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「「あ、あの子こないだの子じゃない?」
「うん…。」背の高い方が、ふっくらと小柄なもう一人に問いかける。
OL風の二人連れが、信号待ちで止まっているバイクを見つめていた。
茶色の、顎紐で結ぶタイプの可愛いヘルメットをしている。
「女の子だよね?」
「男の子じゃない?」
「いや…胸は微妙にあるような気がするよ。」
「ちょっと可愛くない?」背の高い方が、小さい方に更に問いかける。
「なんだか”ジャニ”みたいな感じだよね」興味深々な目で背の高い女は続けた。
小さくてぽっちゃりした方は、黙ったまま上目づかいにジッとバイクの主を見つめていた。
「やだ!利奈!ヤバイんじゃないの?」
いたずらっぽく、美人な方が肩を叩く。
「うちら、今、ちょっとレズっぽくない?」
屈託なく、背の高い女は笑って肩を叩いた。
ぽっちゃりは、急いで目を反らし、「そんなの気持ちわるいってーの!」と高笑いしてみせた。
聞こえているのか、いないのか、バイクの主は、信号が変わると、ギアを入れ、颯爽と行ってしまった。
ぽっちゃりした女は、言葉とうらはらに、じっと、バイクの後姿をいつまでも追っていた。
馨は、マンションの自転車置き場にバイクを置くと、メットを外した。
フルフェイスのメットにしときゃよかった!と馨は思う。
いちいちウザイんだよ。こっちの世界に来る度胸もない癖に。
フルウェイスのメットと、スーツに包まれているこの瞬間だけは、誰の目も気にせずに自由でいられる。
玄関のドアを開けると、馨はスーツを着替える時間ももどかしそうに、パソコンの置いてある、大きな机の椅子に座った。
そして、端正な顔の中の、漆黒の大きな瞳を左右にくるくる動かしながら、机の上のデスクットップパソコンをつけた。
指は、もう自動的に電源スイッチを押す。
スイッチの黄色の光が、横に長四角を作っている。
その光が穏やかな黄緑色に変わり、ギギギと音を立ててパソコンが動き始める。
馨は木の椅子に腰掛けながら、作ってきたばかりのココアで両手を暖めた。
検索ウィンドウに、「women's looms」と素早く入れると、いつもの薄紫色のサイトがある。
画面を見るだけで、馨はほっとしたような表情を浮かべた。
このサイトには、二人きりで話せる小部屋が11ある。
普通ではない僕達が、日常では困難を極める「出会い」を求めて、皆がここに集まる
。
常人にはわかりっこない、滑稽な程の心の奥からの渇望。
それに突き動かされ、姿の見えない相手との濃密な時間を過ごす場所−。
急いで帰ってきたのに、11ある、「密会の部屋」は全て満室になってしまっていた。
馨の端正な横顔から、落胆の色が見えた。
”彼”は溜息をついて、天井を見上げる。ここでの濃密な話しは長引くからだ。
部屋の主は、何人かと話して満足するか眠くなるまで、去る事はない。
一つ部屋が空くまでに、まだまだかかるだろう。
そうタカを括りながらココアを飲み、何気なくエンターキーを押すと、早くも11番ROOMが空室になっている。
馨は慌ててココアを置き、急いで入室をクリックした。
そして素早く指を滑らし、すらすらと部屋のトピックを書きはじめた。
−近くに住んでいる方、お話ししましょう−
これが馨のいつも常套句だった。
エンターキーを押すまでは、部屋が取れたかどうかはわからない。今も何人かが空き部屋めがけて飛び込んでいるはずだ。
間に合うか!とエンターキーを押すと、部屋が出来ていた。なんとか一番乗りを確保できたらしい。
後は、今夜のネコを待つだけだ。
一仕事を終えたように、馨は椅子の背もたれに寄りかかった。
今日はツイている日らしい。5分もしない内に、「ゆか☆ さんが入室しました」と、画面に浮かび上がった。
ツーショット部屋は二人の為に自動的にロックされた。
「こんばんは」と馨から入力する。
今日の初めてのお客さんはどんな女だろう。
「こんばんは」と、「ゆか☆」の返事が書き込まれる。
「オハツだね☆」
「たぶん、オハツ、かな」
皆、HNをよくチェンジする。
初対面のつもりが、実は以前に話した相手だったりするのだ。
この子に会った事はあったっけ?
でもこのテンションの高さだと、きっと高校生あたりだろうな。
「馨 失礼だけど、年齢聞いてもいい?」
「ゆか☆ 14だよ♪」
うわ、こりゃほんとに若いな!と、馨は苦笑した。
「ゆか☆ 馨は?」
「馨 僕は17になったばかり。」
一瞬、ゆか☆返答が止まってしまった。
「ゆか☆ 僕って…男?」
「馨 いや、いちおう女だよ(笑)」
「ゆか☆ もしかして、バリタチさん?」
「馨 バリタチ…。まぁそんなとこかな。」
ふぅん、と、「ゆか☆」はつまらなそうな返事をした。
馨は少し申し訳ない気持ちになった。
「馨 最近、フェミタチの方が人気あるからなぁ(苦笑)」
「ゆか☆ っていうか聞いてよ!彼女と最近うまくいってないの」
14の癖に「彼女」がいるなんて生意気な!
しかもバリタチが苦手な割には、ずいぶん、どっかと居座っている。
なんでも、「ゆか☆」の彼女は15歳。
最近、メールの返信がなかなか来ないらしい。
「ゆか☆ あぁ、散々愚痴ったら、スッキリした!」
ゆかの文字が心なしか輝いて見えた。
「馨 おいおい、僕は愚痴られ損かよ。」
馨は苦笑した。
「ゆか☆ ゴメン!! でも、ただ、じっと聞いてくれただけで嬉しかったんだ!」
普通は雑談目当ての相手を落としてしまうみたいだ。けれども、馨は落とす事ができない。
「ゆか☆ 馨ちん、またお話し聞いてくれる?」
「馨 もちろん!」
「ゆか☆ ありがと☆」
少々疲れながらも、「ゆか☆」が心の落ち着きを取り戻してくれて嬉しい。
「ゆか☆ ところでゆかから質問なんだけれど」
「馨 うん?」
「ゆか☆ 馨ちんはいっつもここにいるみたいだけれど…」
「馨 うん?」
「ゆか☆ 彼女を作る気はないの?」
馨は困ってしまう。
「馨 彼女を作りたいからいるんだよ。でもそう簡単にはいかなくてね。」
「ゆか☆ 正直な人だね。あ、馨ちん、ゆかそろそろ落ちるね。」
ゆか☆は、これからお風呂に入るという。
「ゆか☆ 変な想像しちゃダメよ!あ、馨もいい彼女見つけるんだよ☆」
苦笑しながらも、
ディスプレイの前で、「ありがとう」と目を細めて笑っていた。
「ゆか☆」が部屋から退出し、僕はまた、一人になってしまった。
−近くに住んでいる方、お話ししましょう−
無論、こんな事は嘘。
「お話しする」、だけで済むような馨ではない。
もう何人とここで話し、そしていくつの夜を越えた事だろう。
「お前はそうやって、ヤル事だけ考えているから、ロクな出会いに発展しないのさ」
OZIが水割りのグラスを片手に、タバコを吹かしながら僕に言っていたのを思い出した。
「もっと”心”で結びつく事を考えなきゃな」
もっともらしい事を言いやがって。地に足がついたようなOZIに馨は苛々した。
もちろん、僕だってそうしたいと願っているんだ!
だけれど、どうしてか上手くいかない。
どうして女共は僕から離れてしまうのだろう?
なぜ?なぜ?なぜ?
「ゆか☆」が出て行ってから、なかなか次の「お客様」が来ない。
もう1時だ。そろそろ諦めて、今日は寝よう。
馨がサイトを閉じようとマウスを動かすと、
「こんばんは」
PCの画面に一言だけ書き込まれているのに気がついた。