どんなにカッコよくても恋人だらけの光源氏はゴメン!①
「ほら、百人一首習ってるなら、なんとなく分かるだろう?」
保健室で突然、千野先生に和歌の意味を質問されて。
「え、『いも』は、『恋人』? 恋人を夢に見て? 心の中に燃えている?」
「……これは、宿題だな。明日までに調べてこいよ。中沢、古文選択してるなら、『万葉集』、買ってあるだろ?」
「ありますけど……」
「どうせ授業でもやるから、予習代わりに読んでこい」
「え、どうして私だけ?」
「お前だけじゃなくて、古文選択の生徒は必ずやるの! 早めに教えてやるんだから、感謝しろよ」
「はーい」
「あら、千野先生ったら、勉強熱心なのはいいですけど、具合が悪い生徒には酷ですよ」
カーテンの外から、声が聞こえた。
続けて、養護の先生がカーテンを捲って顔を出す。
「千野先生、女子生徒と二人きりの時は戸を開けておいて下さいね。心配なのは分かりますけど、入学式を抜け出したりして」
「すみません。気になって。それに、戸は開けておいたんですけど。誰かに閉められちゃったかな?」
しれっと言うけど、千野先生、絶対自分で閉めたでしょ?
「万葉集、って聞こえたけど。和歌が好きなの?」
養護の先生、今度は私に向かって質問。
何か疑われている?
「え? いえ、特別には。先生が、急に話し出して」
下手に嘘をつくより、当たり障りないことは、正直に答えた方がいいよね?
「この子が、気になる男の子の夢を見て、夜も眠れない、って言うから、教えてやったんですよ。悩み相談です。『思はぬに妹が笑ひを夢に見て』」
「『心のうちに燃えつつぞ居る』……大伴家持ね。私も好きな歌ですよ」
「いや、さすが桜女の先生ですね。先生、卒業生ですか?」
「ええ。昔は、みんなでよく諳じて。恋歌ばかりですけどね。今の子なら、万葉集より『頼みそめてき』の方が、好みかもしれないけど」
「小町ですね。古今もいいですよね。でも、僕もやっぱり、万葉集が、素朴で好きだな」
「先生こそ、若いのに。ああ、古文が専攻でしたものね。昔の先生方が次々と辞められてしまって、こういう趣のあるお話ができる方が少なくなって……寂しく感じていましたけど、お話できて嬉しいですわ」
「僕こそ、逆に今の人達とはなかなか話が合わなくて。でも、ここの生徒は古風で躾が行き届いて、ほっとしますよ」
「理事長は、お気に召さないようですけどね。古色蒼然として時代遅れだって……あらこんな悪口、先生、黙っていて下さいね?」
「先生も、僕が《《うっかり》》女子生徒と密室に二人きりになってしまったこと、内緒にしておいて下さいね。火もないのに煙を出したくありませんから」
「承知しました。お互い、内緒で。あなたもね」
養護の先生は、いたずらっ子みたいに笑って、人差し指を口の前に立てた。
初老、といっていいおばさまだけど、愛くるしい、という表現がぴったりの、桜女のOG。
うん、完全に、千野先生に騙されている。
「さて、顔色も良くなったし、もう大丈夫ね。先生のクラスの生徒でしょ? このまま帰宅させます?」
「体調次第ですけど。帰りのホームルームはしないで解散なので。中沢、部活はどうする?」
「出ます。新歓の打ち合わせしないといけないし」
「無理しなくていいんだぞ?」
「大丈夫です。お昼には終わるし」
「そうか。じゃあ、時間あるから、ついでに古今和歌集も読んでこいよ。図書館にあるから」
「先生!? 本当に心配してくださってます? 宿題増やさないで下さい!」
和歌を嗜む勉強熱心な若手教師とその生徒の姿に、在りし日の桜女の姿を垣間見て格段に好意的になった養護の先生に見送られながら、私と千野先生は保健室を出た。
教室に鞄を持ちに行かないといけない。
「先生、和歌をよく知ってるんですね」
「バカにするなよ。俺は古文の教師だぞ?」
「なんか、そぐわなくて。先生に奥ゆかしさとか、感じられないし」
「奥ゆかしいからこそ、二人きりだと直情的、情熱的になっちゃうんだよ。万葉、平安なんて、寝とりアリ不倫アリ、顔も知らないで、メールだけで関係持つようなもんだからな」
「やめて! 夢を壊さないで下さい!」
「お前らが大好きな光源氏だって、マザコンでロリコンで節操なしだからな。義理の母親に兄の婚約者に老女にまで手を出して」
「だからやめて下さいって。『源氏物語』の格調が!」




