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【書籍化】婚約者は愛をたくさんお持ちだそうです~いろいろ目が覚めたので、婚約破棄いたします~  作者: 狭山ひびき


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リシャールのために 2

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「お嬢様、お荷物はまとめてよろしいでしょうか?」


 パールが気づかわし気に訊ねてきた。

 ベッドの縁に座って、兎のしおりを手にぼーっとしていたアンリエッタはハッと顔を上げて、そして答えに迷った。


(本当に、このままでいいのかしら……?)


 アンリエッタはいい。でも、リシャールは――このまま王都へ戻ると、逃げられなくなる。

 アンリエッタがパールに答えを返せないでいると、コンコンと控えめに扉が叩かれた。パールが扉を開けると、エバンスが薄い微笑をたたえて立っている。


「少しよろしいですか?」


 アンリエッタが頷くと、パールが気を利かせて扉のそばまで移動した。

 アンリエッタはソファまで移動して、エバンスにも対面のソファを勧める。

 エバンスはソファに浅く腰掛けて、アンリエッタが手に持っていた兎のしおりを見て笑った。


「懐かしいものをお持ちですね」

「エバンスさんは、これをご存じなんですか?」

「ええ。私は旦那様が王都にいらっしゃるときからお側におりましたから。それは旦那様がまだ十四、五歳ほどのときに『迷子のウサギ』を読んで書かれたしおりですよ。本当はそれは二つで一つだったんですが……、一つは幼いころのあなたに差し上げたと、お伺いしたことがあります」

「二つで一つ……?」

「ええ。一つずつ、二つの家族を描いたそうです」


 二つの家族。

 今アンリエッタの手元にあるしおりが、白兎が最後に手に入れた新しい家族なら、もう一つは白兎が失った最初の家族だろうか。アンリエッタが持っていたしおりの記憶が朧気で思い出せないが、そう言えば、よく似ていながらもどこか違う絵だった気がする。


「失って、新しく得るのは自然の摂理かもしれないけれど、どうせなら失わずにいられたらいいのにと、そんなことをこぼしていらっしゃいました。懐かしいですね」

「どうして……わたくしに、しおりを一つくださったんでしょうか」

「さて、旦那様のお考えは私にはよく。……ただ、『あの子は失わなければいい』という言葉は聞いたことがあります」

(あの子は?)


 あの子と言うのがアンリエッタのことを差すのはなんとなくわかった。そして「あの子は」と言ったと言うことは、リシャールは失ってしまったと言うことも、なんとなく。


「旦那様がどうして公爵位を得ると同時に領地に移り住まわれたか、ご存知ですか?」

「いいえ……」

「では、ずっと結婚しなかった理由も?」

「はい」


 エバンスは頷いて、ちらりとパールを振り返る。これはパールには聞かせたくない話らしいと察したアンリエッタはパールに下がるように頼んだ。

 部屋の中に二人に切りになると、エバンスは昔を思い出すように遠い目をして語り出す。


「王都にいらっしゃったとき、旦那様は少々難しい立場にいらっしゃいました。というのも、旦那様はご兄弟の中で年の離れた末王子でいらっしゃいましたが、一番王に向いていると、先王陛下がおっしゃったためです。先王陛下は、旦那様が成人するまで玉座に残り、ご自身が退いたあとは旦那様に玉座を譲ろうと本気でお考えになっていらっしゃいました。けれど、そのせいで、一時期、旦那様と現王陛下……ジョージル三世陛下の仲がぎくしゃくしてしまわれたのです」


 ジョージル三世はそのころすでに王太子だった。それが、いきなり末王子にその立場を脅かされれば焦るだろうし、怒りもするだろう。その怒りの矛先がリシャールに向くのは想像に難くない。


「旦那様は当時七歳でした。慕っていた兄上に冷たくされて、どんなお気持だったのか……私には想像しかできません。旦那様は先王陛下にご自身は玉座につきたくないと訴えられました。先王陛下は最初は譲らなかったそうですが、旦那様が何度も頼み込んだため、ある一つの条件と引き換えに旦那様の希望を叶えることにされたそうです」

「条件……?」

「はい。決して目立たないこと。自分が王に向いていない人間だと、周囲に思わせること。簡単に言えば、自分の能力を他人に気づかれるなと仰せになったのです。先王陛下は、ジョージル三世陛下が玉座を継いだ後、旦那様を担ぎ上げようとする勢力によって国が荒れることを懸念されたのでしょうね。旦那様はその条件を飲み、城の中で絵を描き、音楽をたしなみながらただ静かに暮らすことを選びました」


 ジョージル三世との仲も、ジョージル三世が玉座を継いだと同時に自然と改善したらしい。第二王子のクラウスが二人の仲を取り持ったことも大きいと言う。けれども一度開いた溝が完全に埋まることはなく、ジョージル三世はどこかリシャールと距離を取って接していた。


「それでも、しばらくはよかったのですよ。問題は、旦那様が十四歳のとき……、旦那様が先王陛下との約束を破ったことで起こりました」

(十四歳のとき……今から十年前……)


 エバンスの視線がアンリエッタの持つしおりに注がれていると気づいた時、アンリエッタはハッとした。


「もしかして――」

「はい。詳細までは存じ上げません。ただ、旦那様はあなたの当時の教育係に激怒していらっしゃった。同時に王妃殿下にも。旦那様はあなたからその教師と王妃殿下を遠ざけるために少々無茶をされた。王太子殿下の婚約者であるあなたの教育は、陛下と王妃殿下の管轄です。それに口出しすることは越権行為。しかし旦那様はあらゆる手を行使して王妃殿下をあなたから遠ざけ……元教育係の女性は徹底的に潰した。そのやり方があまりに鮮やかで、一番気づかれてはいけない方に気づかれてしまいました」


 エバンスは一度目を伏せて、アンリエッタをまっすぐに見つめた。


「あなたのおばあ様――先王陛下の姉君イザベル様です」


 アンリエッタはごくりと唾をのみ込んだ。

 祖母がリシャールの能力に気づいたら――取る行動は、アンリエッタにも優に想像できる。


「イザベル様はあなたとジョルジュ殿下の婚約を解消させ、リシャール様と婚約を結びなおすことを望みました。同時に、ジョルジュ殿下を王太子の位から退け、リシャール様を次の王にするようにとジョージル三世に迫りました。王妃殿下とあなたの元教育係のことを知って、陛下にたいそうお怒りだったこともあるのでしょうが、その様子は鬼気迫るものがございました。宰相閣下も口がはさめなかったほどです」

(そうでしょうね……)


 あの祖母ならそう主張してもおかしくない。


「リシャール様がいち早くイザベル様を説得し、自分は玉座につくつもりはないと主張したため、なんとか話は流れました。しかしそれを耳にされた先王陛下から、次はないとお叱りが入りました。そしてリシャール様は、もう二度と間違わないように、成人し爵位を得ると同時に領地に下がりました。一生涯ここで平穏にすごすことを望まれて。けれど、イザベル様は完全にリシャール様を諦めたわけではありませんでした。幾度となくリシャール様に良家のご令嬢との縁談を持ち込まれた。リシャール様は結婚すれば否が応でも政治の世界に引きずり込まれると感じ、独身を貫かれる決心をされました。……私どもは、正直、リシャール様をそこまで追い込んだ先王陛下にもイザベル様にも腹を立てています。けれど、リシャール様が納得して選ばれた以上、私どもはそれに従うのみです。けれど……また、起こってしまいました」

「わたくしのせい……」

「リシャール様が選ばれたことです。これについては私ども使用人の見解は一致しております。だから私どもはあなたを責めるつもりは毛頭ござませんし、あなたが悪いとも思っておりません。ただ……、ただ一つだけ、お願いがあってまいりました」


 エバンスはそう言って、アンリエッタに頭を下げた。


「どうか、リシャール様の側にいて差し上げてください。あの方は多くは望まれません。ただ、たった一つ……何があっても壊れないご自身の家族だけが、ほしい方なのです。だから……もしあなたがこの件に関して何かしらの責任を感じていらっしゃるのなら、どうかずっと、リシャール様とともにあってください。新しい、リシャール様の家族として」

(新しい――)


 アンリエッタはふと手元のしおりに視線を落とし、きゅっと唇をかみしめた。






 エバンスが去ったあと、アンリエッタはしばらく動けなかった。

 エバンスはアンリエッタのせいではないと言った。けれど、十年前も今回も、リシャールが重大な決断をする羽目になったのは、アンリエッタが原因だ。


(このままで、本当にいいのかしら)


 リシャールの側にいることが嫌なのではない。

 リシャールの望まない方向へ、彼の未来が流れようとしているのが嫌だった。

 リシャールのことは好きだ。この「好き」が恋愛感情なのかどうかは正直わからない。ただ、彼と婚約することも、結婚することも、家族になることも、嫌だとは思っていない。

 でも、このままだとだめな気がする。


「パール……わたくし、どうしたらいいと思う?」


 アンリエッタの人生において、自分一人で何かを決め、決断したことは限りなくゼロに近い。

 アンリエッタの人生は、行動は、いつも誰かに決められた。王太子の婚約者だったアンリエッタに自由と言うものはなかった。

 だから正直、自分で考えて自分で答えを出すことが、怖い。

 パールはじっとアンリエッタを見つめたあとで、そっと彼女の手を握った。


「お嬢様。その答えは、お嬢様が見つけなければいけません。それに……お嬢様は本当はどうしたいのか、決められているのでしょう?」

「……ええ」


 自分の考えはある。でも、それを行動に移していいのかどうかがわからない。だから誰かに背中を押してほしいけれど、きっとそれではだめなのだと、アンリエッタは俯いて唇を引き結ぶ。


(これは、誰かを巻き込んではダメ……)


 アンリエッタの考えは世間一般には正しくないかもしれない。

 妃教育を長年受けてきたアンリエッタは、何が国にとって重要なことなのか、区別はつく。

 でも、それに目を背けても――アンリエッタは自分のもう一つの感情を優先させたい。


「パール。今から手紙を書くから、エバンスさんにある人に至急で届けてほしいと伝えてくれないかしら。返事が来たらすぐにわたくしに届けてほしいとも。それからもう一つ。……ううん。これはわたくしが自分で言うわ」


 アンリエッタはライディングデスクに座ると、まっさらな便箋にペンを走らせる。

 それをパールに渡すと、パールは何も聞かずにエバンスに手紙を届けるように頼んでくれた。


 アンリエッタはパールが部屋を出たあとで、リシャールのもとへ向かう。――リシャールに今朝問われた答えと、それから一つのお願いを持って。



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