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プロローグ

新連載開始いたします!


どうぞよろしくお願いいたします!

「アンリエッタ、ものは相談だが、どうだろう。正妃ではなくて、僕の愛妾にならないか?」


 婚約者ジョルジュ王太子の口からそんな言葉を聞かされたとき、アンリエッタ・ソルフェーシアは耳がおかしくなったのかと思った。


(昨日お風呂で転寝して溺れかけたときに耳の中に水が入ったのかしら。おかしいわ……)


 今、「愛妾」とかいう意味不明な単語が聞こえた気がする。ははははは、そんな馬鹿な。きっと、絶対、間違いなく、聞き間違いに決まっている。


 アンリエッタは、由緒正しいソルフェーシア伯爵家のご令嬢である。

 三歳の時に一歳年上のジョルジュとの婚約者が決まって、十七歳の今日まで厳しい妃教育を受けてきた。


 公爵家、侯爵家のご令嬢を差し置いてアンリエッタがジョルジュの婚約者に選ばれたのは、彼女の祖母が前国王の姉だからというのが大きい。

 いまだ元気いっぱいの祖母からも、次期国王に嫁ぐ以上完璧な淑女であらねばならないと言われて育った。

 だから、アンリエッタはこの場で、耳の中に水が入っているのかなとトントン叩くことも、何か詰まっているのかなと耳の穴に指を突っ込むこともできず、にこりと微笑んで優雅に首を傾げる。


「殿下、申し訳ございません。もう一度よろしいでしょうか?」


 するとジョルジュは、ごほんと大きな咳ばらいをして、すごく真面目な顔で自信満々に繰り返す。


「では改めて。アンリエッタ、僕の愛妾になれ」

「………………」


 聞き間違いではなかったらしい。

 アンリエッタはくらくらと眩暈を覚えて、動揺する心を落ち着けるために目の前のティーカップに手を伸ばす。


(落ち着けわたし、落ち着け……)


 淑女たるもの、ちょっとやそっとのことで動揺してはならない。

 小さく震える指先でなんとかティーカップをつかむと、ゆっくり時間をかけてぬるくなった紅茶を飲み干す。


 ここはソルフェーシア伯爵家のアンリエッタの自室だ。

 ジョルジュは王太子のくせに暇なのか、二日に一度はこうしてアンリエッタに会いに来ては、何をするでもなくお菓子を食べてお茶を飲んで、夕方くらいに帰っていく。


 今日も今日とてきっと暇つぶしに来たのだろう、そんな風に思っていたら、意味のわからないことを言い出した。あれか? 今年の夏は例年よりも暑く、アンリエッタでさえぼーっとしてしまう日があるくらいだ。もしかしたらジョルジュは暑さにやられてしまって、少しおかしなことになってしまったのかもしれない。


 アンリエッタはジョルジュの馬鹿発言をできるだけ好意的に受け取ろうと、精一杯の理由を探す。しかしどんなに頑張ってジョルジュの発言に理由をつけようとしても、ぴったりな理由が思いつかなかった。仕方がないので、アンリエッタは「平常心平常心」と自分に言い聞かせながら訊ねた。


「殿下、理由をお聞かせいただいても?」


 するとジョルジュは、待っていましたとばかりに元気いっぱいに語り出した。


「うむ。実はな、僕にはたくさんの恋人がいるんだが」

(ちょっと待て!)


 口を開いて一言目で聞き捨てならない単語が飛び出してきた。


(恋人ってどういうこと⁉)


 アンリエッタはジョルジュの婚約者。ジョルジュとの結婚を正当に認められた存在だ。それなのに、ジョルジュはアンリエッタというものがありながら「たくさんの恋人」とやらを作っていたらしい。

 早くも茫然としてしまったアンリエッタをよそに、ジョルジュは続けた。


「えーっと、今何人かな? そうそう、十六人だ。それでだ。僕は公平で優しい男だから、みんなを平等に愛そうと、即位したら城に後宮を建てることにした」

(後宮⁉ そんな二百年前に廃れた文化を蘇らせる気⁉)


 国王たるもの多くの世継ぎを儲けるべきだという慣習で、一昔前までこの国シャルロワの王城の敷地内には、後宮と呼ばれる王の愛人たちが住む建物が存在していた。

 しかし二百年ほど前の時の王は、たった一人の妃だけを愛し、後宮の存在をよしとしなかった。それがきっかけで後宮は取り壊され、それ以来国王は王妃ただ一人だけを娶るようになった――のだが。


(本気で言ってるの⁉)


 今ではすっかり、国王も一夫一妻制をよしとしている。今更後宮など建てれば国中が騒然となるだろう。昔繰り広げられた妃たちの寵愛合戦がはじまるのだから。


 ジョルジュがそんなアホな計画を立てていたことにも驚いたが、それとアンリエッタが愛妾になるのはどうつながるのだろうか。

 もうすでに聞きたくなくなってきたが、アンリエッタは口端が引きつりそうになりながらも笑顔をキープした。


「もちろんアンリエッタは婚約者だし、僕も王妃として扱うつもりだった。後宮を管理するものも必要だしな」

(……つまりわたしに愛人たちの面倒を見させる気満々だったわけですか)


 王妃――すなわち正当な妻に、夫の愛人たちの面倒を見させるつもりだったなんて、開いた口が塞がらない。マジでバカだろこの王太子。


「しかしな、ここで少し誤算が生まれてしまったんだ」


 誤算と言うほど計画性があるようには思えないが、アンリエッタはそれに突っ込む余裕もない。引きつりそうになる笑顔をキープするだけに全神経を注いでいたからだ。


「僕はねアンリエッタ、なんと、隣国の第二王女と恋に落ちてしまったんだよ!」


 満面の笑顔でそう宣う王太子。


(……やばい、そろそろ限界きそう……)


 アンリエッタは、膝の上で拳を握りしめた。そうでもしなければ今にもその顔をひっぱたきそうだったからだ。


 ジョルジュは、アンリエッタが笑顔でいるのを好意的に受け取ったようで、さらに上機嫌で語り出す。


 何でも、二人の出会いは二週間前に隣国ブラージで開かれた第三王子の誕生パーティー。

 二週間前のパーティーと言えば、アンリエッタは体調を崩していて、ブラージ国についていくことができなかった。


 さすがにジョルジュも、隣国のパーティーにたくさんいる恋人の誰かを伴っていくわけにも行かなかったようで(一応そこは自制できたらしい)、一人で赴いたと言う。

 そして、パートナーがいなかったジョルジュに、ブラージ国王は十六歳の第二王女セフィアを話し相手として用意した。

 あとは言わずもがな、惚れっぽいジョルジュはセフィアに恋をして、情熱的に口説き落とし、見事彼女の恋人の座を射止めたらしい。


 問題は、この時のジョルジュの口説き文句だった。


 ジョルジュはあとさき考えない垂れ流しの口で、セフィアに、アンリエッタとの婚約を解消してセフィアを王妃にすると言ったそうだ。

 後になって我に返ったそうだが、相手は王女。セフィアはブラージ国王にもそのことを話してしまっていて、ジョルジュは後に引けなくなった。今更愛妾として後宮に住めなど言えるはずもない(まあ、仮に馬鹿な口約束をしてなかったにしても、対等な関係にある隣国の王女を愛妾にするなんて、常識的にあり得ない話ではあるが)。


 そこでジョルジュは考えた。セフィアとの約束は反故にできないし、セフィア自体も愛おしい。

 そして導き出した答えは――


「だからアンリエッタとの婚約を解消して、アンリエッタには愛妾の一人として後宮に入って、そこを管理してもらおうと思って。名案だろう?」

「め、名案……ですか?」

「ああ。だってアンリエッタ、君は僕が大好きだろう? もちろん僕も君のことが大好きだよ。婚約破棄をして別れるなんて悲しいじゃないか。だけど君が愛妾として後宮に入ってくれたら、君はぼくとずっと一緒にいられるし、僕も助かる。さすがにセフィアに後宮の管理をしろとは言えないからね」


 もう限界だった。

 すん、とアンリエッタの表情から笑顔が抜け落ちる。


(こんな人だったなんて……)


 もともとちょっと調子のいいところがある人だった。しかしここまでとは。

 アンリエッタは無表情で、テーブルの上に置いてあったベルを手に取った。チリンと鳴らせば、侍女のパールがやってくる。


「お父様は?」

「書斎にいらっしゃいます」

「そう。ではお父様を呼んできてくださる。我が家はじまって以来の一大事だと言えば飛んできてくれるはずよ。ああそれから、そのあとでいいんだけど、お茶のお代わりをお願いできる? すーっごく喉が渇いちゃって、ティーポットで飲みたいくらいなのよ」

「今日も暑いからねー。僕も頼むよ」


 能天気馬鹿王子ジョルジュがにこにこ笑いながら、ついでとばかりに自分のお茶のお代わりも要求する。


「え? あ……はい」


 パールは目をぱちくりさせて、戸惑ったように部屋を出て行った。

 ややしてパールに言われてすっ飛んできた父が、無表情のアンリエッタと、にこにこと上機嫌なジョルジュを見比べてさっと表情を強張らせる。アンリエッタがジョルジュの前で笑顔を浮かべていないのは、ここ数年ではじめてのことだ。伝言とあわせて、よほどのことが起こったと判断したのだろう。


「あの、殿下……、いや、アンリエッタ? 何が……」


 アンリエッタは口端だけを持ち上げると、目が笑っていない笑顔で言った。


「お父様。わたくし、婚約破棄されるそうですわ」


 父、ソルフェーシア伯爵は大きく口を開いて、凍りついた。






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