おやすみの挨拶で色気より食い気な反応はいかがなものでしょうか?①
お師匠さまと別れて。
引き続きしばらく駅前を散策したあと、リクは家の近くまで送ってくれた。
本当はもっと一緒にいたいって言われたけど、荷物もあったし、私も夕食までには帰るって約束してあるから、と伝えると、渋々あきらめてくれた。
「サホ、お別れのキスとかしたくならない?」
「ならない。って言うか、ここじゃダメ! ご近所の人に見られたら困る」
お店のある通りから一本入った路地は、人通りは少ないけど、ゼロじゃないし。
周りに家もあるんだから、どこから見られているかも分からないし。
「そこの影とか、ダメ?」
諦めきれないリクは、塀の切れ間の、ちょっと窪みになっている辺りを指差す。
「ダメ。そこからうちに入れるもん。職人さんやお父さんになんて見られたら、大変なことになっちゃうよ」
窪みに見えるけど、実は工場からの抜け道になっていて、よく職人さんが通り抜けている。
「そうなんだ。サホここから入る?」
「家はもう少し奥だから、そっちの入り口に行くよ。ここ狭いし」
道を奥に進むと、塀から垣根に変わり、家の裏口に着く。
「さすが広いな、サホんち」
「敷地だけだよ。お店と工場もあるし。家は小さいよ」
「でも、庭も広いし、表通りに比べて静かだな」
「そうだね……あ」
油断していたら、リクが頬っぺたにキスをした。
ホントに軽く、チュッと。
「もう!」
「このくらいならいいだろ? 一瞬だから、誰も見てないよ」
……まあ、このくらいなら、いっか。
リクが手を振りながら帰っていくのを見送って、私は頬っぺたをさする。
リクにキスされた頬っぺた。
つい、ニマニマしちゃう。
あんなこと言ったけど、やっぱり嬉しい。
ちょっと浮かれて家に入ると、お姉ちゃんがちょうど出てくるところだった。
「ただいま。出掛けるの?」
「おかえりなさい。ちょっと、ね。秀明さんと」
秀明さん、は秀さんの本名。
時間的に二人で夕食でも食べに行くんだろうな。
明日は日曜日だけど、大きな注文がなければ職人さんも店員さんも交代でお休みするから、二人ともお休みなのかもしれない。
「いってらっしゃい。ゆっくりね」
お姉ちゃんを送り出して、私は部屋で身支度を解く。
汚れがないか確認して、着物用のハンガーに小紋を掛ける。帯もシワを伸ばすように干して。
明日くらいまで干して湿気をしっかり取ってから収納する。
今日は半襟も長襦袢も足袋も普段着用の綿や化繊なので、ネットに入れて洗濯機に掛けて洗っちゃう。
「あ、私のも洗うから、置いといて」
ネットに入れて持っていくと、お母さんがそう言ったので、ありがたく甘える。
お姉ちゃんもお母さんも毎日着物なので、お手入れは自然と覚えた。
二人とも仕事着だし。
でも、私がこうして普段使いで着ようって思ったのは、やっぱりお師匠さまの影響が大きいかも。
今日のお師匠さまとのやり取りを、ふっと思い出した。
リクを前にして、何だかいつもと違っていたお師匠さま。
あんな風に慌てる姿、あまり見たことがない。
それに、やたらリクの年を気にしていなかった?
リク、ホントは24歳くらいだから、ひい、ふう、みい……6、いや7歳はサバ読んでいるよね?
あれ? 今年で17歳って言い方してなかった?
あれ、誕生日がこれからだってことだったら、16歳って言ったってことかな?
なら、ホントの年齢も今年で24歳ってことでいいのかな?
私、そう言えばまだ、リクの誕生日も知らないんだ。
誕生日も知らないのに、結婚の約束までしちゃうなんて、どうかしてる。
だけど。




