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倫理の筺  作者: 白波さめち


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1/10

第一話 筺の中


 目を開けると見知らぬ吹き抜けの天井があった。

 冷たい石の床に冷やされた身体に手を当てながら起き上がると、そこは白を基調とした広いリビング。


 壁一面のガラス窓。

 窓の外に見える曇天の下には、青々とした芝生と美しく整えられた木々、そして高い塀が見える。

 

 周囲を見渡すと、血の気の失った五人の男女が倒れていた。みんな意識を取り戻し、小さなうめき声をあげている。


 それぞれが起き上がり「何処だここ」と周囲を見渡した。


 男性が3人。

 女性が2人。

 そして僕。


 頭が酷くぼんやりしている。

 ただ、いつも起き抜けに感じている倦怠感や息苦しさがない気がして、思わず胸に手を当てた。

 

 感じるのは、いつもの不規則な脈動。

 どうやら思い過ごしだったみたいだ。


 この異質な状況で、意識が混乱しているのかもしれない。


「ママ? ママ?!」


 キョロキョロと辺りを見渡していた少年が、張り詰めた声で叫ぶ。その声に舌打ちしたのは壮年のオジサンだ。


「うっせぇな。騒ぐなガキ」


 オジサンの厳しい声に、少年はビクリと肩を震わせた。

 非難するような目をオジサンに向けて立ち上がったのは、地味な作業着を着たお兄さんだ。

 お兄さんは少年に駆け寄り、庇うように肩に手を置いた。


「一体ここはどこなのよ。スマホもないじゃない」


 立ち上がり、リビングを歩き回るコートの女性が眉間に皺を寄せて呟いた。

 『スマホ』という単語に慌ててポケットに手を伸ばしてみるが、いつもあるはずのスマホがそこにはない。

 

 コートの女性は室内だというのにヒールを履いたままだ。その足音が、コツコツと部屋に響き渡る。


「テレビもつきませんね……おかしいな」


 リビングの電気は付いている。それなのに、お兄さんがリモコンで電源を入れてもテレビはつかなかった。

 

 部屋の時計も止まっているのか秒針が動いていない。

 ただ外が明るいから日中である事は確かだ。


「テレビもつかない。スマホもない。何も情報がわからないじゃない」

 

 そう呟きながらコートの女性はリビングを歩き回る。壮年のオジサンはそれを煩わしそうに睨みつけながら、また舌打ちをした。


「そんなこと知るかよ。その情報は明かされてねぇ。俺たちは“鍵”を探す。それだけだろ」


「鍵?」


 オジサンに振り返り、訝しげに眉を上げたコートの女性。

 オジサンは「ん?」と同じように眉を上げて、彼女と視線を交わし合った。

 

 一瞬、不思議そうな顔をした彼は突然声を上げて笑い出す。


「あははは! もしかして覚えてねぇのか? お前も? お前もか? みんな記憶がない? 最高じゃねぇか」


「は?! 何の話よ! アンタ、ここが何処か知ってるの?! ちゃんと説明しなさいよ」


 ヒステリックに叫ぶ女性の声が部屋に響き渡った。

 “覚えてない”というオジサンの言葉に自分の記憶を遡ってみたが、まるで夢の中にいるような(おぼろ)げな感覚がする。

 

 連れさらわれた瞬間を思い出せない。

 眠っている間に連れさらわれたのだろうか。

 

 覚えてる最後の記憶……。

 そうだ、季節は冬だった。

 いよいよ働ける状況じゃなくなって、職場に辞表を出したのは覚えてる。


 でも、直前の記憶がない。

 今日は何月何日? 僕はここに来る前に何をしていた?


 見渡すと、みんな服の季節感がバラバラだった。

 オジサンや少年は半袖の服を着ているのに対して、コートの女性の服は秋物に見える。


「嫌だね。自分が不利になる事をどうして教えなきゃいけないんだ? 俺はお前たちより先に鍵を見つける。選ばれるのは俺だ」


 壮年のオジサンは、小馬鹿にするように笑って立ち上がった。そのままリビングにある階段を登って行く。


「何よアイツ……!」


 コートの女性は、おもむろに自分の頭に手を伸ばそうとして、ふと思い止まったようにその手を下ろした。イラついた様子を隠すことなく部屋を見渡して、またうろうろと歩き始める。


「ユウタ。大丈夫?」


 突然名前を呼ばれて横を見ると、同い年くらいの女の子がいつのまにか隣にいた。

 

 色白の肌に綺麗な黒髪。長い睫毛。

 柔らかそうな白い寝巻きに薄手のカーディガンという、就寝前のような格好の女の子は、この中で明らかに異質だった。


「えっと……誰だっけ」


「覚えてない? ヒヨリだよ」


 ヒヨリと名乗った女の子は少し首を傾げる。

 高校の同級生だろうか。いくら通信制とはいえ、こんな可愛い女の子がいたら記憶に残っているはずだ。

 前にいた職場? いや、こんな子がいた記憶はない。


「ごめん。全然覚えてないんだ」


 ヒヨリは少し悲しそうに「そっか」と微笑んだ。

 その顔が、彼女は“僕”を知っている事を証明していた。

 

「私達、友達だったんだよ」


 友達……?

 その言葉が胸をざわめかせた。


「君は……記憶があるの? ここが何処かわかる?」


 ヒヨリは少しだけ考えるように口を結んだ。そしてリビングにいる残った四人全員を見渡す。

 

「君の事は分かるよ。でも、ここが何処かは分からない」


 困ったように微笑んで、彼女は立ち上がった。そして僕に手を差し出しながら「立ち上がれそう?」とまた首を傾げる。


 ただそれだけの仕草で、彼女は僕のことをかなり知っている事がわかった。

 

 その手を握った事があるのだろうか。

 そうだとしたら、僕はかなり彼女に心を許していた事になる。


 深く考えようとしたその時――考えを遮るように女性のヒステリックな声が突然響いた。


「何よこれ! 窓! 開かないんだけど」


 コートの女性は大きな掃き出し窓に手をかけ、思いっきり引こうと試みていたが窓はびくともしない。

 少年に寄り添っていたお兄さんが彼女を手伝うが、二人がかりでも動く気配はなかった。

 

 諦めて窓枠から手を離した男性が、リビングから続く薄暗い廊下へと目を向けた。

 

「自分は玄関の方を見て来ます。君達、悪いけどこの子のそばに居てくれないか?」

 

 お兄さんはそう言って、まだ不安そうに怯える少年を僕達に預けて廊下の先へと消えていった。少年は居心地悪そうにずっと周囲をキョロキョロと見回している。


 吹き抜けの高い天井に大きな窓。

 大人が五、六人くらい座れそうな大きな革のソファーとガラス張りのローテーブル。

 

 アイランド型のキッチンの前には、近所の大型家具屋ではお目に掛かれなさそうなダイニングテーブルが置いてある。

 ダイニングテーブルの上には花が飾られていた。


 花にそっと触れてみると、ひやりと生っぽい感触がする。生花が飾ってあるということは、ここを整えた人がいたということ。


 モデルハウスのように広くて綺麗な部屋を飾るのは絵画や装飾品。

 このうちどれか一つだけでも、我が家の家具を全て購入出来そうだ。


 小さな古い戸建。6畳のリビングに家族四人で過ごしている僕からすると、踏み入れたこともないような豪邸だった。


 怖がるのも当然だ。

 僕は屈んで少年と目を合わせた。


「僕はユウタ。名前教えてくれるかな」


「……オウスケ。ねぇ、僕のママ知ってる?」


「知らないんだ。僕もお母さんとはぐれちゃった。オウスケ君と一緒だよ。でも大丈夫だからね」


 小児科に長期入院していた子供時代を思い出す。

 自分より年下の子ども達。手術前はみんなこんな顔をしてたなと思い出しながら、オウスケ君に笑顔を作った。


 

全10話のミステリーです。

完結済みで投稿していますので安心してお読みください。

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