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kimi …。
kimi 馨?
馨から返答が返ってこないので、貴子は慌てた。
kimi 馨?いるの?
kimi 馨クン!
kimi 馨クン!!
kimi 馨ってば!!
馨 いるよ。
kimi 馨
馨が今、何を感じているのかkimiにはわかる気がした。
kimi 馨
馨 ペットだなんて…。ぼくには魅力がなかったんだ。
kimi そんな事ない。
kimi あなたがわかってないだけなの
kimi 馨を好きになってくれる人もいるわよ。
馨 慰めなんかいらないよ!!
馨 kimiに僕の何がわかるっていうのさ!
馨 本気で彼女を探して、このザマだ。みっともないと思うだろ!
貴子は何も言えなかった。馨の悔しさが自分の事のように伝わってくる。
kimi 泣かないで、馨
馨は机の前で両こぶしを握り締めていた。歯を噛み締めて、声も出さずに震えていた
kimi 馨…。
kimi ヨシヨシ…。
馨から、返答がなかった。今頃顔をくしゃくしゃにして、悔しくて泣いているに違いなかった。
貴子はしばらく待つ事にした。
kimi おちついた?
馨 うん…。
kimi よかった。
馨 うん…。
馨 なんでないてるってわかった?
kimi わかる気がしたの。
貴方は純粋すぎるから騙されるのよ、馨。
kimi あなたにはわからないだろうけれど、貴女は騙されたのよ。
馨 そうなのか?騙されたのか?
kimi ええ。
馨 本当に?
kimi 女という生き物に、ね。
馨はしばらく黙って机を睨んでいた。
馨 嫌いだ
馨 だいっきらい
馨 女なんて、みんな死んじまえばいい
困った。
確かに女は嘘吐きな動物だけれど。このまま女、そのものを嫌いになってほしくはない。
どう切り抜けようか、貴子は素早く頭を巡らせた。
kimi そうね、馨。私も思うわ。
kimi 女なんてみんな死んじゃえ〜!
入力した後、ちょっとふざけすぎかな、と感じ、貴子はハラハラしながら返事を待った。
馨 あはは
馨 ちょっとスッキリした。
PCの向こうで馨が笑った気がした。
馨 でもみんな死んじゃ困るね。
kimi なぜ?
馨 kimiまでいなくなっちゃ困る。
kimi あら、ありがとう。
貴子は、胸が熱くなった。
馨 kimiさ、
kimi うん?
馨 僕のお父さんとお母さん死んじゃったんだ。
kimi えっ…。
kimiは顔から血が引き、手から全ての力が抜けていくのを感じた。
kimi いつ…亡くなったの?
馨 二年前、僕が15の時だよ。NYにいたお父さんの仕事でね、二人がパーティに出るために乗った飛行機が墜落したんだ。
kimi …。
馨 でもね、僕、お葬式でも涙も出なかったんだ。
kimi いきなりだものね…。
馨 今でも実感が湧かないんだ。
馨 それに
馨は息を止めた。
馨 僕が殺したようなものなんだよ。
kimi どういう事?どうしてそんな事を言うの
馨 だから、早く死んでくれればいいと思ってたんだ。
kimi なんでそんなひどい事を…。
馨 二人は常識の塊みたいなまっすぐな人達なんだ。
kimi うん。
馨 とっても優しい人達なんだ。
kimi 馨を見てたらわかるわよ
馨 だから、僕が同性愛者だって知ったら、ママなんてきっと発狂してた。
kimi …。
馨 そんな目に遭わせないで、何も知らずに天国へ行けてよかった。
kimi …。
馨 僕はね、こんな身体も、僕を受け入れない社会にも絶望していた。
馨 二人さえいなければ、とっくに死んでたはずだよ。ビアンのチャットも知らなかったしね。
kimi 正直に言えばよかったじゃない!
kimi 親ならば、どんな事も許せるはずよ
馨 kimiは二人を知らないから。
馨 ママとパパの人生が終わるまで、僕は生ける屍だったのさ。
kimi 馨…
馨 僕が殺したんだ。そんな事思っていたから。
kimi お願いだから止めてよ!!
馨 どうしてさ?僕が殺したんだ。
kimi 馨が殺したんじゃない!!
馨 なんで見もしらない僕に怒るの。
馨 どうせkimiには、どうする事もできないのに。
kimi できるわ。私の事を親だと思いなさい!!
馨 …
kimi 親と思えなかったら、お姉さんでも、お兄さんでもなんでもいいから。
kimi 私が馨の新しい家族になるわ。
長い沈黙の後、画面に字が浮かび上がる。
馨 こんな出来損ないの身体でもか
kimi うん…。
馨 レズビアンの変態でもか
kimi うん。
馨 僕が殺したのに?
kimi そんな事言ったら、天国のお父さんとお母さんが泣くわよ。
kimi あなたには新しい家族ができたの。だから一人ぼっちじゃない。
馨 僕が殺したんじゃないよね?
kimi 何言ってるの。事故だったのよ…。
馨 うん…。
kimi 私は薫の家族だからね…。
馨 うん…。
その晩、動揺している馨が、二度とおかしな事を考えないように、私は子守唄のように、朝が明けるまで、お話を続けた。
kimi ねぇ、馨
馨 うん
kimi 馨は誰かに愛されたいと思っているけれど、誰に愛されなくても、馨は馨よ。
馨 愛される魅力もない、タチか。
kimi また、僕の事知りもしないのにって思っているのでしょう。
kimi でもね、さっきのバカ女よりは、馨の事、知ってるつもりよ。
馨 …うそでもありがとう
kimi 嘘じゃないったら。これだけ真剣に言ってるんだからわかりなさい。
馨 そうか
馨 はっはっは
馨 なんだか、理解者がいると思ったら、昨日の事も笑えてきたかも。
kimi よかった。
貴子は心底ほっとした。
kimi なんだか、貴方の”ママ”みたいな気分だわ。
馨 え?
kimi 私は27って言っていたけれどあれは実は嘘なの。
kimi 本当は42歳のオバサンよ。
馨 うそ…。
kimi びっくりしたでしょ?
馨 …。
kimi 言っておくけど、これでもモテルのよ。でも42歳じゃ、馨の話相手にしてもらえないと思ったの。
馨は、引いてしまったのだろうか。返答までの時間が果てしなく長く感じる。
馨 ねぇ。
kimi うん?
馨 じゃあ、僕の”ママ”になって。
kimi 貴方のママ?
思いがけない答えに、kimiは戸惑った。
馨 僕は、パソコンに出会うまで、誰にも自分の本当の気持ちを言えないままできたんだ。誰にも、だあれにも…。
kimi うん…。つらかったわね。
馨 僕、kimiになら、なんでも話せそうな気がするんだ。本当のママには話せないだろう事も、悩みも苦しみも、全部相談できそうな気がする…。
馨 あと、本当のママに話したかった事を、全部話したいんだ。あと、ママにもっと優しくしたかった。代わりにkimiに優しくしたいんだ。
馨 だめかな…。
馨はドキドキしながら、kimiの返事を待った。
kimi 大きな子供がいきなり出来たもんだわね。
馨 kimi!!
馨はkimiが傍にいるのなら、抱きつきたい気分だった。
kimiは、いつの間にか流してしまった涙を小指で拭う。
kimi さぁ、また明日から特訓よ。
kimi ママが馨をモテル男にする為にビシバシしごくわ!
馨 おっかないな(笑)。
馨 明日もお手合わせ…じゃないか、ご教授頼むとするかな。
kimi 私の特訓は甘くないわよ。
馨 そんなのもうわかってるって(笑)。
kimi アハハ
馨 今日は僕から先に落ちるから。
kimi ん?
馨 愛してるよ、ママ。
そう言い残すと、いきなりチャットを落ちてしまった。
これでいいのだ。今日は馨を見送りたい気分だった。
なんて馨は可愛いのだろう。
私に子供ができなかったから、その分を注いでしまっているのだろうか。
馨が、どうして無性に女の身体を求めるのか、そして、どうしてゆっくりと大人の関係を結ぶ事ができないのか、パズルのように一つ一つがつながっていく。
馨がわかり、自分も正直に年齢を打ち明け、ほっとすると、同時に不安にもなった。
案外シャイなあの子は、恥ずかしくて、もう私と顔を合わせないのではないかと、ふと心配が頭を過ぎった。
翌日、不安は的中した。
もう約束の9時を30分も過ぎたのに、馨は来ない。