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第二十七話 「王の断罪」

「あ、有り得ない……」


 呆然と、一人のエルフが掠れた声を漏らした。

 ノーブルウッドの神官長だ。

 神樹と風神を祀るエルフ特有の宗教において、祭事の総監督を任されている人物であり、神々がエルフの為に残した妖精竜の封印解除について最も貢献した人物でもある。


「……私は一体……何を目にしているのだ?」


 その彼の頭上には、黄昏竜が放った一条の朱い光に呑み込まれる妖精竜の姿があった。美しかった妖精竜の羽根は余波だけで千々(ちぢ)に散らされ、身体は灰も残さず蒸発していく。その一部始終を見た。見届けてしまった。


「こんな事が……こんな事があろう筈が……」


 神より与えられしエルフの守護竜が、(うしな)われた。

 それどころか、突如として現れた謎の竜に手傷を負わせることすら出来ず、一方的に敗北した。


 更には、不明勢力が一気呵成に攻め込んできており、栄えあるノーブルウッドの戦士達がまるで虫けらのように蹂躙されている。その恐るべき事実は到底、神官長一人が受け止めきれるようなものではなかった。


「ほ、本国へ連絡を……ノーブルウッド本国へ連絡を取れ!」


 怒鳴りつけられるような命令を下されたエルフは、戸惑ったように瞳を揺らす。

 そのエルフは貴重な“心話”能力の保有者だった。

 心話とは、声の届かない距離の相手に対し、精神で声を届ける事を可能とする希少な魔術のことを指す。

 交感可能距離は術師の技量に依存するが、自らの能力の全てを心話に特化させた彼は、遠く離れた本国へ連絡を取ることの出来る特技兵だった。


「それが……」

「どうした!? 早くしろ!」

「……本国への心話が繋がりません」


 なに、と額に脂汗を浮かべた神官長は聞き返す。


「恐らく、妨害されています……」

抵抗(レジスト)しろ!」

「先程から試みてはいるのですが……まるで抵抗(レジスト)出来ません。出来る気が、しません。あまりにも、術師としての力量に隔たりが……」

「おのれッ!」


 神官長は小城を飛び出して一人北へと駆けた。

 謎の敵勢力は南から侵入してきている。

 まだ北側にまでその手は及んでいない筈だ。

 何度も背後を振り返り、追手が来ていない事を確認しながら、神官長は追い立てられるようにして北門を目指す。


「こんなところで終わってたまるか……! この私が死ねるものか!」


 一心不乱に走り続けた神官長は、やがて北門に辿り着き、背後を振り返った。

 追手はいない。

 死地を逃れた。

 これで助かる。

 思わず安堵の息を吐きながら、彼は門を潜って首都の外へ出ようとして――首都を覆うように展開されていた不可視の結界に衝突した。


「グギェッ!?」


 蛙が潰されたような呻き声を上げ、結界に弾き返された神官長は地面に転がる。


「随分と無様な声だこと……」


 呆れたような声が神官長の耳に届いた。


「ど、何処だ? 何処に隠れている!?」

「……呆れた。この距離まで近づいておいて、存在隠蔽インディケーションカットすら使っていない光学欺瞞術式(インビジブル)を看破出来ないなんて」


 指を鳴らす音が響くと同時、空間から滲み出るようにして一人の女性が姿を現した。黒い肌に長い笹耳。窮屈そうな衣装にメリハリの利いた体を押し込めた彼女は、国の紋章と四の字が刻まれた一冊の書物を手にしている。


「ダ、ダークエルフだと?」

「違うわよ。今のアタシをそんな下位種と一緒にしないで。アタシがダークエルフだったのは何十年も昔の話よ」

「わけの分からぬ世迷い言を……!」

「自分に理解出来ないことを『世迷い言』の一言で済ませるなんて、随分と楽そうな生き方ね」

「き、貴様! 栄えあるノーブルウッドの神官長たる私を愚弄するか!」

「憤るのも勝手だけどさ、アタシとのんびり話してて良いの? そろそろ背後を振り返った方がいいと思うけど」


 その言葉に神官長は固まった。

 いつの間にか、自分が大きい影に覆われていた事に気づいたのだ。

 背後に何か巨大なモノがいる。

 恐る恐る、彼は振り向いた。


「なあ、第四軍団長よお。もうそろそろいいか?」


 そこには、巨大な斧を背負った、身の丈二メートルを越す筋骨隆々な大男の姿があった。


「ええ、もういいわ。第六軍団の調査によれば、こんなのでも一応は指揮官の一人らしいから、さっさと首級を上げなさいな」

「おぉ、マジか。いいのかよ、俺様がこの獲物()っちまっても」


 人相の悪い顔に獰猛な笑みを浮かべながら、第五軍団長(ガルディ)第四軍団長(セレス)に訊いた。


「いいのよ。アタシは閉鎖結界の維持に注力するように陛下から勅命を受けてるし。それに、ただでさえアンタにはこないだの失態があるんだから、ここで点数稼ぎしときなさい」

「……手柄を譲られるってのは、ちぃと気に喰わねぇんだがよ」

「気持ちは分からないでもないけど、そのプライド、今回限りは棄てなさい。アンタの失点が取り返せてない状況のままだと、困るのはアンタだけじゃないのよ」

「あん? そりゃどういう意味でぇ?」

「アンタを使う側の立場の考えと、我が国の現状から推察なさい」

「…………………………欠片も分からねえが、その言い方だと総大将関連か?」

「えぇそうよ陛下がお困りになるのよ! 今の国の状況で遊ばせておいていい戦力なんてドコにも転がってないんだから! ていうか欠片ぐらいは分かりなさいよ! アンタそれでも軍の将なの!?」

「頭ぁ使うのは苦手なんだよ。ま、そういう話ならありがたく手柄頂くとするか」


 目の前で交わされる会話に神官長は目眩を覚えた。

 自分の命が、手柄という記号でしか扱われていない。

 彼をこの場で殺すことが前提となった会話だった。


「ま、待て! 待ってくれ! お主がダークエルフではないのは解ったが、それでもエルフ族であることは変わりないのだろう!?」

「だから何?」

「同族の(よしみ)だ、頼む、我が身を助けてくれ! この大男を止めてくれ!」


 神官長に抵抗する気力はもはや無かった。

 ただでさえ、敵勢力の兵士にノーブルウッドの戦士達が蹂躙されるのを嫌というほど見せつけられた上、背後の大男はその将軍格だと言う。

 勝てるわけがない。

 だからここで生き延びるには、どれだけ惨めだろうが、同族である筈の目の前の女に縋るしか無かった。


「同族の誼、ねえ……」

「そうだ! 頼む、私はこんなところでは死ねんのだ! 薄汚い人間どもを鏖殺するその日まで、私は決して」

「あのさ」


 神官長の言葉を聞き終えることも無く、セレスの表情が嫌悪と侮蔑の色に染まった。


「一つ訊きたい事があるんだけど」

「な、なんだ? 妖精竜の封印を解除した術式か? それとも、我らの儀式魔術に関することか? 私に答えられるようなものならなんでも答えよう!」

「じゃあ答えなさい。エルフ族の誼で助けろと言うアンタ達は、れっきとしたエルフ族である“ハイエルフ(エルティナ)”に対して何しようとしてたわけ?」


 問いに、神官長は息を呑み、喉から妙な音を漏らした。


「それが答えよ。そもそもの話、害獣(アンタら)がアタシらと似た姿をしてるって時点で大迷惑してるのよ、こっちは。これで陛下に嫌われでもしたら、アンタらの死後の魂を砕いてやる」


 待ってくれ、と伸ばした手は不可視の結界に阻まれ、セレスに届くことはない。

 次の瞬間、背後から振り下ろされた大斧によって、彼の躰は左右に泣き別れた。




    +    +    +




 ノーブルウッドの狩人長サラウィンは、呆然と空を見上げていた。


「馬鹿な……そんな馬鹿な……」


 彼が見届けたのは、一条の朱い光に呑み込まれた妖精竜の姿だった。

 目を灼く赤光が輝きを失った後、空に残っているのは一体の竜の姿だけだ。

 その姿は妖精竜のものではない。

 妖精竜と戦っていたらしき別の竜の姿だ。

 エルフの守護者である妖精竜が、一方的に敗北したのだ。


「これは……(うつつ)の出来事なのか?」


 百年がかりで取り組んできた、人間への復讐計画の中核となる存在が失われた。

 その事実を認めるのに、サラウィンは数十秒以上を必要とした。


 その間も時は無情に過ぎていく。

 (とき)の声は至る所からあがり、悲鳴や怒号が首都を満たす。

 前者は知らぬ声の類。後者は既知の声の類だ。

 それは、同胞達が一方的に蹂躙されているという事実を意味していた。


 更に、サラウィンが呆然と見上げる空に幾つもの影が増えていく。

 影の正体は多種多様な竜の群れだった。

 そのいずれもが、妖精竜並の力を持つであろう化物揃いだった。

 妖精竜を滅ぼした竜に付き従うようにして現れた竜群は、瞬く間にその数を増やし、首都上空を埋めていく。

 サラウィンにとって、その光景はもはや“地獄”でしかなかった。


「何なのだ、奴らは……? 我らは、一体、何を敵に回したのだ……?」


 答えは無い。

 答えられる者がいない。

 取り巻きのエルフ達は、先程の砲撃でバラバラに吹き飛んでいた。

 生き残ったのはサラウィンだけだ。


「狩人長――ッ!」


 誰かが駆けてきた。

 思わず体を震わせる。

 しかし、近寄ってきた人影は謎の勢力の者ではなく、既知の顔だった。

 先遣隊の一員として派兵された兵士長だ。


「ここは危険です! お逃げください!」

「逃げる……? 何処にだ、何処に逃げろというのだ……!?」


 首都を囲むようにして、強固な結界が展開されている。その形状、そのタイミングからして、恐らくは内部の者を閉じ込めておく為のものだ。


 しかも凄まじい魔力に覆われているのを感じる。妖精竜なら破れた可能性はあるが、自分達にどうにか出来る規模のものではない。


「だからと言って、ここに居てはすぐに敵軍に呑み込まれます! とにかく、この場から離れ――」


 ガシャリ、という音が鳴って兵士長の声が止まった。

 甲冑の音だ。

 恐る恐る二人が視線を向ければ、そこには全身鎧に身を包む一人の敵兵が居た。


「……時間を稼ぎます。お逃げください」


 兵士長は覚悟を決めた顔つきで、サラウィンにそう告げた。


「ま、任せる!」


 サラウィンは即座に逃げ出した。

 行くあてなど無い。

 ただ、それでも、そこに留まれば自分も死ぬという事実だけは理解していた。


 脱兎の如く、サラウィンはその場を去っていく。

 残された兵士長は、最後に掛けられた言葉が『任せる』のただ一言だけであったことに虚しさを感じつつ、目の前の敵と相対した。


「……私が相手になろう。何処の誰とも知れぬ“敵”よ」


 彼は、今何が起こっているのか、正しくは理解できていない。

 敵は一体何なのか。

 何故自分たちがこのような目に遭っているのか。

 妖精竜亡き後、ノーブルウッドの悲願である人間への復讐はどうなるのか。


 何もかも分かっていない

 ただそんな彼にも一つだけ分かっていることがある。

 それは、自分が今から此処で死ぬということだ。


「ならば、晩節は汚すまい」


 自分は尊き一族、ノーブルウッドのエルフだ。

 誇り高きノーブルウッドの兵士長だ。

 それに相応しい振る舞いがあり、それに相応しい最期が必要だ。


 ならば、この先に逃れ得ない死が待ち受けているのなら、醜く足掻くのではなく優雅に散ってみせようではないか。

 兵士長は自分でも驚くほど穏やかな気持ちで、自然とそう思えた。


「薄汚い“穢れ”や人間に敗れたならば、死んでも死にきれないだろうが、な」


 しかし幸いなことにその危惧はない。

 目の前に立つ全身鎧の何者かは、体躯が小さすぎる。

 ハーフエルフや人間ではない異種族だ。恐らくは小人族かなにかだろう。


 ならば、たとえ敗北しこの身が死に至ったところで、貴きノーブルウッド一族としての誇りが穢れることはない。その事実を心中で再確認した兵士長は、腰に下げていた二本の短剣を抜き、静かに構えを取った。


「我が生涯最後の戦い……お相手願おうか。

 我が名はクラウフ=ウェルト=リーフ。

 ノーブルウッドの兵士長の一人也」


 名乗りに対し、全身鎧の小柄な敵は沈黙を貫く。


「ふむ、名乗りは無し。

 となれば言葉ではなく刃で語ろうと言うのだな?

 まあよい、それもまた一興」


 兵士長はいっそ清々しい口調でそう(うそぶ)いた。


 触媒は障壁の展開で使い果たし、一つも残っていない。

 魔術の行使は不可能。

 しかも少なからず手傷を負ってしまっている。

 手持ちの武器は切断の術式が付与された短剣が二振りのみ。

 全身鎧の眼前敵は、どのような能力を持つかも分からない不明勢力の一員。


 しかし、兵士長の戦意は僅かも衰えを見せない。

 それどころか、この死地にあって何らかの心境に至りでもしたのか、これから始まる戦いにおいて生涯最高の戦闘力を発揮出来るであろう確信があった。

 そして、その確信は間違いではなかった。


「疾――ッ」


 兵士長は疾風と化して全身鎧(てき)に襲いかかった。踏み込みの速度、振り下ろす短剣の威力共に、兵士長の身分に留まらぬ鋭さ。それは文句無しに、彼の生涯最速の踏み込みだった。


 対する全身鎧は、繰り出された右の短剣を長盾で弾き飛ばし、左の短剣にはショートソードで応じた。鋼の音が鳴り響き、両者の間で火花が散る。


「刃よ! 我が魔を糧に敵を切り裂け!」


 兵士長は左の短剣に魔力を籠めた。

 短剣に刻まれた術式は主からの魔力供給を受け、忠実に己の役割を遂行する。

 起動された術式の効果は“切断”。

 鍔迫り合いの拮抗状態を保っていた短剣は、術式が起動されるなり、ショートソードの刃に食い込み始めた。


「本来ならば鋼でさえ瞬時に切断出来るのだがな! 貴殿のその剣、相当な業物と見える……!」


 堪りかねたように、全身鎧は兵士長に前蹴りを入れて距離を取ろうとした。

 それを読んでいた兵士長は、下方から迫る蹴り足に踵を落とすことで応じた。

 金属の塊を思い切り蹴りつけた代償として、踵が割れるように痛んだが、全身鎧の蹴撃を防ぐことに成功した兵士長はその反動を活かして直上の宙へ身を投げる。


 そのまま空中で縦方向に身体を廻し、上下逆さまになって放つ短剣の第二撃。

 対する全身鎧はその重量に身を任せ、身体を沈み込ませるようにして体勢を低くすることで回避した。


「これも(かわ)すか、だが――!」


 兵士長は更に宙で身体を一回転させ、短剣を直下に投擲した。

 回転の勢いが乗った刃は疾風の速度で敵へと迫る。

 曲芸じみた機動で放たれた、第三撃にして必殺の一矢。


 全身鎧は身体に引き寄せた盾で咄嗟に受け止める。

 切断の術式が起動されたままの短剣は刺突の任を託され、己の任務遂行を阻む盾へその()を埋めていく。

 対する盾は何の術式も付与されていなかったが、素材元来の強靭さを以ってこれに抗じた。


 そして、兵士長は宙に在りながらその結末を見届けた。

 短剣の刃はその身を深く沈めていき――そして刀身の半ばを埋めて停止する。

 軍配が上がったのは、必殺の刃ではなく守護の盾だった。


 これで兵士長は無手だ。

 二本あった短剣の内の一本は盾で遠くへ弾き飛ばされ、もう一本は盾に刺さってしまっている。

 必殺の攻撃を防がれた兵士長に為す術は無く、着地を狙い叩きつけられるようにして放たれたシールドバッシュによって、地面に押し潰された。


「ぐ、ぁ……ッ」


 衝撃で臓腑(ぞうふ)の幾つかが潰れた。

 血が喉を逆流してくる悍ましい感覚。

 しかし、彼はせり上がってきた血塊を矜持の名の元に呑み込む。


 敗れはしたが、間違いなく生涯最高の戦いだった。

 素晴らしい戦いの結末を吐血で汚すなど、貴きエルフの振る舞いではない。

 その矜持が、彼の意識を支えていた。


「……お見事。その一言に尽く」


 いっそ清々しい気分で、兵士長は己を下した全身鎧に賛辞を贈った。

 生涯最後の戦いに相応しい敵だった。

 まさしく好敵手といって良い存在だ。


 エルフではないようだが、同時に人間でも、ハーフエルフでもない。

 何の種族かは分かりかねたが、兵士長たる己を下す程の好敵手(もののふ)ならば、どんな種族であろうと尊敬に値する。


 そう思うと、賛辞の言葉が自然と口をついて出た。

 それは兵士長の長い人生の中でも数えるほどしか口にしたことのない、素直な心の吐露であった。


「刃で語り終えたのだ。もう沈黙に身を浸すことも無かろう。見事な業物に素晴らしき技の冴え、さぞかし名のある武人とお見受けする。最期に、貴殿の名を訊かせてはくれぬか?」


 死を間際にした兵士長の言葉に、全身鎧は兜のバイザーに手を当てた。

 どんな種族かは推測がつかない。だが兵士長はどんな種族だろうが決して驚くまいと、澄んだ心で好敵手の動きを待ち――引き上げられたバイザーの下に隠されていたその素顔に、驚愕の二字を顔面に貼り付けた。


「………………………………は?」


 土色の肌に皺だらけの醜い顔面。

 大陸四大種族ではない。

 それどころか人類ですらない。

 矮小な魔物である“ゴブリン”の顔が、全身鎧(こうてきしゅ)のバイザーの下から現れた。


「ゴ、ゴブリン……だと? ま、まさか、そんな筈は」

「オレ、名前、無い」

「…………なに?」

「オレ、産まれタばかり。見習イ兵士。ペーペー。名無しノ新兵は、敵、五匹倒せバ、名前もらエる。だケど、オレ、コレ、初陣。だかラ、名前、無い」


 兵士長は、好敵手だった筈の相手の……そのゴブリンの言葉を、何一つ理解出来なかった。


「う、嘘だ……それが本当ならば、その業物は……」

「こレ、只ノ支給品。オレ達新入りガ、最初に、モらえル剣」


 ゴブリンは罅の入ったショートソードを無造作に放り棄てた。

 兵士長が業物と評した剣が、無価値なゴミのように地面に横たわる。


「オレ達、訓練、終わっタばかり。本当ナら、前線、出れナい。だけど、国、総動員体制、言っテた。オレ達、ペーペーも、出番、貰えタ。万歳」


 ゴブリンは盾の裏側に装着していた片手斧(サブウェポン)を手に、兵士長へと一歩近づき、その凶器を振り上げる。


「オマエ、三匹目の獲物。残り二匹倒セば、隊長かラ名前もラえル。ごぶりんガ、初陣で名前もらエる、すごイこと。だからオマエ、ココで死ネ」


 その言葉がトドメだった。

 兵士長の頭の中で、矜持の砕けた音がした。

 吐き出した血で地面を汚しながら、彼は絶叫する。


「ふ……ふざけるなぁ! こんな、こんな馬鹿なことがあってたまるかッ! ゴブリン!? ゴブリンだと!? 兵士長たるこの私の生涯最後の相手がゴブリンだというのか! この私を下したほどの敵が将ですらなくただの雑魚でしかないだというのか!? こんなことがあってたまるか! こんな理不尽があってたまるかあ! ふざけ――」


 構わず、刃が落ちた。

 断首用の斧は己の役割を忠実に遂行し、何やらを喚いていたとあるエルフの首を飛ばす。


 ゴロゴロと地面を転がる首と、力なく崩れ落ちる胴体。

 三匹目の獲物を確実に仕留めたことを確認したゴブリンは、満足そうに頷いた。

 その後、装備品の消耗具合を確認し、まだ十分に戦えることを認めた彼は四匹目の獲物を求めて戦場を駆けていく。


 そして、ノーブルウッド国の兵士長クラウフ=ウェルト=リーフは、一端の将であるということすら認識されず、その他大勢の一人としてその死体を野に晒した。


 蹂躙は続く。

 首都内の害獣(モンスター)が一匹残らず駆逐される、その瞬間まで。




    +    +    +




 ラテストウッドは、その由来こそ弱小民族の寄り集まりではあるものの、その規模は年月を経る毎に少しずつ拡大し、今では都市国家を形成していた。


 小国とはいえ、国ならばどうしても必要な設備というものはある。

 例えば、防備の要となり王の権威を示す為の城や、治療を施す為の診療所、祈りを捧げる為の礼拝堂や、法に基づき(いさか)いを解決させる為の裁判所などだ。


 また国である以上、罪人というものはどうしても発生するものであり、罪人を収監する為の施設もまた必要になる。そして、ラテストウッドにおける罪人の収監施設……牢獄は、城の北方に位置する街外れに存在していた。


 そこに、ノーブルウッド兵が集結しつつあった。


 いや、正しくは追い立てられ、追い詰められていた。

 南方から進撃して来た謎の勢力により、丁寧に駆除されていった彼らは、北側へと逃げ延びるしかなかった。

 しかし、街全体を覆う不可視結界によって街の外へ脱出することも叶わない。


 故に、心身ともに追い詰められたノーブルウッド兵は、牢獄に押し込めていたハーフエルフを人質にすることで難を逃れようとしたのだ。


 謎の勢力はラテストウッドに加担している。

 ならば、囚えているハーフエルフを人質にすればいい。

 そうすれば自分達の命は助かる。


 冷静に考えれば短絡的にも程があるその考えを、彼らは盲目的に信じた。

 それしか生き延びる道が思いつかなかったとも言える。

 そして彼らは微かな希望に縋るようにして、ハーフエルフ達を囚えている牢獄へと詰めかけ――牢獄の天井の一角が脈絡も無く崩落したのを目の当たりにした。


 墜落の勢いで天井をぶち破って現れたのは、一体の赤い竜。

 それが、妖精竜を一撃の下に消滅させた竜であることを認めたノーブルウッド兵は、半ば恐慌状態に陥りながらも、竜の頭の上に一人の男が立っているのを見た。


 妖精竜を屠る程の化物。

 その頭を平然と足蹴にしている人間は、牢獄内を睥睨(へいげい)し――ボロボロのまま裸同然の格好で転がされているハーフエルフ達の姿を目にして、髪を逆立たせた。


「揃いも揃って塵屑(ゴミクズ)どもめがあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ――――!!!」


 瞬時にヘリアンは命令を下す。

 溢れんばかりの殺意が篭められた<指示(オーダー)>を、黄昏竜(ノガルド)は即座に遂行した。


 竜族にのみ編むことが許された竜魔術。

 その内の一つが行使され、竜気と魔力が混合された黄金色の光弾が疾駆する。

 撃砕の威力を孕んだ光弾はハーフエルフ達を避けるようにして曲がりくねり、牢獄内にいたノーブルウッド兵を一人も残さず貫き、鏖殺した。


「ラテストウッドの民を保護しろ! これ以上一人も死なせるな! 無駄に死なせればタダでは済まさんぞッ!!」


 第二軍団の衛兵に守られながら、第三軍団の衛生兵が牢獄内に駆け込んできた。

 治療魔術による柔らかな緑光が牢獄内の至る所から発せられるようになり、ボロ雑巾のようになっていたハーフエルフ達が手厚く治療されていく。


第六軍団長(カミーラ)、これで囚われていたハーフエルフは全てか!?」

『その通りじゃ我が君。敵の探知(サーチ)も今しがた完了した』

探知(サーチ)漏れは無いだろうな!?」

『無論じゃ。命令通り一切の自重抜き、全力動員で探知(サーチ)を行ったとも。救出対象は一人も余さず、敵は一匹たりとも残さず、全ての位置を完全に特定し終えておる』


 報告を聞き届けると同時、ヘリアンは黄昏竜(ノガルド)の頭部を全力で踏みつけた。

 鞭で叩かれたサラブレッドさながらの反応で、王の直命を受けた黄昏竜は直上への上昇を開始する。


 黄昏竜の首に跨ったヘリアンは竜魔術により保護され、亜音速の負荷をものともせず地上千メートルの高みに至った。激情を灯らせた瞳に眼下の首都を映し、まずは自己強化用の<秘奥>について黄昏竜に使用許可を与える。


「……ぐッ」


 同時に、ヘリアンの身体に無視し難い負荷がかかった。

 リーヴェが<秘奥>を使用した時と同じく、否、それを遥かに上回る過負荷。

 身体の中から大事なものが一方的に吸い上げられていく感覚。

 まるで魂でも喰われているのかのようだ。


 ――知ったことか。


 本当に魂が喰われていたとしてもどうでもいい。

 吸いたくば吸え。

 喰らいたければ喰らうがいい。

 それであの害獣共を駆逐できるなら、そんなもの幾らでもくれてやる。


 憎悪を宿した王の命令を、黄昏竜は忠実に実行した。

 竜の雄叫び(ロア)と共に、その身体から朱暗色の燐光が立ち昇る。

 次撃の攻撃力を倍増させる〝終焉の先触れ〟が発動した証だ。

 続けざま、王は黄昏竜に命令を下す。

 次なる<秘奥>は広域殲滅系に分類(カテゴライズ)される砲撃術式だ。


『聞こえているか、人間よ! 私はノーブルウッドの狩人長、サラウィン=ウェルト=ノーブルリーフだ! 今、心話術士を介して、上空に向けて我が声を届けている! 聞こえていたら合図を寄越せ、貴様と交渉がしたい!』


 権能行使を宣言(ファンクション・オン)

 秘奥発動対象に(アクティベーション)黄昏竜を選択(・ラグナロクドラゴン)

 使用する秘奥フォビドゥンファンタズムは〝皇竜の裁き〟・セレクト・ジャッジメント

 攻撃力は最大値に固定ブラストパワー・マキシマイズ

 使用許可最終確認手順ファイナルコンファメーション、全省略(・オールカット)


『人間よ、聞こえていないのか!? 貴様の願いはハーフエルフどもなのだろう! 残りの個体を全て引き渡す! これを取引材料として、一時停戦を申し込む!』


 攻撃対象の捕捉を開始ターゲットキャプチャー・スタート

 敵味方識別を有効化(IFFオン)

 情報共有(ダイレクト)強制接続:夢(データシェアリング)魔女帝から黄昏竜・フォースドコネクション

 範囲選択:(レンジセレクト)ラテストウッ(・ラテストウッド)ド首都圏内(メトロポリス)

 対象選択:ノーブ(ターゲットセレクト・)ルウッド兵及び関係者ノーブルウッドエネミーズ

 上記全命令を即時発信フルオーダー・イミディエイト


『条件が足りぬというのか!? ならば我らの術式を一部公開しよう! 妖精竜(フェアリードラゴン)の封印術式を解呪した方法についても、交渉の内容次第で応じようではないか! 深層領域の封印までは我らの叡智を以ってしても未だ及ばぬが、この解呪術式だけでも役には立つ筈だ!』


 秘奥が発動を開始。

 代償として猛烈な虚脱感。

 頭蓋を槍で貫かれたような頭痛。

 更には目眩と暗転する視界。

 遠のく意識は憎悪で繋ぎ止める。


『き、聞くのだ、人間よ! そもそも貴様の憤りは誤っているのだ! 我らとて人を生贄に捧げるには抵抗を覚える! だがハーフエルフどもは人に非ざる“穢れ”なのだッ! ならば貴様が憤る理由など何処にも無いであろう!?』


 黄昏竜の眼下に魔法陣が展開された。

 幾何学模様を象る巨大な魔法陣。

 その下層部分に幾千を数える中小魔法陣が刻まれていく。

 そしてその枚数は戦術仮想窓タクティクスウィンドウに表示されている敵の数と完全に一致した。

 虚空に刻まれた中小の魔法陣はその一つ一つに細微な角度調整が施され、眼下に蠢く害獣の一匹一匹に狙いを定める。


『待て! 待ってくれ! 我らはこんなところでは死ねんのだ! 頼む、待――』

「――くたばれ」


 地獄の底から響いたかのようなその声。

 囁くように下された死の宣告を合図に<秘奥>は完全発動を果たし、黄昏竜は煌々と輝く朱光を口蓋から射出した。



 敵味方識別広域殲滅秘奥――〝皇竜の裁き〟



 光は一条の柱となって眼下の巨大魔法陣へと突き刺さると同時、無数に枝分かれ中小の魔法陣へと奔った。そして朱光は中小の魔法陣に導かれるまま眼下の害獣へと疾駆し、流星群となって降り注ぐ。その朱光の流星は害獣を呑み込み、痕跡すら残さず、その全てを蒸発させた。


 ――こうして。

 国が保有する全兵力の内、精鋭中の精鋭が投入されたノーブルウッド先遣隊は。

 ただ一人の生き残りもなく、消滅(ぜんめつ)した。




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