第2話 摂取
食堂棟は基地での生活にかかせない重要な施設だ。
壁は白色に塗られ如月食堂と書かれた、木製の看板がかかっている。
すべて隊員たちの手作りだ。
雨木もドアを開け入店する。
食堂の中には六人用の木製長机が規則的に並べられ、隊員たちが全員座っても席があまるくらいのスペースがあった。
壁側には厨房とセルフサービス用のカウンターがあり、厨房ではボットたちが食材を調理マシーンに放り込み、全自動で料理を作っている。
カウンターは木製でL字にカーブしていて、入り口で四角いプラスチックトレイを受け取り、順番を守って並ぶのがルールだ。
注文はボットに口頭で伝えるようになっている。
ちなみにメニューは二、三種類しかないのであまり選択肢はない。
雨木もカウンターに並ぶ列に加わり自分の番を待つ。
人間の隊員は五十二人しかいないのですぐに番が回って来た。
バンダナをカメラの上に巻いた接客用ボットが注文を訊ねてくる。
《雨木サン、キョウハ〈斑トマト〉オススメデスヨ》
「それを頼みます」
《ハイ、斑トマトイッチョウ》
ボットが注文を受けるとすぐに、輪切りにスライスされた斑トマトが十きれずつアルミ皿に盛り付けられて差し出された。
斑トマトとは皮が虹色のグラデーションをしているトマトだ。
高温多湿で汚染された土壌でも栽培できるように品種改良されており、貴重な食料品の一つとして如月基地でも盛んに栽培されている。
味は酸味が強く正直なところ美味くはないが、この世界では重要な食用野菜だ。
雨木はアルミ皿を受け取り、水と錠剤をトレイに置いていき、フォークを食器棚から取り出して空いている席を探す。
ぱっと目についたのは、三人の男性隊員が談笑している長机だ。
すでに食事は済んでいて横一列に並び雑談に花を咲かせている。
顔を見ると三人とも今月基地に着任したばかりの隊員だ。
反対側がちょうど空いていたので雨木はその席に近づき、
「相席してもよろしいでしょうか?」
雨木の姿を見ると隊員たちはピタリと会話をやめた。
悪鬼にでも出会ったような態度だ。
一瞬の沈黙の後、
「すみません副隊長すぐに片付けます!」
「俺たちはもう出ますんで! あっ西森! 食べかすが落ちているじゃねえか! 布巾取ってこい、布巾!」
「はいっ! 失礼しました!」
大慌てで食器をを片付け机を清掃して走り去ってしまった。
残された雨木はピカピカに磨かれた机を前に呆然と立ち尽くしていた。
目つきが悪いことに関して自覚はあったが、ここまで恐れられているとは思わなかった。
彼らには自分のことが八世紀前の戦争映画に出てくる軍曹のように見えるのだろうか。
さすがメインプログラム。
コトシロの分析は正しかったようだ。
部下との接し方についてカウンセリングを受けたほうがいいかもしれない。
無表情の裏で、多大なショックを受けながら雨木は一人で席に着いた。
ここでは食事を始める前にある準備が必要になる。
雨木は作業着の胸ポケットから多彩端末を取り出し、体内を泳いでいる微細蟲にコマンドを送る。
続いて多彩端末のレストランのアプリケーションを起動し、メニューコーナーで白米とみそ汁のコーナーを選択する。
そして最期に確認ボタンを押す。
途端、脳の奥でピリッと電流が走ったような感触があった。
これでようやく準備完了だ。
「いただきます」
手を合わせ食事をはじめる。
フォークで斑トマトを突き刺し口に放り込んだ。
すると口の中いっぱいに白米の日本古来から続く味が広がった。
これは多彩端末の機能の一つ。
微細蟲が中枢神経に至るニューロンに働きかけ、味覚受容体細胞を操作しているのだ。
もう一度コマンドを送り斑トマトをほおばると、今度はみそ汁の豊かな風味と、豆腐、わかめの優しい味がした。
もちろん食感はトマトと変わらないのだが、味が違うだけマシというもので、食料が圧倒的に不足しているこの時代の知恵である。
スイドラの環境下で食用に耐える動植物は大変少なかった。
黙々と朝食を食べる雨木に向かって、近づいてくる人影があった。
「おっすタケ! 前いいか?」
「おはようございます。栗林隊長」
雨木の正面にどかっと座るのは、如月基地の総責任者である栗林和馬だ。
手に持ったトレイの中身は雨木とまったく同である。
熊のように巨大な図体で、三角に切りそろえられた顎髭と、芝を思わせる茶髪の持ち主だ。
デリカシーを腹の中に置き忘れてきたような男だが、なぜか女性隊員からは高評価だ。
国というものがあった時代より強い遺伝子を残すために、顔よりも体格でパートナーを選んでいたことの名残かもしれない。
いいですよと雨木が答えると、子供のように無邪気な笑顔で笑い栗林は隣の席に着いた。
態度がものすごくわかりやすい。
栗林は雨木の多彩端末を覗き込むと、
「今日も白米とみそ汁かよ、よくあきねえな」
「日本の朝食はこれがスタンダードのはずですよ。ぼくも実際に見たことはありませんが。栗林隊長は何を?」
雨木がたずねると、栗林は多彩端末の画面をバンと顔の前にやり、
「~黄金オマールエビのテリーヌ、フォアグラとブッフサレ、リ・ド・ヴォとそら豆のガトー仕立て~、だ」
呪文のような料理を得意げに紹介した。
「……美味いしいんですか? それ?」
「知らん、メニューにあったんだ。実際にこれを食った奴は百歳越えのジイさんで、そいつの検証を元に調整した味だから信憑性には欠けるがな」
二人はデバイスで味を設定した斑トマトを食べる。
どうやら舌に合わなかったようで、栗林は何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
栗林は雨木の閉ざされた右目を見て遠慮なく尋ねる。
「今日も右目をあけてねえのか? 不便だろ」
「必要になれば使いますよ」
栗林は眉毛を八の字に肩をすくめた。
まいったなという調子で会話を続ける。
雨木の事情を把握しており、たびたび気にかけて心配しているのだ。
「お前は自分をいじめすぎるなだよ。親父さんたちの許可が必要だってんなら、聞いてきてやるぞ」
「天国に逝ける自信があるならよろしく頼みます」
「清く正しく生きてきたんだから大丈夫だっての。ゼウスに会ったらここまで届く蜘蛛の糸電話用意させるぜ」
「そのような小説が過去にはあったそうですね。凱旋門という建物に鬼がいるとも聞いています」
栗林の言うとおり死人に許しを請うなどできるはずもない。
もしそんなことができる機会があっても、それは自分を慰めるだけの自己満足であっていいはずがない。
雨木はずっと両親の死を乗り越えられずにいた。
栗林は話題を変え自分たちの故郷の話を始めた。
「次にシェルターへ帰還できるのは十四か月後か。由香里がさびしがってなきゃいいんだが」
「奥さんのことですね。今妊娠中だと伺っています」
「おうよ、でも出産には立ち会えそうにもねえんだよな。これがこの仕事のつらいところだぜ」
「オルカリアの動きも活発になっていますからね。帰るだけでもかなりのリスクがありますから」
扶桑シェルターに内部は大都市と同程度の広さがあり、天井のパネルに取り付けられた照明が太陽の代わりに寒々しい光を放っている。
建物のほとんどは食料の生産や水の浄化にあたっており、娯楽施設はごく少数だ。
人口は六千人ほどで、今も工場で生産された油粘土のような人口肉を多彩端末で味をごまかしながら租借しているだろう。
そういった故郷のためにも地上で安全圏を確立さることが急務だ。
栗林は空っぽの皿の上にカチャリとフォークを置いた。
もう完食してようだ。
栗林はコップを掴むと水で錠剤を流し込んだ。
足りない栄養素を補給しているのだ。
「んじゃ朝礼でまた会おう」
「はい、すぐに行きます」
席を立つ栗林を斑トマトをつつきながら雨木は見送った。
口の中で偽物の白米の味がまだ残っていた。。
朝食を終え雨木は管制塔の前に集合していた。
すでに隊員たちは集合し終えており、雨木も栗林の隣で背筋を伸ばし、気をつけの姿勢をとる。
栗林は整列した隊員たちの前に立ち、朝礼を始めた。
「おはようございます」
おはようございますと隊員たちが挨拶を返す。
誰一人手を抜かず、ハキハキと大きな声だ。
基地で任務を行っている以上全員が何らかのエキスパートであり、やる気のないものなど初めから存在しない。
「本日から一か月間は、畑ので斑トマトの生産性を向上させようと思う。それで今回からの重点目標、二点について説明しまするからよく覚えてくれ」
内容は以下の通りだ。
一つ目は、斑トマト第一農園の生産量が下がっている。原因はカビだと思われるので、すぐに対策を行うこと。
二つ目は、オルカリアの動きが最近活発になってきているので、外部での作業に気を付け仕事をするということだ。
「以上、二点を意識して今月も頑張ろう。では今日も一日ご安全に!」
ご安全にと隊員たちが復唱し、朝礼は終わった。