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夢にうつつに

バメウ

作者: 朝森雉乃

 宇宙人に出会った。

「ええ、たしかに、異元人、あるいはバメウと呼んでいただいても構わないのですが」

 流暢な日本語をしゃべった。

「ええ、しゃべった、というのはいささか違いましょう。意味内容と表現の差を埋める機械。ええと、翻訳機、とたとえると分かりやすいでしょうか」

 宙に浮かんだキラキラとした物体。緑色の金属が黄色い光を反射しているような、不思議な光沢。

「ええ、この鉱石はこの星には無いですよ。因果? 物理? えーと、次元。世界の仕組みが違うようなので」

 仕組みが違うという意味をぼんやりと考える。

「ええ、たとえば、陽子、中性子、電子数やその組み合わせによって物体の性質が決まる仕組みですよ。バメウは、意味内容を工芸に織りこみます。すると、表現が変質する」

 つまり、翻訳機を作りたいと思いながら作ると、この色と形の機械として出来上がる、という理解をした。

「工芸は大変難しい仕事なのです。翻訳機を作る間、一切ほかのことを考えてはいけませんから」

 考えたらどうなってしまうのだろう。

「食事のことが一瞬頭をよぎったとすると、翻訳機能付きの刺身が出来上がると思ってください。雑音が多ければ多いほど、仕上がるものにどんな意味が含まれているかが曖昧になる。たいていすぐ腐ります」

 得意げな調子まで翻訳している。この機械は大したもののように思えた。

「バメウはこれを作れません。ミシュィシュに美味しいお菓子を作ってあげて、代わりにもらいました。ええ、ミシュィシュは機械のことが好き過ぎて、食事を作ろうとしてもジェェくずの味がするものにしか出来ませんから」

 それでは、バメウはよほどの食いしん坊ということになる。くすくす、と翻訳機から笑いがもれる。

「バメウにとって、食べることは、生きることと同義ですから。くすくす、その仕組みは、この星も変わらないようですね。ちょうどいい。美味しいものを食べさせてください。異星の美食はどんな味かな」

 ポケットにあったチューインガムは気に入らなかったようだ。

「やはり、短時間で用意出来るものはそれなりの味ですね、異星でも」

 代わりにもらった、一口サイズのプリンのような透明の物体は、油の切れていないポテトチップスみたいな味がした。材料はここの空気らしい。

「ええ、あなたを殺すことは考えていませんから、毒にだけはなっていないはずです」

 バメウはまたくすくすと笑う。

「冗談ですよ」

 毒といえば、用意した食べ物が、バメウにとって毒になってしまう成分を含んでいてはまずいことに気がついた。

「なんでも食べますよ。生きるとはそういうことです。毒が回って死ぬまで食べるのが、バメウにとっての寿命です」

 つまり、バメウは食べるという意味から個体として生まれたせいで、老化の概念がないらしい。

「純粋な意味から食事を作れる間は、バメウは子どもを生めない、と説明すれば分かりやすいでしょうか。バメウは食事の意味と、生きるという意味、それから他者と交流するという意味が絶妙に混合して生まれ得ました。だから、自身のために食べて、他者のために食事を作るという生き方が出来ます。また、その生き方しか出来ないともとれます。いつか毒を食べて、意識が混濁すれば、子を生めるようになって、そして死ぬのです」

 子にはどんな意味を持たせたいのか聞いた。

「バメウが決めることではないでしょう、そもそも、毒に侵された思考がまともに働くとは思いませんが。それでもあえて夢想するなら、意味を持たない子がもっとも素晴らしい」

 無意味な子のどこがいいのだろう。

「ええ、もちろん生きるという意味を持たないと、子として生まれ得ませんから、その意味はあるのですけれど」

 なんのために生きればいいのか。

「なにが生きがいなのか」

 なすべきことはなにか。

「どうやって生きていると知るのか。ええ、生きていると知るのに、なにかをする必要があるのは、その意味内容に縛られて生きているからに他なりません。その点で、バメウはこの星が、あなた方がうらやましい」

 意味を持たずに生まれくる者は。

「それゆえに、意志の力で生きられる」

 ならば命の終焉は。

「死にたいと思えば死に得るのです、可能性のひとつとして。ちょうど、今のあなたのように」

 六階建てのマンションの屋上で靴を脱ぎ揃えた時に、目の前に突如現れた、ほんのりとした空間の歪みは、そのすぐそばに浮かんでいる不思議な光沢の物体を介して、くすくすと笑いをもらす。

「自身の意味を自身で決められるということは、バメウにとって、常に自身を最高傑作へと作り直し続けることと同義です。ええ、それはとても美しいこと」

 それが、破滅を求める意志だとしても。

「死にたいと思えた時、その前のあなたとはまるで違う存在へと変わって、なおかつあなたなのです」

 私は死にたいと思っていたのか。

「意志を忘れることがあるのですか?」

 死にたいと思っていたらしい。よく考えれば、たしかに死にたいと思っていたかもしれない。すべてが砂のような味の生活に飽きて。曇り空に疲れ果てて。歯車の隙間で押しつぶされて。もしかすると、死ねば何かが変わると信じて。

「飽きること。疲れること。耐えられなくなるまで我慢すること。変わりたいと願うこと。バメウはすべてうらやましい」

 それが、私を、機械ではないと示す証拠のような気がした。

「くすくす、『命である』ではなく、わざわざ『機械ではない』とは。バメウも命であると、認めてくれているようで嬉しい限りです」

 バメウは意志を持ちたいのだろうか。

「さあ、どうでしょう。あなたはどうですか? 生きることに意味を持ちたいですか?」

 さあ、どうだろう。

「くすくす。あなたもバメウも、最後まで臆病だ」

 私はそっと右手を伸ばす。空中にある歪みに指先が触れる。ほんの少しぬくい。爪の先があらぬ方向に捻じ曲げられて見える。翻訳機がギシッと軋む。左手も伸ばす。歪みを両手で受け取るように。両手に挟んだ空間が、ドクン、と鼓動する。翻訳機に入ったひびが大きくなって、ついに砕けた。音もなく。

 ああ、バメウ。本当に臆病ならば、今ここでやめることが出来るよ。

 やめますか。

 やめようか。

 まだバメウはこの星の美食を食べていないのに。

 そうだね。まだあなたは死を求めているのに。

 両腕を引き寄せる。空間の歪みを抱きしめる。足が屋上のコンクリートから浮く。落ちる。落ちていく。バメウと出会うまで望んでいた痛みが、すぐそこまで来ている――

 まるでチープな香港映画のワイヤーアクションのように、落下の勢いは殺された。両足はちゃんと地面について、痛むところはどこにもなかった。

「つまりこれが、生きるという意味に従って生きるということなんだね」

 私はひとりごちた。そして、ひとりでくすくすと笑った。なにが可笑しいのか、くすくす笑いは止まらなかった。笑っているうちに、少しずつ周囲の色が見えはじめた。曇り空だと思っていたのは、都会の外れの茫とした星空。ぽつぽつとまばらに立つ街灯は、ほんの少し青っぽく輝いて、その真下のアスファルトに生えるメヒシバやカタバミは、けなげに葉の緑を濃くしている。

「そもそも、料理は得意じゃないんだけれど。うん。それでもいいか。くすくす、頼りにしているよ、私」

 とりあえず家に帰ろう。レストラン・バメウの開店に向けて、考えることは星の数ほどある。

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