【第一章】 第二十六話
「今日もありがとうございます」
俺はまた今井さんからビデオカメラを受け取り、USBメモリに先日行われた練習試合の録画を転送した。そして、今井さんに丁寧に頭を下げ、俺はパソコンルームを後にした。
『相手の視線から消える動き』を披露し、丸山先輩に完封された紅白戦から約二カ月経ち、六月下旬になっていた。
全国中学サッカー大会に出場するメンバーは、現在一軍の十九人と二軍でゴールキーパーの権田猛が選ばれた。
俺は総勢二十名の中に選ばれなかった。だが、悔しい気持ちで足を止めている時間はない。
部活での練習の終わった後、体力作りの走り込みと凌太と渡辺との自主練習をし、夜ご飯を取った後は練習試合の録画を見ながら、一軍の選手たちの試合での少しの技を何度も見返す。夜の十一時までそれをこなし、三十分間でパソコンの画面から離して目を休め、十一時半に就寝する。
それが俺の放課後のルーティンだ。
そして、サッカー部は順調に勝ち進んでいたが、全国中学サッカー大会県予選準々決勝、二対三というスコアで惜敗した。先輩たちは涙を流さなかった。三年生がまた出られる次の大会、高円宮杯まで二カ月しかないからだ。
次を見ていた。俺も、先輩たちも。
「そろそろ若林も一軍に上がっていい頃だと思うけどな」
七月上旬。凌太と渡辺との自主練習中に渡辺に何気なく言われた。人によっては皮肉や煽りに聞こえてしまう内容であった。だが、渡辺は本心からそう言っていることが分かった。
さらに聞くと、渡辺は何回か武井監督や先輩たちに俺のことを推薦してくれていたらしい。余計なお節介に少し腹が立ったが、そのお節介も渡辺自身がまだ一軍の試合で活躍できているわけではないため、全く聴く耳を持ってもらえなかったらしい。
「俺は俺の実力で一軍に上がっていくからそこで待っていろ」
精一杯の強がりを言った。努力の方向性は見えていても、将来像はまだ見えていない。しかし、何もしないわけもいかない。だから、自主練習の中で渡辺よりも強いパスを出すことを意識した。
そして、また月日は流れ、八月になっていた。高円宮杯に挑むメンバーに俺は選ばれず、先輩たちは県予選二回戦敗退となり、三年生がサッカー部を引退した。その時の丸山先輩の表情が脳裏に焼き付いている。いつもの主将らしい責任感のある表情ではなく、一人のサッカー選手として下唇を噛んで悔しさを露わにしていた。
「三年生の先輩たち、もう引退かー」
先輩たちが引退した公式戦の後、俺と凌太、渡辺の三人は部室へとサッカー部の備品を返しに行き、そのまま帰路に着いた時に凌太がぼそりと言った。
「まぁ」と渡辺が反応した。
「三年と一緒に半年近くも部活動できる運動部も珍しいけどな。他の運動部は六月に引退することが多いらしいし」
「そうだよね。けど、やっぱり少し寂しいな。俺は全然、三年生の先輩と関われなかったし」
「三年生も死んだわけでも、まだ中学校を卒業するわけでもない。そんなこと考えるよりも先に、先輩たちが達成することができなかった全国出場をすることだけど考えようぜ。なぁ、若林」
突然俺に話を振られ、「ああ」と言葉を吐き出き、顔を逸らした。まだ目を奥に悔しさを露わにする丸山先輩の表情が染み着いている。そんな前向きな考え方ができなかった。
しかし、無神経な渡辺は、飛び乗るように俺と凌太の両肩を組んできた。
「俺たち三人でこのサッカー部を全国大会まで連れて行こうぜ」
俺は逸らした顔を、もう一度渡辺のほうへと向けた。
満面の笑みだった。
どこからそんな自信が湧いて出てくるのかわからない。俺はどんなに努力をしても、俺の周りにまとわりつく“何か”が離れていかないというのに。
そんな俺たちが友情ごっこをしていた後ろから、とてつもない速度で迫ってくる足音が聞こえた。そして、俺たちを背後から抜き去ると、正面で止まった。
「ちょっと待った!!それに俺たちも混ぜちゃくれねーか」
波多野だった。俺たちの友情ごっこを見ていたからかわからないが、右手を前に出し、顔を顰めて、歌舞伎のようなポーズをしてみせた。
まるで時が止まったかのように俺たち三人の動きが凍り付いた。しかし次の瞬間、渡辺の口から空気が噴き出た。
「はははは!!波多野最高!!」
渡辺は俺たちの肩から両腕を離すと、波多野の前で鏡合わせのように左手を前に出して、左右反転したポーズをした。
隣で凌太は隣で口を抑えて笑っていた。
「ちょっと、亮。突然走り出したかと思えば何やっているのさ」
「つーか、どういう状況?これ」
声がした背後へ振り向くと、そこには間中と一年生ゴールキーパーの権田がいた。
間中と目が合ったが、少し気まずくて俺は目線を逸らした。
「間中くんと権田くんまで。家の方向は少し違うんじゃなかったっけ?」
凌太が二人に聞いた。
「ああ。けど、波多野に誘われたからな」
権田が右肩と左肩にそれぞれかけたエナメルバッグのうち、右肩にかけていたエナメルバッグを肩から外した。左肩にかけていたエナメルバッグが権田の物で、右肩にかけていたエナメルバッグは波多野のものだろう。
そして、ようやく歌舞伎のポーズに飽きたのか、渡辺と波多野は普通に立つと、波多野は権田からエナメルバッグを受け取った。
「それで?僕たちは何のためにこっちまで連れてこられたの?」
間中が不満げに問いかけた。
その問いに波多野が答えようとしたが、渡辺がそれを手で止めて、「俺から説明する」と言った。それに波多野が頷くと、俺たち六人はあまり広がらないようにやや二列になって歩き出した。通る車が少ない道路とはいえ、道路の真ん中で繰り広げるわけにはいかなかったからだ。
そして、少し歩いた先で渡辺が口を開いた。
「波多野に頼んで間中と権田を俺たちの元に連れてきてもらった。何故なら俺が思うに、ここにいる俺を含めた六人は一年生の中で頭一つ抜けていると思うんだ。今後このサッカー部の中心的人物になると踏んでいる」
高揚する感覚と後悔する感覚に同時襲われた。
俺が間中と渡辺とひとくくりに思われているということが嬉しく、それを嬉しいと思ったことが悔しかったからだ。
だが、渡辺の話は続く。
「だから、この六人での交流をしていくことが必須だと思う」
少し嫌な予感がした。
その提案をしてほしくはない。何故なら、間中との差を広げるためにそれをしている。なのに、それに間中が混ざってしまっては意味がない。
渡辺が言うであろう提案を止めるべきか悩んでいる間に、既に渡辺が口を開いていた。
「だから、これからできる限り、放課後に俺たち六人で自主練をしていこう!!もちろん他のメンバーも誘うのもありだ!!」
駄目だ。
「ええー」
「まぁ、いいじゃんか。サッカーをやっていく以上、仲間との交流は必要だと思うんだ」
「それはそうだけどさー」
間中の不満を、波多野が簡単に沈めた。
駄目だ。駄目だ。
権田も凌太もやる気が表情に出てきている。もう今後、この六人で自主練習をするという空気は変えられない。
嫌だ。この放課後の自主練習は、間中との差を広げるために俺が最初に提案したことだ。なのに、そこに間中が混ざってしまっては意味ないだろ。ふざけるな。
しかし、言い出せなかった。この六人で練習することはかなり合理的であるとわかっていたからだ。