【第二章】 第一話
二十歳。
いつの間にか歳を重ねたな、とぼんやりと思った。天井では煌々と蛍光灯が光り、正面にある黒板の前では、大学教授が民法を詳しく説明している。
左手で頬杖を突きながら、シャープペンを持った右手でルーズリーフのノート用紙一枚を抑えている。たまにテストで出そうなことをこの教授はぽろりと言うため、メモの準備は怠れない。
九十分ほどの講義の後、俺は尖らせていた神経を緩ませると、ふうと息を吐いた。この民法の授業を担当している教授は学期末テストの点数が百パーセント成績評価に関係してくるため、全く気が抜けない。今日は二限目までしか講義が無かったというのに、体や脳を動かすのが億劫になる。
しかし、いつまでもこの講義室に座っているわけにもいかない。ノート用紙をルーズリーフに挟み、トートバックの中へ適当に放り込んだ。
トートバックの持ち手に右腕を通し、肩にかけ、俺は講義室を後にした。
「なぁ、昼飯。どこの食堂で食う?」
「やっぱり一号館の近くの食堂だろ。あそこが一番安くて美味いんだよ」
「つーか、話変わるけどお前、一限飛んだだろ」
「寝坊にしちまった!そもそも一限って単位取らせる気ない時間帯だよな」
「わかる」
と、大学生特有の中身の会話が講義を終えた学生たちの間で繰り広げられている。
俺はそういった中身のない会話をする人間が一番大嫌いだ。何故なら彼らは目標を立てず、有り余る大学生生活を無駄にするのだろう。
何故、こいつらは大学に入学したのだろう、と心底思ってしまう。俺はトートバックの中からワイヤレスイヤホンを取り出し、耳に詰め込んだ。スマホの画面を付け、動画サイトに投稿されている民法の解説動画を再生した。
俺が通っている大学は最寄り駅まで徒歩七分かかる。それまでの間に民法の復習を済ませておきたいのだ。
最寄り駅のホームへと着くと、俺は大きなため息を吐いた。平日の昼間だというのに、かなりの人が電車待っており、そのほとんどが小さく円を作って談笑をしている。
だが、よく見てみると、金色や茶色などの人工的な色に染めた髪をした人間がほとんどだった。ああ、俺の大学の奴らか。
いつもはもっと早く講義室を出て、電車に乗り込むから気が付かなかった。
耳障りだと感じ、手に握っていたスマホの音量アップボタンを二回押した。耳に装着されたイヤホンから雑音をかき消すほどの日本語ラップの音楽が聞こえてくる。
大学の最寄り駅から自宅の最寄り駅までは乗り換えなしで着くことができる。だが、それでも一時間ほどかかるため、少し面倒だ。ホームに到着した電車に乗り込み、他の大学生に取られないようにいち早く席を確保した。
電車が動き出し、体が横に大きく揺れる。昔はこんなにも電車に体を揺さぶられることなんてなかったはずだ。現役時代と比べると衰えを感じる。だが、目の前の大学生たちは体が揺さぶれたことを楽しんでいる様子で、男子と女子で肩をぶつけ合っていた。
電車という公共の場ではしゃぐなよ、と思いながら、家の最寄り駅まで目を閉じた。
ワイヤレスイヤホンの向こう側からかすかに聞こえた車内アナウンスが家の最寄り駅に着いたことが聞こえ、目を開けると、もう目の前に座っていた大学生はいなくなっていた。
俺は電車を降り、駅を出て、家まで歩いた。
ワイヤレスイヤホンから聴こえる日本語ラップが、俺の人生の満たされない部分を満たしてくれるような気がして、帰宅の足取りが次第に軽快になる。ちょうど一曲聴き終えたところで、家に到着した。
「そういえばポスト見ないとな」
家の前に置かれているポストに手を突っ込んだ。俺の家は一軒家で、ポストは家の前で雨風に晒されているため、黒色だったポストも色落ちし始めている。また色が薄くなったなー、と思いながら、幾つかの封筒を手に持ち、ポストから手を引き抜いた。
今日も大量大量、と思いながら、束になった封筒に視線を向けた。だが、一番上にあったのははがきであり、宛名面には若林透真と俺の名前が書かれてあった。「こんな時期に年賀はがきか?」などというくだらない考えが頭に浮かんだが、もちろん違った。
裏返すとそこには【成人式の案内】という文字がカラフルに書かれていた。