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3-3

 彩子は夢から目覚める為に、騎道に背中を預け目を閉じた。

「夢ではないよ。現実に起きたことだ」

「……信じない」

 丁寧に押し返すように、否定した。

「信じてほしい。僕はもう、一つも嘘は言っていない」

「信じられるわけがないじゃない。

 騎道が、あの子? そんなの、誰が信じるっていうの?」

「僕らは、時間を越える」

 彩子は騎道を振り返らなかった。

 穏やかさを保った声音が、彩子の耳を打つ。

「僕と光輝、学園長代行。他にも仲間はいるけど、今、この時代に存在する能力者は僕ら三人だけだ。

 以前、一緒に旅していた僕と光輝は、一時的な経由程度のつもりでここに来た。そうして、三百年ほど前の、こう姫に会った。

 今年になって光輝がこの街に来た理由は、任務の一つだ。

 この時代と空間の監視。安全を確認する為。

 数年後に、ある重要人物が、この日本を訪れても大丈夫かどうか調査していたんだ。

 光輝自身は、僕と同じように御鷹姫を忘れていたはずだけれど。この街に住み着いた事実は、偶然ではないのかもしれない」

 再び銀盤に歩み寄った騎道は、眼鏡越しに視線を注ぎ、銀の輝きが跡形もなく消えるのを見守った。

「これは、別の世界への出入り口の一つ。こう姫の事件以来、なぜか封鎖されてきた。おかげで使えるゲートが一つだけになって、ここに来るのにはみんな苦労してた。

 もう少し調べれば、こっちも使えるようになる。

 エジプトのアスワンに一つ。これは常に使用可能になってる。不定期で、チベットの奥地にもう一つあるんだ。

 僕は、アスワン経由でこの街に来た」

 信じない? 騎道は煙に巻くような笑みで彩子をうかがった。大袈裟な身振りで、彩子は頭を振った。

「だからといって、好きな時に出入りできるわけじゃない。

 上司の許可が必要だ。それと、過剰干渉しない良識。

 僕らは過去に、その禁を犯した……」

 最後の一滴に、騎道は指を浸し、何かの願いを託した。

「御鷹姫の怨念は存在しているよ。

 統磨さんを操り、三人の人間を死なせ。その統磨さんの行動に気付いた上坂さんを、結果的に死に追いやった。

 ……直接、手を下したのは数磨君だった。数磨君はお兄さんを庇うつもりだったんだろうが」

 痛々しく、騎道は息を吐いた。

「統磨さんの死で、事件はすべて終わったように見えたよ。

 けれど同時刻に連城さんが亡くなった。彩子さんが思う通り、あれは彼女の意志じゃない。御鷹姫は異能者である数磨君を今度は操り、連城さんを『自殺』に追い込んだ。

 その結果、四方に血の烙印が生まれた。

 御鷹姫の怨念をより増幅するため。彼女の本当の狙いを成就するために」

 腕を組み向き直る騎道に、感情的な揺れは消えていた。

 それは、込み上げてきた彩子の怒りの衝動をたやすく冷ました。効果的な意志の強靭さだ。5人もの命が奪われた現実を、彩子は憤る代わりにしっかりと胸に刻み込んだ。

「今の御鷹姫は、三百年間、他の女性の体を乗っ取り、恨みを吐いて眠りについていた怨霊とは違う。

 意志を持って、欲望を達成するために手段を選ばない。

 この先、どんな犠牲も厭わないだろう。この街中を、魑魅魍魎がうろつく死の街にしても構わない」

 切れ間のない風が、二人の間を流れていった。

「田上遥子という女性の名前を知っていますね?

 彩子さんの、ひいおばあさんだ。御鷹姫の転生者として亡くなった。この人」

 差し出された写真を彩子は見た。すっと表情が消える。

「……そっくりね。私と。髪のくせもおんなじ」

 平坦な声で、彩子は騎道の意図を先んじた。

 騎道は、春日から借り出したセピア色の写真をしまった。

「今年の彼女は、冥府に戻る気はない。

 生まれ変わりたい。

 生前とまったく同じ顔をもつ、君の体が欲しいんだ」

 鋭利な断定を茶化すように、彩子は小首を傾げた。

「その通りかもしれないわね。あんなに似ているんだもの。

 それに。昨日の秋津会長にも言われたわ。同じことを。

 私はあの人の器だって」

「彩子さん……」

「ご忠告を、ありがと。

 もっと早くに打ち明けてほしかったわ。怨霊に付け狙われているからって、あたしが怖がるとでも思ってたの?

 敵を知っていた方が、心構えがしやすいものなのよ」

「だからといって、君一人では対処できない。

 見えない敵は、不安を増長させるだけだ」

「? 誰が今の話しを信じるって言ったの?

 あたしは信じないわよ。怨霊だとか、騎道が時間を越えるとか。秋津会長が異常なのは事実ね。あの人も騎道と同じように、怨霊に執心しているみたいだけど」

 目を見張る騎道に、彩子は冷笑を込めて畳み掛けた。

「さよなら。面白かったわ、君の推理。

 ……とってもきれいで、悲しい白昼夢だった……」

 夢……。彩子は、切ないばかりの悲劇だけを、心に焼き付けた。御鷹姫を一人の女性として、哀れに思った。

「んでも、刑事の娘を説得するには不十分ね。

 そうだな。父さんをその話しで納得させることができたら、信じてやってもいいわよ。

 黒幕は三百年も前に亡くなった一人の女でした、なんて」

「どうして今更、信じないなんて言えるんです?

 君は思い出したはずだろう? 現実に、何度か彼女に襲われて、昨日は……」

「君は助けに来なかった……!」

 言い切る彩子の目前で、騎道は言葉に詰まった。

「二度と、あたしを守るなんて口にしないで。

 できないのよ? 無理なの。騎道だって完璧じゃない。

 君は、全知全能の神様じゃないんだから!」

 挑むように言い切る彩子。腕に抱えていたコートを投げ付けて、自分が着ていたコートも脱いだ。

「……一人で帰るわ。これは、返す」

 押しやって、彩子は歩き出した。

「一人じゃ危険だ。御鷹姫は、彩子さんの一番無防備な状態を狙っている」

 追いすがる騎道は、話題を変えて彩子を伺った。

「彩子さん。史料館のあの絵。モデルは飛鷹悦子という女性だそうです。君のお母さんですね」

「!」

 彩子の頭の中は、完全に真っ白になった。

「コーヒーを取りに行った時、尋ねたんです。

 モデルに選んだ訳は誰も知らないようでしたが、藤井家の当主は知っていた。あれは、藤井家の寄贈品です。

 製作は今から10年前。彼女が29歳の年で」

 藤井家の女当主が現れたのも10年前だった。あの時、悦子はもう一度会った? この絵の依頼を受けた?

 ……どうして? ……どういうつもりで……?

「……やめてよ。母さんの話しなんて出さないで……!」

 彩子は額を押さえた。何も考えられないのに、足は勝手に前へ進んでゆく。

「斜面を右へ、斜めに下って」

 騎道のナビゲートに、彩子は渋々従った。雲を踏み締めるような起伏と、雑草に覆われた斜面。転倒を持ち堪え、アスファルトを踏み締めた頃には、息が完全に弾んでいた。

 しゃがみこんだ彩子の肩を、白いコートが覆った。

「バス停は、もう少し下った所にあります」

 しばらく押し黙って、彩子は息を整えた。

「……どこまでついてくる気?」

「家まで。彩子さんの家には、結界を巡らせてあるから安全で。だから一人で出歩かないで。

 いつでも、僕を呼んで下さい。携帯電話の番号は」

 ポケットを探る騎道。彩子は遠い視線で、一人決めする相手を見守った。無論。心の中で、手渡されるだろうメモは、すぐに捨てると決めていた。

 なにげなく路上を見渡していた騎道の視線が、凍り付いた。一台のセダンが山道を下ってきていた。

 滑らかな白銀の車体。優雅な走行を一転させて、運転者は凶暴な角度を選びハンドルを切った。

 立ちすくむ彩子。車は、騎道を狙い突っ込む。

 接触寸前で飛び退く騎道。急停車する車と男を見返した。

「乗るんだ、飛鷹」

 低い響きが命じた。

 あからさまに騎道への敵意を示した、凄雀遼然。

 突然の行動に、彩子は怯えながら彼を見た。

 だが凄雀の誘いは、彩子の心を溶かしていた。

 一瞬の真っ白な意識の中で、彩子は二人の男を秤にかけた。開けられた助手席に彩子は滑り込む。

「待って下さい! 彩子さん!」

 ボンネットに手をかけ、騎道が立ちはだかった。

 彩子はうつむいた。自分の肩に手を回す。落としてしまったらしい。コートはそこにはなかった。

「!」

 警告無し。凄雀が、アクセルを一杯に吹かした。

 ヤメテ……!

 なめらかにギアを入れ替える。ハンドルを切る。軋み、砂利を蹴散らすタイヤ。軽い、ボンネット上の振動。

 彩子は咄嗟に振り返った。

 路上に、受け身を取り体を起こす騎道が居た。

 車は遠ざかり続ける。彩子は凄雀の横顔に視線を移した。

 何事もなかったような、冷ややかな顔立ち。一人の人間を、あわよくば跳ね飛ばそうとした男には見えない。

 どうして、だろう……。

 底知れないほど冷酷な男を選んだ自分自身に、彩子は尋ねかけていた。

 答えは出てこない。真っ先に、置き去りにした一人が浮かぶ。その面影を打ち消す。もう一度、なぜ? 問い掛ける。考え疲れて、彩子はシートに深くもたれた。

「騎道から何を聞いた?」

「……何も。夢みたいな、口約束だけです」

 彩子は沙織を思い出して、もう一度、肩を強張らせた。

 口封じ。凄雀なら、ためらいもせずに選択するだろう。

 彼等はあまりにも大きな秘密を持っている。それが、事実であるならば。

 知らない。聞いてない。信じないから、聞かないと同じ。

 ……守るなんて、できるはずがない……!







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