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愛らしく陥れ、手に入れる

作者: 尾田里佳子

「ふふっ。お弁当、今日も作ってまいりました」

 可愛らしく、純粋に、ただ主様を愛してやまないふりをして、談笑している主さまに声をかける。


「エミルちゃんは可愛いなぁ。俺にも作ってくれよ。俺ならエミルちゃんのことお嫁にもらってあげるくらいに可愛がっちゃうよ」

 主さまの同僚のケイン様はふざけたような口調で言う。


「ありがとう」

「主さまから、お礼の言葉を聞くだけで、エミルは至福のひとときを頂いているのです」

 主さまは愛された経験がない。

幼少期の人格の形成はのちの人生に多大な影響を与える。主さまは幼くして、家庭内不和に、権力の闘争により、肉親の愛情も与えられず、使用人たちにも愛情を与えられず放っておかれ、育った。だから、周囲には信頼する相手がいない。

信頼するという心の動きを一度も経験したことがないからこそ、今は周囲に恵まれ、愛されているのに、それに気づけず、孤独を抱えている。

それは恵まれていることに気付かない幸福者の傲慢だ。ただ、自分が不幸のどん底にいると思いあがっているのだ。だから、私はその袋小路の主さまの思考に突け込む。


「エミルも一緒に食べよう」

 主さまは優しくなった。私にだけ向けられた優しさは、時が経つにつれ、ケイン様をはじめとしたご学友や使用人にまでその優しさを向けることができるようになった。

「お言葉に甘えて」

 使用人と主は分け隔てなくなんて、綺麗な言葉がここにはない。

平民と貴族や、平民の中でも貧困層と一部の豪族、富豪たちの特権階級層との溝は深い。

私が、元は身分制度がなくなって久しい隣国からやってきたせいか、この国の考えはひどく歪で古めかしい旧時代のものにしか感じない。

しかし、その前時代的なゆえに古典的で歴史ある制度は、身分制度のなくなった国と同等に力を持ち続けていられるのは、国民たちの制約ある自由で生きる力によるものだ。柔軟性ともいえるのだろうか。

身分制度は確かにあるが、驕る者は久しからず、上に立つ者の腐敗は存外進まないで済むのが、この国の国民性であり、他の国と異なる風土なのだろう。確かに階級は存在する。途方もない壁が私たちには立ちふさがっている。生まれによって、住むところも、すべきことも決まっている。でも、すべてが調和して、世界に組み込まれている。

いや、実を言えばこの国は私の国よりも一歩進んだ世界にあるのだ。生まれる前より先に人々の運命が分かり、それを最大限に国力にするための配置に人々は置かれるようになっている。それを遺伝子操作など他国では失われて久しい高度な文明の技術を利用することによって、ほんとうに成り立っているのだ。

その仕組みをこの国以外のほとんどの国とそこに住むごく一部の特権層が黙認し、実験場とされているのがこの国なのだ。仮初の理想郷。それが、この国の真実の姿だ。


だから、主さまは意図的に孤独にされ、愛に飢えた人となるように仕組まれているのだ。

お可哀想になんて思わない。彼はその孤独によって、より一層幸せになれるのだから、下手な同情心など沸かせてはならない。


「こっちにおいで」

 主さまは脚を広げられ、私をそこに座らせ、その体で囲む。

「食べにくいですよ。私はお側に座らせていただきます」

 愛に飢えた人間が愛を与えられたとき、その人物は執拗なまでに愛を与えてくれた人物の存在を確かめたがる。その存在が信じられないのだろう。肌のぬくもりを感じ、抱きしめ、存在を認知するのだ。

主さまも例にもれず、私を過分なまでに側に置き、触りたがる。それは私の心に小さな波を打たせる。


「お昼は暖かいですね」

「あぁ」

 彼の傍に座り、彼に寄り添いながら、身体と気持ちを和ませ、ゆっくりとする。

冷たい隣国には無い暖かさだ。私の味わえる幸福の限界値へ一歩ずつ近づく行為だとしても、この柔い空気を手放すことはできない。主さまへ愛を与えているなんて言いつつ、自分が味わえなかった愛をもらえているのだ。


主さまの側にいられるのは、私というピースをなくすための布石でしかない。だから、私は主さまの中で大きな存在となり、彼の心に存在を大きく占め、その居場所をより大きくえぐっていかなければならない。

それが、私に与えられた役目であるのだから。できるならば、彼に取り入り、一生の安全を保障してもらうことが一番なのだろうけど、彼はまだ何も知らないし、力もない。ただ、初めて与えられた愛を受け止め、存在を疑いつつも、それを守ろうとしているだけだ。


「明日も明後日も主さまのおそばにいます」

ただ、今の幸福を味わうことが私の任務なのだ。


「俺のことを忘れて、いちゃつくなー」

 ケイン様が我慢ならぬというように駄々っ子のように腕を振り回す。

「申し訳ありません」

謝罪の言葉を言いつつも、私は主さまから離れない。

主さまが見せつけるようにきつく私に腕をまわしたから離れられないというのは言い訳だ。ただ、私が主さまの側に居たくないと思えば、離れられるだけの束縛でしかない。


 こんな時が長く続けばいいのにと思う反面、これは終わりに向かうための幸せであるから、いっそうありがたみを分かることができるのだ。

 幸せだな。幸せでありたい。幸せになりたい。

 強欲な私の命はあとどれくらい続くのだろうか。


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