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倫理の筺  作者: 白波さめち


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第九話 遺書


「ユウタ、何か見つけたの?」


 背後からの突然の声に心臓が飛び上がる。

 振り向くと、ヒヨリが立っていた。


「あ……うん。四十崎聡太の日記を見つけた。一階は大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ」


 部屋に入って来たヒヨリは僕の隣にしゃがみ込んで、聡太の日記を覗き込む。


 僕ももう一度、その日記に視線を落とした。

 そこには彼の抱えていた抑えきれない感情が吐き出されていた。


『今日のテストは98点。どうせ誰も褒めてくれない。あと2点、としか言われない。僕の存在価値は、数字で満点を取ることだけ』


『友達から借りた漫画を捨てられた。必要がないって。友達に謝ったけど、許してもらえなかった。口をきいてもくれなくなった』


『部活は必要ないって言われた。友達も必要ないって。それよりもやるべきことがあると言われたが、それって何?』


『部屋も、スマホも全部監視されてる。変なサイトを覗いたと叩かれた。ただみんなが面白いと話していた動画を見ただけなのに』


『昨夜、カッターを握った。痛みだけが、僕がまだ生きている証拠だと思える。でも、本当はこんなことしたくない』


『あの女は嘘ばかりだ。そして、成績が落ちた僕を完全に見限った。もう、家の中で誰も僕を見ない。死にたい』


 言葉の合間合間にあるのは『苦しい』『助けて』『もう嫌だ』の文字。

 殴り書きのように書かれたいくつもの叫びが、爪を立てながら僕の心臓を引っ掻いた。

 

 母親である四十崎議員は、もうこの日記を見つけたのだろうか。


「……こんなもの、よく見つけられたね」


 無言で聡太の日記を眺めていたヒヨリがポツリと呟いた。

 その声は何処か他人事のようだ。


 鍵を探そう、子供に関する事を調べようと言い出した張本人。それにも関わらず、聡太の日記に彼女は興味を持っていないように聞こえた。


 横を見ると、彼女は感情ない顔で僕を真っ直ぐに見据えている。


 ――その顔が、記憶を呼び起こした。

 

 あの病院の図書室で、ヒヨリはよく同じ顔で僕を見ていた。

 無表情を貼り付けたたま、彼女はいくつもの質問を僕に投げかけていたのを思い出す。


「僕も……日記を書いてたって言っただろ。聡太も……誰にも言えない感情を、どこかに吐き出してると思ったんだ」


「ああ、ユウタはSNSは苦手なんだったね。自分の感情は他人にも知られたくないって」


 四十崎聡太がSNSではなく、こうしてノートに綴っていたのは母親に監視されいてるからだ。

 

 その点は、僕と違う。

 

 僕の母親は、病状のことがあるから過保護ではある。でも、僕を大切にしていたと胸を張って言えた。


 彼と似ていたのは――

 誰にも言えない感情を日記に綴っていたということ。

 そして自分の想いを、死後に家族に届けたいと思っていた点だった。


 ヒヨリは少し嬉しそうに微笑みながら「全部思い出したの?」と僕に問いかけた。

 

 僕は首を振る。

 思い出したのは一部だけ。


 僕は入院していた。いつもの不整脈だった。

 その入院中に、図書室で出会った彼女と会話した。

 何度も何度も。その事だけだ。


「私達は友達?って聞いた時のことも思い出した?」


「うん。僕は友達はいらないって答えた」


「死ぬから作りたくないって言ってたの、結構悲しかったんだよ。だから、ユウタの行けなかった修学旅行にいつか一緒に行ってそこで友達になろうって誘ったんだ」


「叶うわけないって分かってる約束はしたくない。そう言っただろ」


 静寂に包まれた部屋で、ぽつりぽつりと応酬が続く。

 あの時をやり直してるみたいに。


 そしてゆっくりと、聡太の苦しみが綴られたページを捲っていく。

 予想した通り、最後のページには遺書があった。

 

 僕も――全く同じ場所に遺書を隠した。

 遺書というよりは、家族への最後の手紙だけど。


 いつ死んでもいいように。

 死んだ後、家族が悲しまないように。


 検査結果が悪くなるたび泣く母に。

 親友みたいに仲良くしてくれた兄に。

 結婚してからも度々会いに来てくれた姉に。


 十分生きたよ、ありがとうって手紙を綴った。


 ただ、聡太の遺書はそれと全く違う。

 丁寧に綴られた冷たい文字の羅列は、聡太の恨みの形そのものにみえた。


  子供の意思を尊重する。

  大衆の面前でそう表明したアンタ。

  僕がドナーになるって決めたら尊重してくれるのか。

  そう聞いた。

  アンタは止めなかった。

  勝手にしなさいって、ただそう言った。

  なんなら少し嬉しそうだったのは、気のせい?

  本当は、あの時止めて欲しかった。

  怒って欲しかったよ。お母さん。

  貴女の不幸と、

     一生の後悔を願っています。

                                                                          』


 無機質な子供部屋で心を痛めながら過ごした、彼の心の内側と最後の言葉。


 心がスッと冷えていく。

 ただそれは、彼の悲しみに共感したからじゃない。

 

 『ドナー』の文字が目に入ったからだ。


 彼の言っているドナー。

 それは臓器移植のドナーのことなんかじゃない。

 科学の進歩により、脳移植が「丸ごと」可能になった現代。

 

 今までは、脳死状態の患者にのみ行われるのみだったこの移植は、四十崎議員の尽力により自殺希望者にも適応されることとなった。

 

 『生きたい人間』と『死にたい人間』の脳を交換する。

 

 四十崎議員の打ち出した『自律選択法』は、個人の意思決定を尊重するという建前のもと、可決されたばかりの法案だ。


 まるで動画の早送りのように記憶が蘇る。

 

 僕に縋り付いて母は懇願した。

 心臓移植の順番は永遠に来ない。

 

 他の誰かの身体になるのだとしても、脳を誰かに移植して生き延びてほしいと。


 法案が可決された直後の一度目の症例者として。

 僕は……『僕達』は選ばれた。

 

 心臓が嫌な律動で胸を叩く。

 でも、きっと重大な不整脈は起こらない。


 だって僕はもう、身体を捨てた脳だけの存在なのだから。


 医者は言った。

 僕達の身体――細胞は記憶を持っていると。

 

 臓器提供を受けた人間が、ドナーが好んでいた食べ物を急に食べたくなったり、性格や音楽の趣味が突然変わるということがある。

 

 昔の医学で否定されていたその説は、現代『実証されなくても起こり得る』として認識されている。

 

 生体提供を受け、脳を移植した人間が、元の脳の持ち主の人格や記憶に振り回されて狂う事例がいくつも報告されたからだ。


 そのため、脳移植を受ける前に僕達は試される。

 生体提供者の思想との相性を。


 意識の適合性を見るのだと、僕の主治医はそう言っていた。


 ここは、六つの脳が――。

 四十崎聡太の身体と繋がれた意識の世界。


「今度こそ全部思い出したんだね、ユウタ」


 横を見ると、ヒヨリが嬉しそうに僕を見て笑っていた。

 

 


 


 

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