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第1話 調律

《ピピピ、ピピピピ》

「……」


 四角く黒い板、多彩端末デバイスの不愉快なアラームが耳元で鳴る。

 夢の国からたたき出された青年は、固いマットレス上で身をよじると、多彩端末デバイスの薄ぼんやりと光る画面を指でなぞり、アラームを止めた。

 また同じ夢だ。

 両親を失ったときの悲しみとオルカリアに襲われた恐怖は、錆びついた釘のように脳の中できしんだ。

 抜き出すことは出来ず、一生慣れることはないと思われた。

 スウと息を深く吸い込み、緩やかに吐き出す。

 深呼吸を何度かおこない精神をメンテナンスした。

 何千と繰り返した朝の儀式だ。

 それが終わると青年はようやく簡素なパイプベッドから身体を起こした。

 目つきはカミソリのように鋭く、右目には縦に切り傷があり、目蓋は閉じられている。

 着衣はボクサーパンツのみで、裸の上半身には鋼のような筋肉がうかがえ、その上には無数の傷跡が刻まれていた。

 傷の種類は裂傷がほどんどで、鋭利な刃物で切りつけられたのだと思われた。

 胸の中心には金属製のキャップが取り付けられ、鈍色に光っている。

 これは地上で活動するため手術を受けた証だった。。

 青年の名前は雨木竹蔵あまぎたけぞう、年齢は二十八才。

 地球に生息する哺乳類、ヒト亜族の動物、日本と呼ばれる島で生活を送る人間だ。



 雨木の部屋は鋼鉄製コンテナのような棟の一番左端にある。

 棟は高床式に建てられ、柱にはねずみ返しが取り付け、小動物の侵入を防いでいた。

 部屋の中はこまめに掃除をしているのか、チリ一つなく整然と片付いていた。

 しかし家具はベッドや机など、最低限のものだけが置かれ、清潔よりも砂漠のように乾いた印象を受ける。

 初めて訪ねた人物ならばモデルルームと見間違えるだろう。



 雨木はきびきびと洗面所に向かうと、顔を洗い、歯を磨いた。

 と、目の中にチクリとした痛みがあった。

 鏡を見ると右目の網膜に薄くヒビが入っているのが見える。

 どうやらこれが原因のようだ。


「うーん。無理が祟りましたか」


 雨木はつぶやくと多彩端末デバイスを操作し右目の機能を停止させた。

 神経接続が解除されすぐに痛みは治まった。

 自分が家電製品になったようで苦笑する。

 幼少の頃に失った右目にはサイバネティックス手術で、義眼がはめ込まれている。

 高価な品でスペックを使えば天体望遠鏡めいて、遠くを見通すこともでき多機能なすぐれものだが、これを戦闘以外で雨木が使用することはない。

 常に右目は閉ざされたままだ。

 両親を死なせ逃げた悔恨が彼の心を縛り付け、周囲の言葉もかたくなに跳ねのけていた。

 雨木は少し眉根を寄せると何事もなかったように洗面所を後にした。



 起床した部屋に戻るとベッドの下から、丁寧に折りたたまれたカーキ色の作業着を取り出し袖を通す。

 作業着は使い古されてところどころに補修の跡があった。

 新品はシェルターからの補給がないかぎり来ることはない。

 続いて副隊長を示す腕章を、赤い布に白字で大きく副隊長と書かれている物を安全ピンで右腕に止める。

 雨木は成果を上げ現在の立場になったが、それを偉ぶることはない。

 無論、言うべきことは言うが、必要以上に厳しくすることに意味を感じられなかった。

 そもそも人間という生き物は数も少なく地上では圧倒的に弱者なのだ。

 内輪で無駄に反感を買いたくはない。



 そうして身支度を整えると、鋼鉄製の分厚い扉を開け外に出る。

 粘り気のある空気が頬を撫でまわし、腐葉土のほろ苦い香りが鼻腔の粘膜を刺激する。

 太陽は東の空からノロノロと顔を覗かせ、オレンジ色の輪郭を輝かせていた。

 今日もまた蒸し暑い日になりそうだ。

 雨木は階段を下り周囲に目をやる。

 そこにはここと同じようなコンテナ型の棟が円形に並び、その中心に六角形をした三階建ての管制塔が建てられていた。

 そしてそれらをドーナツ状に囲むように灰色の分厚い壁がぐるりとそびえ立っている。

 壁の高さは十メートル程度で、人類にささやかな安全地帯を演出していた。

 次に雨木は遠方を壁の外の世界に目を移す。

 そこにはどこどこまでも続くジャングルが広がっていた。

 虫の羽音が響き、食獣植物の鳴き声も聞こえる。

 いつもと何ら変わりのない日本の朝だ。

 数舜の後、義眼を修理するため目的の棟を目指し歩きはじめた。



 

 雨木は日本の関東の地下深くに建造された扶桑シェルターの出身だ。

 ここで生まれた人間は十五才を過ぎると、地上と地下がどちらかで働くことを義務付けられている。

 大半の者は安全な地下で勤務することを選ぶが、雨木は地上で働くことを選択した。

 危険な仕事だが人類の生存に貢献しているという充足感は、心の隙間を埋めるのに役立った。

 現在扶桑シェルターは睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走という十二の観測基地を設立し、各基地で隊員たちがオルカリアの研究や汚染された土壌の再生、今の地表で育てられる植物の栽培など様々な仕事に取り組んでいる。

 雨木は今如月基地に所属し総勢五十二人の隊員たちと共に活動を行っている。

 人数が少ないように見えるが現状ではこれが精いっぱいだ。

 基地は半月型の小高い丘の上にあり、百一の棟で実験や調理などが行われている。

 今の日本において土地は誰の物でもなく掃いて捨てるほど余っているので、畑や運動場も無駄に広く作られていた。

 新米隊員からは草むしりが大変だと苦情が上がっているが。



 しばらく歩いて雨木は医療棟に到着した。

 医療棟のドアの前ではボットと名付けられた、ドラム缶にキャタピラとアームをつけたような自立型ロボットが受付を行っていた。

 高さは成人男性の胸元あたりまでだ。

 安価で大量生産することが可能なためシェルターや各基地で重宝されている。

 アタッチメントを交換することで、炊事洗濯から銃撃戦まで幅広い対応ができ非常に便利だ。

 いま如月基地では二百台が稼働中で、六十台が倉庫で眠りについている。

 雨木は前かがみになり、ボットに顔を向けると、


「いま空いていますか?」

《ハイ、雨木副隊長デスネ。イマダイジョブデス》


 ボットのぎこちない返答を受け棟の奥に進む。

 医療胸は狭く、部屋の中には真っ白なカプセル、治療殻コクーンが天井からまゆのようにぶら下がっていた。

 大きさは人一人がすっぽりと入れるほどで、ちょうど今メディカルチェックを受けている隊員も散見した。

 雨木も上着を脱ぎ近くに設置してあるトレイに入れ、十四と書かれた治療殻コクーンを選び中に入った。

 中は窮屈で少しひんやりとしていて、棺桶のようだといつも雨木は思う。

 側面のマイクに声をかける。


「義眼が故障してしまったので、修理をお願いします」

《はーい。あ、ついでに健康診断もやって微細蟲ナノマシンも注射しましょうかー》

「お願いします」

《わっかりましたー》


 若い女性の声で返答が帰っってきた。

 これも機械による合成音声なのだか、ボットのものより高度でなめらかだった。

 声の主はコトシロと呼ばれる如月基地のメインプログラムで、メディカルチェックの他にも地下シェルターとの連絡や、センサーによる敵対生物の探知など、この基地の誰よりも多忙であった。

 カプセルの中で青白い光が発せられ、雨木の身体をすみずみまで検査し異常がないか確かめる。

 重点的に調べるのは肺の部分だ。

 現在地球上の植物の九十パーセントは人体に対し有害な気体を放出している。

 そのため地表で活動する隊員たちには微細蟲ナノマシンが注射されており、気体に対する抵抗力を与えている。

 微細蟲ナノマシンとは球の形をした極小の機械のことだ。

 もっとも効果は一週間程度で、それを過ぎると排泄物と共に吐き出されてしまうので、新たに注射する必要はある。

 雨木が胸のキャップを外すと、カプセルの天井部分に黒い穴が開き、細長い腕をしたロボットアームたちが下りてきてた。

 アームの先端には微細蟲ナノマシンが入った緑の液体を充填した注射器が握られており、それを胸の穴に差し込んで注射した。

 液体を注ぎ込まれ、ビクンと体が跳ねる。

 ちょおとしたホラーのような光景だ。

 注射を終えるとコトシロは、


《義眼のほうはちょと時間がかかりますねー》

「どのくらいですか? できれば早いほうが良いのですが」

《十分後の朝食までにはいけますよー》

「助かります」


 再びアームが現れ、今度はカチャカチャと義眼を取り外し再び穴の中へ帰っていった。

 こうしていると、自分たちがいかに普通の人間からかけ離れている存在だということを思い知らされるようだ。

 両親が今の自分を見たら怒って殴られるだろうか、それとも泣きてしまうだろうか。

 決して答えの出ない問いかけを雨木はつづけ目を閉じた。

 もちろん後戻りなど出来るはずもなく、今の彼にはジャングルの中にひっそりとたたずむこの観測基地にしか居場所はない。



 十分後、義眼の修理は完了し雨木の眼窩にはめ込まれた。

 神経を接続する時の名状しがたい感覚が身体を走る。

 少し眉間にしわが寄った。


《おつかれさまですー。もう出ても大丈夫ですよー。あれあれ? また考え事ですか?》

「いや、何でもありませんよ」

《ホントですかー。雨木さんすぐ難しい顔するんですから。目つきも悪いしもっと愛想よくしないと隊員のみなさん怖がっちゃいますよ》

「努力します。というかぼくの目つきそんなに悪いですか?」

《イエス》


 コトシロの冗談めかした話に雨木は戸惑いながらもと答えた。

 どんな相手にも物怖じしないのはプログラムの美点かもしれない。

 そのぶん容赦もないけども。


《悩みがあったら何でも言ってくださいねー。わたしカウンセリングのやり方もインストールしてますからー》

「それはまたの機会に」

《じゃ、お大事にー》


 相変わらずおせっかいですねと微笑みながら雨木はカプセルから出た。

 義眼の調子も悪くない。

 これなら戦闘にも支障はなさそうだ。

 医療棟を出ると、隊員たちが足早に食堂へ向かっているのが見える。

 雨木もその列に加わった。

 そのまわりに空間ができるのは、やはり愛想が足りないからだろうか。

 コトシロのアドバイスは適格だなと思い、食堂へと歩を進めた。



 ◆



 西暦二五五○年、世界を七つの隕石が襲った。

 隕石の衝突により大地に大きなクレーターが穿たれたが、事前に出された避難勧告により人的被害はなかった。

 しかし人類、いやこの地球で生きるすべての生き物にとって、本当の苦難はここからだった。

 原因は隕石に付着していた〈種〉、〈スイドラ〉と名付けられたそれはクレーターから芽を出し、急速に従来の植物である葛やハーブの比にならない速度で成長、増殖し、瞬く間にニューヨークを、スエズ運河を、エベレストを自らの幹で枝で葉で覆い尽くした。

 さらに生き物たちとって不幸だったのは、スイドラの光合成によって吐き出される〈ゾア〉という気体が呼吸器官を侵すということだ。

 これまで地球に存在しなかったゾアの毒を噴き出し続けるスイドラの樹木によって、あらゆる生き物が死に絶え、滅びをむかえた。

 もちろん人類もその限りではなく、火炎放射器や枯葉剤、恐怖にかられた国は核兵器の使用にまでふみきったが、効果はなく九○億人が毒によって息を引き取り、一億人が宇宙へ、残された九億人は動植物を連れてノアの箱舟よろしく、地下シェルターでの生活を余儀なくされた。

 人類が造り出したいかなる知恵も技術も、スイドラを根絶することは出来なかったのだ。


 

 それから月日は流れ、西暦二八三○年。

 大地はスイドラによって支配され、文明は過去のものとなった。

 さまざま文化が崩壊のどさくさで失われ、残された人類はつぎはぎだらけの技術を活用し、日々をしのいでいる。

 動植物はゾアの毒に適応し、体を歪に変化させた奇妙なものたちだけが生き延びた。

 さらにスイドラから生まれ落ちた自立歩行する果実、オルカリアと名付けられた凶暴な生物が地上を跋扈している。

 地下シェルターに逃げ延びた者も、じわじわとゾアの毒に侵され多くが倒れたが、生き延びたわずかな人類は、ジャングルを切り開き今の世界を調査するために隊員を募り、観測基地を設立した。

 再び人類の生存圏を確立するために。




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