帰還12
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私とキツキはシキに促されて、ようやく馬車に乗り込んだ。
キツキと一緒におじいちゃんの家族の絵をずっと二人で眺めていたから、少し時間が押してしまったようだ。
キツキもそうだけど、私も久しぶりに見たおじいちゃんから、目が離せなかった。
馬車に乗り込むと、馬車の窓から玄関先で見送りをしてくれている大叔父様達に元気に手を振る。
大叔父様はこちらを優しい眼差しで見ている。
「また来ますね」
誰にも聞かれないように、そっと呟いた。
私の顔はさっきから緩みっぱなしだ。
魔物の襲撃でおじいちゃんを失った喪失感にずっと苛まれていたけれど、大叔父様を見ていると、心に空いてしまった隙間が、ゆっくりと柔らかい光に埋められていく気がした。
馬車が動き出すと、私は窓に張り付いて、見えなくなるまで大叔父様の姿を目で追った。
「大叔父様、おじいちゃんに似ていたね、キツキ」
それでもやっぱりおじいちゃんよりは体は小柄で、どこか儚げにも見えた。がっしりとしたおじいちゃんとは別の人だとはわかるのだけれど。
私はキツキに笑顔を向けたけれど、キツキは神妙な顔をしていた。
………キツキ?
どうしたのだろうか。
何か真剣に考えているという事だけは分かったので、私はキツキが話し出すまで静かにする事にした。キツキだって大叔父様に会えて嬉しかったはずなのに、こんな顔をしている事に違和感があったからだ。
私だって、そういった空気は読めますよ。
おじいちゃんは敢えて空気は読まない派だったけど。
そんなことを思い出していると、先程まで沈黙していたキツキがおもむろにユヴィルおじ様に視線を向ける。その視線にユヴィルおじ様もシキも気がついたようだ。
「将軍閣下、俺がリトスの家を継ぐことは出来ますか?」
その言葉に私とシキは驚いたけれど、ユヴィルおじ様だけはその言葉を聞くと違う反応を見せた。腕を組むと目を瞑り、考え込む。再び目を開けるとキツキの顔をじっと見た。
「リトス伯爵家をお継ぎになられたいのですか?」
「はい」
キツキが真剣な顔で答えると、ユヴィルおじ様はキツキの顔をじっと見つめる。
「わかりました。御助力いたしましょう。その代わりに、条件を一つだけ出させていただきたい」
「何でしょうか?」
「キツキ殿には帝都に定住していただきたい」
「わかりました」
キツキは迷わずに答える。
「え、キツキここに定住するの?」
私は思わず二人の話に入り込む。だって、帝都に定住するというのなら、ナナクサ村にはもう戻らないということだろうか。
焦る私とは対照的に、キツキは落ち着いた目で私を見る。
「条件は俺の定住だ。ヒカリは関係ない。お前は好きなところに住めるから安心しろ」
「そう言われても。キツキはナナクサ村には戻らないってことだよね?」
「よそへ訪問をしてはいけないという話ではない。帰ろうと思えば一時的なら帰れるだろう」
キツキは淡々と話す。重大な事を相談も無しに、あっという間に決めてしまったキツキの言動にしょげる私を見て、キツキは面倒臭そうな顔をする。
「お前、もしかしたら俺とずっと住む気か? それだけはやめてくれ。そろそろいい歳なんだから独立するか、一人が嫌なら新しい家族を作る事を考えろ」
キツキの言葉は私を突き放すが、手は私の頭をポンポンと優しく触れる。
よく考えてみれば、確かにどこに住んでいようともキツキとずっと一緒にいられるはずはない。キツキだっていずれは村のお兄さん達みたいに、誰かと結婚して自分の家族を持つのだろう。
かといって、では一人で知らない土地で生きていけるかと自分に問うと、それも出来るかはわからない。おじいちゃんが亡くなった時に、意外と自分は寂しがり屋なんだと知った。
それを感じなかったのは、今まで誰かが側にいてくれたからなんだ。
そう考えると、私はキツキの言葉に何も言えなくなって、沈黙してしまった。
家族、か………。
帝城へは、リトスの敷地を出てから角を一つ曲がっただけで入れる。
それを聞いた時には耳を疑ったが、本当に道の角を一つ曲がっただけで、城壁の門にたどり着いた。リトス家からだいぶ近い。
先のシキの説明もあったように、目の前の城壁が“四宝城壁”と呼ばれ、その上には“四宝殿”と呼ばれるお城が建っていた。
なぜこんな場所にお城を作ろうとしたのかはだいぶ謎だ。
馬車が城門をくぐると、蛇行するように坂道を登っていく。
見上げると、城壁の中心となる場所に、薄い赤茶色の大きな城が聳え立っている。城下町からでも見えていたお城だ。
見上げる私に、向かいに座るシキがこれが帝城だと教えてくれた。
帝城の周囲には重厚で威厳ある大きな建物が、帝城を囲うようにあちこちに建っていた。それらのほとんどが、国の機関である『省』の建物なのだという。
「ふーん。ここが皇帝陛下の住まいなの?」
「皇帝陛下の住まいでもあるけれど、仕事をする場所でもあるんだよ。帝城の中には各省の中枢部が入っている」
「へぇ〜」
そう答えたけれど、理解は出来ていない。空返事というやつだ。
各省とか中枢部とか言われても、ねぇ?
それにしても、こんな巨大な建物の中で仕事って言われても、私には想像がつかない。
しばらくすると坂を上がっていた馬車は、帝城の正面にある石畳の大きな広場で止まった。
馬車の窓からから帝城の入り口が見えるのだが、三階まで突き抜けているのではないかと思うほどの巨大な扉が見えた。その大きな扉の左右にも小さな扉があるけれど、開いているのはその内の真ん中の大きな扉だけだ。その左右にシキと同じ黒い服を来た人たちが並んでいる。
そして、広場の周囲には、見物客のような人集りも出来ていた。
そこまでならまだいい。
よく見てみれば、大きな入り口の扉から私達の乗った馬車の扉まで赤い絨毯が敷かれ、それを挟むように数十人の騎士達が、一定の距離を保ちながら左右に並んで向かい合ったまま立って待っているのだ。
なんだ、この仰々しいお出迎えは。
驚いて言葉も出ない私の肩越しから、キツキも窓の外を覗く。「なっ?!」と一言だけ発し、あとはキツキも絶句してしまった。
「え、この間を通っていくの?」
シキにそう聞くと、シキは気まずそうに視線を逸らしたかと思えば、すぐに視線を戻して似非笑顔を作った。
「当然だろう? 御令孫のご帰還だ」
キラキラと眩しいほどのシキの端整なこの笑顔が、こんなにも憎らしいと思う日が来るとは思わなかった。
「どうぞ、皇帝陛下がお待ちです」
気がつけば私達はあれよあれよという間に、幾つかの巨大なホールと大階段を越えて、“謁見室”という部屋の前まで連れてこられた。
帝城の中は外と同様、この謁見室までの道のりを騎士達が左右を固めて、彼らの視線に耐えながらその間を歩いてきたのだ。
言わずもがな、精神力の消耗は半端なかった。
すっごい恥ずかしかったし、尚も私の赤い顔とバクバクする心臓はおさまる気配を見せない。
魂が口から飛び出るかと思ったわ。
それなのにキツキときたら、馬車を降りる前までは私と一緒に顔を青くしていたのに、馬車を降りたら、おばあちゃまみたいな凛とした顔で、堂々としたいでたちで先頭を歩くユヴィルおじ様に続いて私の前を歩いていた。
本当にキツキは、小心者の私と違って肝が据わっている。
私達が通る度に、騎士達は礼をして頭を下げていくのだが、その間を通り抜けるキツキの姿は勇壮だった。
自分とは違うキツキの姿を思い出してうらめしく思っていると、いつの間にか自分の顔色を戻す暇もなく謁見室の大きな扉は開いていた。
扉の先にはホールと見間違うほどの広い部屋が広がり、その左右には年齢がバラバラの見目の良い衣装に身を包んだ男性が並ぶ。そして部屋の奥に飾られている暖色系のカーテンの前では、数段高くなった高みから、黄金色の豪華な椅子に座った一人の中年ぐらいの男性が私達を見下ろしていた。
その横には見知ったカロスが立っていた。
周囲に促されるまま、私達は部屋の奥まで歩みを進める。段差の手前まで進むと、キツキは足を止めたので私も一緒に止まった。
周囲が椅子に座る男性に礼をする中、私とキツキはそのまま男性を見上げる。
「ご苦労だった。将軍、ラシェキス卿。彼らがライラ皇女のお孫達か。ふむ、成る程な」
椅子に座った男性は少し考えると、横にいたカロスに何かを耳打ちしてまたこちらを向く。
「二人とも、遠路はるばる御足労だった。皇帝のレクスタだ。話したい事もあるのだが、今日は疲れているであろうから、長話はやめておこう。こちらからの話はまた使いを出させる。今日は宰相補佐からの説明を受けたら休まれよ。将軍とラシェキス卿は後で私の執務室に来るように」
皇帝が椅子を立ち上がると、カロスをはじめ両側にいた男性達は皇帝に向かって礼をする。皇帝は斜め後ろにあった扉から謁見室を出て行った。
おお、話がとても簡潔だった。
お酒の入ったおじいちゃんの長い話なんかとは全然違う。
一人で感動しているとカロスが段差から降りてこちらに向かってやってくる。
「長旅お疲れ様でした。これより私が案内をいたします。どうぞこちらへ」
畏まったカロスはそう言うと、私とキツキの前を歩き出した。
「これ、私ですか?」
「そう思うかい?」
カロスはおかしそうな笑みを隣で浮かべている。
カロスに大きな人物画が沢山並んでいる部屋に連れてこられ、私たちは身長ぐらいあろうかというくらい大きな絵画の前に並ぶ。
目の前の絵画には私が描かれて飾られているのだ。
淡い金色の波打った髪が結い上げられて、私と同じ耳飾りにキツキと同じ指輪をはめた手には銀色の小さな王笏と呼ばれる飾りのついた棒を持っている。淡い金色の中に赤色が混じった瞳を持つその女性は、見上げる私達を見ている。
でも私よりかは少し年齢が高いような気がするし、こんな衣装を着たことがない。
「どう考えてもおばあさまだろ」
カロスとは反対側に立っていたキツキが呆れた顔で私を見る。
おばあちゃま。
確かにそう言われると納得する。
「これは、おばあちゃまの若い時の絵なの?」
「そうです、こちらはライラ殿下が19歳の時の肖像画になります。次期皇帝としての正式な儀式が終わった時に描かれた絵ですよ」
カロスは丁寧に説明してくれる。
よく村のおばさん達に、おばあちゃまの若いときにそっくりだって言われていたけれど、これは確かに似ている。私だって見分けづらい。本当にそっくりだ。
「もう一つ、見て欲しい絵があります」
そう言うと、カロスは赤いカーペットの上を歩き出す。その後ろを私とキツキはついて行く。
行き止まりまで歩くと、突き当たりの壁には先程のおばあちゃまの絵よりも、数段大きな額縁に入れられた絵が飾られている。
絵には男性と、見たことのない黄金色の動物が一頭描かれていた。こちらの男性の顔も、どこかで見たような面影がある。
淡い金色の波打った髪に、金に赤い色が混ざった瞳………。
あれ。
「今度はキツキに似てるね」
「はあ?」
横にいたキツキは機嫌の悪そうな声を出す。
「俺はこんなに歳をとっていない」
確かに絵画の男性は三十代か四十代ぐらいのように見受けられる。
「で、この絵がなんなの?」
キツキがカロスに問いかける。
絵の真正面にいたカロスは横に逸れると、私とキツキを絵の前まで誘導した。
「彼はこの国の初代皇帝プロトスです。この国で崇められている存在ですよ」
カロスはじっと絵画の男性を見つめる。
「この国の次期皇帝を決める時にある決まり事があります。
一つは皇帝の第一皇子がその跡を継ぐ事。第一皇子が亡くなれば第二、第三と流れていきます。
もう一つは、プロトス皇帝の容姿の特徴に似た子供である『初代皇帝似』が産まれた場合、最優先で皇位につける事。
似れば似ている程、皇位継承順位が高くなります。
それがたとえ女性でもです。ライラ殿下がそうだったのです。
現皇帝からではなくても、皇族の血筋から産まれれば同様の扱いになります。
波打った太陽の光のような髪、黄金の中に赤色を含む瞳、透き通った肌、薄らと赤みのある唇……。
お分かりでしょうか。
あなた方の登場で、この国は再び大きな変換の時期に入ります。
これからあなた方は現皇帝の皇子達よりも皇位継承の順位が上になります。五指には必ず入りますし、一位か二位だと考えていてください。
ヒカリ、あなたもですからね。今後は行動には十分注意をしてください」
話し終えたカロスは私たちよりも後ろに下がる。
歴代の皇帝の絵画が並ぶ厳粛な室内の中で、思いも寄らない話に私とキツキは言葉を失い、初代皇帝の絵の前で、彼の強い眼差しをただただ見つめ返す事しかできなかった。
<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持つ。祖母は過去、帝国の皇帝になる予定だったと知る。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。兄のキツキを探して帝国にやってきた。謎防御力の強い女の子。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
へーリオス侯爵の次男で帝国騎士。双子の再従兄弟でもある。キツキを探しつつ、ヒカリを帝国まで連れて来た。
【将軍(ユヴィル・クシフォス)】
帝国の将軍職。金色の髪に白髪の混じった初老の男性。
双子の少し遠い血縁。
【大叔父様(ヨシュア・リトス)】
双子の祖父の弟。祖父が行方不明になった以降、リトス家を守ってきた。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳ぐらいの男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。
ヒカリに好意を寄せる。将軍の愚息。
<更新メモ>
2022/01/17 加筆(ストーリー変更はないけれど、若干行動とニュアンスの変更あり)、人物メモの修正
2021/11/20 加筆