異執
金属が地面を突き刺し、鐘のように高い音が響いた。
牙を埋めた歯茎に引っ掛かり、あの革製の鞘から曝け出された大剣が、目と鼻の先にある。日光に照らされ、反射して光って見える銀細工が、綺麗だ。
フェリオナが柄を両手で握りしめ、野球の様に大剣を振りきる。口元から喉へと斬られることはなく、剣の樋を歯で噛み締めて、攻撃を凌いだ魔物は、オレ達から距離をとった。
「前に会った犬よりも凶暴だな」
そう吐き捨て、フェリオナは前方を見据えて警戒を保ち、剣を構えた。
いや、あの子と比べちゃアカンて。
「………アイツさっきまでは大人しかったんだ、急に様子がおかしくなって………___フェリオナ、まだここには人が居る。川まで誘導してくれない?」
「分かった」と同時に、横にあったフェリオナの姿が消えた。
前を見ると、距離を保ちながら、魔物と剣を交えている。
「…………」
ぶっちゃけ逃げたい。
だが、あの魔物が気掛かりだ。オレの臭いも姿も覚えられてしまっている。……そのはずだ。………家の方へ逃げるのは愚策。ロリが危険な目に合う可能性が上がるのは目に見えている。フェリオナの力量が高い事を、信じるしかないか……。
オレは、川のある方向へと走りはじめた。1人と1匹も、ちゃんとこちらに向かっている。
決定打である最強の武器なんてない。……犬の餌でも罠にしたら引っ掛からないかなぁ?
「ヘィ、ワンちゃん!遊ぼうぜ!」
オレはそう呼び掛けて、手を大きく振る。こっちを見た。フェリオナはオレの意図を理解してくれたようで、一旦魔物と離れる。
…………ん? 違う? 何してんだと戸惑ったから取り逃しちゃった? だからそんなに叫んで何か言ってんの?
うわぁあ!来た!!
オレは全力逃走。階段を上るのはマジでキツかった。
吠えながら追い掛けて来る魔物は、時々頭を振りながら走っている。その脚も、何故だかぎこちない。興奮状態が抑えられないようだ。畑の網に引っ掛ったり、交通看板の支柱にぶつかったりしている。
…………もしかして焦点が合ってないのか ? だから臭いでオレの方に辿ってる?それなら、説明つくけど………。
予定通り、川沿いの草原まで辿り着く。オレは疲れ果てて倒れた。
___…………後は、頼む。
魔物の背中に刃先が食い込んだ。
慌てて追い掛けてきたフェリオナが、背後から刺しての登場だ。
「はあァァアア……ッ!!!」
気合いの篭った声を上げ、そのまま刃を滑らせて斬り込み口を広げる。
魔物が、呻きながら腕を振った。危うく爪に殺られそうになったフェリオナは、オレの目前まで下がって立ち止まる。
囮作戦成功!敵倒してないけど!!致命傷になったよね!
そう叫んでやりたかったが、そんな気力も無い。
フェリオナは鎧を着ているのだが、胴の部分だけだ。流石に腕当と脛当は着ける暇がなかったらしい。中には、オッチャンから貰ったジャージを上下に着用しており、物凄い違和感あるなぁと、背中を見詰めてオレは思った。
魔物が吠えた。随分お怒りの御様子。距離をとって、地面を蹴りながらこちらを警戒している。
突進する準備をしている様に伺えた。
フェリオナは、態勢を直して息を整える。それから再度、柄を握り直した。紫色の靄が、刃を被っている。これが、フェリオナが言っていた効果を与える魔法。………毒だと助かるが。
オレはいつでも隠れるように、起き上がった。足がフラフラなのは、勘弁してほしい。
___これから、一本勝負。
合図なんてなく、相手の隙を伺う集中力との闘い。息が乱れれば、それが合図の代わりになる。恐らくこれが決め手になってくるだろう。
暫く睨み合った末、先に動いたのは魔物の方だった。
フッと息を吐き、真っ直ぐこちらに向かって来る。速度が速いのはフェリオナも同じ。ほぼ同時に正面へと向かい合った。
100メートル走とほぼ同じ距離。その間3秒で、2つの影が交わる。
「……は?」
この間抜けた声は、オレか。フェリオナか。
魔物は、腹を剣で抉られながらも、フェリオナを跳び越えてオレの所まで駆け寄って来たのだ。
敵に、なりふり構わず。スルーしやがった。
なんだそりゃ。
胴を、咥えられた。オレの、体が。
衝撃で、牙が食い込んでいる。
痛い。
肩が、痛くて、むずがゆい。
フェリオナから逃げているからだ。動く度に地面からの振動が、ネチネチと傷口から伝わってくる。
オレの服から濡れている感触がするのは、汗なのか奴の唾液なのか、それとも血なのか、分からなくなってきた。
「…………う…ぐ……」
悲鳴を上げたいが、逆に傷口に響くので呻くことしか出来ない。
抵抗すれば噛み付く力が強まるだけ。1番傷が深いと思われる右肩に、埋められた牙を片手で掴み、振動を少しでも和らげるように支える。
魔物が、腕を振った。
途端、フェリオナが必死の形相で剣を振るいはじめる。オレは今、視界が横になって、魔物の後ろしか見えていない。
どうして、そんな焦り始めたのか…………あぁ、何となく分かった。
フェリオナが、まるで泣きじゃくる赤子のように表情が崩れている。昔 ロリもそんな顔を____…………。
「必ず!助けに___どうか、それまで耐えて__!!!」
「 フェリ……ッ!!絶対にロリ連れてくんなよ!!?」
言ったと同時に、視界が眩しくなった。目が慣れてくると、既に通路口が小さくなり、消えていく様を眺める。フェリオナの声も、聞こえなくなった。背景は、ここの空間は…………何度見ても気持ち悪い。
あの穴に、あの傷の様な通路に入ったのだ。連れ去られて、しまった。
魔物が声を上げて呼吸している。泣いているようにも見えた。
…………何で、オレを食わないのだろう。死んでると思っているのか?
あ。
…………ロリに、ご飯作ってやっていない。
検定の、結果報告も受けてない。
明日は早朝のアルバイトが、あるのに。………澄川達と一緒に昼食とるって。……了承、しちゃったのに。
____あぁ、クソ。
……… オレはこれから、あの日本じゃない、地球でもない、何処か遠くの世界に行くんだろうなぁ。
いや、それ以前に。
天国か地獄か。…………生きてるかなぁ?
そんな事を考えて、オレの意識は途切れた。