表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

祖父とデューク

 穏やかな朝の日差しに包まれて、デュークはまどろみから這い出した。


 外観は無骨なログハウスの一軒家だが、内側は平板でしっかりと内装が施されている。これら全てが祖父――バルクロウ・ディエゴ・アウグストの手作りだ。

 デュークの部屋にはあまり物がない。良く言えば落ち着いた、悪く言えば殺風景な自室で、少年は全身に襲い来る筋肉痛と倦怠感に顔をしかめる。


 昨日あれから帰って、何故か嬉しそうな顔をしたバルクロウにボロクソに折檻された。腕立て伏せも気が遠くなる程させられ、腹筋背筋も涙が出そうになるまでやらされた。少し休むと決まって、「ほらほら、休んでると回数増えるぞー、終わらねえぞー」なんて煽るのがいつものパターン。今朝も今朝で朝練があり、デュークは重い身体を引き摺って今日一日を過ごさないとならない。その事が朝から非常に憂鬱だった。


 簡素な作りの螺旋階段を下りると、バルクロウは元気に体操をしていた。降りて直ぐが台所で、南に玄関、東と西にそれぞれ祖父の部屋があり、特に西の部屋には入れてもらえない。春画でも置いてあるんじゃないかと思って覗いたが、バルクロウが傭兵時代の品々が並べてあるだけだった。


 バルクロウは現在、村の自警団――有事の際の領主の私兵部隊――の長をしている。昔はかなり名の知れた傭兵だったらしく、前領主アマリアにその腕を見込まれて、この村に隠居したらしい。決まったメニューのトレーニングを毎日繰り返し、デュークもそれを一緒にこなす。そこに加減は一切なく、脳みそまで筋肉で出来たバルクロウは、毎日嬉々としてデュークを苛め抜いていた。


 だが、デュークはバルクロウに言葉では言い表せないほど感謝している。彼がここまで更正できたのも、生きる目的を見つけられたのも、全てバルクロウのおかげだったからだ。

 そんな祖父はデュークを見留めるや否や大声で笑いかけてきた。


「おいデューク!全身がバッキバキになってるか?今日も俺様がみっちり扱いてやるから覚悟しとけよ!!」


「あー、はは……。お手柔らかに……」


 バルクロウは巌の様な巨漢だった。身長は二mを超え、デュークの頭が腹の辺りまでしか届かない。チュニック越しにも分かるほど全身節くれだっており、齢六十を超えたとは思えないほどに筋骨隆々としている。顔もいかめしく、四角い骨ばった面持ちに、短く刈りそろえられた黒髪。

 猛禽を思わせる鋭い双眸にねずみ色の瞳がギラギラ輝き、頬を縦に走る刀傷が歴戦の猛者であることを雄弁に物語っている。

 特に目に付くのが左手の義手で、これが彼を傭兵業から引退させた一つの原因だった。これは肘から先をすっぽり覆う鋼鉄性の義手で、かなり精巧な作りになっている。内部に蒸気機関が組み込まれており、バルクロウの魔力で本当の手の様に精密な動作が可能だ。

 デュークがいそいそと準備を進める間、玄関口に詰まれた薪をいじっていたバルクロウが語りかけてくる。


「ま、メニューはいつも通りって所だな。そんな事よりお前、昨日あった事根掘り葉掘りちゃんと聞かせろよ?」


 昨日、バルクロウも自宅の前で起こった騒動を途中から眺めていた。その後、折檻が終わって事の顛末を聞きだそうとしたが、ハーモニカが壊れてカトレアが弁償してくれる事になったとだけ言って、デュークは死んだように眠ってしまった。そのために、現在バルクロウはお預けを食らった状態なのだ。


「別に大した事じゃないよ。いや、大した事ではあるけど、爺ちゃんが思ってる様な展開とは程遠いって……」


 バルクロウはこのナリで、恋愛小説が大好物だった。自身があまり経験し得なかった甘酸っぱい青春とやらに滅法弱い。当初その事を知ったデュークが盛大に吹き出すと、激昂したバルクロウに泣くまで腕立て伏せをさせられるという苦い思い出があった。

 バルクロウの趣味趣向に辟易しながらも、身支度を終えたデュークは玄関口の祖父と並んで歩き出す。


「お前な、相手は貴族のお嬢様だぞ?まさかそのまま終わらせるつもりじゃねえだろうな?あ?男ならビシッと最後までやる事やって来いや!!」


「やる事って、俺まだ十歳なんだけど……。確かに綺麗な子だったけど、俺とは身分が違いすぎるんじゃない?」


 バルクロウの無神経な物言いも慣れた物で、右へ左へ交わしていく。裏のマーリャと少し喋っただけでやれ婚約しただの、買出しに行って商店の未亡人と事務的な会話しただけでやれ年の差婚はどうだのと、祖父はとにかく滅茶苦茶だった。そんなのに一々付き合っていては身が持たないと悟ったデュークは、もはや否定もせず適当にあしらう事に決めている。


 やがてどちらともなく駆け出した二人は、メルクニル村の外周を一周しに向かった。直線距離にしておよそ二十キロ、時間にして二時間程の道程を、慣れた足取りで迷うことなくひた走る。


 身分の差。それはデュークの童心にもはっきりと分かる程に、明確にそこに存在していた。デュークはいわゆる下流階級。労働者階級であり、成人したら労働の義務がある。いつまでも祖父の脛を齧っている訳にもいかないし、成人の十五歳までにはなんとなく進路を決めておかないといけない。


 対するカトレアはこの村の領主の娘だ。社会的にどの位の身分なのかは分からないが、貴族であり領主の家の子である事から、中流、上流階級なのは間違いない。

 そういえば、アマリアが没してからこの村には領主が居なかった。しかし、新しい領主が赴任したという話しも一切聞いたことがない。実際デュークがこの村に来たのはアマリアが亡くなってからで、余計にその辺りの事情には疎かった。


 現領主について今晩風呂に入った時にでもゆっくり祖父に聞いてみよう。そう思ってまとまらない思考を整理すると、デュークは意識を周囲に向けた。

 家を出たのが恐らく午前七時位。まだそれほど時間が経過していないだろう事は、見慣れた風景から察する事ができる。

 左手に見える電報を扱う郵便局は、朝から忙しなく営業している。近年急速に発達した蒸気機関の力で、人は魔力に指向性を持たせる事に成功した。体内を順繰り巡っているだけの力を、狙った場所や物へと伝える事が出来るようになったのだ。

 デュークの左腕にはめられた蒸気時計もその一つで、無意識の内に発せられる体内の魔力を原動力に、帝都にある時計塔と魔力でリンクして常に正確な時間を刻んでくれる。それまで微妙にばらばらだった時間と言う概念を統一した革新的な技術だ。


 それからしばらくの間、村の外周の、舗装された石畳の上をバルクロウとデュークは黙々と走り続けた。道の両端を流れる小川には透き通った清流が流れ、名も知らぬ小鳥が枯れかかった樹木の上で囀っている。文明開化のこの時代だが、メルクニル村はのどかな物だ。裏を返せば帝都ばかりが栄えているのだろうが、特に不満もなく生活している村民からすれば、時代の波など取るに足らない物だった。


「――あれだな、見えるか?」


 唐突にバルクロウが口を開き、デュークは視線の先を伺った。なんとなく気付いてはいたが、少しコースを変更して村の真ん中の大通りを北上しだしたのだ。大通りに入ってすぐ。バルクロウの見つめる先には、ラインハルト邸が聳え立っている。

 周囲の家々が物置小屋に見える程、豪奢で立派な邸宅が二棟あった。その周囲を石垣がぐるっと一周囲っており、馬車が同時に三台は通れそうな巨大な門構えが鎮座している。デュークの位置からは全貌の半分程しか窺えないが、暗い紺色の建物はどれも豪奢な装飾が施されており、それが下品に見えない絶妙な塩梅であった。


 一つは村役場として使われている館で、三館の中では一番質素な作りだ。その奥がラインハルト家が住む館で、金銀細工がさりげなくあしらわれた大きな門の奥に建っている。その古風ながらも時代を感じさせない造形美は、邸宅を作った職人の腕による物だろう。

 前々から大きいとデュークは思っていたが、改めて見ると壮観だった。バルクロウは額の汗を拭いながらボソボソと呟く。


「今度お前が訪ねる時は、恥かかねえ格好でいかねえとな。多分、役場じゃなくて本宅の方を訪ねる事になるだろう。頑張ってこいよ、デューク」


 デュークは改めて、身分の違いと言うものを肌で感じていた。祖父の言葉に頷きながら、自身の普段着を思い浮かべる。あちこちパッチがあてがわれた、ボロいチュニックとパンツ姿。仮に上等な召し物に袖を通した所で、教養もマナーも知らない自分なんかが訪れて怒られやしないかと、悪い思いばかりが浮かんで消える。行く前から胃がキリキリ痛い。


 だが、カトレアは約束してくれた。現在ハーモニカを直すにはカトレアを頼る以外に方法がなく、これを逃したらもう二度とハーモニカは返って来ないだろう。憂鬱な気分だが、デュークには予め選択肢がなかったのだ。もう腹を括るしかない。


「じいちゃん、粗相して捕まったら助けてくれよ……?」


 フンッ、と鼻息一つ吐き出して、デュークは蹴り足に力を入れた。走って憂いを晴らそうと、ペースを一気に加速する。

 バルクロウは苦笑いしながら後に続き、二人の後ろ姿は大通りの遥か彼方へと消えいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ