嵐の夜に 4
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それは数時間前。
ダイニングで夕食を取り終えたリシャールは、セフィアの護衛の姿が見えないことに気が付いた。
セフィアは護衛を一人だけ伴って、エヴィラール公爵邸までやってきた。いわばたった一人だけの味方だ。だからだろうか、セフィアは食事の時も部屋を移動するときも、常にその護衛を伴っていた。それなのに、セフィアはダイニングに一人で降りてきて、一人で食事をとり終えた。
(……引っかかるな)
セフィアはまだジョルジュに怒っている。
ジョルジュは必死にセフィアの機嫌を取ろうと話しかけているが、ツンと尖った顎を逸らして相手にもしていない。よほど、ジョルジュの発言が気に入らないのだろう。来たときから、アンリエッタを出せとしつこいくらいで――
(そう言えば今日は、セフィア王女はアンリエッタの名前を出していない)
食後に運ばれてきた紅茶を見つめて考える。
あれだけ連日アンリエッタを出せと騒いでいたのに、セフィアはまるで憑き物が落ちたかのように今日は静かだ。
(その一方で、ジョルジュにはまだ怒っている。アンリエッタに対してだけ怒りが収まったと言うのはあまりに不自然だ)
なんだろう、リシャールの胸に理由のわからない不安が広がっていく。胸騒ぎがすると言い換えてもいい。何かがおかしい。何かが引っかかる。これは見落としてはいけないものだと、リシャールの勘が告げる。――それは十年前にも感じた、あの胸騒ぎに似ていた。
あれも嵐の日だった。
アンリエッタがまだ七歳、リシャールが十四歳のころ。
リシャールは幼いアンリエッタが毎日のように城に来ては妃教育をがんばっていることを知っていた。
そのころのリシャールは少々難しい立場に立たされていて、不用意にアンリエッタに近づくのは危険だったから、あまり彼女に会いに行かなかったが、泣きごと一つ言わずに一生懸命に勉学に励む彼女へは同情めいたものを覚えていた。
可哀そうに、と。
あんなに幼いのに勉強漬けで、しかも――
リシャールは兄の妃――王妃がアンリエッタにきつく当たっていることを知っていた。
その王妃が選んだアンリエッタの教師が、アンリエッタに厳しすぎることも。
それに気づいたリシャールは何度か兄に進言したけれど、妻に強く出られない兄は、「あれも考えてのことだ」の一点張りで聞く耳をもたなかった。
自分の子はあきれるほど甘やかしているくせに、一体何を考えているのだと憤ったのを覚えている。
そして、それは嵐の日に起こった。
嵐でアンリエッタが城に来られないと聞いた王妃が、教師をソルフェーシア伯爵家に向かわせたのだ。嵐の日にまで勉強漬けにする王妃にあきれ、それと同時に妙な胸騒ぎを覚えた。
アンリエッタにつけられた教師は彼女に対するあたりが強かったが、それでも城の中にいる限り、そこかしこに人の目がある。少なくとも、そのおかげで行きすぎた指導はある程度抑えられているはずだ。
だが、ソルフェーシア伯爵家ではそうはいかない。
王妃が選んだ教育係。伯爵家の使用人や奥方では、強く言うこともできない。
せめて当主である伯爵本人がいたら別だが、伯爵は仕事で城に拘束されていた。
リシャールはちらりと窓の外を見やる。外では強い風が吹き荒れている。この状況で外に出るのは得策ではない。だが、どうしてもじっとしていられずに、リシャールは部屋を飛び出した。
厩舎に向かい、厩舎係にリシャールの愛馬を用意してもらうように頼むと眉を顰められたが、リシャールの愛馬は度胸が据わっていて、ちょっとの嵐では怯えたりしない。
「悪いな、チャールズ」
愛馬の首を撫でて一言詫びを言い、リシャールは馬にまたがるとソルフェーシア伯爵家に急いだ。
気のせいならそれでいい。
そう思って急いだソルフェーシア伯爵家で、リシャールは信じられないものを見た。
嵐の中、土砂降りの雨に降りつけられながら、アンリエッタが庭にうずくまっていたのだ。
「何をしている‼」
叫ばずにはいられなかった。
愛馬チャールズを伯爵家の門番に預けて、リシャールは今にも倒れ込みそうなほど真っ青な顔をしているアンリエッタに駆け寄る。
あり得ない。何を考えている。怒りで頭がどうにかなりそうだった。
アンリエッタはリシャールが抱え上げるのとほとんど同時に意識を失った。幼い女の子は見るからに具合が悪そうだった。リシャールは玄関で泣きじゃくっている伯爵夫人にアンリエッタを預け、教育係を向きなおった。
怒り任せにアンリエッタの教育係を怒鳴りつけ、リシャールの持てる権限をすべて行使して彼女を徹底的にやり込めた。後にも先にも怒り任せに権力を行使したのはこの時だけだった。彼女の夫である伯爵はリシャールの糾弾に蒼白になり、彼女を離縁して実家に帰した。実家は実家で、二度とアンリエッタの前に姿を現すなと命じたリシャールに怯えて、彼女と遠くの修道院に入れたと聞く。
教師の顛末などリシャールには興味の欠片もなかったが、国王はあの時ばかりは王妃をかばい立てできず、王妃はアンリエッタの教育に口出しをしないと約束させられた。
リシャールはその行動には後悔はなかったが、そのことで、リシャールがジョルジュの婚約者に妙に肩入れしているといらぬ陰口が叩かれはじめて、そこから一気に風向きが変わってしまった。
結果としては、その一件が火種となって、リシャールは公爵位を得るのとほぼ同時に、王都から去ることになった。
――そんな、十年前の出来事。
どうして今日、それを思い出すのだろう。
気になれば止まらなくて、リシャールは紅茶に口をつけながら、何気なさを装ってセフィアに訊ねた。
「セフィア王女、そう言えば護衛の姿が見えませんが、どちらに?」
するとセフィアは、口端に笑みを乗せて「所用で外に出かけている」と答えた。
(この嵐の中に出かけている? 護衛対象を置いて?)
護衛が護衛対象を放ってどこかへ行くことはない。つまり、今ここに護衛の姿がないのは、セフィアの何かしらの命令を遂行するためと見ていいだろう。
ああ、だめだ。胸騒ぎが止まらない。
リシャールはぐっと紅茶を飲み干すと、アトリエに籠ると告げてダイニングを出た。
けれど、実際に向かったのは玄関で、使用人の一人に声を落として命じる。
「出かけてくる。心配しなくても大丈夫だ。無茶はしない。悪いが、ジョルジュとセフィア王女には、私はアトリエに籠っていることにしておいてくれ」




