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第二話   「仮説」


 一夜明けた翌朝。ヘリアンは仮宿の一室にて、ベッドの上で身を起こしながら仮想窓(ウィンドウ)を眺めていた。

 腕を組んで考え込んでいるのは、辺境伯との会談を通じて得た情報についてだ。


「リーヴェ。会談で話に挙げた蒼騎士についてだが、お前は辺境伯の回答をどう思った?」


 備え付けの椅子に座り書類整理をしていたリーヴェに問い掛ける。

 今ここにいる配下は、一時的に魔人形態に戻っている彼女だけだ。ガルディとセレスの二人は別行動中で、この宿にはいない。


 蒼騎士戦を経るまでのヘリアンならば『自分ひとりでどうにかしなければ』『自力で解決しなければ誰も付いてきてくれない』などと無意識のうちに考え、あれこれに関する検討や考察も自分ひとりの内側で終えていたかもしれない。

 だが、それを意固地に貫こうとするのは悪手だと今のヘリアンは知っている。

 故に、せめてリーヴェとだけは最低限の相談や意見交換を行うべきだと考え、彼女への質問を口にしたのだった。


 問われたリーヴェは手元の書類から目を離し、琥珀色の瞳をヘリアンに向ける。そして僅かに考え込んだ後、ハキハキとした口調で返答した。


「恐らく嘘はついていないかと思われます。辺境伯は蒼騎士の存在について、何らかの情報を得ていたようには思えません」

「その理由は?」

「隠す意味がないからです。蒼騎士の存在を知っていたと仮定して、我々に対しその情報を伏せるメリットが思い当たりません。また、セレス達の話ではシオン=ガーディナーや護衛の騎士達も転移現象の発現に狼狽していたと聞きます。あれが前代未聞の出来事だったという主張も、恐らくは真実かと」

「……だろうな」


 リーヴェが口にした回答はヘリアンの推察とほぼ同様だった。

 なにしろあの蒼騎士は、人類最高峰の戦力とされる辺境伯の実力を遥かに凌駕するどころか、アルキマイラが誇る八大軍団長のリーヴェでさえ苦戦を強いられた程の神話級脅威だったのだ。

 もしもあんな化物が街の迷宮に存在していると知っていたのなら――効くかどうかは別の話として――即刻封印処理とやらをしている筈だろう。


「強い執念や怨念を残したまま果てた騎士がアンデッドになるという話もあるらしいが……この線もなさそうだな」

「はい」


 蒼騎士が執念や怨念の類を抱いていたかどうかは別にして、もしもそんな理由であんなバケモノが生まれるのならこの世界はとっくの昔に滅んでいる。だが現実には、人類の盾たる境界都市シールズは数百年間もの間変わらず健在だ。辺境伯の口ぶりからして生前の力量が影響するらしいが、その点からも蒼騎士がそれに該当するとは思えない。


 また遭遇時の蒼騎士の状態を鑑みるに、アレが迷宮内を自由に闊歩していたとは考えにくい。鎖で雁字搦めに束縛されていた上、永い歳月を感じさせるような埃が積もっていた。諸々の状況証拠から判断するに、恐らくは自分たちが何百年ぶりかの客だったはずだ。少なくとも、辺境伯が生まれるよりもずっと以前から、アレは迷宮の奥深くで人知れず眠り続けていたのだろう。


「同時に、ただの野良魔物という線も考えにくい。なにせ第一軍団長たるお前があれだけ痛めつけられたのだ。秘奥を使わなければ確実にやられていた。どう考えても異常だ」


 自分とリーヴェの二人が同時に転移させられたのは今にして思えば不幸中の幸いだった、とヘリアンは思う。もしもどちらか片方のみが跳ばされていたならば確実に死んでいただろう。


 ヘリアンのみが転移させられたケースは言うに及ばず、リーヴェのみが転移させられた場合でもそれは変わらない。秘奥は(プレイヤー)が傍にいなくては発動できないからだ。秘奥で強化に強化を重ねてもギリギリの勝利だったことを踏まえて考えれば、リーヴェ一人だけでは蒼騎士に殺されていた可能性が極めて高い。


特異個体(イレギュラー)……とでも称すべきか」


 アレはまさに特異な存在だ。

 これまで遭遇した魔物や人類の力量、その他歴史などの背景に照らし合わせても明らかに浮いて(・・・)いる。

 この世界の常識的な通常戦力とは別個の、全く異なるカテゴリーの潜在脅威として評価する必要があるだろう。


「ともあれだ。シールズ領主たる辺境伯ですら知らないとなると、人伝に得られる情報ではアレの正体は判明しそうもないな」

「残念ながら」

「まあいい。これに関しては会談前から推察されていたことだ。その事実が明らかになった、というだけでも前進したと思うことにしよう。……それよりも、他に頭の痛い懸念事項が出てきたしな」


 ヘリアンはベッドの上で重苦しい溜め息を吐いた。


「よりにもよって黒髪黒眼が勇者の特徴とはな……」


 正直、勘弁してくれという気分だ。

 軽い気持ちで質問したのだが、辺境伯から返ってきたのは厄ネタといっていい驚愕の新事実だった。


「想像すらしていなかった新情報だが、どう思う?」

「はい。勇ましき者という言葉はヘリアン様を表現するに相応しいものかと」

「…………」


 自分を見るリーヴェの瞳がなんだかキラキラしているような気がするが、聞きたかった答えとは方向性が違う。そしてヘリアンとしては、この新情報は不都合極まりないものだ。勇者という称号が自分にほど遠いのは当然のこととして、これで迂闊にフードを取るわけにいかなくなったからである。


 だって勇者だ。英雄の家系の象徴だ。最早悪目立ちどころの話ではない。黒髪黒眼が珍しいとは聞いていたので余計な面倒事を引き寄せないよう隠し続けてきたが、今後はこれまで以上にしっかりと隠蔽しなくてはならなくなってしまった。

 厄介ごとの種が一つ増えたというのが、ヘリアンの正直な感想である。


(……というか、俺ってどちらかと言えば魔王の方だしな)


 今の自分は魔物の民を率いる王である。

 勇者か魔王かと問われれば間違いなく魔王カテゴリーだろう。

 現にラテストウッドの民の一部には、今でこそ誤解は解けたものの、当初は本気で魔王と恐れられていたのだ。


 それを思えば、アルキマイラを隠すことに決めた方針は結果的に大正解だったと言えるだろう。俺にしてはグッジョブな判断だ、と自分で自分を褒めてやりたい気分である。


 なにせ勇者は魔王を討つ存在とされており、境界都市シールズを治める辺境伯はその勇者の子孫とされる一族だ。ヘリアンとしては魔王を気取るつもりなど一切ないが、魔物の国(アルキマイラ)の存在がバレれば即時敵対待ったなしである。辺境伯とは良好な関係を築いていきたいと考えている現状、それだけは避けたい。


「一つ確かなこととしては、だ。これで以前にも増してアルキマイラを晒すわけにはいかなくなったということだな」

「はい。ですが第七軍団長(ロビン)第六軍団長(カミーラ)がラテストウッドの件を計画通りに遂行すれば、当初予定に支障はきたさないものかと」

「うむ。それだけに当面の間は、私ももう少々気を張らねばな」


 秘奥の反動で絶賛衰弱中の身ではあるが、一日あたり五時間強ならば健康体として活動できるのだ。しんどいからとベッドで惰眠を貪るわけにはいかない。ここまで回復したからには、汗水垂らして働いてくれている彼らの上位者として、本格的に仕事を再開させねばならないだろう。


 ちなみに、まるで回復していなかった最初の数日間については思い出したくもない。あの数日間ほど世話役(リーヴェ)が女性であることを恨んだ日々はなかった。そして意識を取り戻すまでの二日間については何も考えないことにしている。迂闊に想像すれば発作的に死にたくなりそうだからだ。


「……あの、ヘリアン様」

「うん? なんだ?」


 考え込んでいると、怖ず怖ずといった口調でリーヴェが声をかけてきた。

 そしてリーヴェは僅かに躊躇った後、意を決したように引き結んだ唇を開く。


「恐れながら、今後は本国にて指揮を取られるのは如何でしょうか。現場に関しては我々が対応いたしますので」


 耳と尻尾を緊張に固まらせたリーヴェの進言。

 それを受けたヘリアンは、ふむ、と腕を組んで思考を働かせる。


「……それは、安全な居城で指揮を取るべきだ、という進言と受け取って構わないか?」


 重みを伴った主の問いかけに、リーヴェは頬に一筋の汗を垂らした。大粒の汗はやがて顎を伝って落ち、床に一つの染みを作る。心中には猛烈な後悔の感情が押し寄せるが、一度口にしてしまったからにはもう手遅れだ。

 それに進言した内容は彼女の嘘偽りのない本心であり心からの願望である。リーヴェは覚悟を決め、主に肯定の意を返した。


 そんな彼女の眼前。秘奥の代償から未だに回復し切れていないヘリアンは、腕を組んだ姿のまま回答を口にする。


「なるほど。こんな様を晒していてはそのような言葉が出てくるのも無理はないか……。だがあえて告げよう。却下だ」


 ヘリアンは厳粛な物言いを意識しながら言葉を続ける。


「確かに今の私は万全の体調とは言えぬ。神話級脅威(SSランク)との遭遇戦などという馬鹿げた事態に遭い、未だ疲弊している状態だ。それは事実として認めよう。だがだからといって、謁見の間で告げた言葉を覆す理由にはなるまい」


 人類領域に向けて旅立つ前、ヘリアンはリーヴェ達に対して今後の方針を告げた。国民に対し、不安に思うことなど何一つ無いのだと、己が身を以って示さなくてはならないと口にしたのだ。


 そして、辺境伯のような力もレイファのような信念も持たず、かといって卓越した外交術や指導力を持たない己が王として崇められているのは、これまで様々な艱難辛苦を乗り越えてきたという『実績』があるからに他ならない。

 経過として失敗や敗北を重ねることは多々あったものの、最終的には勝利し成功を積み上げてきたという背景(れきし)三崎司(ヘリアン)という弱者を王の座に収めている。

 そのようにヘリアンは認識していた。


 それを思えば、今回の件は見方を変えればむしろ幸運だったとさえ言える。遭遇戦自体は不幸な出来事だったが、旅立って早々に神話級脅威の撃破という快挙を成し遂げることができた。国民に対し、新たな王の物語(サーガ)を示すことができたのだ。これはヘリアン王への【忠誠心】を維持するにあたり、かなり有効な働きをしてくれることだろう。


 冷静に考えれば神の悪戯とでも言うべき災難に巻き込まれているような気もするが、災い転じて福となすぐらいの機転は利かせなければ彼らの上位者としてやっていくことなどできない。先日の一件以降、ヘリアンは自身にそのように言い聞かせ、前向きに物事を捉えるよう努力していた。


「これしきのことで本国に逃げ帰っては、汗水垂らして働いている国民らに笑われよう。少なくとも私が民ならば、臆病者な王の姿に幻滅することは間違いない」

「そ、そのようなことは……!」

「あぁ、いい。これについて反論は要らん。あくまで私ならばそう思う、というだけのことだ。それに――」


 と、ヘリアンはリーヴェの瞳にしっかりと視線を合わせ、一呼吸置いて口を開く。


「私には頼れる臣下が付いている。装備すら不十分な状態で予期せぬ戦闘を強いられておきながら、それでも王の身を立派に護り抜いた忠臣がいるではないか。ならば私が城に逃げ帰る理由など、どこにもあるまい?」


 告げると、リーヴェは澄まし顔のまま頭頂部の狼耳を跳ね上げた。

 数秒置いて言葉の意味が脳に浸透したのか、銀の尻尾が勢い良く往復運動を開始し、積まれていた書類の何枚かがその風圧で床に舞い散る。


 ……格好つけて言ってはみたが予想以上の反応である。

 なんとなくリーヴェの扱い方が分かってきた気がした。


「まあそういうことだ。重ねて言うが、神話級脅威の単独撃破は紛うことなき快挙だ。この程度の代償で済んだのはむしろ僥倖と言えよう。故に、お前が罪悪感を感じる必要など何一つ無い」

「……ぁ」


 思わず口にしてしまったような呟きがリーヴェの唇から零れた。

 やっぱり気にしてたんだなと思うヘリアンの眼前、リーヴェの頬に羞恥の朱色が差す。


(ゲームの時でさえ、滅多に発動要求寄越してこない奴だったしな……)


 秘奥の発動は配下の要求に応じて許可を与える方法と、(プレイヤー)が能動的に発動させる方法との二種類に大別されるが、リーヴェが秘奥を使う際には大抵が後者の方法だった。

 たまに要求してきたとしても〝紅月ノ加護(クリムゾンムーン)〟のようなコストの安い秘奥ばかりで、彼女の最大の切り札については一度も発動要求をしてきたことが無い。例え強敵が相手の場合でも、よほどの危機的状況に陥らなければ秘奥抜きで戦い抜こうとする傾向にあった。


 ちなみに一部の軍団長は、危機的状況でなくても気軽に秘奥の発動要求をしてくる場合がある。その代表格が第八軍団長ノガルドだ。軍団長抜きの通常戦力ですら殲滅可能な敵軍を相手に生命力消費七割超過の秘奥発動要求を寄越してきた時などは、さすがに閉口したものである。


「当面の方針として、ラテストウッドの件に際しては一度帰国するつもりだが、それまでは予定通りシールズでの活動を続行だ。折角【転移門(テレポータル)】の設置が可能になり、それを隠しておける物件も手に入れたのだ。このまま安全圏まで【支配力】を稼ぐ為の地盤を築いておきたい。故に、まずはこの街での活動拠点構築を推進し、人類領域における我々の立場を確かなものとする。よいな?」

「――ハッ。畏まりました」


 リーヴェは頬の色を元に戻した後、粛々と拝命の意を返した。

 そして何故か床に落ちていた書類を不思議そうに眺めた後、テキパキと回収を始める。


 その様子をなんとなしに眺めつつ、ヘリアンは思考操作で仮想窓を開錠した。

 新たに表示したのは境界都市シールズの地理情報だ。

 眼前に浮かぶのは、数週間に渡るガルディの探索活動によってより詳細になったシールズの<地図(マップ)>。それを見つめながら思い返すのは、この街に来て二日目の際にも得た既視感である。


(やっぱり似てるんだよな、この街……)


 視界中央には、縦長の十字架型をしたシールズの全体図が航空写真のように投影されている。

 縦長部分に該当する都市の南部分については、境界領域方面に位置するという関係からか、数多の防衛施設や幾重もの堅牢な防壁が築かれているなど城塞都市らしい物々しい雰囲気を匂わせていたが、一方の中央区については利便性に富んだ整然とした構造をしていた。そして街の中心に走る大通りを<地図(マップ)>の真ん中に据えて縮尺を拡大すれば、そこにはどことなく見覚えのある街並みが映っている。


 そうして<地図(マップ)>を見ながら脳裏に思い浮かべるのは、[ワールド№Ⅲ]に存在した『アズマコク』という名の、始原文明(シヴィライゼーション)に『日本』を選択したとある大国のことだ。


 アズマコクの(プレイヤー)は日本贔屓のアメリカ人で、下手な日本人よりも日本文化に詳しい人物だった。そして、その彼が十六世紀頃の京都を参考にして作ったという首都と、シールズの一部の街並みが似通っているように見受けられたのだ。


 [タクティクス・クロニクル]では、初めて作った街がそのまま首都になるパターンが多い。だが最初の街は技術レベルや人口の成長に伴って肥大化・拡張していくものであり、都市計画ありきで新設された街に比べてごちゃごちゃとした構造になることがほとんどだ。ひどいものになると九龍城もかくやという歪な地図が出来上がる。


 しかしアズマコクの(プレイヤー)は「これが俺の天正の地割だ!」という謎の宣言と共に、国の一大事業として首都の区画整理に取り組んだ。

 そして首都の中心地を含め、多くの建物の取り壊しを含めた大規模な区画整理を敢行した結果――首都経済に多少の打撃を与えながらも――整然とした美しい街並みに整え、同時に首都名を真京都と改名したのだった。


(それを踏まえて考えると、戦力についても類似点がある)


 アルキマイラやアズマコクは――というより[タクティクス・クロニクル]の大国が保有する戦力構造は、現実世界の軍とは異なった特徴がある。


 まず、軍団長を筆頭とする飛び抜けて戦闘能力の高い魔物が数体存在する。

 そこから一ランクから二ランクほど格下の魔物が、前述の魔物の数十倍から数百倍ほど存在し、後は三ランク以上格下の魔物が通常戦力として大量に存在するという構成だ。

 経験値獲得システムの都合上、順当に育成を行えば自然とこのような形に行き着くケースが多い。


 一方のシールズはといえば、辺境伯という絶対的な戦力を筆頭として、そこから一ランクほど下に一流冒険者や極々限られた一部の騎士が存在する。そして普通の冒険者や傭兵、一般的な騎士が数で以って底を支えるという図式だ。


 今更言うまでもなく、アルキマイラとシールズの保有する戦力には絶対的な格差がある。これは純然たる事実だ。だがアルキマイラを極端にスケールダウンさせれば、シールズの戦力構造と似通う一面があるようにも思える。


 そうして浮かび上がるのは一つの仮説だ。


(……アズマコクの(プレイヤー)も、この世界に転移させられたのか?)


 しかしその仮説には一つの大きな問題がある。それは、シールズが数百年以上の歴史を有している、という覆しようのない事実だ。

 もし仮に彼がこの世界に転移させられたのだとしたら、そしてこのシールズが真京都の成れの果てだとしたら、彼が転移させられたのは数百年以上も前だということになる。なってしまう。

 だがそもそも論で言えば異世界転移自体がわけのわからない異常現象だ。転移した時代に差があっても不思議ではないのかもしれない。


 そして仮定に仮定を重ねた話ではあるが、辺境伯が語っていた勇者とやらが(プレイヤー)のことだとしたら、どうだろう? 日本贔屓なアズマコクの(プレイヤー)も黒髪黒眼の外見(アバター)を使っていた。ならば勇者の子孫だとされるガーディナー家は、もしかすると彼の――。


「……いや。いくら何でもそれは飛躍しすぎだな」


 ポツリと呟き、頭を振って思考を打ち切る。何もかもが根拠の薄い状況証拠からの推察であり仮定の話だ。情報収集活動を本格化させる為の準備段階に過ぎないこの現状で、思考の幅を狭めるような考察を推し進めるべきではない。


 第一、辺境伯は人間としては有り得ない程の力を有していたが、一方の(プレイヤー)の戦闘能力はほぼ皆無なのだ。

 さすがにゲーム通り攻撃力がゼロというわけではなく、この世界に来てからは現実化とでも言うべき変化の一つとして物を壊したり傷つけたりすることができるようにはなったが、それでも最弱の存在であることに変わりはない。もしもガーディナー家が彼の子孫だとしたのなら、辺境伯がアレだけの戦闘力を持っているというのは全く以っておかしな話であり――


(……ん? 現実化?)


 ふと、頭の中で連想ゲームが始まった。


 一部の街並みが真京都に似ているシールズ。

 その領主一家は黒髪黒眼の家系。

 この世界の通常戦力とは隔絶した戦闘能力を有する辺境伯。

 転移現象に伴って発生した現実化とでも言うべき変化。

 【配合】という(プレイヤー)専用の特殊能力。

 両親のステータスや特性を受け継いだ子供を作れるという【配合】の仕様。

 そして今目の前で書類を拾い上げているのは、隔絶した戦闘能力を有する一人の女性配下(NPC)


「………………………………………………、いや」


 いや。いやいやいやいや。無い。それは無い。とにかく無い。

 だってアレだ。[タクティクス・クロニクル]は健全なゲームだ。少しばかり頭を使うジャンルな為か購買層の平均年齢は若干高めだったものの、決して大人向けゲームというわけではない。その証拠に三崎司(じぶん)がプレイを開始した当時は中学生だった。青少年でも人目を憚ることなく購入可能なゲームなのである。


 確かに近年ではVRヴァーチャルリアリティタイプのその手のゲーム(・・・・・・・)は増えており、ただでさえ低かった日本人の出生率が更に低下して割と笑えない状況になっているが、少なくとも[タクティクス・クロニクル]はその類の代物ではない。

 【配合】とて直接的な描写がされているわけではなく、城の一角にある特殊施設で一晩過ごせばいつの間にか子供を宿しているという謎現象で表現を濁していたぐらいだ。きっとコウノトリとかが運んできてくれたに違いない。もしくはキャベツ畑。


 それに何より【配合】の対象は魔物に限られる。(プレイヤー)は言うまでもなく対象外だ。子供を作ることなど絶対に不可能である。というかデキてたまるものか。


(…………けど。ゲームの時と比べて、色々と仕様変わってるよな……)


 現実化とでも表現すべき仕様や能力の変化。

 具体例としては、秘奥による生命力枯渇に伴って衰弱死しかけたり、疲労や痛みを感じるようになったりと、人間として極々当たり前の事象についてはゲームの頃と比較して現実に則した状態になっている。


 幾つかあるプレイヤー専用機能のうち、【配合】については一切検証しておらずする気も無かったが、これについても仕様が変化している可能性はあるだろう。


 そして音声会話(ボイスチャット)のように能力対象範囲の拡大がなされていたとすれば、一般的な生命体(にんげん)として極々当たり前な繁殖能力、即ち子供を作る機能が(プレイヤー)に備わっていたとしても何ら不思議ではないということであり――……


「? ヘリアン様、心なしか顔色が……」


 屈んで書類を拾っていたリーヴェがこちらを見上げながら問い掛けてくる。

 背中に嫌な汗を掻き始めていたヘリアンは、その追求から逃れる為に脳細胞をフル稼働させた。


「いや、なんでもないとも。部屋にこもりっぱなしな為か、少々気分が優れぬでな。お前が気にする必要はない」


 ……なのでその上目遣いを止めてほしい。ついでに体調を診ようとして顔を近づけるのも待ってほしい。むしろこちらを視ること自体勘弁してほしい。色々と落ち着く時間をいただきたいのである。


 そんなヘリアンの必死の対応が実を結んだか、リーヴェは不思議そうに首を傾げるも、数秒後にはすんなりと引き下がってくれた。

 ヘリアンは己の頭の中で組み上がりそうになった仮説に次ぐ仮説を一旦破棄することに決め、悶々とした気分を払う為に話題転換を図る。


「そ、そういえば、報酬として受領した店舗の改装状況はどうなっているのだ?」

「ガルディとセレスが工兵を率いて作業中です。凡そ形になってきたと報告を受けていますが」

「ならば見学に出向くとしよう。苦労して手に入れた物件を一度見ておきたいと思っていたのだ。気分転換にもなるだろうしな」


 そうと決まれば善は急げだ。さあ行こうすぐ行こう今行こう、とヘリアンはリーヴェを急かす。

 リーヴェは琥珀色の瞳に戸惑いの色を浮かべるも、部屋にこもりっぱなしで気分が優れない、という誤魔化しの発言を真面目に受け取っていた為「すぐに支度を整えます」と書類を片付けにかかった。


 それから数分後。フードを目深に被ったヘリアンはリーヴェを引き連れ、数人の従業員に見送られながら宿屋を後にした。





・次話の投稿予定日は【5月1日(水)】です。


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