王太子は諦めない 1
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窓から入り込んできた風が、ふわりと夏の薄いレースカーテンを揺らす。
シャルロア国王太子ジョルジュは、謹慎を言い渡された部屋の中で、はーっと大きなため息を吐いた。
「にーさま、どうしたの? おなかいたい?」
六歳の弟エリクが、積み木をする手を止めて顔を上げる。
どうせ暇なんだから弟の相手をしろと母に押し付けられた子守。エリクは可愛い弟だと思っているが、連日、積み木やお絵かきにつき合わされるこちらの身にもなってほしい。
ジョルジュはエリクの頭を撫でて、小さく笑う。
「お腹じゃなくて、頭が痛いよ」
「あたま? じいよぶ?」
「侍医では治せないから大丈夫だ」
「でもぉー」
うるうると純粋なエリクは瞳を潤ませる。
ジョルジュは泣きそうな弟の機嫌を取るため、ベルでメイドを呼びつけると、弟のためにお菓子を用意するように命じた。
(いったいいつになれば自由になれるのか)
――正直、アンリエッタとの婚約破棄が、ここまで問題になるとは思わなかった。
その日のうちに血相を変えてやって来た父と母に散々説教され、次の日には後宮計画を知った父からまた怒られた。
さらには、叔父で宰相でもあるアルデバード公爵までやってきて、氷のような熱のない目でじろりと睨まれ、こう言われた。
――あなたの頭の中には脳の代わりに花びらでも詰まっているんでしょうかね。まったく、本当ならばどんな手を使ってでも王太子の地位から引きずり下ろしてやりたいところですよ。
宰相にそんな権限はないだろうと言いたかったが、父と母も怒らせてしまった以上、可能性もゼロではない。言い返したいのを我慢してぐっと耐えていたジョルジュに、アルデバード公爵は、王太子のままにしておくのは、ジョルジュがセフィア王女と結婚の約束をしていたからだと言った。ブラージ国への裏どりも必要だが、もし本当ならば、隣国の手前ジョルジュを廃嫡にすることはできない。実に忌々しいと、アルデバード公爵は言った。
(何が悪い。これは誰も不幸にしない最良の策じゃないか。アンリエッタだって愛妾として迎えて不自由させるつもりはなかったし、誰が子を産んでも等しく平等に扱うつもりだった)
ジョルジュを愛してくれる女性はたくさんいる。誰か一人を選んだら彼女たちが不幸になってしまう。だからジョルジュは全員平等に愛することに決めたのだ。
父も宰相も頭が固いのだ。
王である以上、多くの子を儲けるべきであるし、多くの妻を娶るのは権力の象徴でもある。ジョルジュの思い付きは、実に合理的なものであるのだ。
(それなのにアンリエッタも愛妾になるつもりはないと言うし……。何故だ。三歳の時からずっと一緒にいた僕のよき理解者であるアンリエッタが、どうして僕と別れる選択をしたんだろう。アンリエッタのことは愛しているし、ずっとそばにいてほしいのに……)
あれだろうか。愛妾と言ったのがまずかったのだろうか。側妃と言えばよかったのだろうか。だが、側妃という呼称を使うと、そこに順位が発生してしまう。「第二妃」「第三妃」と呼ばれることになれば、下の位になってしまった側妃が可哀そうだ。これは平等じゃない。
(アンリエッタがいないと困るんだ。君が協力してくれないと、後宮を管理する立場の女性がいなくなるし、周囲が賛成してくれないじゃないか)
アンリエッタは伯爵令嬢だが、前王の妹を祖母に持つ、グリュノ公爵家に連なる家系だ。
彼女がいるのといないのでは、後宮計画に大きな違いが生じる。
ジョルジュが愛妾にしようと考えている恋人たちは、高い身分でも伯爵令嬢、低ければ平民の女性もいる。そんな彼女たちをまとめられるのは、妃教育を受け、元王女を祖母に持つアンリエッタを置いてほかにいない。
(なんとかアンリエッタを説得する方法はないだろうか。……まあ、ここから出してもらえなければ、会いに行くことすらできないんだが)
ジョルジュが、困ったなとため息をついたときだった。
部屋の扉が叩かれて返事をすれば、エリクのためのお菓子を持ったメイドが入ってくる。だが、その後ろにもう一人、呼んでもいない男が立っていた。
「……アルデバード公爵」
アルデバード公爵の顔を見た瞬間、エリクが積み木を蹴飛ばしながら慌てたようにジョルジュの背中に回り込んだ。幼い子供にも容赦ないこの男が、エリクはとにかく苦手なのだ。教育上よろしくないから、できれば弟には近づかないでもらいたい。
(これで子持ちとか、あり得ないだろう。絶対自分の子にも嫌われているタイプに違いない)
アルデバード公爵の子は今年八歳になったばかりの男の子だ。どういうわけか、ジョルジュもエリクも会わせてもらっていないが、ジョルジュは顔も知らない従弟にひどく同情した。こんな男を父親に持った従弟はさぞつらい毎日をすごしているだろう。というかよく結婚できたなこの男。
「殿下にご報告がございます。ブラージ国のセフィア王女殿下が、こちらにいらっしゃるそうです。書簡にはすでに旅立ったと記載されたとありましたから、近々おつきになるでしょう。……まったく、こちらの許可なくやってくるなど、非常識にもほどがありますが、仕方ありません」
「セフィア王女が?」
セフィアはジョルジュとアンリエッタの婚約破棄の知らせを今か今かと待っていた。直接知らせてやれなかったが、父や宰相がセフィアとジョルジュの関係を確認するためにブラージ国に遣いをやったので、その時にわかったのだろう。ジョルジュに会いたくて、待ちきれなくて国を飛び出したのだ。なんて可愛い王女だろう。
「王女殿下がいらっしゃるのに、殿下をこのまま謹慎させておくことはできません。王女殿下がこちらにいらしている間は、謹慎処分を解くことといたします」
(間はということは、セフィア王女が帰ったらまた謹慎させる気か? いつまで謹慎させるつもりなんだ!)
ジョルジュは辟易としてきたが、ここで宰相を怒らせると、あとあと面倒なことになるのは過去の経験から学んでいる。
「連絡は以上です。王女殿下がいらっしゃるまで、ご自身を見つめなおし、行動をしっかりと反省するように。では」
用は済んだとばかりに、アルデバード公爵はすたすたと歩き去っていく。
足音が聞こえなくなると、ジョルジュの背中に張り付いていたエリクがようやく顔を出した。
「おじさま、いった?」
「行ったよ。だからもう怖くない。ほら、お菓子だよ。ちゃんと座って食べようね」
エリクはメイドが運んできたお菓子を見ると、ぱあっと顔を輝かせる。
可愛いなあ、とそんなエリクの頭を撫でながら、ジョルジュは改めて心に決めた。
(やっぱりみんなを見捨てたくないし、可愛い子供はたくさんほしい。後宮計画は続行だ)
父王や宰相が何を言おうと、自分が王になった暁には自分がルールだ。計画に着手するのは遅くなるかもしれないが、誰もジョルジュを止められない。
(そうと決まれば、やっぱりアンリエッタを説得しないとな。なに、アンリエッタだって僕のことが好きなんだから、きちんと説明すればわかってくれるさ)