第7話 移動
「たけぞう、あれなに?」
「ホバージープ。車という乗り物の一種です」
雨木はエナを連れ如月基地の棟と棟をつなぐ渡り廊下を歩いていた。
如月基地の施設を説明するためだ。
フローリングが張られた床が弧を描いており、左右に四角形の窓が等間隔で並んでいる。
隊員たちはみな仕事の最中でここには二人だけしかいない。
ときおりエナが窓の外を指さし興味津々といって様子で話しかける。
質問に応えながらどうしてこのような事態になったかというと雨木は考えていた。
話は三日前にさかのぼる。
《雨木さん。エナと一緒に暮らしてくれないかなー》
「……いきなりなんですか」
治療殻の前で頭に疑問符を浮かべる雨木にヒャクシキはあっさりと言いはなった。
エナの検査はおおよそ完了し、後は血液細胞の謎を調べるだけだ。
それには時間がかかるため、医務室にいつまでもエナを置いてはおけないという理由で、コトシロは保護者を探していた。
雨木の追及に肩をすくめ、子育てに関するデータはインストールされていないとコトシロは言い切った。
そんなものどこからで採ってこられるだろうと思うのだが。
ゾアの毒素に対応できる理由についてもエナの行動を観察して、ヒントを得たいと言うのもこじつけの一つである。
《しばらくは大きな仕事もないし、はっきり言ってヒマでしょー? ボディーガードがてらこの子の面倒も見て欲しいんですよねー。ほらワタシも忙しいし、親代わりになってくれる人が必要なんですー。あなたなら何か問題があっても対処できますしー》
「無理ですよそれは。保育士でもないのに。それにぼく副隊長ですよ? 管理者ですよ?」
《だって雨木さんの仕事は、主にオルカリアとの戦闘でしょー? ぶっちゃけ平時は役に立たないっていうかー》
「……」
ひどい言われようだ。
コトシロは反論もどこ吹く風といった様子で口から電子タバコの蒸気を吹きだしている。
なんと無責任なことをと憤慨した。
もちろん雨木に子育てなどした経験などなく、こればかりは培った経験も役に立たない。
戸惑う雨木にコトシロは決定的な事実を突きつける。
《でももう栗林隊長の許可も取っちゃったしねー。これは決定事項だから。じゃよろしくねー》
そう言ってコトシロは医務室に戻ってしまった。
入れ替わるようにエナが飛び出し、また抱き着いてくる。
どういう説明を受けたのか、やたら嬉しそうだ。
それを横目に雨木は呆然とたち尽くしていた。
こうしてエナの面倒を見ることになった。
この世界の環境に慣れる一月ほどの間は彼女に様々なことを学ばせる必要があった。
コトシロがおおよその説明はしているので、最低限生活することには困らなかったが、知識として知っていることと実際に生活することは違う。
他の仕事をしなくて済むのは助かるが、エナに物事を教えるのは大変だった。
エナは雨木が子供にもわかりやすいように加筆した基地の地図を片手に、どんなものにでも興味を示し、キラキラと瞳を輝かせて見やっていた。
楽しいテーマパークのような施設ではないが、エナにはどれもが初体験のできごとなのだった。
しばらく歩いていると、廊下の途中で栗林に出会った。
書類を小脇に抱え管制塔に向かうようだ。
雨木は文句の一つでも言おうとしたが、その前にエナが、
「おはよう、くりばやし!」
「おう。おはようお嬢ちゃん。それと雨木もな」
「おはようございます」
元気な声であいさつした。
雨木も同じく挨拶を返す。
しかしエナのほうは無作法で、教育を受けていないのかもしれない」
「栗林さんですよ。エナ。マナーです」
「あっ。ごめんねくりばやしさん」
雨木が注意すると悪戯っぽく舌をだし素直に態度を改めた。
子供らしい無邪気さがあった。
雨木の呼び方だけはどしてもと頼むので〈たけぞう〉と呼び捨てを許していたが。
他の大尉にしめしがつかない気のするが、雨木は子供に甘かった。
「どうだ嬢ちゃんとの暮らしにも慣れたか? かわいい女の子と四六時中一緒にいられるなんて羨ましいかぎりだぜ」
「はいはい、言ってて下さい。それよりホバータンク回収班の方は大丈夫ですか? ご覧のとおりぼくは手がふさがっていますので」
「心配すんなって。オレが上手くやるさ。じゃーな」
「ばいばい栗林さん」
皮肉交じりで話す雨木を栗林はこともなげにやり過ごした。
エナだけは何も考えていないという感じで、ブンブンと手を振っていた。
すべての棟を紹介し終わった後、車庫の前で雨木は訊ねた。
ガレージの奥には泥だらけのホバージープが洗車を待っていた。
「これでぼくたちが働いている場所は全部ですね。他に行きたいところはあるか?」
するとエナは壁の向こうを指さし、
「あっちはだめなの? いっぱい声が聴こえるよ?」
雨木はしゃがみこみエナと目線を合わせると、真剣な眼差しでこう言った。
「エナ、壁の外に出るのは絶対にダメです。あそこには危険な生き物がうようよしているので。いいですか、きみの安全を守ることがぼくの仕事です。だから傷ついて欲しくない。わかりますか?」
「うん、わかった!」
瞳しっかりと見つめエナはこくんと頷いた。
まだ理解できないと思うが、こればかりは簡単に分からないだろう。
地図を指さし雨木は次にいく所を提案した。
「代わりにトマト畑にいきましょうか。きっと気に入ると思いますよ」
「とまと?」
「はい。きれいな野菜です。一緒に」
ワクワクと目を輝かせるエナの手を取り、雨木は歩き出した。
その顔に自分の面影をを見た。
十分ほどかけ、二人は斑トマトの畑に着いた。
二人の目の前には若々しい葉が規則正しく並び、緑のストライプを形成している。
畑の面積は二十ヘクタールほどで、斑トマトが緑の葉と七色のグラデーションに光るこぶし大の実をぶらさげ、ずらりと立ち並んでいた。
斑トマトは一年生植物で病気に強く、同じ場所に植えることで発生する連作障害も起こしにくい理想的な野菜だ。
また発芽から結実までを一月でこなし、大量に収穫することもできる。
これも肥料化学の進歩により汚染された土壌の回復と、窒素、リン酸、カリウムなどの必要な元素を効果的に摂取することのできる斑トマトの特性あってのことだ。
味は本来のトマトに近いが色によって甘さ辛さが違い、齧り付けばみずみずしい果汁がこぼれる。
もっとも毎日のように食べて隊員たちにとっては、もの珍しいものではないが、これでもシェルターで待つ人々にはご馳走なのだった。
二人は畝の間をのんびりと歩く。
遮るもののない太陽が温かな光でさんさんと畑を照らしていた。
ときおり脚部を一輪車に交換したボットが脇芽をつんでいるのが見えた。
ピンセットのようなアームを器用に動かしている。
害虫や病気にかかった場合も各ボットは自動的に対応できるようにプログラミングされており、育成に欠かせない人員だ。
タイヤ一つで器用にバランスをとるものだと雨木は感心する。
エナは初めて近くで見る野菜に興味津々で、葉を触ったり匂いを嗅いだりしている。
雨木は赤みが強い斑トマトを一つもぎ取ると、エナに差し出した。
虹のグラデーションの赤が割合が大きいものは甘く、紫の割合が大きいものは辛いのだ。
「どうぞ。基地の名産です」
エナは斑トマトを両手で掴むと、恐る恐るくかじる。
もぐもぐと口の中で味わい、
「おいしい! たけぞうこれ甘いよ!」
満面の笑顔で感想を述べた。
雨木は食べ物を味覚をごまかさずに味わえるエナに感動を覚え、優しく頭をなでる。
同時に手術を受けていない彼女に出す料理は工夫が必要だなと思った。
二人は散歩を楽しみ、やがて日が暮れると棟に戻った。
夕食は食堂棟でとることにした。。
エナが椅子に座るとまわりに人だかりができた。
みんな手術を受けていない奇異な少女を一目見ようと集まってきたのだ。
「すげー。ホントにホールが空いてないんだね」
「かわいい! お姉さんにも顔みせてー」
隊員たちが勝手なことを言い合い近寄ってくる。
エナは特にイヤというそぶりも見せず、ニコニコ笑いながら斑トマトのステーキを食べていた。
ボットに頼みエナが食べている料理には、透明な膜状のフィルムシートが張ってある。
これは嗜好短冊という調味料で、シートによって料理の味が決められており、それを食材の上にのせて炙ることで味を変えるというレストランアプリのローテク版だ。
アプリ開発前に生産されたもので、現在は手術を受けられない子供くらいしか口にすることはない。
廃棄性分する予定だったものが偶然倉庫の中に眠っていたのだ。
雨木もエナに合わせ嗜好短冊でハンバーグ味の斑トマトを食べる。
安っぽい味だったが、どこか懐かしく感じた。
食事が終わると二人は、雨木の自室に戻った。
部屋の中にはエナのベッドが置かれていた。
場所は雨木の隣だ。
もともと家具の少ない部屋だったので、場所には困らなかったとヒャクシキが言っていたのを思い出す。
こういう時だけ手際がいいんだなと雨木は苦笑した。
二人はベッドの上に寝転がり、しばらくぼうっとしていた。
時刻はまだ八時を少し過ぎたところだったので、雨木はベッドの下から文庫本を取り出した。
何十回も読んだ本なので、ページは茶色に色あせ、くたびれている。
タイトルは惑星の長い正午と言い、今では珍しい紙媒体の本だ。
パラパラとページをめくっていると、エナが隣に座り、のぞき込んできた。
「なにしてるの?」
「本を読んでいるんだ。この中には物語、ここではないどこかの世界の出来事が詰まっているんだ」
「どこかのせかい? どんなの?」
「水がいっぱいあって、人間と魚っていう生き物が一緒に暮らしているんだ。読んであげようか?」
「うん! おしえてさかなのこと!」
エナがあまりに嬉しそうに言うので、本を口にだして読んで上げた。
誰かに読み聞かせをするのは初めての体験で、どういうわけか雨木の心を落ち着かせた。
「ヴィヴィヨンはオールを漕いで島に向かった。そこでは」
「しまー?」
「島はね――」
生き物の鳴き声を聞きながら、言葉を重ねていく。
ジャングルの夜は静かに更けていった。