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王弟殿下はマイペースなお方です 4

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「リシャール様って、本当に絵を描くのがお好きなのね」


 エヴィラール公爵邸に来て早二日。

 アンリエッタは窓の外を見下ろしながら、ぽつんとつぶやいた。

 窓の外――公爵家から見えるところにある大きな木の下にキャンバススタンドを立てて、リシャールが絵を描いている姿が見える。


 この二日、彼が絵の具で汚れていない服を着ているのを見たことがなかった。

 執事のエルビス曰く、リシャールは思い立ったらすぐに黒檀や絵筆を持つので、普段から汚れてもいい服しか着ないらしい。彼が絵の具のついていない服を着るのは、夜眠るときか、どこかのパーティーにお呼ばれした時くらいだと言う。そして滅多にパーティーにはいかないため、一年の大半は絵の具にまみれているそうだ。


 邸の中にはリシャールのアトリエもあって、たくさんの絵が置かれていた。玄関に飾られている巨大な風景画もリシャール作らしい。

 リシャールは絵を描くのは好きだが、完成したら興味を失うたちだそうで、邸の中にはそうして眠っている作品がまだまだたくさんあるらしい。そう言った作品は、国王をはじめ彼の兄弟たちが遊びに来た際に、勝手に回収していくのだそうだ。リシャールもそれを咎めないと言う。


「木陰とはいえ暑くないのかしら?」

「そう思われるのでしたら、冷たいお飲み物でも差し入れに行かれたらどうでしょう」


 パールが日傘を片手に微笑む。

 王都よりは北にあるとはいえ、気温はそこまで変わらない。夏の日中にずっと外にいたらそのうち倒れてしまう。


「そうね。持って行こうかしら」

「では、エルビスさんにお願いして、お飲み物を準備してもらいますね」

「ええ、ありがとう。玄関で待っているわね」


 パールが部屋から出て行くと、アンリエッタは日傘を片手に立ち上がる。

 ゆっくり玄関まで向かうと、ひんやりと冷たいアイスティーを持って来た。


 エヴィラール公爵領には、夏でも雪が解け残るほど標高の高い山があって、そこから流れてくる雪解け水は、真夏であってもひんやりと冷たい。その雪解け水はエヴィラール公爵邸に引かれている水路に流れ込んでくるから、普段の生活にひんやりと冷たい水が取り入れられている。雪解け水でしっかりと冷やしたアイスティーはびっくりするほど冷たくて、アンリエッタはこれがとても気に入っていた。


 アイスティーを持って行くと、リシャールがアンリエッタに気づいて顔を上げた。

 見れば、彼の額にはぽつぽつと汗が浮かんでいる。アイスティーを差し出せば、肩にかけていたタオルで額を拭って、リシャールがグラスを受け取った。


「ちょうど喉が渇いていたんだ。助かるよ」

「よかったです。でも、今日も暑いので、ほどほどになさらないと倒れてしまいますよ」

「そうなんだけどね。あと少しで完成しそうだから、描いてしまいたいんだ」


 キャンバスを覗き込むと、ここから一望できる町が描かれていた。まるで見たままを切り取ったような絵に思わず息を呑む。空の青も、今見上げている空と絵の中の青の、何が違うのかがわからなかった。まったく同じにしか見えない。


「まだ完成じゃないんですか?」

「うん。何か足りない気がするんだよね」

「何か?」

「そう。なにかこうパッとしないというか……もう一つ何かがほしいと言うか。うーん。アンリエッタ、ちょっとそこに立ってみてくれる? 日傘をさしたままでいいから、私に背中を向けて。そう。ああ、いいね。ごめんけど少しの間そのままでいてくれる?」

「え?」

「動かないで」

「は、はい」


 何が起こっているのだろう。

 アンリエッタはわけがわからないまま、言われた通り日傘をさして立ち尽くす。


 どのくらいそうしていただろうか。

 背中にも額にもじっとりと汗をかいて、そろそろ苦しくなってきたとき、背後からリシャールの「いいよ」と言う言葉が聞こえた。


「あとはアンリエッタがいなくても色を足せるから大丈夫」

「……何を描いていたんですか?」


 そーっとキャンバスを覗き込んだアンリエッタは目を丸くした。

 さっきまで空と町の風景だけしかなかったキャンバスに、アンリエッタが登場していた。丘の上からアンリエッタが街を見下ろしている、そんな構図になっている。


「今日のアンリエッタの白いワンピースがイメージにぴったりでね。その水色の日傘もいい。これでしっくりきたよ」

「そ、そうですか……」


 背中を向けている構図とはいえ、自分が描かれるのはどこかくすぐったい。肖像画を描かれるのではない何か不思議な感じがする。


「あとは家の中でも描けそうだから中に入ろうか。アンリエッタも暑かったろう? ごめんね。あ、私の飲みかけになるけど、アイスティー飲むかい?」

「だ、大丈夫です……」


 さすがに男性が口をつけた飲み物をもらうわけにはいかない。恥ずかしくなってうつむいたアンリエッタに、リシャールは首をひねった。


「そう? まあ、もうだいぶぬるくなってしまったからね。冷たい方がいいよね」

(そう言うことじゃないんだけど……!)


 リシャールは自分が口をつけたものを異性が飲んでも恥ずかしくないのだろうか。これが年齢の差だろうか。わからない。


 リシャールが絵の具を片づけて、キャンバスとキャンバススタンドを抱える。背が高いからほっそりしているように見えるのに、たくさんの荷物を軽々と抱えるリシャールに少し驚いた。

 リシャールと一緒に邸に向かって歩きながら、アンリエッタはふと気になって彼に訊ねた。


「あの、リシャール様はどうしてそんなに絵が好きなんですか?」

「どうしてかな。最初はただの暇つぶしのつもりだったんだけど……。何もない白いキャンバスに少しずつ色を足していくのが面白いからかな? 完成した時の充足感は何物にも代えがたい気がするし。あと、絵を描いていると……なんかこう、すーっとこことは別の世界に入り込むような、そんな不思議な感じがするんだよね」


 アンリエッタは絵を描かないからだろうか、彼の言うことはよくわからない。だが彼にとって絵を描くという行為は、すごく重要なことなのだということは、なんとなくわかった。


「絵を描いていると、綺麗なものだけが見えるんだ。私はできるだけ、綺麗なものだけを見て生きていたいんだよ」


 そうして笑ったリシャールの目は、こことは別の何かを見ているような、そんな気がした。


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