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桑道家抄:日常の小さな謎からつながる共感ミステリー  作者: コワモテ
思い出の味

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面影

卵かけご飯にかけた、冷えた醤油のことを思い返していた。あのとき少し残念な気持ちになったが、よく考えれば卵だって冷蔵庫から出したばかりで冷たいのだ。なぜ卵はスーパーでは常温で売られているのに、家では冷蔵庫で保管するのが当たり前になっているのだろうか。買ってきてすぐの卵を使ってみたい衝動にかられるが、温かいごはんと冷たくない醤油を同時に揃えることは、我が家では現実的ではないと思い直す。


これほど細かい条件を感じ取れるほど、私の舌は鋭くないだろう。念のため母に、送ってくれた醤油のことを聞いてみよう。


翌日、母とのビデオ通話を繋ぐとすぐ、末っ子で年中のアキラと、小1のレンがカメラ前のポジション争奪戦を始めた。アキラとレンは年齢が近いこともあって、最近は何かにつけて張り合ってしまう。


アキラは、地域の消防団が主催した合宿で友達と一泊したのがよほど楽しかったらしく、祖母に向かって興奮気味に話している。

「あのね、それでね、カレーをね、みんなで食べたんだよ!」

あの合宿の日は、行方不明だったレンのGPSが見つかった日でもあった。偶然が重なると、妙に記憶が鮮明になる気がする。


ようやく本題を切り出すと、母は「色々な種類が売られていたけど、懐かしいのがいいと思って」と、パッケージに『創業以来変わらぬ味』と書かれた商品を選んでくれていた。やはり味覚に問題があるのだろうか。


そのとき、猫が画面の中の母の前を横切った。さらにもう一匹。私が実家にいた頃から、家には常に猫がいた。代替わりを重ねて、今ではもう名前も分からない。子ども達と母のやり取りに、自撮りカメラマンとして顔の端だけ参加しながら、私はぼんやりと考える。


母も歳をとった。父は数年前に亡くなり、今は猫たちだけが同居人だ。


母方の祖父は漁師だった。新鮮な魚を食べ慣れていて、醤油はほんの少ししか付けず、味噌汁ではなくきすのお吸い物を好んだ。まな板の上にスッと醤油で線を引いて、さばきたてのイカの刺身に、ほんの少しだけ付けると口へ運ぶ。その無駄のない所作が、潮風で真っ黒に日焼けした無骨な見た目と対照的に映った。


まだ暗いうちに漁に出た祖父は、お昼前に戻ってくると、捕れた魚を加工したり、定置網に空いた穴を補修する。補修に使う握り鋏(にぎりばさみ)の形状は毛抜きに似ていて、力の入れ方を工夫しなければ、うまく切れなかった。左手で右利き用のハサミを使うときのコツに近いのかもしれない。

「トオル、バカとハサミは使いよう、の由来だぞ」

祖父はよくそう言って笑っていた。


一般的な形状のハサミの方が、誰でも簡単に切れて便利だ。だが、握り鋏も慣れれば小指と薬指で持ったまま、空いた指で作業ができるし、研ぎ直せば一生使えるのだという。


一度だけ、父と一緒に祖父の船に乗せてもらったことがある。父は漁師ではなかったが、同じ町内の別の漁師町の出だった。本当に海が好きで、母と結婚するまで外国船の機関士だったし、定年退職後には国内船の船乗りとしてまた海へ戻っていった人だ。


漁の帰りだったと思う。船のスクリューが定置網に絡まってしまい、父がゴーグルも付けずに海へ飛び込んだことがあった。ナイフを片手に潜って網を外す姿は、物語の英雄のようにカッコよかった。大人になってから真似をしたことがあるが、海水が目に滲みて、とても開けてはいられない。


「じゃあね〜、またね〜、バイバ〜イ」


子どもたちの元気な声で、やっと母とのビデオ通話が終わったようだ。通話アプリを閉じた黒い画面に映る、祖父と父の面影を私はしばらく眺めていた。


次の週末、駅前にリニューアルオープンした商業施設に耳鼻咽喉科が入っていたので、予約して診てもらう。私の名字は「桑道」と書いてクワミチと読む。少し前なら、初めての病院ではいつも「柔道ジュードー」と読み間違えられていたが、最近はカタカナ表記で統一されているようで、そんな小さな訂正をする機会も減ってしまった。


特に気にするほどの症状ではないと先生は言うが、念のため血液検査をしてもらうことにした。結果が分かるのは一週間後だ。

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