善人の遺品
善人は早死にする、なんて言葉を聞いたことがあるけれど、本当かもしれないと思った。
「陸上部副顧問の湯田先生が亡くなられた。」
私が中学二年生の頃の話だ。まだ三月も始まったばかりで、その日は確か、雪が降っていたと思う。
まるで現実味のない話で、本当はなんの冗談かと笑いたかった。けれど普段私達に怒鳴り散らす顧問の酷く項垂れている姿を見て、嘘じゃないんだと悟った。
「娘さんの卒業式の帰りに、車で中学校へ向かってる途中だったらしいよ。可哀想に。息子さんはまだ十五歳だって。」
「元々心臓が悪かったらしい。三年生の担任だったから、疲れが溜まってたのかもねぇ。」
そんな、ドラマによくあるような最後だった、らしい。
いつも優しく笑う、素敵な先生だった。男性なのに仕草がちょっと女っぽくて、湯田先生のことを嫌う人になんて会ったことがない。
長距離走で息を切らしているときに先生がくれたポカリスエットの塩気が、美味しかった。顧問に怒られて泣いた私にティッシュを手渡してくれたのも、先生だった。
中学生の子供たちの拙い冗談にも目じりのしわを深くして笑い、気の遠くなるほどきつい練習に自ら参加して励ますような人だった。えこひいきだってせず、大した成績も出せない私のような選手にも真っ白な頬を上気させながら応援していた。
「理想の人間」
そんな言葉がぴったりと当てはまる、非の打ち所なんて全くない、仏みたいな人。それが皆の共通認識だったと思う。
だけど私は天邪鬼だから、そんな先生が少し、苦手だった。血の通っていない無機物のように見えてしまって怖かった。そんなことなど無いはずなのに。
一番驚いたのは、あんなに良くしてもらったはずの先生の死に、涙が零れなかったことだ。人って呆気なく死ぬんだなんて平然と考える自分が、得体が知れなくて、心底気持ち悪いと思った。
分からない。本当は湯田先生が亡くなってしまったことを認めたくなかったのかもしれない。どこか夢の中にいるように足元がおぼつかなかった。もう湯田先生はこの世で息をしていない明確な事実を、とてもじゃないが信じられなかった。
葬式に参列してもやっぱり悲しみは生まれてこなくて、薄情な奴だとがっかりしたことは今でも覚えている。お通夜だというのに会場は人で溢れ返っていて、あちこちで漏れるすすり泣きを、ただ黙って聞くだけだった。
花に囲まれて笑う遺影は、なんだか味の薄いスープみたいに目に映る。
「この度はご愁傷様です。」
会場に入ってからもう何度聞いたかも分からないだろう言葉に頭を下げる家族は、能面のような顔をしていた。
やがて夏になって、そんな記憶も薄れてきた頃。
顧問が20センチくらいの箱を3つ持って部活に顔を出した。中には、陸上大会が開かれる度に競技場で売られているボールペンが、沢山入っていた。
「湯田先生が、お前たちのお土産に買ったものらしい。奥さんが届けてくれたよ。」
300円くらいの、プラスチック製の黒いボールペン。手にする度に思い出す。湯田先生のタンポポみたいな笑顔や、少し高めの朗らかな声、息子さんと照れくさそうに肩を組んでいたことや、奥さんと娘さんの合作だと口いっぱいにお弁当を頬張っていた姿も、走馬灯みたいに、鮮やかに蘇る。
罪悪感で死に顔を見られなかったこと。3年生の卒業式に、黒枠に入った湯田先生の写真が椅子の上に立てられていたこと。全部混ざりあって、ボールペンに詰まっている。
このボールペンを、一度も使ったことはない。封も切らずにかけなくなっていくボールペンを、私は多分、ずっと手放せない。




