ストーカーラブ
「成長したな」
ネクタイを締めながら彼は言った。投げかけられた言葉を聞いて喜ぶわけがない。だって私、風俗嬢だよ。一年も勤めれば誰だって床上手になるわよ。
毎週金曜日に来店する彼は、私が初出勤のときから来てくれる常連さんだ。この店は四十分三万円という値段だ。相場の倍以上する店に毎週来るこの客に興味があった。赤井と名乗った。私は源氏名を教えた。
足を洗いたい。しかし母がそれを許さない。父が自殺した日から母は働かなくなった。大学を中退して中小企業に就職したが薄給のため生活は破綻寸前であった。付き合っていた彼とも別れた。母は私の新しい仕事を探してきてくれた。自分は働かないくせに。しかも探した仕事が今の店。腹が立ったが育ててきてくれた恩を忘れたのかねえと言い泣きだす。それを言われると返す言葉がない。前向きにいこう。売られるよりはましだ。江戸時代の極貧農民はこれより酷いだろう。
母に内緒でノートパソコンを買った。気晴らしにどうしても欲しかった。通信料は痛いが指名客が増えたので支払いが遅れることはない。日々の喜怒哀楽をブログに綴った。想いを整理すると心に静寂が訪れる。不機嫌になる原因が明確になり客観的に自分を見つめることができるからだろう。
ブログのコメント欄に書き込みがあった。書いた人はいつも決まっていた。レッドツェッペリンというネームだった。内容に愕然とした。出勤時間や服装、その感想などが細かく書かれていた。不安が最高潮に達したのはアパートから出る私の写真が載ったときだった。時間も秒単位で記録されている。今日の書き込みには私の身体の感想が載っている。客か。赤井の顔が浮かんだ。コメント削除の方法がわからない。この仕事を始めてから頭が悪くなった気がする。サービスの説明書きを読んでも理解できないのだ。その時電話が鳴った。無言電話だった。時計を見ると出勤時間が近づいていた。憂鬱であったが気を取り直して仕度をした。通報しようか考えたが危害を受けたわけではないし説明するのが面倒であった。無気力になっている。脳を使うのが億劫になっているようだ。江戸時代にもストーカーはいたのだろうかと、どうでもいい事は頭に浮かんだ。
店が近づくと尾行者がいるのを感じた。公園を抜けると店はすぐそこだ。早足で向かった。突然後ろから抱きつかれた。口を手で塞がれて声が出せない。通報しなかったことを後悔した。ダメね私って。危機が迫っているのに自虐的な気持ちが湧いてきた。力を抜いて目を閉じた。鈍い音がした。はっと後ろを見ると角材を持った赤井が立っていた。倒れた男の後頭部からは赤い液体が流れ出ている。黒いジャンパーの男はうめき声を上げたが赤井がもう一度角材を振り下ろすと動かなくなった。両足を引っ張りすぐ横の植木の中に滑り込ませた。その後赤井は自分のネクタイを男の首に巻きつけて絞めた。
乱れた心を取り戻すのに一時間かかった。ベンチに座り赤井は震える肩をずっと支えてくれた。遅刻の理由を店長は問わなかった。怒られると覚悟をしていたが、青ざめた私の顔を見て言葉を飲み込んだのだ。うるさい人だが余計なことには一切かかわらない。長年の経験がそうさせているのだろうと勝手に想像した。
皮肉なことに仕事はあの出来事を忘れさせてくれた。風俗で働いたが故の結果なのにね。赤井は男の死体は自分で処分すると言った。また金曜日に、と言って去っていった。普段と変わらぬ態度に心を打たれた。男性は皆あのようなことがあっても冷静でいられるのだろうか。いや赤井が特別なのだ。会社が倒産して自殺した父の顔を思い出した。客の上にまたがって見下ろした。腰をゆっくりと動かす。数分で身体が溶け出しそうになった。今日は全ての客を恋人のように包みこんだ。また指名がふえちゃうな。明日は金曜日。お礼をしなくちゃね。
赤井はプレゼントのネクタイを見て喜んだ。殺人のお礼がネクタイというのは芸が無いと思ったがそれ以外思いつかなかった。コムサの洒落たデザインだ。赤井は付けているネクタイを外してそれを締めた。似合うよと言うと照れた顔になった。かわいいと思った。
真剣な顔になって私を凝視した。笠木奈緒子。突然赤井が呟いた名前は私の本名。はい。普通に返事をする私。心境とは逆に落ち着いた声を出した私。
「同級生の赤井だよ。赤井一樹。」
整形をしたらしい。悪いことをして顔を変えたと言った。今はデザイン会社を経営しているとのこと。街で偶然私を見かけてこの店に通ったらしい。無礼を謝りポケットから指輪を取り出した。
「結婚しよう」
吹き出した。だってソープでそういうこと言うかな普通。一樹とはいい友達だった。歴史に詳しくよく教えてもらった。昔の日本と自分の生活を比較する癖は一樹のせいだと思い出した。特に一樹は幕末志士の言葉がお気に入りであった。私のさっぱりした性格はその影響が大きいと感じた。人生、哲学があるとけっこう楽なのよね。
店を辞めると店長に言うと、いいよと言った。店長は寂しそうだった。
一樹の年収は二千万円を超えていた。私には理解できないイラストや図面が何百万単位で取引されていた。何人と寝れば稼げるだろうかと計算したが、すぐにやめた。母は昔のように気品が出てきた。やっぱりお金があると人間違うなと感心した。お腹の子が来月生まれたら母さん、おばあちゃんだねというと姉さんと呼ばすわよと私の大きいお腹に向かって無理なことを言った。
赤井一樹逮捕の報は分娩室で聞いた。デザイン会社の社長も殺めていたらしい。一樹の才能で知名度を上げたのに冷遇だったようだ。会社のお金も一千万円が行方不明になっているとのことだった。今の会社を立ち上げたときに使ったのだろうか。
「女の子ですよぉ」
看護師が抱きかかえた子は目の大きい一樹似の美形だった。私が店で使っていた源氏名を付けた。母には内緒だった。一週間後に退院したあと何度か事情聴取を受けた。ストーカーの件はバレていないみたい。何年の刑ですか。知らないと刑事は言った。
一樹の書斎は家宅捜索の後なので荒れていた。見渡すと壁に赤い飛行船をモチーフとしたイラストが飾ってあった。
最近の事件は逮捕者のブログが公開されることが多い。容疑者だからといってそれが許されるのだろうか。マスコミへウェブ管理業者がリークしているのは間違いないのに誰も指摘しないのはなぜだ。苛立ちを抑えながらテレビの報道番組を観た。一樹のブログは意味不明だと解説者は言った。私以外は理解できない内容だった。「赤い飛行船」と訳するんだね。辞書を引いて一つ息をついた。一樹の本棚で見つけた和英辞書は変だった。アルファベットに丸印が付けられている。順番に紙へ書き出していくとローマ字だと理解した。並べかえるのに苦労した。Itaiwashibafunosita kanewakinoshita
夜中に庭にある松の木の根元を掘りビニールに包まれた札束を見つけた。手紙も一緒に入っていた。書かれている内容は読まずともわかった。公園での出来事が自作自演であったのはなんとなく感じていたから。ホームレスでも雇って一芝居うったのだろう。ブログの書き込みも歪んいると感じる。でもそういう愛情表現があってもいいかなと思った。かわいいと思った。
芝生の上には庭師に頼んで大きな石を置いてもらった。
お金はある。しかし将来どうなるかわからない。
近代日本を造った幕末の志士の心を支えたのは遊女である。龍馬、近藤、そして私の大好きな土方君。曲者偉人の影に遊女あり。お勤めを終えるまで私は待っています。だって私はあなたの妻なのよ。目標があると人生は楽だわ。
店長に電話をした。また働きたいと伝えた。
いいよと返事が返ってきた。嬉しそうな声だった




