表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/11

2-1

 十月最後の土曜日は晴天だった。

 早朝の青々とした空の下、街は清々しさに包まれた。

 肺の中まで清めるような冷えた空気が、間近な冬を予告する。張り詰めた気配は、人の心を引き締める。

 ひっそりとした緊張感を次第に破る、看護師や患者たちのざわめき。クレッシェンドしてゆく人の気配を感じながら、尾上は一人、診察室でぼんやりとしていた。

 頭の中は、高速で回転している。抱えている患者たちの今後。治療法。昨日の反省。厳しく、自分に落ち度はなかったか、自問する。

 戸口に立った飛鷹修造に気付いたのは、超常的直感による導きだった。コートの襟を立てた飛鷹は、考えに没頭する尾上に、声を掛けるのをためらっていた。

「……何か、彩子君のことですか?」

 尾上は思索の中で、読み上げるように尋ねていた。まるで飛鷹の顔に書かれていたかのように。

 飛鷹の険しい表情は、以前会った頃とわずかな違いもなかった。うなずいて、飛鷹は部屋へ入ってきた。

「どうですか? あいつは、まだ炎を怖がっていますか?」

 瞬きをして、尾上は我に返った。赤の他人同士で、言葉を介さずに意思を通わせていた事実に気付いたのだ。

 妙な一致だとわかっても、質問に対する返答は同じだ。

「ええ……。最近はよくなっていますね。完全には無理でも、日常生活には支障のない程度には回復する見込みはあります。それもここ一、二年以内になるでしょうが。

 それが、どうか?」

 診察机を挟んだ椅子に、飛鷹は掛けた。

「私は、少し嬉しかったくらいなんですよ。あんな事件が起きて、部下の一人が亡くなったっていうのに。娘が火を心底怖がるようになったことを、喜んでいました。

 ……あいつは。彩子は、炎に近付けてはならない。

 火を好むようになったら、お終いなんです……」

 擦り切れかけたスーツの袖口を見せながら、飛鷹は自分の顔をなで下ろした。冴えない瞳を、彼は自覚していた。

「先生には、お詫びしなければなりません。

 あの時点では、話す必要はないと判断していたんです。

 だが……、嫌な気分だ。つまらんことを、あいつが言い出すものだから……」

「何のことでしょうか? 私でお力になれるのなら……」

「先生の、力をお借りしなければならない事態が、起きるかもしれません。……最悪の場合。悦子が、私の死んだ妻ですが、死ぬまで気にかけていました」

 飛鷹は、背筋を伸ばして上体を乗り出した。

「先生は、藤井家に受け継がれる忌まわしい血筋の話しをお聞きですか? 狂死する、若い女の血縁者のことです。

 最近では、大正時代。田上遥子という女です」

「……御鷹姫の転生者、と噂される女性ですね」

 この街で育った尾上にとっては、興味深い過去の事例としか、認識のなかった一件だ。

「田上遥子は悦子の祖母でした。彩子にとっては、ひいばあさんに当たる」

「しかし……!」

 尾上は立ち上がっていた。

 迷信だ! 大正時代以後、そんな実例は途絶えている!

 だから、この先も!

「……何も起こらなければ、それはそれでいいんです」

 弱く笑った飛鷹を、尾上は黙って見返した。

 彼の頭は高速で回転し始めた。どうやったら、この父親のマイナスな考え方を逆転させられるのか。座り直して、尾上はじっくりと検証を始める構えを見せた。



 機嫌を取ろうという姑息な考えではない。

 しかし彩子は、運転席の男に恐々と声をかけた。

「あ、あのっ……。体調は、いかがですか?」

 昨日の帰りと同じ状況だった。凄雀が白いセダンを運転し、後部座席に彩子、あの時は学園長夫人の藤江も居た。

 意識的に凄雀を頼ったのは、あれが始めてだった。

 結果的には、藤江に連れ出された形で、自分から言い出さずにすんで彩子はほっとしていた。

 ただ、あまりにも青白い凄雀の顔色に、藤江が計画していた買い物ツアーは中止された。その代わりに、彩子は重大な責務を、彼女に依頼されてしまっていた。

「……問題はない。行き先は?」

 一蹴されて、彩子はおとなしく、三橋百貨店前と告げた。

 いいのだろうか? エスケープした学生の、私設運転手?

 ……よくはない。困る。相手は学園長代行なのだ。

 この異様な立場を悩む前に、大きな疑問が立ち塞がった。

 どうして知ってるの、この人?

 騎道との待ち合わせは十時。十分時間があるので、冬物の入れ替えをしていた彩子だった。

 いきなり玄関を上がり込んできたのは、ダーク・グレーのスーツを着こなした凄雀遼然だった。せき立てられて、5分後には、彩子は車中の人になっていた。

 慌てたので髪はぐしゃぐしゃ。たっぷりセーターとブラック・ジーンズで後部座席のドアを開けたら『風邪を引くつもりか』と怒られた。すごすごと、部屋に散らかした冬服から、彩子は兄のスエード・コートを拾ってきた。

 すべてが凄雀のペース。

 腹を立てたいけれど、内心、感謝していた。

 一人で行動するなと、騎道は自分で言っておきながら、待ち合わせを指定した。

 どういうつもり? 代行をよこすつものだったから?

 凄雀は、携帯電話のコール音にスピードを緩めた。

「なんだ、お前か」

 投げ捨てる口調で、凄雀は応対した。かなり気安い相手らしい。

「急な呼び出しだな。あいにく野暮用で……」

 わめき散らされたのか、凄雀は顔をしかめて彩子を見た。

 何? ……あたしに、関係のある話し?

「わかった。終わり次第、そっちへ出向く。

 ふん。お前の脅しは、私には効かんよ」

 ……ひどいあしらい様……。

 彩子は、電話の相手に深々と同情した。

「あの……、どうして今日は……?」

「今頃騎道は、青くなっているぞ」

 は? えっとー、うっとー。

「あいつの裏をかくのは、簡単だな」

 …………。楽しそーに、笑ってる……。

「あのっ。二人して、あたしで遊んでるわけですかっ?」

 冗談じゃないわよ! 人の気持ちも知らないで!

 バック・ミラー越しに睨み付ける。

「……。もう少し女らしくできないのか。車が機嫌を悪くする」

 脱力……。どおせ、あたしは高級車には不釣合いですっ。

 彩子は沈黙をお返しにした。

 知りたいことははぐらかし、聞きたくもないジョークしか口にしない。……騎道とおんなじ。騎道よりも悪い。

 騎道の裏をかくって……。迎えにくるつもりだったんだ。

 あいつ、また嘘をついた……。



「どぉいうつもりよ! 説明しなさいよ!」

 午前十時の開店寸前。三橋百貨店前に人待ち顔で佇んでいた少女が、表情を一転させた。

 剣幕に怯んだのは、デニムの上下を着た細身の少年。

 鮮やかなパープルが基調の大判ストールを左肩にかけただけの、かなりな薄着だった。

 歩道を歩く全員が、若い男女の、あきらかな痴話喧嘩を微笑ましく振り返り、行き過ぎていった。

「??? あ、あの、電話しても誰も出ないから、もう家を出たんだと思って、これでも慌ててきたんですが……」

 遅刻、じゃないですよね? と、許しを請う弱い笑みを騎道は作った。

「? 電話って、何よ?」

「やっぱり迎えにいくから、待っていて下さいって」

 あ……、そっか。そういうこと。

 なんだか、ぷんぷんしていた自分がバカみたい……。

「タイミング悪くてごめん。でも、何もなくてよかった」

 先に謝られ、気恥ずかしくて彩子はうつむいてしまった。

 騎道のことだから、彩子の自宅にも回ったはず……。

「……悪かったのは、こっちの方よ。遠回りになっちゃったんじゃないの?」

「そうでもないですよ。最初から、ここに寄るつもりだったし。バイクは駐車場に置いてきましたから」

 行こ? 騎道に手を取られて、彩子はびっくりした。

「……こんなに冷えて。ストール一枚で、走り回るからよ」

 自分のコートを脱いで、騎道に着せかけた。

 やっぱり男物は、男の子が着た方が似合う。

 秋晴れの日和と真冬のような厚着に、数分前から失敗したと後悔していた彩子だった。

「あげるわ。代わりにこのストールを貰うから」

 騎道の薄着は、引っ越しの連続と、一人暮らしの生活苦のせいと彩子は看破した。事実、半ば的中している。

 もう五年も兄は着ているのだから、この辺りで買い換える時期のはず。決め付けた彩子は、ボランティアの気分だった。取り上げたストールを両肩に巻き付けてみる。

「丁度いい組み合わせじゃない?」

「それじゃ、彩子さんが寒いよ。ちょっと遠出になるから」

 まあ、丁度いっか。騎道が一人ごちた。

「彩子さん。物々交換はどうですか?

 僕、コートを選ぶつもりで、この時間にしたんですよ」

 開店を告げるオルゴールが、歩道に流れ始めた。

「家具も一つ探したいし。買い物上手な彩子さんに、付き合ってもらいたいなって……。

 何か、僕の顔についてます?」

 平和この上ないきれいな顔立ちに、平手の一つも飛ばしてやりたい彩子だった。

 ……揃ってエスケープした意味を、わかってるの?

 こらえて、ミニ・リュックから封筒を取り出した。

「学園長代行のお母様から預かってきたの。

 一人暮らしを急に始めて、君が苦労しているだろうから、これで入り用なものを選んでくれって、頼まれたわ。

 でも、そんな気分になれないから。そっくり預ける」

 騎道の手に握らせて、彩子は一歩離れた。

「あたし、その辺で時間潰してるから」

「なら、コート選んでて下さいね。すぐに戻ります」

 ……泣きたくなるくらい、緊張感のない奴。

「ちょっと、騎道!」

 振り向く騎道は、はたと思い付いた。

「やっぱり、一緒に行きます? 家具売り場って何階かな」

「……5階。行くわよっ」

 リュックをブンと振り回して、彩子は大股で歩き出した。

 無闇と明るい。むちゃくちゃ、騎道は脳天気。

 このペースに巻き込まれてやらないと、ゲームの駒は前には進めないらしい。

 何だっていうのよ。騎道も代行も。

 あたしの現実ってどれなの? おとぼけナイトに振り回されてる今? 見えない誰かに付け回されていた昨日?

「……う。お母さん、こんなに大金……」

 背後で、騎道がうめいている。落とすかもしれないからと、彩子にもう一度預け直し、騎道は尋ねた。

「学園長代行ですか、彩子さんを送ってきたのは」

 そっけなくうなずくと、騎道は額をカリカリとかいた。

「また、先を越されちゃったなぁ」

 明るく、落胆してくれる。

 けれど逸らした表情を、ディスプレイの鏡が一瞬だけ捕らえた。見るともなく、彩子は目の当たりにしてしまった。

 ひっそりと沈んだ、戸惑いの陰りが瞳にあった。

 この時から、騎道に習って自分を隠そうと、彩子は決めた。おたおたしている自分は、飛鷹彩子ではないのだから。



 騎道は、海の色か水の色が好み。

 青や緑、、薄水色に、視線が引かれる傾向にあった。

 騎道は水っぽい揺れが好き。

 ウォーター・ベッドから、なかなか離れようとはしなかった。金銭的なゆとりと、自宅の構造上の理由で即却下。

 決断するのは素早くて、ソファ一つを選ぶのに、5分とかからなかった。リビングに置くのだという。

 アイス・ブルーのプレーンな布張、肘掛け付きの三人掛けのソファ。こんなに寒い色を選ぶなら。彩子はソファ・カバーも必要だと主張した。

 それも暖色系。アイボリーの地に茶色がかったオレンジのチェック柄に決めた。

 カーテンも同じ柄でと、次を物色する彩子を遮って、騎道はさっさと宅配伝票を書き上げてしまった。

 支払いは、自分のポケットマネーで。こんな所は、几帳面にけじめをつける男だった。

「いいわよ。あたし、いらない」

「そうはいかないよ。このコート、いい品ですよ。ただで貰うわけにいきませんから」

「そうは思えないけど? 古くなったからいいのよ」

「このデザインで、古めだから価値が出るんです」

 アンティーク物には、とんと弱い彩子だった。

「……どーでもいいわよ。黙ってもらいなさいよっ」

 尻込みする彩子をなだめ、二人はファッション・フロアに降りていった。

 季節を先取りして、フロアには真冬が溢れている。

 クリスマスのデコレーションの中で、真紅のコートとロング・ブーツのマネキンたちが取り澄まして立っている。

 かたや、雪の精そのものに、白一色の一角もある。

 一転して、彩子は目を輝かせてしまった。

 そうだよね。新しいコート、今年は欲しいって思ってたんだ……。などと、数分前に自分に言い訳する始末。

 女の子はショッピングが大好きな人種である。彩子にも当てはまるという騎道の読みに、間違いはなかった。

 たっぷりと時間をかけて、コートのフロアを巡る。

 選ぶつもりはなくて、眺めるだけでも楽しいし。

 賑やかな音楽が、頭上から降っている。

 時間や、いろいろな事が、彩子の頭から消えていった。

「あ……、それステキ……」

 騎道のいる場所に、自然と出くわした。ベルベット・ブルーの壁に飾られた白いハーフ・コートを、騎道は見上げていた。

 純白というわけではなく、シルバーがかった光沢のアイボリー。大きな襟とつながった、たっぷりした帽子。毛足の長い、フェイク・ファーの縁取りが、手首にも巡らせてある。

「雪の中に紛れてしまいそうだね……」

 ハンガーごと取り上げた騎道。彩子は少しためらった。

 着てみるだけなら。促されるまま袖を通してみた。

「……軽い……」

 思ったよりも、軽い素材だった。遠目には高級感があるのに、カジュアルな布地が洒落ていた。

 さほど厚地でもない。十分、動きやすい。

 ぱふん、と帽子を被せられ、彩子は騎道を見上げた。

「……、あたし……」

 あわてて、彩子はコートを脱いだ。ハンガーに掛け直す彩子に、騎道は預かったミニ・リュックを差し出した。

「お母さんのお金を使って下さい。僕、下に行ってバイクを取ってきますから」

「ちょっと待ってよ。勝手に決めないで」

「ん……。じゃあ、物々交換」

 コートを取り上げて、騎道は店員に渡した。

「……騎道っ!」

「他のが、いいですか?」

 彩子は押し黙って、騎道の目前に立った。

 二人を見比べ、女店員は困惑顔で足を止めた。

「すみません。強引で」

 彩子に言って、店員にはお願いしますと促した。

 強引で……。最後の一言に、彩子は目を見張った。

「物々交換よね。フィフティー・フィフティーで嬉しいわ」

 念を押してから、言い継いだ。

「あたし、手袋も欲しいな」

 彩子は、売り場を探しに歩き出した。

「ついでにマフラーもどうぞ。バイクは風が冷たいから」

 軽い足取りで、彩子はその場でターンして向き直った。

「騎道? ありがと」

 にこりと、笑い掛けた騎道の頬が強張った。

「その調子で、本当のことを聞かせてね」

 かわりに、彩子が唇を引いてみせた。

 胸に鋭い剣を打ち込まれたような騎道の表情が、すぐに溶け出し、答えを出した。

「ええ……。勿論」

 黒縁眼鏡の奥の瞳が、彩子を射抜いて離さない。

 先に目を逸らしたのは、彩子の方だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ