18
「このベットは回転するんだぞ」
「動かす前に言ってくれよ」
美樹はくるくるとカレーの袋を持ったまま、くるくるゆっくりと回転していく馨を見て、得意げに笑った。
「お前が前、「僕は回転するベットの部屋に当たった事がない」って嘆いていたから連れてきてやったんだ。」
「わかったから、止めてくれ」
ふふん、と美樹はスイッチを切る。
カレーの袋をテーブルに置いて、馨は心臓の辺りを押さえる。
「あー驚いた。」
「どうだ?」
「めちゃ驚いたけれど、これ面白いな!!」
馨の死んでいた目に輝きが戻ったのを確認すると、よかった、と内心美樹はほっとした。
「すごいなぁ。」
子供のように馨はぽんぽんとベットの上でお尻を浮かしている。
「もう一回いくぞ。それぃ!!」
「ぎゃはははは」
馨は笑いが止まらなくなっている。つられて美樹も回るベットに乗って、ケラケラと笑っていた。
「うわーお!!」
「ヒューヒュー!!」
奇声を発しながら、二人は3歳児のようにはしゃぎまくっていた。
普段はあまり笑わない美樹が、声をあげて笑っている。
馨も壊れたおもちゃのように、笑いがとまらない。
顔を見合わせて、ふたりは笑い転げていた。
くるくると回る。
部屋も回るよ。
世界も回る。
意味もなく、そんなことをキャーキャー叫びながら、二人は笑い続けた。
メルヘンのような部屋の装飾品達もくるくる回る。
散々笑い転げて、二人はベットに寝転がった。
「メリーゴーランドみたい。」
「きれいだなぁ。」
幸せな表情を顔に浮かべながら、二人は天井を見上げていた。
はしゃぎ疲れ、ふたりは荒い息が収まるのを待った。
「おまえ、kimiさんを本当に諦めるのか?」
「なんだよ、いきなり…。」
「諦めたくないんだろ」
「そりゃそうだけど。」
まず大前提にさ、と馨の声が大きくなる。
「kimiさんは僕の事を、恋愛対象として好きなわけじゃないから」
「もしも、いつか好きになってくれたらどうするんだ?」
万が一、そうなったとしてもね…と天井を見ながら馨が呟いた。
「守りたいんだ」
「お前のちっぽけなプライドをか?」
「ううん。kimiさんの人生を」
馬鹿かよ!と美樹は起き上がった。
「なんでお前が諦めるのが、kimiさんの人生を守ることになるのさ」
ふん、と美樹はまた、ベットに転がった。
「僕が手を出さなきゃ、彼女の人生、平和なままなんだよ」
二人は黙ったまま、くるくる回る天井を見つめていた。
「普通にお話するだけでもか?
「あぁ、こんな変な人生に顔を突っ込ませないで済む」
「ほんっとに、余計な心配ばっかりするやつだな。」
「そうかな。当然じゃない?」
美樹は呆れたように腕を組んで天井を睨んでいる。
「ノンケは誰も僕の人生に巻き込まない。何も知らないまま、こんなに悩む事なんてないままに、無事に人生を過ごしてほしい。」
大きく、死んだような目を開けながら、馨はゾッとするような口調で呟いた。
「それが僕の哲学さ。」
美樹は腑抜けの今にも死にそうな馨に驚いた。
「お前のその”哲学”って奴が私は気に食わないな。」
馨は黙ったまま、仰向けになっている。
「冒険心のない、つまらん奴だよ、おまえは。」
「そうなのかもしれないね」
「あっさり認めるなって。私の友達のタチは、もっと堂々としてるぞ」
「人の迷惑を考えない、そういう性格だったら楽だろうな。」
「格好ばっかりつけやがって!マイナス思考って言うんだよ、そういうのは。」
「そいつはそいつ、僕には僕の考えがあるんだ」
美樹はふん、と鼻で笑った。
「僕は産まれつきのタチだ。もう習性になってるんだから仕方ないじゃん」
「人の事ばっかり考えてるフリして、自分の人生から逃げてる習性な」
馨は枕を取って顔に押し付け、聞きたくないとでも言うような仕草をした。
今は馨をすぐには責めてはいけない。
しばらく静かな沈黙があった。
「バかおる」
「なに?」
「普通に返事するなよ」
この人は例え幼稚園児が「バかおる」と呼ぼうが、怒りもしない人なんだ。だから私はコイツが好きなんだ。
「それが一晩中泣いて考えたチンケな答えなのか?」
「僕はタチだもん。泣くほどセンチじゃないよ」
「今は抜け殻みたいに落ち着いてるフリしてるけれど。」
美樹はフーと溜息をついた。
「昨日は一晩中、眠れずに泣いてたんだろ?」
「泣いてないって。泣いてたら、腫れやすい僕の目は腫れてるはずだろ?」
ほら見ろよ、というように人差し指で瞼を指差す。
「馨…」
「うん?…」
「朝、氷で目を冷やしてたんだね。」
「なんでそんなこと…」
「お前のママが言ってる」
「ママ!?」
驚いて起き上がって、かおるは辺りを見回した。
「お母さん…?。」
「言ってやってくれって。お母さんは大丈夫だと。女はみんな、お前が思う程、そんなに弱くできてないってさ。」
「…」
「お前が心配しすぎなんだよ」
美樹は目を閉じたまま、じっと何かを聞いているようだった。
「ママさんからのメッセージ」
「…」
「もっと頭をやわらかくしなさいだってさ。」
馨の瞼にうっすらと涙が浮かんできた。
「ママ…。」
ママはいつも優しかった。
いつも特製のオレンジジュースとサイダーを割った飲み物を作ってくれたっけ。
僕のリクエストの卵チャーハンも…。
こんな子を育てさせてごめん!
そして、本当の事が言えなくてごめんね。
美樹は馨の横顔を見た。涙が幾筋も、頬を伝っていく。
「馨」
「うん…。」馨は涙を拭った。言葉を出そうにも、言葉にならない。
「人の気持ちの中で動揺しないで、だって」
「僕がそんな風にみえるのか…」
「みえるよ」
美樹は目を開けてすーっと大きく息を吸い込んだ。
「少しだけ自分の意思で動き始めてごらんよ」
美樹は馨の横顔を見つめていた。
「僕にできるかな」
馨の、漆黒の美しい瞳が真剣な色を帯びて、美樹の方に向けられる。
「できるかどうか、失敗してもいいから動き始めたらいい。」
馨はじっと考えこんでいる。
「おまえは、今まで、”人生”そのものを生きてなかったんだよ。だから、動き始めたその時、初めて馨の誕生日になるのさ」
馨には、最初はわからなかったが、その言葉の意味を、次第に理解しはじめた。
美樹は馨の瞳を見つめた。
馨の瞳は美しいが、いつもどこか悲しげだ。
それが、なぜかうっすら消え始めているような気がした。
「やれるかな?」
「やれよ」
美樹がもどかしそうに言う。
「今の天国のママさんなら、喜ぶんだぞ」
馨は両腕に頭を乗せて、天井を見上げた。
「そうか…。喜んでくれるんだ…。」
美樹はベットに両手をついて、ヨイショと勢いをつけて起き上がった。
「アーア、ヤメたヤメたぁ」
「ん?」
どうしたの?という様に馨の黒い瞳が美樹の瞳をじっと見つめた。
「そら、腹減ったろ?」美樹はウィンクした。
「うん」
「カレー食おうか!」
「おう!」
「その前に私はチョット大の方をしてくる」
美樹は後ろ姿のまま、振り返りもせずに立ち上がった。
「きったないなぁ」馨の笑い声が、背中から追いかけてくる。
美樹はバスルームへすたすたと向かうと扉を閉めて、大きく息をついた。
そして、大きな鏡の前に行き、スカートを捲くって見せた。
「あーあ。せっかく”勝負下着”つけてきたのにさ。」
上着も脱いで、プリプリしながら、ターンをする。
「こんないい女と、ラブホテルに二人っきりでいるというのに、あいつときたら…」
と、そんな美樹の隣に、女性の透明に透けた姿が鏡に浮かび上がった。
「ほ、本当にいたんですか?」
美樹が目を丸くして、びっくりしながら見つめていた。
御免なのか、ありがとうなのか、しきりに頭を下げている。
美樹は驚きながらも微笑んだ。
「いいんですよ。どうせ本気じゃないもん。」
美樹はお母さんにウインクしてみせると、3Dの様に透明なママさんは嬉しそうに両手を
合わせて、頭を下げたまま、スーッと薄くなっていった。
「優しいお母さんだな」
美樹は消えた跡をみつめていた。