リシャールの本気 1
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パチパチと薪のはぜる音。
ちょっと前までひどく寒かったはずなのに、不思議と今は温かい。
プツリと途切れていた意識が闇の底から少しずつ浮上して、アンリエッタはぼんやりと瞼を開けた。
「起きた?」
「起き……え?」
ここにはいないはずの誰かの声に、アンリエッタは息を呑む。ぼんやりしていた意識が一気に覚醒して、目の前にある裸の胸に思わず悲鳴を上げかけた。
「落ち着いて。君が裸だったから私のシャツでくるんだだけだ」
「裸……ひぃ!」
アンリエッタは何げなく自分を見下ろして真っ赤になった。
リシャールのシャツが巻き付けられているだけの無防備な姿。そんな姿でリシャールに抱きかかえられていたのだ。
「動けそうならきちんと袖を通して。私は後ろを向いているから」
「で、でも、リシャール様の服が……」
「私は雨よけの外套を羽織って来たから、帰るときはそれを着るよ。干しておいたからもう乾いているはずだ」
「あ……ありがとうございます」
アンリエッタは今のこの状況がさっぱり理解できなかったが、いつまでも裸でいるわけにはいかない。ここはリシャールの厚意に甘えておくべきだ。
机にかけて干していた下着類を見ると完全に乾いていた。濡れたものをそのまま乾かしたから少しばかりごわごわするが致し方ない。
アンリエッタは手早く下着を身に着けると、リシャールのシャツに袖を通し、ボタンを留めた。袖も裾もとても長い。まるで丈の短いワンピースでも着ているようだった。
裸ではなくなったことにとりあえずホッとし、それからリシャールに裸を見られたのだと再認識しておろおろする。
恥ずかしすぎて頭がどうにかなりそうだったが、リシャールが来てくれなければ、最悪命を落としていたかもしれないと思いなおし、これは不慮の事故だと自分に言い聞かせた。
(そうよ、あのまま誰も来てくれなかったら、本当に死んでいたかもしれないんだもの)
昨夜のことを思い出すだけで体が震える。人生に置いて、あれほど「死」が近くに感じられた瞬間があったろうか。
「着た?」
リシャールが背を向けたまま訊ねる。
返事をすると、リシャールが振り返り、それから遠慮がちに手を伸ばしてアンリエッタの額に触れた。
「まだ熱は引かないようだが……顔色は少し良くなったね。ほら、暖炉のそばに座って。もう少し明るくなったら帰ろう」
小屋の窓には、外から板が打ち付けられているので外の様子はわからないが、リシャールによると、雨は上がって、夜が明けはじめたところだという。
「あの……どうしてリシャール様がここに?」
「胸騒ぎがしてね、別邸に向かえば君の姿がなくて、急いで探した」
夜中に別邸に到着したリシャールは、使用人を起してアンリエッタの様子を確認させた。しかしアンリエッタは部屋にはおらず、廊下や玄関に濡れた足跡が残っていた。リシャールはすぐにアンリエッタが何者かに連れ去られた可能性を考え、邸を飛び出したと言う。
幸い、雨の中でもまだ完全に男の足跡が消えておらず、森に向かったらしいというのはすぐにわかったそうだ。リシャールは森の中を探し回り、小屋の方に続く小さな足跡を発見したらしい。
小屋に入ってみたらアンリエッタが裸でぐったりしていて焦ったとリシャールが言う。
「君に何があった?」
リシャールが暖炉に薪を足しながら訊ねた。
昨日の恐怖が蘇ってきたアンリエッタは言葉に詰まり、震える唇でゆっくり昨日起こったことを伝えると、見る見るうちにリシャールの顔が険しくなる。
「男だと言ったね。どんな男?」
「……ブラージ国の、騎士団の紋章が入った剣を持っていました」
「なるほど」
「あの! ……その方は、もしかして、セフィア王女と関係があるのでしょうか?」
「その可能性は高いと思うけど、君の証言だけでは他国の王女を糾弾するには弱い」
「……はい」
相手は他国の王女だ。不確かな情報をもとに問い詰めることはできない。出来ることならセフィアに確認し、二度とこのようなことが起こらないようにお願いしたかったが、それすらできないかもしれない。
しょんぼりしていると、リシャールが不思議そうな顔をした。
「アンリエッタ、何故そんな顔を? 怒っていないのかい?」
(怒る……?)
アンリエッタはぱちぱちと目をしばたたいた。
セフィアは王女で、アンリエッタと立場が違う。ジョルジュの件でセフィアがアンリエッタを邪魔に思っても仕方がない。――そう、「仕方ないこと」としてアンリエッタの脳は、昨夜の事件を処理しようと働いていた。無意識に。
仕方ない。それは、幾度となく理不尽にさらされてきたアンリエッタが、自分自身の感情を騙すための呪文だった。
「昨日の件は、充分に怒っていいことだ。いや、怒るだけでは足りない。君がそんな顔をしてなかったことにしようとしても、私の中ではなかったことにはならないよ」
いつも微笑んでいるリシャールが、ここまで怖い顔をするのをはじめて見た気がする。
「君が怒りを殺すなら、私が君の分も怒ることにする。この件は私に預けてくれ」
どうしてリシャールがアンリエッタの分も怒るのだろうか。アンリエッタは驚いたが、それとは別に、真剣な顔の彼を見ていると、ざわざわと胸の奥にさざ波が立つ。
「セフィア王女は、やりすぎた」
私は絶対に許さない――、リシャールはアンリエッタの髪を撫でて、そうつぶやいた。




