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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

分裂と統合

作者: 鍋谷葵

戯曲です。

最後まで読んでいただければ幸いですm(_ _)m

第一幕 虚妄



場面は狭苦しい牢屋。

木造の二段ベッドが二つ、その脚元には錆び付いた鉄の扉。

四面は石壁に囲われ、天井に近い位置に格子窓が一つ。

窓からは青白い月光と潮の匂いを含む秋風が吹き抜けている。

汚れ切った濃緑のルパシカを纏う囚人チーストゥイは、ベッドの一段目に横たわり、瞼を閉じ、深い溜息を吐く。


チーストゥイ

「塵埃、銃声、破裂、血。

 虜囚となってから、何日経ったんだ? 

 修道院は燃え、ツァーリは打倒されたはず。

 闘争は成就したはずだ。

 だのに、どうしてここに囚われている?

 ハリストスに縋る憐れな者どもに」


チーストゥイ、脳裏に浮かぶ内戦の光景に体を強張らせる。


チーストゥイ 

「思索の詐病は、その教えの割に冷酷無比だ。

 瓦礫に白旗を掲げても、

 容赦なく銃は向けられた。

 退却するほかない。

 だが、同志の多くは脚に血を纏っていた。

 俺たちは突撃した。

 生き残ったのは俺だけ」


生き延びてしまった申し訳なさに顔を顰める。


チーストゥイ 

「奴らに利用されるためだけに生かされている。

 塀の外では赤旗の下、

 同志が戦っているというのに」


ラーズゥム

「酸鼻極まる行為。

 それが虚妄の影にお前を放ったのだ」


隣のベッドから老爺のしわがれた声。

チーストゥイ、その声に目を見開いて、肩をすくめる。



第二幕 分裂



チーストゥイ、暗がりを睨みつける。


チーストゥイ 

「老いぼれのラーズゥムめ!」


チーストゥイは暗がりの中で相手が痩せた老翁だと気付くと、嘲笑を浴びせる。


ラーズゥム 

「目は役に立たない。

 網膜に映る全ては虚偽でしかないのだから」


目を伏せるラーズゥムは、髭を摩りながら語る。

チーストゥイは眉間に皺をよせ、忌み嫌う牧師の如き老翁を睨みつける。


チーストゥイ 

「アルハンゲリスクで、

 ボリシェヴィキと行動していたさ。

 ブルジョワを、

 帝国主義者を、

 ハリストスの信奉者を、

 国家の癌どもを駆逐した!

 それが嘘?

 馬鹿なことを言うな。

 テロルは刻まれている!」


チーストゥイは腕に残る切り傷を見せつける。

 

ラーズゥム 

「手に、足に、肌に刻まれた黒土。

 痴愚なる頭であれ、精神はガリラヤに。

 教えは無垢なる救済を生業としただろう」


チーストゥイ 

「生まれは白海で、

 教えは十歳のとき糞と一緒に燃やした!

 利益を貪る禿鷹の巣に火を付けた。

 煤煙と塵埃の中、

 モシンナガンで奴らの頭を吹き飛ばした!」

       


ラーズゥム、聖セバスティアヌスのイマージュ。


ラーズゥム 

「落魄の者どもに手を差し伸べ、

 救済を切り開く者よ。

 泥濘の茨は血を漂わせ、赤貧をもたらす。

 されど、

 汝、幸いなるかな。

 静謐な義の成就は、蒙昧な栄誉を満たす。

 快楽の痙攣がもたらされるのだ」


チーストゥイ 

「俺が助けたのは、同志だけだ!」


ラーズゥム

「ベタニアの土に埋もれる者はみな同じ」


チーストゥイ、激昂する。


チーストゥイ 

「違う!

 俺は、俺たちは、

 同志を助けるために殿を務めた!

 銃創に、

 失明に、

 骨折に、

 飢餓に、

 苦しむ同志を救うため!」


チーストゥイ、ラーズゥムの前に立ちはだかる。


チーストゥイ 

「連行されるとき、俺は聞いた!

 あいつらが脱出したことを!」


そして、

気高き声音でラーズゥムに言い浴びせる。


ラーズゥム、球体関節人形のイマージュ。


ラーズゥム

「存在としての没落。

 不如意は純粋性の喪失により導かれた」


チーストゥイ 

「黙れ!」


チーストゥイ、振り上げた拳をラーズゥムの頬に思いっきり振り下ろす。

壁を殴る音とともに暗転。



第三幕 痙攣



握り拳から走る麻痺を含む痛み。

チーストゥイは歯を食いしばりながら痛みに悶える。痛みは頭を白ませ、その中に過去が投影される。彼は再生され始める過去を自我忘却のうちに、食い入るように見つめる。


チーストゥイ 

「ドニエプルの大地は血を吸っていた。

 ハリストスを愛した父は、

 聖者を愛していたクラークに殺された。

 母は祈りの中、結核で死んだ。

 俺は?

 私は……

 聖職者になろうとした。

 だが、金のために諦めた。

 父と同じようにクラークの土地を耕した。

 唯一、異なる点は伝道者になったこと。

 教会で文字を教わり、

 願っていた私自身に触れた。

 そのうち、世界戦争が始まった。

 そのうち、ペトログラードで革命が起きた。

 そのうち、内戦が始まった。

 逃げ込んでくる人々を助けた。

 赤でも、白でも、彼の精神に則った。

 あるとき、一人の帝国主義者が。

 求めに私は答えた。

 チェーカーが訪ねてきた日。

 男は赤を詐称した。

 私はテロルに突き出された。

 そうして、そうだ、私は——」


牢屋の転換。

ベッドは消え、藁床のみが敷かれた石櫃のような独房へと舞台が変わる。

チーストゥイ、爪の剥がれた血濡れた手を見つめたのち、閉ざされた扉へ視線を向ける。

そこにはラーズゥム——頭のないキリストのイマージュ——が、柔らかな微笑を浮べて立っている。


ラーズゥム

「ゲッセマネの園でかの者は売り渡された」


チーストゥイ

「奴は首をくくらなかった! 

 私の奥歯を抜き、爪を剥いだ!」


チーストゥイ、絶叫。

そして、うずくまる。


チーストゥイ 

「援助は独善で、美徳は自慰か?

 主よ!

 レビに試したことをなぜ私に?

 赤貧を、

 無知を、

 裏切を、

 拷問を、

 分裂を!」


扉の向こう側では、軍靴が床をカツカツと鳴らす音が近づいてくる。


ラーズゥム 

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」


錆び付いた扉が開き、

赤軍兵士が入ってくる。

兵士が手にするランタンの暖色光、

格子窓から差し込む月光の青白い光が、

チーストゥイを照らす。


ラーズゥム

「救済だ」


赤軍兵士

「来い」


ここで二人は重なっており、

ラーズゥムの声が優先される。

両者、チーストゥイに手を差し伸べる。

チーストゥイ、ラーズゥムの手を取る。


暗転。


登場人物全員が消え、ソロヴェツキ―収容所の写真が写される。


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