【第一章】 第五十三話
「お、若坊じゃねーか」
パソコンルームを後にした俺が階段を下り、昇降口まで行くと、その近くにある水飲み場で腰を掛けている神田先輩がそこにはいた。
八月の昼の一時という一日の最高気温に到達する時間帯であるためか、外にいるだけで汗が滲み出てくる。その暑さから逃れるために、神田先輩は濡れたタオルを首に巻き、水道で髪を濡らしていたようだった。いつものオールバックの髪型が崩れてしまっている。
「髪がいつもと違ったので、誰だかわかりませんでした」
「ああ?」
俺の小言に神田先輩が眉を顰める。
髪の先端から滴った水が鬱陶しかったのか、神田先輩は髪を後ろにかき上げた。
「まぁ、これじゃないと気合が入らないよな」
そういうものなんですかね、という言葉を俺は飲み込んだ。
そして、神田先輩は首に巻いていたタオルを離した。
「負けたな」
「はい」
何に負けたのか、誰が負けたのかを語らなかった神田先輩だったが、俺は即答した。
「もう中学サッカーは終わりかと思うと、本当に早かった」
神田先輩は俺の方を見ていない。何もない天井を眺めている。
俺も神田先輩の視線の先を追って、天井を眺める。
「たまに練習を面倒だと思う時もあったんだ。たかが中体連のサッカーだろ。プロになるような奴は今頃、クラブチームとかで実力を身に着けている。それなのに俺は何やっているんだって」
神田先輩らしくない弱気な言葉だ。俺の目の周辺に熱が溜まっていく。
「けど、朽木や富澤、松本といった実力のある奴がしっかりと努力を重ねていた。お前や渡辺、間中とかもな。それなのに俺がここで腐ってどうするんだってな。だから、最後まで続けられた」
俺は何も答えられない。この場には神田先輩の声しか聞こえない。遠くで渡辺の声が聞こえるくらいに。
「お前は途中で辞めようなんて思う人間じゃないかもしれないけど、最後まで続けてくれ。それで俺たちの分までリベンジしてくれ」
神田先輩は言い切ると、俺の方を向いた。神田先輩の目は相変わらず鋭いが、怖さはもうない。
俺は「はい」とだけ答えた。俺も神田先輩からバトンを受け継いだ。