私が呼び寄せた友達(百合ホラー)
二人っきりの学校の教室。
隣りにいるこの友達はだれだっけ?
長い年月で歪んだ窓を、細い風が叩く。
ガラスと金属フレームがこすれる音が耳の奥にいつまでも残り、酷く不快だ。
秋の日暮れは早く、先ほどまでは見えてたお互いの顔も、薄い闇に侵されていた。
使い古された校舎の一室。
下校時間はとうに過ぎており、聞こえてくるのは短い命を泣く虫達の金切り声。
息を吸えば少し冷たい何かが肺を埋める。
闇と音が響きあう室内。
ふたりには広過ぎる空間の中、小さく寄り添い並んだ二つの影は少し気恥ずかしそうに、それでも離れることはなかった。
吐いた息があの子に吸われているようで、はしたないけど少しだけ嬉しい。
「この学校であった本当の話なんだけど」
闇に融けるどこまでも黒い長髪。
うつむく横顔を半分隠していた。
人形みたいーーその言葉が誰よりも似合う友人は、紅が引かれた唇でゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ある男の子がいたの。その子は勉強が得意でね」
語りながら彼女は立ち上がり、部屋の明かりをつける。
「でも家が貧しくて進学が出来なかった」
カツンカツンと上靴が床を叩く高い音。
一歩、二歩、少しずつ私に近づいてくる。
「数少ない学費免除の特待生も街の有力者の子供の指定席だった」
嫌な時代ねと呟き、白い少女の指先が私の髪を撫ぜ、首に触れる。
心地よくて小さく声がもれてしまう。
満足げに形を変える赤い唇。
彼女は話を続ける。
「翌朝教室に少年がぶら下がっていたそうよ。
彼にとって勉強とは貧しさから逃げる唯一のものだったから」
言いながら天井を見上げていた。
「え?それってここ!?」
さあねと小さくおかしそうに声を出す。
「もー私が怖いの苦手なの知ってるでしょ」
「ごめんなさい。怖がってるのが愛しくて」
もう一度髪を撫ぜてくれた。
誰にも見せたくないふたりだけの世界。
大人びた顔立ちと、椿を思わせる甘く青い香り。
もっと欲しいと欲張ってしまい思わず鼻がなる。
「貴女にかがれるのなら嫌ではないけど、さすがに恥ずかしいわ」
陶器の表情が照れて赤くなり、私も顔をそむけた。
「でも残念。ほんとに有った怖い話集めて来ましたのに」
「1つで十分ですー」
拒否をすると名残惜しいのか両手の指を折りながら、ひとつひとつ説明を始めた。
「プールで踊る先生でしょ、教室で消えた少女でしょ、夜中に校庭を走る5つ子ちゃん」
私が知っている失踪者にこんなコミカルな人たちはいない。
まだまだあるわよと続ける少女を見ているだけで、私にはもったいないくらい楽しかった。
「はいはい、もうそろそろ帰るよ」
失踪者が1ダースを超えたあたりで立ち上がった。
彼女と過ごすのは楽しいけどさすがに帰らなきゃ。
遅い時間を指す壁掛け時計を見ながら、室内灯を消した。
訪れる暗闇は時間さえ止めてしまいそうだ。
洛陽は糸のような上辺を覗かせているだけで、間もなく夜が訪れるだろう。
瞳孔の収縮が間に合わず少しだけ早い漆黒の中、友人も立ち上がる。
再び高い音を立てながら1歩2歩と距離を詰めてきた。
自然と後ずさりをしてしまい、ゴム底の上靴が低い音を立てる。
「どうかした?」
聞こえてくる声はいつもの友人の声。
ならなぜ逃げてしまった?
私から近づいて手を取ると、何も答えず先を歩いてくれる。
柔らかくて心地よい冷たさに、少しだけ心が和らいだ。
廊下で響く一対の高い音。
お別れするのが寂しいなと少しだけ手を強く握る。
建物の出入り口まであと半分。
その時彼女の足がぴたりと止まる。
不意に襲う無音。
現世の中に生まれた幽世。
「帰りたくなくったかしら?」
からかわれているだけなのだろうが、なぜか抗えない引力がある。
私に見えるのは伸びる廊下と、あの子の後ろ髪。
逃げ出したい。
急に湧き出した魂の生存を望む声。
そうだ、私はなぜ。
聞くべきではない、そう理解はしているのに私には止めることが出来なかった。
「今日ってさ」
言葉が詰まりスムーズに話せない。
「なんでこんなとこで話そうってなったんだっけ?」
「あら覚えてないの?ひょっとして私の事も忘れちゃった?」
いたずらっぽい少女の声。
「もー、そんなわけ……」
思い出せない。
後姿のこの少女はどんな顔をしていただろう。
ずっと前から仲が良かったはずなのに思い出せない。
「……そんなわけないじゃない」
記憶が混乱している。
そう、記憶が!
なんで私はここにいるんだろう。
話すだけなら学校に残る必要なんてない。
家でもファストフード店でも、快適な場所がたくさんある。
誰も使わない教室に、私は行ったりしない。
目の前で揺れる黒は、どこからが髪か、どこからが闇か、もうわからない。
くるりと優雅に美しく、少女が振り返る。
同時に街路灯が幾度か瞬き、闇を切り裂く明かりを放つ。
明るくなった廊下と伸びた影。
2人を確かに舐める人工の光。
少女だった物は照らされてなお深淵で、赤い唇だけが浮いていた。
それは私を引き寄せると耳元で囁く。
「私を呼んだのはあなたよ?」
鼓膜を震わせる空気ではない何か。
私はこんな時間になんでこんな所にいるんだ。
なぜ?私は?ここで?だれと?何をしていた?
涙がこぼれ、口からは絞り出された形にならない声だけが唾液とともに零れる。
耳元で聞こえる押し殺した声。
「寂しくてひとりが嫌で叫んでたじゃない」
一人ぼっちの私。
いじめられたわけではない、無視されたわけでもない。
ただ必要とはされていなかった。
「自分を一番大切にしてくれる人が欲しかった」
そう、私はずっと手を引いてくれる、そんな人を探していた。
「だから私は来てあげたのよ?」
無機質な声が続く中、彼女の影は光に逆らい伸びていた。
「私が……呼んだ?」
「そう、助けを求める声を聴いたから這い出ただけよ」
背に回されている手はいびつな形をしていた。
ああ、いまさら私は理解した。
私は自分に欠けている物が欲しかったのだ。
それはそそがれる愛情。
決して求められる事のない自分を受け入れてくれる存在。
家族に愛されず、友達がおらず、今消えてしまっても誰の記憶にも残らない
彼女の影がじくりと私に染み込む。
「望むのなら私が傍にいてあげるわ。嫌なら拒みなさい」
そういった世界も良いかと閉じた瞳。
光がにじむ瞼にゆっくりと影が差し込んでくる。
ーー遠くで車のクラクションが鳴った。
手を伸ばせば届きそうな現実。
近くて遠くて、二度と戻れなくなる場所。
「……ごめんなさい」
彼女の胸に手を添え、そっと押し返す。
「今日はありがとう」
再び涙があふれ、頬をつたう。
「ほんとうに楽しくて嬉しかった」
光に照らされている彼女の白い顔。
一重の大きな瞳と赤い唇。
お人形さんみたいと、その美しさに息をのんだ。
「私はもう少しここで頑張ってみたい」
思いを聞いた彼女は、驚きながらも少しだけ瞳を細めた。
「今さら元の世界に返してもらえると思っているの?」
広がる闇。
全ての光と未来を刈り取る闇。
どこまでも広い黒に浮かぶ赤い唇の少女。
三度撫ぜられる私の髪。
指先は首を通り、鎖骨を撫ぜ、優しく口内に差し込まれた。
「次はどんな話をしてほしいかしら?」
初めて聞いた本当の声色は、少女の命にカチリと鍵をかけた。
その夜ひとりの少女が夕闇に消え、未だ見つかっていない。




