、この数日間のくだらない悪戯に対しても強く陳情する気持ちにはなれなかった。あの日抱いた恐怖と畏敬の感情は今も根強い。
「とにかく、あの御仁には敬意を払うよう徹底しろ。なにしろあの御仁は、彼の王の勅命により遣われた者だ。きっと彼でなければいけない何かしらの理由があるはずで――」
「――そこだァ!!」
突如、ウェンリの背後で声が生じた。
咄嗟の動きでウェンリが振り向けば、そこには密かに迫りスカートへ手を伸ばそうとしていたロビンと、彼の細腕を確保した一人の男の姿がある。
いつの間に、と思うウェンリの視線の先、ロビンの腕をがっしりと掴んだ片眼鏡の男は額に青筋を浮かべて唸るように言った。
「ようやく捕まえましたよ第七軍団長様……!」
「むむぅ……仮にも軍団長様に対してなんて口の利き方だ。チミの上司はいったいどういう教育をしてるんだい、まったく」
「テメェが上司だッ! アンタがそんなんだから第七軍団の幹部は肩身が狭い思いをしてんですよ! せめて日中ぐらい働け!」
片眼鏡の男――派遣団の副責任者に任命されたメルツェルという名の副官は、肩を怒らせて力の限りに叫んだ。
対するロビンは馬耳東風もいいところの態度でそっぽを向く。
「だってやる気おきないんだもーん。リー姉とかガルの装備作ろうと思ってもインスピレーション降りてこないしー」
「誰も軍団長級の装備作れなんて言ってないでしょうが。アンタの性格について今更とやかく言いませんが、せめて真面目に働いている部下の邪魔は……ちょっと待って下さい団長殿。確かそちらの方は先方の女官長だったと記憶してるんですが」
「うん、そう。ウェンリ」
「……小城の一切を取り仕切る女官長相手に、団長殿はいったい何を仕出かそうとしてたので?」
「スカートめくり」
「本気で何考えて生きてんですかアンタは!?」
平然と即答した上司に対し、副官は敬語を放り捨てて詰問した。
「だって今日はまだウェンリのスカートめくってないんだもーん。日課こなさないとなんとなく落ち着かないしー?」
「今日が初犯じゃないのかよ!? アンタ親善国の幹部相手になにしてくれてんですか!!」
副官は頭の血管を破りかねない形相で怒鳴りつける。対するロビンは拗ねた子供のように唇を尖らせ「聞こえない聞こえなーい」と耳を塞いだ。
業を煮やした副官は温度をなくした表情で、切り札の一言を呟く。
「……第三軍団長様に密告るぞ」
「ぃよーし! やる気出た! やる気満々だよこのボクは! さぁ何をしてるのかね副官クン! さっさとこの軍団長様に仕事を持ってきたまえよチミィ!」
一瞬で掌を返した上司に対し、青筋を増やした副官は持っていた金属柱をヒョイと放り投げた。反射的に受け取ろうとしたロビンだったが、体積以上の重量を持つ金属柱に潰されるようにしてすっ転ぶ。その結果、地面と金属柱の間で腹部を圧迫され、細い喉から呻き声が上がった。
「ぐえぇぇぇぇ……お、重いぃぃぃぃ……!?」
「ラージボックス用の建設資材です。さっさと所定の位置に運んでくださいね、軍団長様」
「こ、これは上司虐めだよ! みんなー! 助けてー! ウチの副官が下剋上を目論んで――」
「それ以上洒落にならないことを言うようなら本気で密告りますんでそのつもりで。……あ、確かウェンリさんでしたね。ウチの軍団長がご迷惑をおかけしてすみません」
片眼鏡の副官は帽子を脱いで頭を下げる。
いやもうホント困ったもんなんですよコイツ、と眉尻を下げた苦笑でペコペコと謝る副官だったが、一連のやり取りを見届けたウェンリは完全に絶句していた。
恐るべき力を有しているはずの八大軍団長ロビンは、今や資材越しに部下から足蹴にされていた。押しつぶされたロビンは必死の表情でもがいているが、どうやら本気で動けないらしい。しかも他の部下へ助けを求めたのにも拘らず、誰一人としてやってくる気配が無かった。人望がないにも程がある。
あまりにあんまりな光景を目の当たりにしてしまったウェンリに対し、副官はロビンを足蹴にしたまま平然と言葉を続けた。
「コレがまたスカートめくりとかしてくるようなら、どうぞ遠慮なく張り倒して下さい。第二軍団長様――コレのお目付け役の一人から許可は降りていますので」
「えっ!? なにそれ初耳! ていうか、あの獅子頭このこと知ってるの!?」
「知ってるに決まってるでしょう。第六軍団長様経由で情報が上がってるんですから。今は第二軍団長のところで止めてるみたいですが、度が過ぎるようなら第三軍団長まで伝わりますよ、きっと」
「カミィ、ボクを裏切ったね!? あの日交わした悪巧み連合の誓いはどこに行っちゃったのさ!?」
「なにが悪巧み連合ですか、アンタにゃ出来て精々悪戯止まりでしょうに。……あぁ、ウェンリさん。コレ、今日のところは私の方で回収しておきますので。どうもお騒がせしました」
上司の片足を掴んだまま、副官はペコリと頭を下げて去っていった。
呻き声を上げながらズルズルと引きずられていく総責任者を見送った一人の女官とウェンリは、呆気に取られた表情のまま立ち尽くす。
「…………」
あれに敬意を払おうとしていた自分は何だったのだろうか。
内心で抱いていた恐怖や畏敬といった感情がガラガラと崩れ落ちる音を聞きながら、ウェンリは肩を落とした。
・次話の投稿予定日は【5月17日(金)】です。




