出会いとジャンクデータ2
応接室に通された。
空調の効いた部屋に、喉通りの良いほどよく冷えた飲み物。
多少は楽になったっておかしくはないのに、吐き気や息苦しさは増してきている。
自分の園を離れるというのは、こんなにも苦しいものなのか。最近は園の中にいたって息苦しさを紛らわせることに失敗していたけれど、今に比べれば数倍マシだったように感じられる。
軽く目を瞑りそんなことをつらつらと考えていると、
「お待たせして申し訳ありません。ようこそお越しくださいました」
ノックとともに若い男が入って来た。慌てて立ち上がるも、立ち眩みの類だろうか一瞬息ができなくなった。顔に出ないように努めながら、ゆっくりと頭を下げる。
「どうぞお座りください。楽にしていただいて構いませんよ」
落ち着けと自分に言い聞かせながら、意識してゆっくりと息を吐く。促されるままソファに座り顔を上げると、同じく目の前に腰かけた男と目が合った。
息をするのを忘れた。
意志の強そうな瞳が、まっすぐにこちらを射抜いている。
道中で仰ぎ見た、木漏れ日に煌めく葉のふちのような、太陽を跳ね返しながら光り輝く強さを持つ、緑と青空の入り混じる澄んだ色の瞳だ。苦しさを自覚しないままに、やっとのことで息を吸う。急激に吸い込まれた酸素に驚いた肺が大袈裟に胸部を膨らませた。不審に思われたかもしれない。表面上は冷静を取り繕いながら、シーナは震えそうになる手をぎゅっと握りしめていた。
自分より少し年上だろうか、もう一人、人のよい笑顔を浮かべた男が扉を閉めて下座についたところで、目の前の男が口を開いた。
「私がこの園を仕切っております、レイハです。こちらはアルベルト。補佐を務めております」
レイハと名乗った男はじっとこちらを見据えながら、口の端に笑みを浮かべてみせた。
「こちらこそ、お時間をいただいて恐縮です。私は隣の園主の補佐をしております、シーナと申します。園主様じきじきにご対応いただきましたのに、私のみでの来訪、無礼をお許しください」
声が震えなかったのが奇跡だ。意識しないと呼吸ができないうえに、粗相のできないこんな状況が、さらにシーナを追い詰めていくようだった。
「補佐?」
レイハが眉を顰め、訝し気な声をあげた。
「まあ、あなたほどの麗人であれば、偽物を据えるのもわかるが」
「お話が、見えませんが…」
「そうですか?――まあいいでしょう。ご用件をうかがいます」
レイハは不敵な笑みを湛えて、シーナをうながした。予想していなかった会話の展開にまで考えを巡らせる余裕のないシーナは、不可解な応対をするレイハの真意を見極めることは諦め、一度唇を固く結んでから、話し始めた。
「来月は、四年に一度の彗星を観測できる日がやってきます。そちらの園と程近いうちの園の山頂へ、毎回大勢の方にお越しいただけるイベントとなっております」
「ええ、存じ上げております。うちの園の者も、そちらへうかがうのを大変楽しみにしていることでしょう」
レイハは片眉をわずかに上げ、続きを促すように首を傾けた。
「情けない話なのですが…現在、うちの園ではネットワークが不安定でして。お越しいただくサイレンスの方々が、自園のネットワークを使えるよう、お手配いただけないでしょうか」
だんだんと視線を下げてしまったのは、本当に情けなくて目の奥が熱を持ちそうになったからだ。
こんなことをして恥ずかしくないのかと責める声が、幾度となく繰り返されてきた園主の声で再生される。
「技術的には可能ですが」
レイハの含みを持たせた物言いに、思わず勢いよく顔を上げた。何とはなく意地悪そうに口の端を上げた男が、目を細めてシーナを見つめている。
「歴史的にも類を見ないほどの広大な土地を支えるルミナの園主ならば、多少の利用者が増えることなど、些細なものでしょう。実際、これまでは問題なかったはずだ。今年になって、なぜそんな依頼を?それも私のような若輩者に?」
若輩者とレイハが言ったのは、この園、サイレンスが、新興の園だからだろう。まだほんの二年ほど前のことだと聞いている。
「サイレンスへお願いに来ましたのは、ルミナと近く、最も大勢の方がいらっしゃると予想できるからです。そして何より、ネットワーク構築のための機器が発達していると有名ですので、お知恵を貸していただけるのではないかと。……近年の信号の脆弱については、わからないのです。園主も私も力を振り絞ってはいるのですが、近年負荷が増していくばかりで…」
ほんの少し視線を逸らしたが、視界の端でレイハが眉を顰めたのがわかった。
「失礼ですが、あなたと園主のご関係は?」
「園主は私の養父にあたります。公には、実の親子であることを否定したことはありません」
「なるほど。他言はしないと誓いましょう」
レイハはわざとらしいほど、ゆっくりと頷いた。
「私が力不足なばかりに、養父や園の皆、訪れる人たちにも迷惑をかけてしまい…とても情けなく思っています」
小さく頭を下げると、向かいから大きなため息が聞こえた。
「いや。あんたの力は相当です。中継機も増幅装置もなしに自園を離れ、そこのネットワークを維持することのできるやつなんて、俺はあんた以外に知りません」
だいたい、とレイハは吐き捨てるように続けた。
「その義父というのはどんな役割をしているんです?」
「役割…?園主なのですから、園全体の親機としての…」
「ルミナの親機はあんただろ。――しらばっくれたって、俺にはわかる」
「え…?」
何を言っているんだ、この男は。そう問うことができたのかどうかはわからない。
ついに限界が来たのか、告げられた言葉を受け止めきれなかったためか。
突然に目の前がぐにゃりと歪み、シーナはゆっくりとソファに草臥れて、そのまま意識をとばした。