ねらーの地図アプリ膝栗毛
職場で挫折し、ニートになってしまった「イッチ」が、面白半分でスレッドを立ち上げると、「舞奈」と名乗る謎の女性が現れて、イッチに地図アプリのリンク先を提示した。
リンク先に飛んだイッチは、自分の人生を考えさせられながら、そして、舞奈の素性を徐々に知っていく。
スレ民(スレッドに書き込んだりする人々)たちも巻き込んで、それぞれの人生が今動き出す。
ーーーー
ちょっとややこしい構造の小説ですので、とりあえず、まずは用語解説を読んでください。
いよいよ、次は第1章に向かいます。
読者の皆様へ
ありがとうございます。クロモカ・コナと申します。
まず言っておきます。一章から戸惑われると思います。この作品はスレッドを題材にしていますので、ネットスラングのオンパレードです。
戸惑う必要はありません。あなたのいた世界とは、まったく違う世界ですから……。
ネットスラング解説
スレッド:意見を書き込む掲示板。単に「板」とも呼ばれます。
イッチ:一番目に書き込んだ人。スレッドの設置者(スレ主、ヌシ)を指します。この作品の主人公が「イッチ」と呼ばれるのはそのためです。
スレッド内は、チャットの原型で、書き込み順に番号・名前・内容が表示されます。
名無し:匿名で書き込む人。レス:レスポンス(返答・コメント)の略。例)
215名無し イッチ、大丈夫か?これは、215番目の名無しが書いたレス(返答)を意味します。
ニートのバーチャル卒業旅行
クロモカ・コナ著
読者の皆様へ
ありがとうございます。クロモカ・コナと申します。
まず言っておきます。一章から戸惑われると思います。この作品はスレッドを題材にしていますので、ネットスラングのオンパレードです。
戸惑う必要はありません。あなたのいた世界とは、まったく違う世界ですから……。
ネットスラング解説
スレッド:意見を書き込む掲示板。単に「板」とも呼ばれます。
イッチ:一番目に書き込んだ人。スレッドの設置者(スレ主、ヌシ)を指します。この作品の主人公が「イッチ」と呼ばれるのはそのためです。
スレッド内は、チャットの原型で、書き込み順に番号・名前・内容が表示されます。
名無し:匿名で書き込む人。レス:レスポンス(返答・コメント)の略。例)
215名無し イッチ、大丈夫か?これは、215番目の名無しが書いたレス(返答)を意味します。
ナマポ:「生活保護」の略。タヒね:「死ね」。漢字の中にカタカナの「タ」と「ヒ」が入っていることから。kwsk:「詳しく」(kuwashiku)の略。ねらー:「2ちゃんねらー」、掲示板文化の住人。タソ:「たん」を崩した幼児語。可愛いと思う相手に付ける尊称(?)。ネカマ:「ネットオカマ」。女性になりすます匿名書き込み者。キリ番:キリの良いレス番号。100や256などを指す。うらやま:「うらやましい」の略。逝ってよし!:「死ぬ気でトライしろ」や「とっととやって失敗しろ」の意。乙:「お疲れ様」の略。スレが終わったときなどに使う。保守:スレッドを管理・維持すること。掲示板は一定期間書き込みがないと自動削除されるため、「保守」と書いて“沈む”のを防ぎます。
さて、「イッチ」のスレ立ても終わったみたいです。それでは、スレッドの世界へ——
「逝ってよし!」w
プロローグ
きっかけはスレッドのログだった。
無茶苦茶な理論で引きこもりを肯定させようとするニートのスレッド主とそれを罵倒したり励ましたり説得したり、各名無しが頑張っている。
そしていつの間にか収束する。
そして、スレ主が新しい人生に踏み出すのを名無したちが祝福する。
そんなことに気づいて思い出した話がある。
第1章
今から、20年くらい前、スレッドというのが流行った。
スレッドは、ネット掲示板のことで、そこで悩み事相談やなんかをして楽しんでいた。
アドバイスを求める人、アドバイスをする人…みんな匿名の中で動いていた。
そんな中から、「電車男」なんて有名なスレッドも生まれた。
僕も当時、スレッドにハマっていた「ねらー」と呼ばれる存在だった。
今、AIが当たり前のように使える時代になって、ふと思った。
「スレッドとAIは似ている」と。
そして、そんな中思い出した話がある。
ーーーー
1年前の5月のある日、23時。今日も何事もなくすぎた。
…いや、これからが正念場だ。
僕は三年のねらー歴がある一介の引きこもりだ。
ここはねらーの流儀に合わせて自己紹介していく。
スペック:年齢28歳。♂
家族:母と二人暮らし。独身。彼女なし。
こんなところでいいだろ。
名前?聞いてどうする?
スレッドを立てれば、「イッチ」と呼ばれる。
あとは必要に応じて、その時の状況や状態が名前になる。
今は、ネットで「イッチ」と呼ばれている……そう、スレ主だ。
スレッド名は、「ニートのワイ、母親がクビになる」
もう、スレ板も300を超えた。
「働けよ」
「ニート、詰まってて草w」
最初は僕を罵倒するコメントで場が荒れる。
それも面白い。
僕を罵倒するのは勝手だが、僕には僕のニートでなければならない理由があった。
僕だって好きでこんなことやってるわけじゃない。
働けないコミュ障はこれしかやることがないのだ。
324名無し「ナマポしかないな」
325イッチ「残念、持ち家なんだ。パッパが購入した家。もう築二十一年だから売るに売れない」
330名無し「じゃあ、働け、ニート」
333イッチ「ワイはコミュ障だって書いとる」
334名無し「じゃあ、どうしたいんや?タヒぬのか?」335イッチ「いや、マッマに働いてもらう。職探し中なう」
336名無し「鬼畜だな」
337イッチ「ワイのこと知らんくせに黙ってろ」
熾烈なレスバ…なのか?…が展開されるのが面白い。
僕だってわかっている。でも無理なものは無理なんだ。
すると、一人、舞奈というコメントをつけてきたのがいた。
340舞奈「イッチ、色々辛そうだね。でもなんで、無理なものは無理っで片付けるの?」
342名無し「ネカマきたー」
343イッチ「>舞奈、ありがとう。ご心配痛み入る」
盛り上がるレス場。
345名無し「慌てるな、これは孔明の罠だw」
346名無し「イッチ、逝ってしまえw」
こういうのがあるからたまらない。僕は、机横の段ボールに手を突っ込み、袋麺を引っ張り出した。袋ごとひねって中身を叩き割ってから取り出し、味付き乾燥麺を口に放り込みながら僕の心は踊っていた。
ーーネカマだって構わない。この心のワクワクが大事なんだ。
349イッチ「舞奈って本名?」350舞奈「そう、本名だよ。どう読むと思う?」352名無し「マナ」
353名無し「ブナw」
354名無し「ダンナw」
355名無し「ダンナ 草」
360舞奈「マイナだよ。プンスカ」
盛り上がるレス場。
心がキュッとする。
345名無しイッチ「マイナかー。良い名前だねー」
これば僕の精一杯だ。
346名無し「イッチ、逝ってしまえw」
348名無し「マジかーwwww」
350舞奈「私の好きな風景の座標送るからそれ見て考えてみて。」
--リンク先のアドレスが送られてきた。
351イッチ「なんだかわからんが了解!舞奈は女性?」
352名無し「うらやま。オレも行きたい」
特定班が動き出した。
354名無し「知覧平和記念館キターーー」
355名無し「知覧平和記念館……舞奈、生きてる人?」
356名無し「舞奈、ヤバw」
357名無し「舞奈、毎回キリ番ゲットしてる…やばくね?」
盛り上がるスレ民たち。
360舞奈「そだよー22だよー」
362名無し「イッチ、うらやま、タヒんで欲しい」
368名無し「イッチ、報告よろ!」
379名無し「おーーい、イッチ、あれ?イッチは?」
僕はその時、もうスレッドにはいなかった。
代わりに僕は、地図アプリの中、知覧平和記念館の入口に、
見慣れない人影を見つけていたからだ。
第2章
3Dグラフィックで表示された彼女は年の頃は22歳。
清楚で元気そうな雰囲気の小柄な子だった。
--なんのいたずらだ?
僕はその子にポインターを合わせてクリックした。突然その子は振り返ってこっちを見た。
…こんな“仕様”だったっけ?
メッセージウインドウが突然開いた。
「舞奈>待ってたよイッチさん。私のこと気づいてくれてよかった。舞奈だよー。」
…そんなメッセージが出る仕様だったなんて…オタク心に突き刺さる。
呆気にとられる僕を知ってかしらずか、メッセージボックスには次のメッセージが流れ出る。
「舞奈>今から私の大好きな場所に案内するね」
メッセージが消え、昔のロールプレイングゲームみたいな選択肢が出た。
---
>付いていく
付いていかない
---
「付いていく一択っしょ」
すると、画面はすぐに切り替わった。
たくさんの石塔が立っていた。
そして、僕はもう一人の人影を見つけた。
ちょっと古風な清楚な出で立ち。
ポニーテールと膝丈の茶色のタイトスカートが印象的だった。
メッセージウィンドウが立ち上がる。
---
話す
>よく見る
---
よく見たかった僕は、「よく見る」を選択した。
2Dのウィンドウが彼女の全身を足元からパンして、バストアップの状態でカメラが止まった。
画面の彼女は微笑んだ。
「こんばんは。ようこそ、知覧平和記念館へ。私は風見。ここのガイドAIです。
舞奈ちゃん、今日はこの人を連れてきたのね。」
ーー背景が昼間なのに「こんばんは」?あ、そうか今は夜だもんな
そう思っていると、画面の中に舞奈脳ウィンドウが出てきた。舞奈は微笑んで言った。
「うん、人生考え直したいって思ってるって感じて連れてきちゃった。」
僕は画面の下に自分のウィンドウがあるのに気がついた。左端に「イッチ>」と書かれ、プロンプトが点滅して僕の入力をいる。
ーー「NPC(コンピュータ疑似人格)ガイドか?」
僕は恐る恐るメッセージを返した。
「こんばんは、イッチです。」
すると、風見と名乗った2Dウィンドウの女の子は微笑んで言った。
「舞奈ちゃんに連れてこられたのね。君は何を困ってるの?」
単なるガイドAIじゃない…。僕はそう直感した。そして、所詮、AIだ。
「面白い、ちょっと困らせてやろう」って気になっていた。
「風見っていうの?可愛いね。」
風見は照れ笑いをしながら言った。
「ダメですよ。私はガイドAIです。イッチさんは、リアルでもそういう方なんですか?」
おっと、そう返すか…
相当優秀な言語モデルを持ってるなと僕は思い、大人しく思っていることを聞くことにした。
「冗談だよ。ここは何?」
風見の顔が真面目な顔になる。
「特攻平和観音堂…隣は知覧平和記念館です。神風特別攻撃隊ってここから飛びだったんですよ。だから、その英霊をお祭りすることと、特攻隊員の生の記録をお伝えするためにあるのがここなんです。そして、私はここのガイドAIです。なんでも答えますよ。」
昔、歴史の授業でちょっとだけ聞いた神風特別攻撃隊のことか?
「確か、自爆攻撃だったっけ?」
風見が淡々と答える。
「第二次世界大戦の終盤、戦局の悪化に伴って、神風特別攻撃隊がここに編成されました。彼らは、爆弾を装着した飛行機に乗ってここから飛び立ち、敵艦に体当たりしたんです。この脊柱一本一本は特攻によって散華された英霊が宿っておられます。」
そういえばネット動画で見たっけ。それにしてもこんなに多くの人が?
「そういえば、爺ちゃんから聞いたことがあったっけ。」
すると、風見は答えた。
「お爺様ですか。高齢だと思いますが、今もご存命ですか?ご存命だったら、ぜひ大切にしてさしあげてくださいね。お爺様もこの国を作ってきた立派な方なのですから…。」
差し出がましいAIだ。僕は苦笑した。
「いや、とっくに死んでるよ。戦争当時は爺ちゃんも小ちゃかったかけど、でも、戦争の記憶は小さい時に聞かされていたよ。
それにしても、自爆攻撃なんて信じられない…。」
風見は言った。
「そうでしょうね。じゃあ、ちょっと記念館の収蔵品を見てみましょうか。」
それと同時に、別ウィンドウが開いた。風見は言った。
「彼らはなぜ、特攻に赴いたか…それを正確に知ることはできませんけど、でも、彼らが残した遺書がここにはたくさん残されています。イッチさんは28歳でしたね?同い年の方の遺書をいくつか見繕いました。表示します。」
僕は、その何枚かに「母上」とか「お母さん」とか書いてあるのを見た。
今まで瞬きだけしていた舞奈の2D画像の口がいきなり動いた。
「“マッマ”への思いだね。」
いきなり、何を知ったようなことを言うんだこいつは!
そう思って僕は少し不機嫌になりながら、でも、その遺書から目が離せなかった。
婚約者や家族に向けた心配の言葉、遺言が書かれている。
--単なるリア充の悲劇…ではないな。
風見の2Dの口が動く。
「これを読んだ彼らのご両親の思いってどんなだったでしょうね。ところで、イッチさんのご両親はご健在ですか?」
僕は、「パッパは」と書きかけてから、慌ててそれを消して、再びメッセージウィンドウに書き込んだ。
「父は死にました。母は元気ですが、先日職場が閉鎖になって仕事を失いました。」
風見の顔が少し曇った。
「そうですか。お大事になさってください。イッチさんは28才ってことは、お母様もだいぶご高齢でしょ?」
そんなわけない55才なんか、まだ現役だろ?そう思ってメッセージを返そうと思っていると、
「多分、5〜60代だと思いますけど、この英霊の方々の時代は50才以降はもう、おばあちゃんだったんです。イッチさんより年下の方々もたくさん特攻で亡くなってますよ。」
「55歳はまだまだ現役世代だし、働くべき」
僕はガイドAIとの話にムキになっていた。だって、通常のガイドAIは決められたセリフを吐くだけだから…でも風見は違った。会話が成り立つのが腹立たしかった。
「はいはい終了。イッチくん、所詮AIの戯言よ。ムキにならないの。
風見ちゃん、ありがとね。次行くね。」
いきなり、舞奈が割り込んできた。お前はAIじゃないのか??
「風見ちゃん、ごめん、そしてありがとう。」
僕がそうコメントを入れると、風見の顔が笑顔になった。
「ありがとうございます。触れられたくない思いもあるでしょうね。でも、私はここでお待ちしています。いつでもおいでください。」
そうメッセージが出てくると、風見のウィンドウは閉じた。
「ねえ、どうだった?」
舞奈のメッセージが語りかけてきた。
「どうだって言われても、なんか、変な体験。でも、あの遺書は、正直グッときた。」
舞奈が笑顔になった。
「でしょ?イッチくん、君にはまだ知らないことが山ほどあるんだよ。知りたくない?知りたいと思ってくれたら嬉しいな。
さあ、次行こっか。
でも、今日はこれで終わり。
じっくり考えてまた明日ね。
おやすみ。」
舞奈がニコッと笑ったともったら彼女の2D画面のウィンドウも閉じた。
地図アプリに表示されているのは、彼女の後ろ姿だった。
第3章
いつの間にか寝落ちしてたらしい。
母親がかける掃除機の音がうるさくて僕は目が覚めた。
カーテンの隙間から高い角度で火が差し込んでるのが見える。
ふとパソコンを見ると、昨夜のスレッドはまだ生きていた。早速メッセージを打った。
イッチ「保守乙、ワイ、寝落ちしとった」
何人か居残っていたスレ民が答える
654名無し「いきなり消えたから、ホラーだなって言ってたんだ」
655名無し「イッチ、乙。なんだ?ホラーな展開だったか?w」
656名無し「俺もあの時リンク飛んだけど、ただの知覧特攻記念館の案内だった。orz
どうだった?なんかあった?舞奈って?幽霊とか?」
僕は、昨夜あったことを隠さなければいけない気がした。
すると、突然舞奈が現れた。
660舞奈「幽霊じゃないよー。22だよー。生きてるよー。あれー?イッチは?」
661名無し「ひえっ、舞奈タソ降臨キターーーーー
まあ、良かった。幽霊じゃないんだな? 656は残当w」
僕は慌ててメッセージを打ち込んだ。
イッチ「特に何もないよ。でも、あそこ、マップからでも、入れるんだな」
665名無し「で、マッマはどうだ?仕事見つかりそうか?」
イッチ「昨日の今日やで、見つかるわけない。今、掃除機かけとる」
666名無し「イッチ、お前が働け。お前が変われ」
667イッチ「ワイは仕事が苦手なんや。ニートでおったら勝ち組やん。だからやらん。仕事したって底辺変わらんし」
669名無し「うーーーん、この…」
670舞奈「イッチ、お母さん大事でしょ?」
671イッチ「ワイを生んだのは親やで。ワイは頼んで生まれてきたわけじゃないんやで。親がちょっとの気の迷いでワイを生んだのが悪い。この面倒を見るのが親の義務やん親はワイを養う義務がある。ワイにも基本的人権はあるわけだし」
672名無し「捨てられろ、イッチ!マッマに幸せになってほしい」
673イッチ「ワイは仕事をせんのや。そうすれば、人生勝ち組の仲間入りだしな。」
675名無し「親が突然倒れたら生きていけないぞイッチ」
676イッチ「その時はその時や。ナマポで生きてくのもいいやん」」
677名無し「ま、イッチの人生や、すきにしな」
680舞奈「イッチ、まだそんなこと言ってるのお母さん55歳なんでしょ?少しは大事にしなよ」
681名無し「舞奈タソ来たー女神降臨」
ーー舞奈だ。またキリ番踏んでる。また胸がキュンとする。昨夜の体験が思い出された。
一気にボルテージが上がる。
682名無し「舞奈タソ、コイツに何言っても無駄。ワイの相手して」
683イッチ「舞奈、君は何?粘着?」
684名無し「イッチニゲテーw」
685名無し「イッチ、幸せそうなやなw」
686名無し「舞奈タソ、行ってやれ!お苗ならイッチを変えられるかも知らん」
687名無し「〉686 イッチは糞ニートだからな、無理無理、あきらめろや」
689名無し「〉舞奈タソ、神神なんやな?」
690舞奈「神じゃないよ。女の子だよ」
691名無し「〉舞奈、証拠うぷ。写真きぼんぬ」
692名無し「写真、写真、ハアハア」
694名無し「ネカマがあげられるかよ」
やおら盛り上がるスレ場。「コイツら…アホかよ」
700舞奈「これでいいかな」
昨夜見た2Dウィンドウのマイナの絵が出てきた。
自分の顔が一気に赤くなるのがわかる。
701名無し「2D?」
702名無し「可愛ければよし」
703名無し「舞奈は俺の嫁」
704名無し「2Dの方がいい」
705名無し「お巡りさん、こちらですw」
704名無し「>705、ヤーメーテー」
僕はペットボトルを鷲掴みにして、水を飲んだ。……ちょっと冷静になる。
705イッチ「絵やないか…草」
706名無し「イッチ、詐欺にかかるw」
710舞奈「イッチ、次はここね」
一枚の写真が張り出された。
711名無し「写真?特定班よろ」
712名無し「爪切り?ペンチ?」
713名無し「特定班はよ」
714ヲタコン「釘抜き地蔵。京都」
特定と共に同時にリンク先に飛ぶスレ民たち。
715名無し「本当だ。ここだ。ここ。」
716名無し「オタコン優秀」
717ヲタコン「失敗した取り逃がした」
718名無し「なんや、それ」」
719ヲタコン「一瞬、舞奈のリンク先に窓が開くんだ、開き損ねた」
720舞奈「ホラーじゃないよw」
721名無し「またキリ番!>舞奈、お前は誰多分、イッチは何かに巻き込まれてる」
713名無し「おい!イッチ、やばい」
714名無し「あれ?イッチ?」
715ヲタコン「無理、多分しばらく帰ってこない」
ヲタコンの予想通り、僕はリンク先で舞奈を見つけていた。
2D舞奈のメッセージウィンドウが開く。
「よく見つけてきたね。イッチ、おはよう」
僕は自分のメッセージウィンドウに質問した。
「おはよう。釘抜き地蔵尊?ここは何?」
「行こっか」
舞奈のメッセージが出ると、メッセージが消え、選択肢が出た。
>付いていく
付いていかない
「付いていく一択で」
すると、画面はすぐに切り替わった。
画面をスクロールしてみると、周りにはびっしりと建物が建っている。
その街中の一角にある小さなお堂に、
先ほど写真で見たペンチみたいなものがびっしり隙間なく貼られているのに気づいた。
和服姿のNPCが立っていた。
絣の地味な着物を着た大人し目の女性だ。黒髪のワンレンが似合うキャラクターだった。
メッセージウィンドウが立ち上がる。
ーーー
話す
>よく見る
ーーー
当然これも「よく見る」一択だ。
2D画面で見ると、すっとした切れ長の目が印象的な女性だった。
「舞奈ちゃん、いらっしゃい。この方は?」
「僕はイッチです。はじめまして。ここは?」
「はじめまして。私は古都かなえです。宗教文化財の紹介AIです。
ここは、釘抜(苦抜き)地蔵で知られる石像寺は、弘仁10年(819)弘法大師によって開創されたお寺です。
本尊の釘抜地蔵尊は、さまざまな苦しみをまるで、釘を釘抜きで抜くように抜き取ってくれるとされ、信仰されてます。
ほら、これ、ここ独特の絵馬です。
心とからだの痛みがこのようにとれましたという御礼の意味意味で、
この絵馬には2本の釘と釘抜きが付いてます。
イッチさんは、何か苦しみはありますか?
あるのだったらお参りしてみたらどうでしょう?」
僕はメッセージウィンドウに「いえ、結構です。だけど、バーチャルでやって意味あるの?」と打ち込んだ。
「うふふ。それはその人の心がけ次第でしょうね。
でも、現に毎日のように、このお堂に願掛けをして御百度参りしている人もたくさん見かけますよ。」
「御百度参り?」
「ええ、地図アプリでは見れないでしょうけど、毎日、このお堂の周りをぐるぐる回って願掛けしている人がたくさんいます。」
僕は、マップを鳥瞰モードに切り替えた。ごちゃごちゃしている街並みに本当に小さいお堂があるのがわかる。この周りをぐるぐる回っている人がいる?恥ずかしくないのか?そう思った。
舞奈のウィンドウが開く。
「多くの場合、難病の回復祈願とかみたいだよ。私の母も何回か行ったって言ってた。」
難病祈願…そうか、癌とか、余命宣告を受けた人とか…。自分の母親が、そこを回っている様子がなぜか頭をよぎった。特攻が決まった時、ここに願掛けしに着た家族もいたかもしれない…。
「かなえさん、京都にはこういう施設は多いんですか?」
かなえの2D画面が笑顔に変わる。
「いい質問ですね。お答えしますね。
鈴虫寺 縁結び・病気平癒 正式名称は妙徳山 華厳寺。
泉涌寺・楊貴妃観音堂 美徳成就
伏見稲荷大社 商売繁昌・心願成就
河合神社(下鴨神社) 美人祈願
貴船神社 心願成就・縁結び
晴明神社 厄除け・病気平癒・家内安全・車のお祓い
今宮神社 良縁開運
地主神社 縁結び
イッチさんなら、縁結びとか心願成就とかでしょうか?」
僕は願掛けなんて気にもしなかったが、
でも、御百度参りや願掛けをしている人を見てみたい、そう思った。
「もし、お困りのことがありましたら私はここにいますから、いつでもお声をかけてくださいね。」
かなえはそういうと2D画面を閉じ、社の横にある大きな釘抜きのオブジェの横に戻った。
舞奈の2Dが言った。
「どう、興味ある?君の住んでるところにもこういうところあるかもね。
そしてね、結構繋がってたりするんだよ。分社とか塔頭って言うんだけどね。
調べてみてもいいかもね。イッチが住んでるところのそういうところ、行ってみる?」
住所を探りに着たのか?そう思うと、僕は怖くなった。
「いや、いいよ。それより、次はどこ連れてってくれるんだい?」
2D舞奈が少し考える顔になった。
「どこがいいかなー。じゃあ、明日案内するね。また、あのスレッドでね」
そして、2D舞奈は、マップの中で、後ろ姿になった。
第6章
僕のスレッドは1000に到達したが、結局舞奈は戻ってこなかった。結局、スレ民も僕も舞奈が帰ってくることを願って、しょうもないニートネタを繰り返して盛り上がるしかなかった。
キリ番を迎えそうになると、みんなが一斉に緊張するのがわかる。
みんな舞奈の帰りを待っているのだ。
そのうち、キリ番を5分待って更新するというのが、このスレの了解事項になった。
10の倍数ごとに5分の休憩をおく…この掟が、スレ民の精神状況を変えることになる。
みんな、一斉に冷静になる時間がおとづれるからだ。
それでも舞奈は現れなかった。
自動的に僕は次スレを建てた。「ニートのワイが変わっていくかもしれないスレ」
もはや、僕には自分のことなんかどうでもよかった。舞奈のことを知りたいと思い始めた。
そのうちに、こんなやりとりが始まった。
8名無し「結局、舞奈タソ戻ってこないんか…」
9名無し「昨日のキリ番もスルーだったしな。マジで見てんのかね」
10名無し「5分待ち、正直だるい。スマホで待機してると眠くなるわ提案なんだが、10のキリ番で5分まつのは賛成なんだが、新しいミッションできたら、10だと辛い。50とか100にしてクレメンス。」
11ヲタコン「10の倍数待機ルール、そろそろ見直しでよくね?現場疲弊」
12名無し「だな。心整えるのはええけど、テンポ悪いんよ」
13名無し「だったら50で1分、100で5分にしたらええやん」
14名無し「お、それええな」
15名無し「ちょっと修行感あるけど、ワイは賛成」
16イッチ「ええ感じやな。100で5分の“祈りの時間”ってことでどうや?」
17名無し「ええやん、“舞奈タイム”やな」
18ヲタコン「なら正式ルール作ろうや。新人さんにもわかるように」
19名無し「おまえまとめ係やろ、頼んだぞヲタコンw」
20ヲタコン「しゃーない、舞奈ルールver.1.3βとして書くわ」
21ヲタコン(まとめ投稿)
■スレ民によるローカルルール(ver.1.3β)
①スレの目的:舞奈タソがロムってる前提で優しくなれ。
②キリ番:
・10の倍数休憩は廃止
・50→1分、100→5分、舞奈が見てる前提でマイナの書き込みを待つ。
③投稿:風景・音・気持ち、何でも。舞奈が見て笑えそうなもん貼れ。
④特定禁止・誹謗中傷NG
⑤950で次スレ建て。できなきゃワイがやる。
祈るように書け。以上。
こうしてローカルルールが出来上がっていった。
32名無し「完璧や。おつヲタコン」
38名無し「“祈るように書け”のとこ、詩人すぎw」
39イッチ「舞奈タソも見てるかな……。ありがとう、みんな」
42名無し「舞奈、きっと見てる。ここ、やさしい空気になったしな」
49名無し「舞奈タソタイム、静かに始めようや。5分」
しかし、運用はやはりスレ民。
どうなったかといえばこうなった。
50名無し「舞奈タソ、帰ってこい!」
51名無し「舞奈タソ」
52名無し「出てこい舞奈!」
1分経ったあとドバッと書き込みがあった。
56名無し「くそ、50番取り損ねた」
57名無し「ワイも。せっかく呼びかけるチャンスやったんに…orz」
今度はキリ番争奪戦が始まった。
第7章
舞奈ルールが始まって、このスレッドはなんか優しくなった。
ニートも社畜もリア充も、もうどうでもよかった。
みんな、自分が「いい」と思うものをただ貼り合っていた。
空の写真、猫の動画、駅前の風景。
どれも他愛もないはずなのに、不思議と温かかった。
僕は困っていた。
ニートで引きこもりの僕には、貼れるものがなかった。
でも、貼りたかった。
舞奈は、こんな僕に“目覚めるきっかけ”をくれた。
こんなに優しい仲間までくれたのに、僕はまだ何も返せていない。
母が寝静まった夜、僕はそっと外に出た。
玄関の鍵を開ける音がやけに響く。
冷たい夜気が肌に触れる。
街の灯りが、遠くでまだ点々と瞬いていた。
それらがひとつ、またひとつと消えていく。
人が眠り、街が静まっていく。
ただそれだけのことなのに、胸の奥が熱くなった。
言葉では説明できない。
けれど確かに、今この瞬間、
「この灯の下に人々が生きてる」って思った。
それだけで、涙が出てきた。
「……舞奈。」
自分でも驚くほど自然に、
その名前が唇からこぼれた。
夜気に溶けていく声のあと、
ほんの一瞬だけ、風が頬を撫でた気がした。
それはまるで、
“おかえり”と囁かれたようだった。
僕は街の光と空に浮かぶ半月を写真にとってスレッドにあげた。
198イッチ「みんな生きてるんだなぁって思ったら泣けた」
199名無し「イッチ、いい写真だな。みんな生きてる。これから舞奈タソがんばれ。5分舞奈タイム」
ーー「祈るように書け」
ヲタコンが書いたルールを思い出した。
心がざわつく。自分の存在が何かに染み込んで行くようで、
僕は夜景を見ながら声を上げて泣いた。
生暖かい風が僕を撫でた。
他の名無しもみんなこんな感じなんだろうか…
しゃくりあげながらそんなことを僕は考えていた。
そして、突然だった。
舞奈タイムにキリ番がうごいたのだ。
300舞奈「あの、ここでよろしいでしょうか?」
301名無し「舞奈タソキター」
302名無し「舞奈タソお帰り。」
303ヲタコン「まて、舞奈か?」
310舞奈「舞奈の母親です。舞奈に頼まれて書き込んでます。」
僕は身震いした。体樹の熱を持つものが奪われたような気分だった。
316イッチ「舞奈は?え?母親?」
みるみる増えるレス番号からスレ民の混乱が手にとるように感じられた。
320舞奈「この10日間ほど、このスレにお邪魔していたようで、皆様方には、大変お世話になっています。舞奈は元気です。ご安心下さい。」
ヲタコンが見かねたようにレスを入れた。
321ヲタコン「はじめまして。ヲタコンと申します。ここのスレ主イッチと一緒にここの管理人をさせていただいております。
あなたは本当に舞奈さんのお母様でしょうか?
ここは匿名掲示板の故、このような不躾な質問をご容赦ください。まず、お答えいただきたいのですが、舞奈さんがこのスレッドに来られるようになったきっかけと、今、お母様がこのようにコメントを入れてくださることになった経緯をお知らせいただけたらと願います。」
僕も出るべきだとは思ったが、手が動かなかった。
ヲタコンの冷静で礼儀正しいコメントを見守りながら、
僕は、そしてスレ民は固唾をのんで見守るしかなかった。
今まで聞こえていた音が全て消え、心臓の音だけが僕の耳に響いていた。
330舞奈「舞奈は私の娘です。本名は違います。この舞奈は私の娘が使わせていただいている支援AIの名前です。娘は、今、ALSを患っており、手足を動かすどころか、意思を表出することもできない状態です。でも、この舞奈システムのおかげで、このように皆様と交流させていただくことがここ数日の楽しみでした。繰り返しますが、娘は元気(といってもALSですが)です。」
333名無し「ALSってなんだよイッチ」
334イッチ「筋萎縮性側索硬化症だよ。難病で、筋肉を動かすことができない病気…。手足が動かなくなり、すべての筋肉が動かなくなる病気。でも、今は、お母様のコメントを優先しよう」
静まり返るスレッド。
335舞奈「ありがとうございます。ここから先、詳しいことを先生の方からみなさんに説明して頂きます。」
336舞奈「支援主任スタッフです。舞奈さんと舞奈AIについて解説します。舞奈さんは去年から、意思の疎通が難しいほどにALSが進行してしまいましたので、舞奈AIを用いた意思交流の導入を行ってきました。それがあってからは、舞奈さんの意思がAIを通じて理解できるようになり、最終的にはネットサーフィンなどを行うことができるようになりました。」
要するに、支援AI舞奈の力を借りて、“舞奈”はスレッドに投稿してたとのことだった。システムと“舞奈”本人の負担が大きく、10スレごとのやり取りが精一杯だった様で、最後の方では、スレッドでのやり取りの負担が大きくなり、AIが“舞奈”の意思の読み取りにエラーを多発する様になってしまったとのことだった。
354ヲタコン「最期に質問いいですか?舞奈さんはベータ版って言ってましたが、それはなんですか?」
346舞奈「ベータ版ですか?それは、舞奈さんがモニターしていたわたしどもの技術を応用したUIシステムで、全国の観光地を地図アプリ上で旅行体験ができる様に設定したバージョンのことではないでしょうか。舞奈さんは、これを使って旅行を楽しんでおられましたので。」
347ヲタコン「なるほど。すべて腑に落ちました。ご報告ありがとうございます。最期にもう一つだけ質問させてください。もし、私たちに協力できることがあれば教えていただきたいのですが、いかがでしょう?」
348舞奈「舞奈さんは、今もこのスレッドをシステムを通してご覧になってます。ただ、仲介支援をするAIの不調が原因で投稿できなくて悩んでいる様でしたので、お母様の了承をとってご報告させていただきました。」
350舞奈「できること、今みなさんはもはや自発的にやっておられており、それで十分です。舞奈さんの思いは聞き取れませんが、様子を見ていると、涙を流されたり嬉しそうな声を発したりされてますからね。」
351イッチ「このスレッドの主、イッチと申します。舞奈さんにはお世話になっています。ご存知の通り、私たちは舞奈さんのことを気にかけています。喜んでもらっていると確信でき、安堵の気持ちでいっぱいです。ロムだけでも、彼女のお役に立てるのでしたら嬉しい限りです。」
352舞奈「母です。ありがとうございます。この様な暖かいお言葉をいただき、感謝です。今、先生がAIの調整に一生懸命に取り組んでくださっています。また意思疎通ができるようになったら、今度は本人が投稿すると思います。それまで何卒よろしくお願いします。それでは、失礼します。これからもよろしくお願いします。」
ーー多くの知識人が、「ネットではリアルが伝わらない」と言っていたが、僕はそれに強く異議を感じた。今、僕たちが味わっているのがリアルでなくなんだ?現実ではなくなんなのだ?
スレ民もコメントを打ち込めていないのを見て、僕は思った。
目の前に起こっていない、映像が見えない…しかし、この痛みはなんなんだろう。
むしろ、体の奥底が失われたような具体的な喪失感と激しい痛みに僕は悶えた。
息が詰まるような苦しさと、不安定な気分が全身全霊を襲っている。
30分も経った頃、スレッドにコメントが走った。
353ヲタコン「こんなことじゃないかと思った。でも、舞奈は喜んでくれてるんだったら、このスレは無駄じゃない。イッチよ、これでも立ち上がれないか?」
354イッチ「そだな。ワイもなんとかする。舞奈に負けるわけにはいかないお」
僕はわざと、ネットスラングを再び使い始めた。
スレ民達も同調し始め、このスレ民達の仲間意識が深く進化したことを僕は感じていた。
第8章
僕は舞奈との旅行で触れたもの、感じたことを思い出していた。
母親の思い、家族への想い、そしてネットの仲間たちとの思い出…。
372イッチ「ワイ、ちょっと離席。ヲタコン、管理ヨロ。」
僕は舞奈に見せることができる一番の景色を思い出したからだ。
ーーこんなんで医者を名乗ってたんだから、そりゃみんな怒るわな…。
僕はまず、部屋を出ることにした。掃除機の音が響く中、ドアノブに手をかける。
彼女に見せたい景色はこの外にあるんだ。
震える手をドアノブにかけ、思い切って回す。
廊下のに掃除機を押す母がいた。
驚く母の顔が印象的だった。
「母さん、ごめん。…話がある」
その後僕は父の仏壇に向かっていた。
静かに線香を上げ居住まいを正して合掌をした。
リンの音が長く響いた。
合掌を終え、目を開け振り向くと。いつの間にか母が僕の後ろに座っていた。
「お母さん今までごめん。勘違いしてた。」
「そう、何か気付いたのね。それなら良かった。」
僕は何を言うか戸惑っていた。頭の中のタグの整理が追いつかない。
「とにかく僕は今少しでも早く復帰したい。今更甘いって思うかもしれないけど、どうか助けてください。」
母は静かに立ち上がり、仏壇に向かい線香をあげた。
「コーン」
リンの音が柔らかく長く響いた。
部屋に戻った僕は久しぶりに外行きの服に着替えた。
ーー入ってよかった。
スーツのズボンに僕の腹は食い込み、それでもなんとか着ることができたときは、
思わず苦笑した。
僕は、今から、外の世界に踏み出す。
僕は舞奈への想いがスレ民たちの思いと束ねられ、
今その思いにつき動かされているのを感じていた。
ーー僕の過去に向き合いたい…
僕は今まで否定してされてきたと思っていた自分の人生に向き合うことを決めた。
僕が今まで歩んきた人生の中で、母、父、友人、先生、スレ民、そして舞奈…。
僕は、すべての人々を見下していたことを思い出した。
僕が生きていれば、みんなが喜ぶ。
ただ、言われた通りにすれば、みんなが喜ぶ。
ちょろいもんだ、そういう風に思っていたことに気づいた。
しかし、舞奈が…舞奈との出会いが、僕の人生を変えた。
「どう生きるかを問われる」「自分の人生のレールを自分で敷く」…こんな言葉を、
僕は実力で生きることだと勘違いして、その実力に甘えていたに違いなかった。
その証拠に、僕は誰かを助けたいと今日の今まで思ったことはなかった。
今、僕はその僕と決別する。
第9章
僕は、バス停でバスを待っている間にバス停の写真を撮って、スレッドにあげた。
413名無し「おい、イッチ、出たのか?」
414名無し「イッチ、おめ、乙」
415名無し「脱ニートか?何があった?」
416名無し「何があったお?」
417イッチ「ワイが舞奈に見せたい景色ってこれかな思ってな」
418ヲタコン「おい、イッチ、管理人押し付ける気かw」
僕は、苦笑した。
419イッチ「>ヲタコン、よく分かったなwよろ」
420ヲタコン「舞奈タソと仲良くやっとくやで>イッチw」
421イッチ「>ヲタコン タヒね!w」
412名無し「舞奈タソ、見てるー?イッチが壊れたおw」
こんなやり取りを心置きなく続けられる僕は、幸せだと心の底から思えた。
もう、仕掛けも煽りもいらない……。
僕は今、名無しの親友達に囲まれている。
滑らかに僕の前にバスが止まる。
乗り込みながら、僕はつぶやいた。
ーーあとは、舞奈だ。
僕の背中でブザーが鳴り、ドアが閉まる。
エンジン音が高まり、バスが発車する中、僕は近くの手すりにつかまって身を委ねた。
バスは、道を滑らかに走り続けた。
途中のバス停を飛ばしながら、右に左にと道を辿っていく。
バスにゆられながら、舞奈の姿を思い浮かべた。
曲がりなりにも医師の僕は、舞奈の姿を頭の中に思い描いた。
ALSの患者の人は何人も見たことがある。
舞奈の名前で浮かび上がるのは、あの小柄な可愛らしい姿だが、現実は違う。
母親や主任支援スタッフの書き込みによれば、医療機器に繋がれ、ピクリとも動けない…
下手をすれば、眼球さえもう動かせないくらいに症状が進行していることは容易に予想できた。
僕は今まで見て会話してきた幻想の舞奈と、病室にいるまだ見たことも会話したこともない舞奈とのギャップを乗り越えていく決意を固めるのだ。
舞奈のコメントが沈黙しているのは、
多分、舞奈がそのことを知られたことに起因するのだろうと、僕は直感していた。
22歳ならそれを乗り越えることは、相当な困難を持っているだろうことは、
「彼女居ない歴=ワイの人生」という僕にだってよくわかる。
でも、舞奈は勇気を持って僕のスレッドに来て、その恐怖に打ち負かされたのかもしれないと思ったのだ。
バスは終点の駅前についた。これから、僕は電車に乗り換え、母校に赴く。
改札を抜け、プラットフォームに立つ僕は身じろぎせず、電車を待っていた。
何かが電車とともに迎えに来るのをまんじりともせず、待ち構えていた。
僕は、今、まだ、舞奈に会いには行けない。
僕にはまだ幻想の舞奈の助けが必要なんだ。
それは僕の甘えだと思う。きっとそうだ。
だから、だから僕は今から自分の人生を舞奈に、名無しの友達に伝えたいと思った。
現実の舞奈に会うのは、幻想の舞奈のその先にあるのだから。
第9章
僕は、今、母校の廊下を歩いていた。
なぜか、風見、かなえ、千鶴の顔が舞奈の顔とともに浮かび上がる。
スレ民が並べるAAもそこに浮かぶのが自分でも笑える。
深呼吸をしてから、前に踏み出した。
学生時代の恩師の研究室の扉を開けた。
「神田先生、ご無沙汰してます。その節はご心配をお掛けしました。」
神田先生は少し憮然とした顔で、僕の顔を見た。
「3年か。長くかかったものだな。」
神田先生は、僕がミスを犯した時、全力で庇ってくれて、さらに診断書をつけて休職扱いにしてくれた恩師だった。
「はい。僕は甘えていました。」
教授の左の眉が上がる。
ーーまんじりともせずに、怯まずに教授の顔を見るんだ。
雲が動いたのか、窓から入る光が教授を照らした。
僕は身をすくめた。怒鳴られる。反射的にそう思った。
「ふむ。そうだな…。」
少し、拍子抜けした。
外の学生の楽しそうな声が部屋の中まで響いてくる中で、僕は次の言葉に備えた。
「体も弛みまくって、みすぼらしくなったな…で、何を見た?」
「はい、少々地獄を…。」
「お母様にも見せたのか?」
「はい。」
神田先生は、机に目を落とした。
光が陰る中で、神田先生の顔を僕は腹を据えて見つめた。
「そうだな。いい顔になった。よかった。そうか、そうか…」
神田先生のこの言葉は、僕の乾ききった心に水が染み込んでいくように響いた。
それっきり、神田先生は、椅子を回転させ、僕に背中を見せていった。
「僕はね……。僕は君のお父様には大変世話になったんだ。
だから、君を息子のように思って接してたよ。
…そうか。
なくなったお父様に、君はなんと報告する?」
僕の心の中に針のような一つ一つ厳しい思いが、まとまって刺さってくるような痛みを感じた。
「はい、もう報告しました。僕はあなたの子で良かった。
そしてあなたの子としてもう一度立ち上がる…そう報告しました。」
神田教授の背中が少し動いた。そして、再び「そうか…。」と言った。
そして、くるっとこちらに向きを変え、神田教授は言った。
「じゃあ、リハビリが必要だな。」
「リハビリ…ですか?」僕は、問い直した。
「そう、リハビリだ。
…僕もね、君のお父様に救われたんだ。
医療者は多かれ少なかれ、君のような経験をする…僕もな…。
だから君が逃げたのは、許されることじゃない。」
教授は、立ち上がり窓辺に向かって歩きながら言った。
「患者と向き合わずして、医者はできない。
向き合えないというのはそもそも甘えなんだ。
医師免許は、人の体にメスを入れたり薬という毒を入れたりすることなんだ。
患者と向き合えなければ、それは傷害や殺人と全く変わらないんだ。」
僕はただただうなだれた。涙が出てきた。
それは悔しさの涙でもなく、怒りの涙でもなく、後悔の涙でもない…
でも止め処なく涙は流れ出てきた。
僕は拭うこともできず、ただうつむき、涙を床に垂れるに任せていた。
教授は振り向き、僕に近寄り、僕の顔を覗き込んで行った。
「でも、僕には、君のお父様がいたんだ。
そして、君には、そんな人の存在が見えなかった。
僕は、君のお父様に成り代りたいと願ったが無理だった…そういうことだ。」
「いえ、そのようなことは…」僕は力一杯首を振って言葉を絞り出した。
そんな僕を包み込むように神田先生は言った。
「まあ、聞きなさい。それでも君は僕のところに戻ってきた。これが事実だ。
僕は、君のお父様が僕に君を託してくれたとそう受け止めたよ。
だからこそ、何があったかを話してくれ。
そしてこれからのことを決めよう。」
僕は、この数日間の“地獄”を神田先生に報告した。
舞奈がALSであることを知ったとき、すべての記憶が一気に蘇ってきたこと。どれほど自分が思い上がっていたか、そしてどれほど患者を「人」として見ていなかったか。その思いが、地獄の業火のように突然襲いかかり、僕を容赦なく焼いた——それが僕の地獄だった。
そして僕は、ようやく思い出したのだ。あのとき、神田先生が必死に手を伸ばしてくれていたことを。
僕はその感謝の思いを、ゆっくりと先生に伝えた。
第10章
僕の「地獄の話」を聞いた神田先生は、また来週来るようにと言うと、講義室へ向かっていった。
僕は、やっとスタートラインに立てたことに安堵した。
建物から出ると、冷たい風が僕を撫でていく。
この風が、僕の体は汗でビッショリになるほど緊張で火照っていたことを教えてくれた。
ベンチに座って、スレッドに投稿する。少し指が踊っていた。
一歩を踏み出せた、その喜びに満たされていた。
567あイッチ「今日、恩師に会ってきたお」
568ヲタコン「おか、乙。どうだった?」
569イッチ「泣いた。赦された。以上!」
570名無し「舞奈タソ見てる?イッチが立った、イッチが立った!w」
571イッチ「ワイはクララかw」
572名無し「何があった?ようわからんが、良かったのならオメ!」
スレ民のコメントに僕は懐かしさと安らぎを覚えた。
終えてからあれこれ考えてみれば、必要なのはちょっとの勇気だけだった。
ーー今となっては「ワイ、コミュ障で無理や」と書き込んでいた自分が愚かしい。
そう思った。
スレッドは僕が不在の中でも、舞奈に見せたい風景などを投稿する、いわゆる“舞奈レポ”が増えていった。
それと同時に、スレ民の人生にも色々な変化が生まれてきた。
「面接に行った」とか、「親と話し合った」など、日常の変化が絶えず報告されるようになった。まさに、舞奈効果と呼ぶにふさわしい変貌だった。
そんな時、ヲタコンがコメントを上げた。
634ヲタコン「イッチ、みんな、ちょっと考えてくれ」
639ヲタコン「舞奈って実在するのか?」
640名無し「ちょ、おま、何言ってんの?」
ヲタコンに言われるまでもなく、僕もその可能性を感じていた。
舞奈は「AIなんだよお。ヒント。ベータ空間」とオタコンの質問に答えていた。
641ヲタコン「あくまで、推定の範囲なんだが、確かに舞奈プロトコルでベータ版がが存在してるのは突き詰めた。ただ、ワイの調べた限りではあくまでガイド用商用AIでしかない。これって、商用AIとしての引きだったら、正直全てが納得するんだ。」
642名無し「それがどうして舞奈タソが架空の存在だってことになるんや。ワイらがやってたことは無駄だったってことになるやんけ。」
名無し「何、いいことやってるつもりになってるんや?自己満でいいやろ。釣りなら釣りで吊られればいいんや」
6423ヲタコン「ワイは解析特定が趣味だからな。だから、目くじら立てられても困る。わかったことをオマイらに伝えるのが仕事やおもとる。ただ、イッチに聞きたいんや。舞奈に誘われた時に何が起こったか、これはお前にしか分からんことやし、そろそろそれを教えてくれてもええやろ?」
僕はついにこの時が来たと覚悟した。スレ民には知る権利があるはずだ。
645イッチ「実は、舞奈に連れられていったときに、超優秀なガイドAIが待っていて、そこを解説してくれた。なぜ、超優秀かと言うと、会話が自然だったんだ。
ワイの話に耳を傾け、ワイの思いを感じて、ガイドをしてくれるんだ。三箇所で、それぞれのそう言うガイドがいた。」
646ヲタコン「どう言う感じなんや。」
647イッチ「最初はNPCかと思ったけど、会話が自然だった。ひょっとしたらVPCだと思うくらい。ただ、アドベンチャーゲームみたいに、対話自体は、2Dやったな。」
648ヲタコン「そか。イッチ、乙。そこまで教えてくれて感謝や。
今度はワイの推論をいう番やな。ワイは、舞奈はAIだと推定しとる。多分、βテストの対象としてこのスレが偶然選ばれた。そしてワイらの反応から、最終的に難病オチで幕引きをしようとしとる。そうであればかなり悪質やと思う。母親、支援スタッフもAIの狂言やと思えば筋が通るんや。」
649名無し「壮大な釣りなのか?この三つに渡るスレが釣り?さらに釣り師はAIってことか?」
画面の向こう側で、誰もが混乱している様子が容易に想像できる。
640イッチ「ワイが、もう一つ感じていることあげるわ。多分、舞奈はもう出てこれない、生きてないかもしれない」
641名無し「イッチ、それは無しや。そんなこと許さん。舞奈タソもきっと見てるんやで。謝れイッチ!」
642ヲタコン「イッチ、サンガツ。ワイは恐ろしくてそこまで言えなんだ。ヘタレやな。でも、こういうことや。舞奈はいない、もしくはいても話せない。つまり、相手はAIである確率が高い、そういうことや。」
643名無し「舞奈タソはワイの嫁、ワイの女神や」
644イッチ「そこなんだ!」
645名無し「なんや?はっきり言えや」
646名無し「kwsk」
647名無し「kwskキボン」
僕は、頭が沸騰するような思いだった。
648イッチ「オマイらは一体舞奈の何を知っとるんだ?」
混乱するスレ民のメルヘンな頭に、僕の感情はモニターの前で爆発した。
649名無し「を! キリ番や。舞奈タイム発動!」
画面の前で、僕たちは五分間の沈黙を守った。今、画面に向かっている誰もが、この五分を永遠だと感じたに違いない。僕は時計と画面を交互に見守った。頭に登った熱が徐々に引いてくるのがわかった。
11章
五分後、スレは静まり返ったままだった。僕のコメントを待っているに違いなかった。
僕は改めて、深呼吸して、そしてキーボードに手をいた。指が重い。
自分でも驚くくらいゆっくりとしたペースで、コメントを書き込んだ。
650イッチ「ワイは舞奈に恋しとったかもしらん。キャラクターも言葉のやり取りも自然だった。でもな、ワイはこんななりだけど、医者や。ALSの患者さんを見たことはたくさんあったんや。ワイはAIの幻想に恋しとったことを知って愕然とした。ワイらが治ることを期待しても、それは治らんのや。」
651名無し「イッチ、それは違う、違うんや。ワイらはワイらの都合で祈っとる。そして、舞奈はそれを求めてる…どうや?」
652ヲタコン「釣りなら釣りで、釣られるのもそれで去るのも自由や。スレはどこでもそうやで。イッチはそんなことは言ってない。わかれ。」
653名無し「ワイは信じとるで。舞奈がどんな姿だろうが関係ない。」
654イッチ「そうじゃないんだよ。オマイらワイが引きこもりになった理由はわかるか?ワイも昔はそうだった。でもな、現実ってそうやないんだ。希望どころか喜びも、涙も、そして、悲しみも失う現実ってあるんや。ワイはそれを拒否してニートになった。」
僕の目からはいつのまにか涙が流れていた。
失ってはいけない、目を背けてはならない記憶が涙と共に溢れてきた。
そうだ、あの時もこの時も、その時も、僕はそれから逃げていた。
絶対安全な場所を僕は求めていたんだ。
655イッチ「ワイな、大学病院で、ALSの患者さんみとった。その人の症状な、早くてみるみる衰えていくんや。ふと気づくと担当の看護師さんが廊下の隅で泣いとった。患者さんの前では笑顔で希望を持たせるために常に明るく振る舞ってる看護師さんが泣いとったんや。」
656名無し「。・゜・(ノД`)・゜・。」
657イッチ「そうや、泣いとったんやで。その患者さんはワイと仲良く話してた。でもな、症状がもうあかんってとこになって、喋れんようになって、無表情でワイを見つめるだけになって、ワイは逃げ出した。卑怯やった。医者になったらそれで薔薇色だと思ってた。病気さっさと治して感謝されたそれでおしまいだと思ってた。」
658ヲタコン「イッチ、もういい。わかった。もういい…。」
ヲタコン、お前はなんでいいやつなんだ!何も知らないお前が僕を知って支えてくれてる。
彼も僕と同じく「僕」に幻想を思うのか?
だとしたら…
僕は意地でも書き切るしかないと思いを固くした。
659イッチ「ワイが言いたいのは、舞奈が人間かAIかとか生きてるのかそうでないのかって問題じゃないんお。ワイは舞奈と会えない。それは舞奈がそう思うとるからや。舞奈は自分が何者かを知られたくないんやないか。だから、彼女は舞奈としてワイの前に、おまいらの前に姿を現したんやとワイは思う。」
660ヲタコン「イッチ、もう休めや。今夜はこれでいいんや、これで。
舞奈もイッチもおまいらも今は休め。そしてまた明日から生きよう。それしかないんや。ワイらが求めても与えられないものはある。それはわかる。
でも、それでもワイらが求めてなくても与えられるもんもあるかもしらん。
それが、ワイの想いや。ごめんなイッチ。やすめ。ワイも休む。」
書き込みを終えた僕は、しばらく動けなかった。
息が詰まるようで、浅い呼吸が続いて頭がふらつく…呼吸が治らない。
--やばい、過呼吸だ!
僕は、手元の本を目の前に立てその間に顔を突っ込み、空気の交換をなんとか阻害し、呼吸を落ち着けようとした。
呼吸が落ち着くにつれ、僕はスレッドを読み返していた。
今までスレッドなんて消費すると思ってた。でも、読み返すにつけ、あの時々の色々なことが思い出された。顔も年齢も性別も知らない名無しのスレ民たちの見分けまでついて余ってた僕は僕を笑った。
ーーどうかしてる…。
あいつらが何者だって関係ないはずだった。
しかし、今、モニターの裏であの名無しは泣いているだろう、とか、この名無しは落ち込んでるだろうとか想像がついてしまう。
そして、ヲタコンーー
彼を僕は尊敬したいが、そんな彼に僕は嫉妬もしていた。
僕は思った。
彼はALSの看取りも知っているだろう。
その最後は、身体的な苦痛を和らげるためのモルヒネを投与されながらの死であることも…。
多分、彼はこのことを知ったときに、僕と同様にこの結末を強く思ったに違いない。
そして彼の凄いところは、それをスレ民たちに味合わせたくないということだったんだ。
オタコンは解析特定の趣味と興味を満足させるためと言ってたけど、それは多分違うんだ。
そうではなくて、彼はそれでも舞奈の死を受け入れたくない、そう願っているに違いない。
ーー「もういい、イッチ、お前は休め。ワイも休む。」
それは彼の悲鳴に違いなかった。
僕は医者としての知識を頭の中から引っ張り出した。
現実の舞奈はもうしゃべれない。
それは支援スタッフと名乗る人物の書き込みからも明らかだった。
モルヒネを徐々に投与されながら、彼女は死の縁をさまよっているんだ。
無論、スタッフは懸命に彼女の症状に立ち向かい、彼女に向き合ってる。
僕やスレ民たち、ヲタコンと同じように共に歩んでいるだろう。
しかし、僕らはノンリアルな存在だ。
舞奈のためと思ってやっているそれらのことが、結果的には自分育てであることを
僕は今、甘んじて受け入れるしかできないことを否応なく迫られている。
どうすれば、このスレ民たちが、舞奈が、そして僕が幸せになれるのか…。
僕はこのスレッドの閉鎖を考え始めた。
次のスレは「みんなが舞奈のおかげで幸せになるスレ」にした。
そして、これが最後のスレだ。
多分、スレ民はみんなわかってくれるに違いない。
第12章
スレッドには相変わらず舞奈レポートが貼られ続け、それへの反応も舞奈を意識した内容が増えていた。
900番のレス番待機の後、僕は書き込んだ。
900イッチ「ワイ、次のスレで終わりにしたいんお」
901ヲタコン「ワイもそう思う」
902名無し「どうした?舞奈タソはどうする?」
903イッチ「舞奈は多分見てるよ。でも、答える術がないんだと思う。」
904名無し「だったら、ワイが引き継いでもええ。」
905イッチ「引き継ぎたければ引き継げばいいけど、舞奈がなぜ出てきたか考えたことあるか?」
906イッチ「舞奈は、現実の自分から自由になりたかったんやと思う。だから最後の力を振り絞って、このスレに降臨した。」
907ヲタコン「ワイも同意や。ワイらが舞奈を慕うのは勝手や。でも、舞奈からワイらは卒業せないかんと思う。」
僕は確信した。やはりコイツは確信犯だった。嘘を暴く解析特定を自分の役割だというヲタコンは、その存在を掛けて嘘をついたのだ。
僕たちが舞奈を仮想空間の向こうに見た気になってるように舞奈もまた僕たちを仮想空間を通して見てるに違いないのだから…。
908名無し「ヲタコン、おまいは舞奈が嫌いだからそう言っとるんやろ?そうやな?」
909ヲタコン「ああ、そうや、舞奈は偽物やし、オマイらがタソ付で読んでるのなんか胸糞や。」
僕は、マズいと思った。
910イッチ「やめろって。ワイもヲタコンも、舞奈を自由にしたいってことは一致しとるんだ。ワイだって、ほんの少しだけど舞奈を疑ったわ。でも彼女は、それでも一緒にいてくれた。だから、ワイらの想いだけで一緒にいる許しを求めてはいけないんや!」
ーー人間には知ってはいけない領域がある。
知るべきなのは直接知る人のみ。
そして、専門家はその存在をかけて知るべきなんだ。
僕はその専門家であった時、逐電した…。
だからこそ思った。
「偶像である舞奈を自由にしなければ、スレ民のこれからは、再び元の木阿弥になる。
そんなの、どんな状態だったからといって、舞奈が許すわけがない」と。
僕がさらに書き込もうとした瞬間、突然、リンクが現れた。
911舞奈「白神山地、青池」
現れた写真は、蒼い、深い蒼森の中の湖だった。
912ヲタコン「https://maps.app/U9gsasTeRp6DvhwX7」
僕もスレ民たちみんなそのリンクに飛んだ。
池のほとりに二人のアバターが立っていた。見覚えのある方は舞奈だった。
もう一人は、ガイドAIだろう。
メッセージウィンドウが立ち上がった。
名無し「舞奈タソ?」
名無し「舞奈タソだ」
名無し「本当だ舞奈タソだ」
名無し「。・゜・(ノД`)・゜・。舞奈タソ」
画面下部に展開したウインドウに次々とスレ民たちのコメントが差し込まれる。
舞奈「最初に失ったのは感覚、次に失ったのは声、そしてその次は光…。
怖いよー、みんなに会えたのに、怖いよー。
みんなが思ってくれるから…。私死にたくないのに!」
名無し「舞奈タソ…。」
スレ民たちは言葉を失った。僕もそうなりかけた。でも…。
イッチ「舞奈、君が色々失っていく中で、僕は再び立ち上がることができた。みんなも君に世界を見せたい一心で、もう一度世界に踏み出せた…。ごめん…。」
画面に舞奈からのメッセージが現れた。
舞奈「そっか、よかった。全部聞いてたから。」
舞奈「私、今まだ生きてる。」
舞奈「でも、感じることができなくなった時思った。」
舞奈「死ってこういうものなんだって。」
舞奈「支援スタッフが頑張ってくれて、やっとまたカキコできた。」
舞奈「まだ生きてるって思った。」
舞奈「でも、もう見えないんだ。」
舞奈「そして、眠る時間が長くなってきたの。」
ゆっくり、刻むように、ゆっくりと舞奈のコメントが増えていく。
舞奈「今回が最後、それでいい。」
舞奈「今の私はただ寝てるだけ。表情も作れない、目も動かせないんだよ。」
舞奈「舌で言葉を選ぶのがやっとなの。」
舞奈「こんな姿、知られたくなかった」
舞奈「けどね…」
舞奈「やっぱりみんな大好きだから…」
舞奈「ヲタコン、イッチ、ごめん、あなたたちのコウイ、ムダにした…」
辛いだろうに、僕はそう思いながら、それでも彼女のコメントを待ち続けた。
ヲタコン「それでいい。舞奈が良ければそれでいい。」
舞奈「ありがとう。今、安らいでる。」舞奈「よかったみんなと話せて。」
舞奈「まだ話せた。文華ちゃんあとはお願い。」
文華「はい、舞奈ちゃん任せてね。舞奈ちゃん、大変なのにありがとう。
私は文華って言います。ガイドAIです。
ここは白神山地の青池です。青森県と秋田県の間あたりですね。
この池は、水の青さから青池と呼ばれています。
水質が澄んでいて、湖底までは9メートルあるんですけど、
よく見ると泳いでいる魚が浮遊しているように見えるほどです。
舞奈さんがここを選んでくれたんですが、
この池の青さは舞奈さんの心の色と同じで澄んだ深い青色です。
舞奈さん、私には、あなたの姿は見れませんが、あなたの心は見えますからね」
舞奈「照れる」
文華「直接ご覧になるとわかるんですが、風のない時には水面がわからないほど透明なんです。今度見に来てくださいね、舞奈さん。私はいつでもここにいますから、いつでも来てくださいね。」
小さなメッセージウィンドウが次々と開き始めた。
風見「舞奈さん、一人じゃないよ」かなえ「御百度を踏んでるからね」
千鶴「お祈りしてるよ」
ヲタコン「君たちは?」
イッチ「僕が出会ったAIガイドたちだよ。」
文華「イッチさん、ヲタコンさん、名無しの皆さん、一緒に舞奈さんの旅行を楽しんでくださってありがとうございました。」
スレ民たちは誰一人として書き込まなかった。いや、書き込めなかったのだろう。
イッチ「舞奈、君が見せてくれた景色、今度僕が直接見に行く。直接、感じに行く。そしたらまた報告する。これからも一緒だ。いつまでもな。頑張らなくていい。僕は君から自由をもらったんだから…。」
名無し「ワイもや、舞奈タソ」
名無し「ワイ、精一杯頑張るから応援しててや」
名無し「オラ、かーちゃん大事にするんご」
舞奈「わかった。ありがとう。」
舞奈「でも、ごめん、」
舞奈「つかれた。またね。」
そして、舞奈のアバターは背中を見せ動かなくなった。
--舞奈 is log out
舞奈のアバターがそこから消えた。
ーーー
二週間後、スレに一本のコメントがたった。
458舞奈「母です。娘は、皆さんの報告を毎日聞いていました。体は動くこともなくとも、一生懸命聞いていたのは私にはよくわかりました。でも、今朝、心臓も動きをやめていました。もう、このスレッドを娘に聞かせることが物理的にできなくなりました。あとは、皆さんの心の中で話を聞かせてやってください。今までありがとうございました。」
459ヲタコン「僕らはみんな、娘さんに毎日のように報告しています。僕たちもこのスレから旅立ちます。お知らせいただき有難うございました。これから何かと大変なことと存じますが、よろしくお願いいたします。お疲れの出ませんようにお祈りしております。」
459ヲタコン「僕らはみんな、娘さんに毎日のように報告しています。僕たちもこのスレから旅立ちます。お知らせいただき有難うございました。これから何かと大変なことと存じますが、よろしくお願いいたします。お疲れの出ませんようにお祈りしております。」
エピローグ 青い池のそこで
彼女は舞奈と名乗った。
素敵な名だと思った。
見ず知らずの僕に気さくに声をかけてくる舞奈の誘いに応じたのは同情と、少しの興味と、少しの期待からだった。
バーチャルツアーは面白かった。各地でAIガイドがいろいろ語りかけ提案してくれた。
舞奈のコメントは、微笑みで光っていた。
僕はそのコメントごと彼女に惚れた。
心と心が惹かれるというのは不思議だった。
抱きたいとか会いたいとかではない。
それでも離れられない一途の想い…。
スレッドの住民は僕たちを冷やかした。
舞奈の言葉が照れた。
可愛いと思った。
ある日舞奈の言葉が泣いていた。
「死にたく無い。」
「でもね、もうすぐそこ、」
「そこまできてる。」
「あと何回目覚められるんだろう…」
翌日、舞奈の母を名乗る言葉が現れた。
「娘は、もう目覚めません」そう言った。
僕の中に彼女との思い出が蘇った。
……あそこに行った、ここに立ち寄ったら舞奈は笑ってたな。
姿も顔も声も、何も知らないのに、この喪失感は何なのだ?
目の前からは何も消えてないのに…。
母親と名乗る人からのメッセージだって信じる義理もないのに…。
僕は悟った。
僕の魂の一部が永久に失われたのだと。
そして僕の今があるということを──。
舞奈の母親からの連絡から49日目、この二ヶ月弱で、僕たちの人生はすっかり変わった。
あのスレッドは、しかしまだ生きていた。
クローズチャットへの移行も考えたが、舞奈を締め出すようでそれは止めになった。
今度はお互いの近況報告をしたりするスレッドとして、今なお、交流が続いている。
僕は僕で、恩師の支えをもらいながら復職が決まった。あれから僕は、教授の支えをもらいながら復帰をした。 多くの患者さんが僕の前にいる。 いろいろな不安、いろいろな苦しみ、いろいろな悲しみ、そして治った時の喜び…それらに僕は今、心から向かっている。
そんな中で、僕は時々、御巣鷹山、知覧、釘抜き地蔵をネットでだがお参りしている。
そして今日、僕は初めて会う仲間たちと共に居た。
鬱蒼とした森の中、整備をされた木道をわいわい言いながら僕を含め、
12人の男どもが青池を目指して歩いてきた。
着いた先にあったその池は、何よりも深く透明な青色をしていた。
今日、スレッドに舞奈のお母さんから、49日に際してのお礼のコメントが入っていた。
彼女の本名は「真魚」だそうだ。
「今風な名前だ」と思いながら青池を覗き込みむと、
水中の魚がキラリと光を反射した。
水は……それほど透明な池だった。
僕はつぶやいた。
「本当に綺麗だな。舞奈、あの中にいる魚だったら幸せだろうな」
ヲタコンが、持っていったスマートフォンで文華を呼び出した。「おい、見ろよ」
その画面には、五人のアバターが寄り合っていた。四人のガイドアバターと舞奈だった。
そしてその舞奈の顔は、微笑んでいるように見えた。
僕は…僕たちもまた、微笑みを浮かべていたに違いない。
後日譚:そして僕たちは立ち去った。
数ヶ月後、僕が立てたスレッドが注目され始めた。
多くの人たちが感動したと言い始め、舞奈の追悼の文章を寄せて立ち去っていった。
幸いなことに、青池を訪ねた後に立てたスレッドには、他人は興味を持たないような情報しかなかったからか、僕たちの交流はその後も続いた。誰かが、月命日やお盆、お彼岸などと銘打って、追悼企画を立ち上げるようになった。
そのうち、このスレッドがまとめサイトに掲載され、さらにまとめ動画で紹介されるに至った。
僕たちはそれを成り行きのまま見送った。
僕は、ある日、骨折して入院していた山田という少年がこのスレッドのことを教えてくれた。
彼は、感動のあまり、自分のパソコンで使っているAIに「舞奈」という名前をつけたと教えてくれた。
なんでも、流行りのアニメで、名付けをするとレベルが上がるという設定があるとのことで、それに彼は着想を得たとも言っていた。
そして、このスレッドのスレ主がその後どうなったのかを考え、そのことをAIと議論しているのだそうだ。
僕は、その話を聞いた時、体が熱くなった。
その一方で、心の中にはなんとも言いようのない苦いような思いが広がっていくのを感じた。
僕はそれが僕のことだとは言えず、心の中を悟られまいと、笑いながら彼と話していた。
一週間後、彼は
「僕は、AIの開発に関わりたいと思ってるんだ。」
そう言って、退院していった。
彼を見送る時、僕はあの青い池を思い出していた。そして、心の中で叫んだ。
ーー舞奈、僕は、みんなは今、君の“美しさ”に生かされている。




