第十五話 「これは夢じゃない」
夢を見た。
多分コレは夢なんだろうなと朧気に自覚できた。
とは言え夢と決まったわけではない。
ならば後先考えず好き勝手やって良いルールは無い。
手を抜いていい道理も無い。
だから行動を起こす。
やると決めたなら全力を尽くせ。
後悔は残すべきではないのだ。
どうやら敵が迫っているらしい。
大軍勢だ。
エルフや獣人に精霊の数々、小人に巨人に竜の群れ。果てはゴーストにアンデッド、悪魔幻獣妖精とあらゆる種族が集った――どこかで見覚えのある――多種族混成軍団だった。
対してこちらの手勢は少ない。
玉座の前には黄金造りの立派な椅子が並んでいるが、なんと八席中五席が空席という有り様。
おまけに残る三席中二席に乗っていた駒は、既に壊れて残骸になっている。
きっとあの軍勢に壊されたのだろう。
無理も無い。
戦力差がひどすぎる。
残る最後の椅子には、見るも見事なクリスタルで作られた駒が載っていた。
細部まで作り込まれた立派な駒は狼の形をしている。
どうやらそれが自分の持つ全戦力ということらしい。
……なんて酷いハンデ戦だ。
相手は多種多様な駒を千ダース以上取り揃えているのに対し、こちらの駒はたった一つ。手駒は頼りがいのあることに最強の駒だったが、数の差は歴然だ。
古今東西、如何なる英雄であろうとも、単騎で軍勢に勝てた歴史は無い。
数の暴力はかくも偉大だ。
だからこそ人は単騎無双の英雄譚に憧れ、夢物語を追い求める。
現実で実現不可能ならばせめて幻想に書き記す。
その試みは至極自然な帰結だろう。
誰しも一度は経験のあることだ。
時に紙に描き、時に空想し、時に幻想世界で疑似体験する。
だから、ヘリアンもそうした。
[タクティクス・クロニクル]という名の箱庭でロマンを追い求め、
仲間と共に助け合いながら、
そうなりたいと願う姿へ成長し、
単騎無双を実現し、
酸いも甘いも噛み分けながら、
強きを挫き弱きを助け、
世界に平和を、
親しき隣人には愛の手を、
されど道を阻みし障害は実力で以って撃滅し、
勝利の味に酔いしれた。
およそ現実には達成不可能なそれらを、ヘリアンは幾らかの幸運に恵まれながらも、不断の努力で叶え続けてきたのだ。
――だが、遂にその輝かしき日々も終わりを迎えるようだ。
狼の形をした唯一の手駒が、果敢にも軍勢の群れに飛び込んでいく。
その駒は一騎当千が如く暴れ廻った。
しかし千騎を屠った後、万の軍勢の前に砕き散らされた。
その残骸を踏み砕きながら“万魔の勢力”は進軍し、遂に王の居城へ至る。
これでヘリアンの手持ちの駒はゼロ。
詰みだ。
王駒に戦う力など無い。
兵士と異なり、成長の余地すら皆無だ。
全ての手勢を失い、そこに残されたのは最弱の駒だけという情けない有り様。
もはや盤面をひっくり返しでもしない限りはどうにもならない状況。
けれど勝負は投げない。投了だけはしない。
無駄な足掻きでしかないが、ここで投了をしてしまうのは最期まで付き従ってくれた駒と、これまでヘリアンが刻んできた歴史に対し唾を吐き泥を塗りたくる行為だと感じられたのだ。
とうに覚悟はしていた。
いつかこうなるかもしれないと思いながら百五十年の歴史を紡いできた。
結末を迎え入れる心の準備はとうに済ませた筈だった。
だけど怖い。
実際に結末を前にした感情が叫ぶ。
こんなのは約束が違う。
自分の愛した箱庭にこんな酷い現実感は無かった。
嫌だ。
死にたくない。
どうしてこうなった。
自分が何をしたというんだ。
こんな終わりなんてあんまりだ。
しかし、そんなヘリアンの懇願を嘲笑うかのように事態は推移する。
万魔の軍勢が玉座を取り囲んだ。
人間では勝てる筈もない恐ろしい魔物達が王駒を睨む。
重そうな足音とともに、万魔の軍勢から一つの駒が一歩前に出た。
駒は角を生やしていた。
駒は鬼のような顔をしていた。
駒は赤い肌を持っていた。
駒は血に濡れたメイスを握りしめていた。
駒が得物を振り被る。
無骨なメイスが致死の速度で迫ってくる。
回避する手段などは無く、その攻撃に最弱の駒が耐えられる筈もない。
かくして王駒は血塗られたメイスにより粉砕され、その臓物をぶち撒けて――
「――――ああああああぁぁぁあぁあぁあぁぁぁあぁッ!?」
跳ね起きた。
荒い呼吸。
心臓が悲鳴をあげ、激しく脈動する。
「ぐ、う……ッ」
不整脈でも起こしたかのように胸が痛む。
右手で胸を押さえて身体をくの字に折り曲げると、清潔そうな純白のシーツが視界に入ってきた。
何処だ。
胸の痛みに耐えながらどうにか顔を上げる。
視界に映ったのは知らない天井ではなく、見知った壁だった。
「……ここ、は」
人一人が寝るには大きすぎるキングサイズのベッド。
豪華絢爛に飾り立てられたシャンデリア。
品の良い天蓋。
壁に飾っているのは黎明期の頃の写真を流用した巨大な絵画。
此処は居城の一室、王専用の寝室だった。
「……ヘリアン、様?」
呆然としたような声を耳にして左を向く。
そこには、今にも泣き出しそうな顔をしたリーヴェが居た。
これも初めて見る感情表現パターンだ、と場違いな思考が頭の片隅を過ぎる。
「ああ、良かった……ようやくお目覚めになった……!」
リーヴェの琥珀色の瞳が潤んでいる。
目の端に浮かんだ透明な雫はやがて涙となり、白い頬を伝った。
そしてようやく、ヘリアンは自分が寝室のベッドで寝かされているのだという事実を認識した。
「――――ゆ、め?」
迫りくる軍勢の姿は無い。
取り囲む魔物の群れもいない。
部屋の中にいるのは、王の身を案じ涙を流す第一の配下だけだ。
「なんだ? 何がどうなって……」
胸に当てていた右手を額に当てる。
掌にはじっとりとした嫌な汗の感覚。
そうして思い返すのはここに至るまでの過程だ。
幾つかの記憶の断片が羅列で走る。
建国祝賀祭、
転移、
謁見、
探索、
エルフ、
種族間戦争、
集落、
反乱、そして――
「――ッ!」
思い出した。
急激に覚醒する意識。
咄嗟に頭に手をやる。
幸いなことに頭蓋は原型を留めてそこにあった。
だがその事実は記憶と一致しない。
自分は頭を潰されて死んだのではなかったのか。
「――オーガは! 反逆者達はどうなった!? 一体なにが起きた!?」
最後の記憶は眼前に迫りくる血錆びたメイスだ。
もしや、アレも夢だったのか。
「落ち着いてください、ヘリアン様。まだ身を起こされてはなりません。半日以上もお眠りだったのですから」
「……なに?」
馬鹿な。
眠った記憶は無い。
自力で床に着いた覚えなど無い。
いや、ということは……自分の記憶が確かなら。
「俺は……あの赤いオーガに殺されたのか?」
恐る恐る口にした独り言のようなその言葉に、リーヴェは視線を下げて言い難そうにしながらも「はい」と答えた。
その返答を受けて、ヘリアンは起こしていた上半身をベッドにドサリと倒した。
高級品が惜しげもなく使われたベッドは音も立てずに沈み込み、勢い良く倒された身体を柔らかく受け止める。
――理解した。
オーガに殺された記憶は現実のものだ。
王は反逆者に殺された。
だが、
「――自動蘇生が、働いたのか」
ゲーム[タクティクス・クロニクル]において、王の死=即ゲームオーバーの図式は成立しない。
デスペナルティや回数制限があるものの、王は復活することが出来る。
だからヘリアンは復活した。
反逆者のオーガに殺されて、そして、復活したのだ。
「…………リーヴェ」
傍らの配下の名を呼ぶ。
リーヴェはしなやかな指先で頬の涙を払い、短く「はい」と応えた。
「玉座は無事か? 反逆者達は、あの赤いオーガはどうなった? あの後何が起きたんだ?」
「玉座は問題ありません。今もバラン率いる第二軍団の精鋭が守りを固めております。また反逆者どもは今度こそ確実に殲滅しました。頭蓋を砕いた後に肉片一つ残さず消し飛ばしたので間違いありません。そして、あの赤いオーガですが……固有能力持ちだったようです」
固有能力。
種族や職業に依存せず、キャラクターが独自に持つ能力。
癖が強い上に滅多に発現しない希少な力だが、その分替えの利かない優れた能力であることが多い。
時には固有能力一つで実力差をひっくり返すことすらある。
それをあの赤いオーガが持っていたというのか。
僅かに震えが残る手で<戦術仮想窓>を開き、<人物情報>を呼び出す。
眼前に浮かんだ半透明の仮想窓。左側の小さな表示枠の中に赤いオーガの姿が表示される。そして画面右側には、戦闘や調査、撃破により明らかになった各種ステータスや所持能力などが記載されていた。
ヘリアンは所持能力欄に記載されている文字を読み上げる。
「〝黄泉からの一撃〟……死亡後に一度だけ反撃を行う能力、か」
その効果は“最接近敵に対し必中攻撃を行う”という単純なものだった。
必中攻撃である以上、固有能力が発動した時点で『最も近くに居る敵に対して攻撃が命中する』ことが既に決定されている。
そしてそのオーガの目の前には、不用意に近付いたヘリアンが居た。
倒してはいた。
討伐自体には成功していた。
第五軍団長ガルディは確実に反逆者を殺害していたのだ。
だからこそ、リーヴェやエルティナも警戒を解いた。
そして、あのような結末に至った。
「申し訳ございませんッ!!」
リーヴェは不意に膝をつき頭を下げた。
隠しきれない悔恨の感情が、謝罪の言葉に籠められている。
「護衛を任じられたにも拘らず、この不始末……言い訳の余地もありません。いかなる厳罰も覚悟しております。どうか、罰を」
頭を垂れたリーヴェは、どのような罰であれ甘んじで受け入れるつもりだった。
復活したとはいえ他ならぬ王を死なせたのだ。
護衛を任せられた王の信頼を裏切った。
とんでもない大罪だ。
彼女の価値観からすれば死罪が当然だった。
故に、彼女は『死ね』と言われれば即座に首を落とす覚悟で王の言葉を待った。
「……リーヴェ、傍に寄れ」
彼女は即応した。
失礼します、と告げて立ち上がり、ベッドの傍に歩み寄る。
「ベッドに乗っていい。もっと傍に来い」
彼女は主の言葉のままに動いた。
王の寝台に上がるなど無礼だ、との感情が頭に過ぎったが王の言葉が最優先だ。
ベッドに乗り上げて王の傍に身を寄せた。
王の手が伸びる。
意図は分からなかったが、どのような罰であれ構わない。
リーヴェは黙したまま微動だにせず自らに迫る手を見つめ――それが視界の上に消えると、予想だにしなかった王の行動に彼女の思考は停止した。
「――――えっ……ぇ、あ、うぁ、え?」
思考は停止している。
なのに口から声が漏れ出る。
つまりは素の反応であり『何が起きているのか分かりません』と言いたげな困惑の声の原因は、頭頂部の犬耳に触れる感触だ。
ヘリアンのしたことと言えばなんてことはない。
ただリーヴェの頭に手を乗せただけだ。
そして感触を確かめるように掌を滑らせ、頬へと右手を持っていく。
その過程で犬耳の上に乗った指がずれ落ち、指に圧されて形を変えていた犬耳がピンと跳ね立った。困惑し完全に硬直したリーヴェに構わず、ヘリアンはその白い頬を撫でる。
掌に伝わる体温。やや熱い。僅かに指先に力を入れれば、しっとりとした柔らかい肌は指の形に沈んだ。ほど良い反発感。そのまま掌を更に下へと滑らせて首へと到達。銀のチョーカーを避けてその首元に指を当てる。指先が感じ取るのは、バクバクと早鐘を打つ心臓の鼓動。
次いで細い首に腕を回し、もたれかかるようにしてリーヴェのうなじに顔を寄せる。触れるような距離で息を吸い込めば、仄かな香りが鼻腔をくすぐった。しばしそのままの体勢でいると、腕に伝わる彼女の脈動が尋常ではない速度にまで加速する。
うなじからゆっくりと顔を離す。そして視線を上げれば大きな瞳を瞬かせたリーヴェの顔がある。至近距離にある琥珀色の瞳の中に、自分の顔が映っているのが見て取れた。リーヴェの頬はほんのりと朱に染まり、吐く息は荒くなりつつある。
「――――」
そんな彼女の様子には一切構わず、最後の確認としてヘリアンはリーヴェの右目の端に浮かぶ涙を人差し指で拭った。
指先に僅かに濡れた感触。その指を舐める。
――微かに、しょっぱい味がした。
「…………!? ……ッ! ……ッ!?」
リーヴェはもう言葉も出ないようだ。
突然このような奇行に及べば無理もないだろうとは思う。
当然の反応だと思う。
リーヴェという女性が現実に存在するならば、そのように困惑するのは当たり前で――極々自然な反応なのだろう。
ヘリアンは一度眼を閉じる。
そのまま一つ息を吐いてから目蓋を静かに開き。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして――まだ未確認だった味覚に至るまで。
どう考えても本物でしかない感触を思い返しながら。
未だパクパクと口を開くリーヴェを見て。
その初見となる感情表現を見て。
零と一の組み合わせでは絶対に表現出来ない現実的過ぎるその様子を見て。
そして、だから。
堪え難いものが目尻から零れ落ちないよう、ヘリアンは天井を見上げた。
「……ああ」
確かに迫りくる軍勢の姿は無い。
王を取り囲む魔物の群れもいない。
軍団長も健在であり国も無事だ。
先程視たものはやはりただの夢だった。
だけど――
「こっちは……夢じゃないんだな」
起きても現実に還れていない。
故にその事実を口にしてしまった。
遂に言葉に出してしまった。
そうして思い返すのは濃厚過ぎる今日一日の出来事。
そこで思い知った[タクティクス・クロニクル]と乖離する数々の事実や事象。
――ゲームでは味気なかった筈の五感が本物になった。
掌を切れば血が溢れ、痛みもまた本物となって襲いかかってきた。
――鍵言語が意味を為さなくなった。
キャラクターは独自の判断で行動するようになり、紛れも無い自我を宿した。
――視たこともない森で有り得ない情報を得た。
ゲームには無い歴史を聞かされ、王専用種族の筈の人間が大勢居ると知った。
――目を覚ましても現実世界に還れていない。
今日一日で体験した出来事の数々には、夢幻ではない現実感に溢れていた。
――そして何より、今、目の前に居る人は。
今日一日、ずっと傍に居てくれた彼女は、どう考えても本物の存在だった。
味覚を含めた五感全てで、その事実を再観測してしまった。
故に、ここに至ってヘリアンは認めるしか無かった。
この残酷な事実を受け入れるしか無かった。
――これは夢ではない。
居城ごと見知らぬ土地に転移したのも。
現実世界に戻れなくなっていることも。
出来の悪い三文芝居のような悲劇に直面しているハーフエルフ達も。
反乱を起こして無残な死体となったオーガ達も。
こうして目の前にいて、固有の人格を宿したNPC達の存在も。
その全てが本物だ。
もはやゲームなどではない。
夢でもない。
これは紛れもない現実である。
だが現実世界ではない。
[タクティクス・クロニクル]の中でもない。
よく似ているだけの異なる世界だ。
自分は今、見知らぬ場所で、漫画や小説でしか有り得ない出来事の只中にある。
――異世界に、来てしまったのだ。
「――――――――――――――――、」
……不思議と。
自分でも意外だったが、不思議と取り乱しはしなかった。
事実を受け止めきれず、半狂乱になって喚き立てるかと思いきや、そうはならなかった。
案外、もっと前から受け入れていたのかもしれない。
そもそもこれは夢だと思い込もうとしていたという事実こそが、他ならぬ自分がこれを現実だと理解していた証左に他ならないのだろう。
だから涙は出なかった。
だから怒声も出なかった。
けれど、ちょっと、そろそろ、限界に近かった。
「……リーヴェ」
呼び掛けた。
が、反応は無かった。
横を見れば、完全にパニックになっているのか、口をパクパクと動かしながら固まっているリーヴェの姿がそこにあった。
ほんの僅かに苦笑して、再度呼びかける。
「リーヴェ」
「あ…………は、はい!」
今度は返事があった。
気の毒に、顔が真っ赤だ。
頭の上の三角耳は慌ただしげに動き、フサフサの尻尾がなんとも表現し難い振る舞いを見せていた。
思えばとんでもないセクハラをした気もするが、その問題は後回しにする。
「オーガの反乱以外に、重大な問題はあったか?」
「は、はい! あ、いえ! え、えっと、あの……!」
「慌てて喋らなくていい。落ち着いて答えてくれ」
「だ、大丈夫です! 落ち着いてます! ええ、私は冷静です!」
再び苦笑する。
本当に落ち着いていたら『えっと』は無いだろう。
リーヴェは冷静沈着な、いわばデキるお姉さんキャラだった筈だ。『えっと』はギャップが凄すぎる。
「も、申し上げます。細かな問題は少なからず起きていますが、即座に国を揺るがすような重大な問題は起きておりません」
「そうか……他の軍団長は?」
「引き続き王命を実行中です。第三軍団長と第五軍団長は自軍団に指示を出しながら、ヘリアン様の沙汰を待っている状態です」
「では、第五軍団長は引き続き治安維持に当たらせる。万が一再び反乱が起きた場合、別途私から指示が出ない限りは独自の判断で対処するよう伝えろ」
「……よ、よろしいのですか?」
反乱に対処しきれなかった第五軍団長に引き続きその任を与えて良いのか、という問いだ。
だが先程の一件……レッドオーガの反撃を、誰か他の者ならば予測できたかと言えば否だ。
現にリーヴェとエルティナも察知出来なかった。
他の軍団長でもそれは同じことだろう。
固有能力はかなり貴重な能力だ。ましてや、アンデッド系のモンスターも死霊術師もいないにも拘らず、死体に襲われるなど思いもしない。そのような例外中の例外など、誰が予測できるものか。
〝黄泉からの一撃〟さえ無ければガルディはしっかりと役目を果たせていたのだから、引き続き任に当たらせても問題は無い筈だ。
そもそも、他に回せる余剰戦力も無い。
人材を余らせておく余裕など何処にも無いのだ。
「構わない。第三軍団長は……反乱による建物損壊や怪我人に関するフォローと、各軍団間連携の微調整を行わせる。私の指示に反しない範囲内で、臨機応変に対処するよう伝達しろ」
エルティナは、平時では内政担当の役割を帯びている。
また【調和】持ちでもある為、調整役を任せても問題ない筈だ。
本来ならば総括軍団長でもあるリーヴェの仕事だが、彼女は自分の手元に置いておきたい気持ちがあった。
「第二軍団長には反乱が終息した事を伝えておけ。玉座の守護については、もう通常の体制に戻して良い。それと……私は少し休む。リーヴェは私の警護を頼む」
「承知致しました。各軍団長に伝言を飛ばしました後、室内にて待機を――」
「いや、室外の扉前で頼む。少し一人になりたいのだ。用があればお前を呼ぶ」
「……承知致しました」
少し間を置いて、リーヴェは頭を垂れながら拝命の言葉を口にした。
そして彼女が扉を出る直前、心配げに揺れる瞳と目が合った。
どことなく悔しそうにも見える瞳を閉じ、リーヴェは音も無く扉を閉じる。
王の寝室は一種の聖域だ。
扉を閉めてさえいれば完全防音で、正式な方法で扉を開けられる者はヘリアンを除けば国王側近であるリーヴェしかいない。
だからヘリアンは、だらし無く寝返りを打って枕に顔を埋めた。
眠ったりはしない。
落ち込んでいる暇も無い。
だけど、ほんの少しだけ休みたかった。
何も考えずに休みたかった。
ただそれだけが、ヘリアンのささやかな……そして真摯な望みだった。




