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3-5

 フロント・ガラスを雨が伝っている。正午だというのに、空は憂鬱な鉛色に覆われていた。

「尾上か? 悪いが今日は会えない」

 凄雀は、携帯電話で約束のキャンセルを告げた。

「どういう風の吹き回しだ? 君の学園の生徒のことだぞ? 彼女がどうなってもいいって言うのか?」

 尾上の口調は最初から険悪だった。

「そういえば、お前の大事な患者でもあったな。

 飛鷹彩子は」

「お前、知っているんだな……?」

 凄む相手に、凄雀は眉をひそめた。

「主治医には黙っていて悪かったが。

 いいから、人の話しは黙って最後まで聞け……」

 ぴしゃりと、尾上の攻撃を撥ね付けた。

「事態は最悪の状況へ向かっている。

 出番が来たら、お前の手を借りに行く。

 そんな場面が起きないことを、せいぜい祈るんだな」

「……他に、言い訳したいことはないのか?」

 精一杯、苛立ちを押さえ、尾上は尋ねる。

「ない」

「凄雀っ! とっとと俺の目の前に来い!

 今度こそ、その涼しいツラを張り飛ばしてやる!!」

 珍しく激怒する男を、凄雀は持て余した。

「過程と状況と、患者の現状までなら後で教える。

 それ以上は話したくないことも、私にはあるんだ」

 一方的な通話を切り、電話を助手席に放り出す。

 他人の友情と自分の立場の、ちょっとした綱渡りに、凄雀は疲労感を覚えた。告白し懺悔したいつもりはないが。こんな時は、ただの男の気楽さが、恋しくなる。

 一人、佐伯家の玄関を出てきた彩子に気付いた。

 ぼんやりと雨を見上げ、彼女は動きを止めた。

 脱いだ背広で頭を覆い、彩子の肩を抱え、凄雀は打ち付ける雨に踏み出した。



 昨夜とは逆の立場に、内心駿河は苦笑していた。

 友達ってわけでもないのに、やけに気にかかる奴……。

 明日、撮影現場で会う約束をしているのに。それを待てずに、駿河は騎道の新しい引っ越し先を探していた。

「この辺りだと、思うんですが……」

 スピードを極力緩め、間瀬田は路地から路地へと車を移動させる。駿河は住所を書いたメモを渡しただけで、楽な人探しだった。

「いいよ。降りて探すから」

 車を降り、道の両側を見渡すと、少し懐かしい気分になった。以前住んでいた場所と、よく似ている。

 生け垣があって、狭い庭から各家思い思いの庭木が枝を伸ばしていて。ベランダには、植木鉢が鈴生りになっている。電信柱の小学生の悪戯書き。霧雨に濡れそぼった野良猫が、夜の道を横切る。

 人の足音に、駿河はついそっちの方向に歩き出していた。

 若い男の黒い影が、エンジンをかけたままの車に慌てて乗り込んだ。逃げるように、車は走り出す。

「……なんだ、あれ?」

 どこかで見掛けたことのあるような、シルエットだった。

 そいつが出てきたと思われる家は、駿河の目の前にあった。真っ暗で、人の居る気配はない。

 ……こそ泥かよ……?

 好奇心に勝てず、駿河は半開きの鉄門を押して、中へ入った。ドキリと、した。

 表札の無い家だった。長方形の表札の跡らしきものの下に、スチール・プレートの番地が光っていた。

「今の……。まさか、な……」

 駿河は思案顔を背後に向けた。

 追いかけてきた間瀬田と、目が合う。

「ここだぜ。車で待っててくれる?

 時間、かかるかもしれないんだけど」

 間瀬田は、かまわないと言って引き返した。

 駿河はまた、不審顔を作った。

 ここに誰かが住んでいるのなら、今の会話が聞こえているはずだ。なのに明りの点る気配もない。

 ほんとうに、騎道は留守なのか……?

「無駄足か、擦れ違いになったか」

 庭の方に駿河は回ってみた。庭に面して大きな窓がある。

 薄暗い足元に注意を向けると、庭土に真新しいスニーカーの足跡が残っていた。さっきの男のものと、直感した。

「……やっぱり、三橋か……」

 似ていた。三橋の肩、髪型。歩き方。

 昼間、気になって休憩時間の2Bをのぞいてみた。

 空いた彩子と騎道の席を気にも止めず、三橋は仲間たちと騒いでいた。いい気なもんだと、駿河は顔をしかめたが。三橋の本心は、こんなところに転がっていた。

 雨の中、騎道の姿をうかがう程度。

 何を後ろぐらいことしてるんだ……!

 他人の友情ながら、苛々してくる。呆れ果てる。

「……らしくないぜ……。くそっ」

 乱暴に水溜まりを踏んで、窓に張り付いた。

 握り締めた拳で、ガラスを砕いてやろうかと考えた。

 中で、尋ね人は寝転がっていた。

 だらんと、ソファからフローリングの床に腕を放り出して。両足は向こう側の肘掛けに、揃えて投げ出されている。

 ……まるで死体だ。

 ガラスをノックすると、騎道はすぐに体を起こした。

 皺になったタートル・ネックの裾を伸ばしながら、騎道はガラス戸を開け、駿河を招き入れた。

 駿河に先んじて、白い影がひょいと部屋に飛び込んでいった。コロンと丸くなり、雨に濡れた毛を繕い始める。

「すみません。この家に居着いていた猫で」

 まだ体の小さい猫だった。それでも、金色の目をキロリと駿河に向け、品定めをする。小生意気な白猫だ。

 蛍光灯の明りに駿河は目を細めた。

「……話す、約束でしたね。すみません」

 真新しいソファを駿河は見下した。

「ここに二人で、並んで座るのか?」

 冗談じゃないぜ。そう言いたげに駿河は聞いた。

 まったく。客のことを少しも考えてないじゃないか?

 カウチ・ポテトのアイテムならば、この部屋にはテレビが欠けている。完全に意味不明。このソファの使用目的は、騎道一人を慰めるものでしかないと見た。

 自分の迂闊さに気付き、騎道は眉を寄せた。

「どうぞ。駿河さん、掛けて下さい。

 インスタントですが、コーヒー出しますね」

 幾分、騎道の動きが素早くなった。

 やれやれ。趣味のいいソファ・カバーはわざと格子を斜めにして、軽快さを出している。それも、悪くない。

 低いテーブルにはウォークマンが乗っていた。その脇の、なぜか伏せられた木製写真立てに、駿河はなにげなく手を伸ばした。音もなく、子猫がテーブルに飛び乗り駿河を見上げる。妙な圧力を感じて、やむなく駿河は手を引いた。

 コーヒーと引き替えに、騎道は写真立てを片付ける。

「……。それ、雌か?」

 子猫はご褒美をねだるように、騎道の踝にまとわりついた。……やっぱり人を選んでいる。駿河は舌を出した。

「いいえ。雄だと思いますよ。

 ティオ? 向こうで御飯、食べておいで?」

 喜んで子猫は台所へ出ていく。駿河は気を取り直した。

「彩子に、フラれたのか?」

 差し向かいの壁にもたれ、騎道は床に座り込んだ。

 ジャケットを羽織りながら、うなずく。この部屋に、暖房器具らしいものはなかった。

「そうですね。代行に、浚われてしまいました……」

 カップに口を付けながら、駿河は眉を吊り上げた。

「僕が居ながら、すみませんでした……」

 先に謝られ、駿河はおとなしくコーヒーを飲み下すしかなかった。

「彩子のことだから、何かある、ってことはないだろ……。

 そんなに甘ったれた根性はしちゃいない。いい年をして、あの野郎が本気にならない限りは、大丈夫だ」

 騎道は黙って、床に置いたコーヒー・カップの湯気を見据えている。

 嫌な感じだった。騎道が、否定しない。彩子の感情を手に取るように読み取ってきた男が、押し黙っている。

 駿河は思い返した。妙に、彩子は年上の男に懐くタイプだった。同い年の男たちには、負けん気が強く、堂々としていたのに。特に、生前の志垣の前では素直だった。

 ファザコンだと決め付けて、男として認められない憂さを、駿河たちは密かに晴らしていた。

 だから。志垣の殉職を知らされた彩子が、自分を見失うほどショックを受けた事実は、駿河と賀嶋の二人を激しく打ちのめした。彼女の心をまるで掴めなかった、自分たちの子供っぽさが悔しかった。

「当て付けです。代行の行動は、僕への……」

 騎道の一言は、駿河の連想を打ち消した。

「けれど彩子さんは、僕より彼の方を選んだ」

 これ以上、踏み込むわけにいかないでしょう?

 騎道は前髪を払い上げながら、確かめるように言った。

「……そうだな。きっぱりフラれて、よかったじゃないか」

 ニヤリと笑いながら、初めて駿河はこの部屋の寒さを感じた。もう一つ。初めて、騎道の引きつった笑みを見た。

「さて。手っ取り早く、聞かせてもらおうか?」

 促すと、ひどく事務的な表情を騎道は作った。

 彩子に語った通り、話そうと決めていた通りのことを、澱みなく騎道は話し始めた。

 駿河は、尋ね返す必要はなかった。

 コンピューターのように、騎道は冷静だった。

 食い違ってしまった過去の愛憎と、それがこの街にもたらした混乱。彼女の渇望の顛末を、明確に分析してみせた。

 駿河の方は、動揺を隠せなかった。

 見えない敵。薄々、背筋に合いあがっていた恐怖感が、名前を得てもまだ見えてこない恐れ。

 信じないとかたくなに否定する、不可解な彩子の態度。

 騎道は、彩子のことは任せてほしいと駿河に断った。

 そうするしかない。駿河は、頭を振った。

 たった一点、騎道が避けた話題。彼が御鷹姫と同じ時間を共有したことは、曖昧にした。

 話す必要はないと判断した。

 時間を越える。それはやはり、最上機密だった。

「それで、お前の本心はどうなんだ?」

 冷めたコーヒーを、駿河は低いテーブルに置いた。

「本心って、どういう意味かわかりませんが」

 すっきりとした笑顔を浮かべて、騎道は小首を傾げた。

「僕に本心なんてないんですよ。

 成すべきことがあって、それをやり遂げるに十分な力があって、行使するだけ」

 まるで機械だな。吐き捨てようとした言葉を、駿河は飲み込んだ。

 向けられる騎道の視線に、迷いが消えていた。

 強靭な確信が、静かに駿河を制する。

「それで、終わりです」


『RAINY ANGEL 完』





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