第二話 失っている記憶
重たい空気がリビングを包み込んだ。
お兄さんとコートの女性が玄関の扉、全ての窓を確認したが外には出られなかった。
扉も窓も開かない。
仕方がない、とお兄さんが置物で窓に殴りかかったが、透明な壁が窓を守っているかのようにびくともしなかった。
嫌な振動が部屋を反響する。
それに重なるように、二階からオジサンの苛立つ声と狂気じみた物音が聞こえてきた。
ここが何処なのかも、出る手段も分からない僕達は、リビングにある革張りのソファーに座って無言で俯く。
「何よこれ……夢じゃないの?」
コートの女性はそう呟いて、手をわなわなと動かした。
お兄さんは顔面蒼白で何度も動かない時計を確認し、ため息を漏らす。
「あの……二階に上がったオジサンは?」
「なんか書斎みたいな部屋で物を漁ってたわ。何を探してるのか、知ってる事を教えなさいって言ったけど、何も答えなかった」
僕の質問に答えたコートの女性は、睨みつけるように視線を二階に向けた。彼女のヒールから鳴り響くコツコツという貧乏ゆすりの音が部屋を満たす。
沈黙が辛い。でもそれを打ち破ることもできなくて「そうですか」と返事をして僕は黙り込む。
誰かが発言してくれるのをただ待った。
「とりあえず……自己紹介だけしましょうか。自分はマツバラと言います。シングルファザーで娘が一人。気がつくとここにいました」
マツバラと名乗ったお兄さん。くすんだ灰色の作業着を着た彼はもう一度時計を確認し緩く首を振る。
「今日が平日なら娘のお迎えがあるんです。早く帰らないと……」
そう言って彼は自分を落ちつかせるように息を大きく吸って、ゆっくりと吐く。
一瞬の沈黙の後、口を開いたのはコートの女性だ。
「私はキムラ。この状況、拉致さられたとしか思えない。……拉致されたかどうかも覚えてないけど」
仕事帰りのような茶色のコートにハイヒール。
見るからにキャリアウーマンの雰囲気が漂っているキムラさんは、ぶっきらぼうに自己紹介した。
そこで再び場が静まり返った。
ヒヨリさんとオウスケ君を見るが、二人とも誰とも目を合わせたくないというようにテーブルの上に視線を固定している。
「ねえ、あなた成人してるわよね?」
「え、は……はい」
突然キムラさんに話しかけられ、慌てて返事をする。彼女は苛立ちを隠そうともせず貧乏ゆすりをしたまま僕を睨みつけた。
「なら、もう少し主体性を持ちなさいよ! 学生でもあるまいし、さっきからボーっと突っ立ってばかりじゃない! 少しは発言するとか、行動するとかあるでしょ?!」
「そんな言い方しないでください!」
僕を庇うように立ち上がって反論したのは、先程の女の子ヒヨリさんだ。
「アルバイトでも、もう少し主体性があるわよ」
ヒヨリさんの声は聞こえなかったとでもいうように、彼女はさらに言葉を重ねた。
僕は、ただパーカーの袖の中で拳を握る。
手術と入院ばかりの人生。
ろくに学校生活すら送ったことのない僕は、ただ迷惑にならない事だけを考えて生きてきた。
主体性がないと言われると、確かにそうだ。
いつも自分の事ばかり。あとは家族に嫌われないか。
それだけの事しか僕は考えてこなかった。
僕は顔を上げて、年長者の二人と視線を合わせた。
「ユウタです。二十二歳……仕事はしていません。ここに来るまでの記憶も、なぜここにいるかも分かりません」
「ユウタは二十三歳だよ。誕生日、少し前に来てたじゃない」
「え……?」
やはり記憶が欠落していた。
ヒヨリさんを見ると「私、おめでとうって言ったよ」と少し悲しそうに首を傾げていた。
「ちょっとあんた嘘ついたの? どういうつもり?!」
キムラさんが立ち上がって僕を責めるのを、ヒヨリがまた睨み返す。
「記憶がないのは全員一緒でしょ? 無くした記憶の量が違うのかもしれない!」
その指摘にキムラさんは顔を顰めた。
マツバラさんも「確かに」と驚く顔をする。
全員で最後に覚えている記憶の年月日を確認したところ、一年程度の差異があった。
一番記憶を失っていたのはマツバラさん。
次にキムラさんで、そして僕。
年を跨いで夏頃までの記憶があったのは、オウスケ君とヒヨリさんだけだった。
「もし本当なら……娘はもう小学生だ」
マツバラさんは深く俯き、苦しげな声を出す。
ここにいない娘を深く案じるマツバラさん。
『記憶をなくしてるだけですよ』なんて都合のいい慰めは誰もできなかった。




