帰還9
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「おはようシキ」
翌朝、食堂前の廊下でシキさんに声をかけるヒカリを見つけた。あんなにあからさまに逃げていたのに急にどうしたのだろうか。それとも、俺の知らぬ間に仲直りをしたのだろうか。
朝から珍しいものを見てしまい、まだ寝ぼけている上に混乱気味の頭を揺らしながらヒカリに近づく。
「おはよ、ヒカリ」
首に手を当てて、目がまだ覚めきらない顔でヒカリに挨拶したはいいものの、そんな俺を見たヒカリは何か汚いものを見るような目で俺を見る。何でだよ。
昨夜は寝るのが少し遅くなってしまい、まだ眠気が覚めない。
朝、ヒカリに会ったら昨夜のことを聞きたかったんだ。
ヒカリだけ別室での夕食になったと聞いた。またシキさんの事で体調でも悪くなったのだろうかと思い、心配で何度かヒカリの部屋を見にいったのだが、夜遅くまで戻ってこなかった。
深夜に部屋の前を見に行くと、護衛騎士の数人が廊下に立っていたので、その時にようやく戻ったのだと分かった。
ただ、いつ帰って来たのかはわからなかった。
「ヒカリ、昨日はどうしたんだよ。食堂に来なかったけど」
そう聞くとヒカリは「は?」と言わんばかりに口をぽかんと開け、不思議そうな表情を俺に向ける。
「え、連絡が行っていなかった?」
「一人で別室になったって聞いたけれど。具合でも悪くなったのか?」
今度は眉を顰める。
「え、昨日の夜はカロスと夕食をいただいたけど?」
その言葉で眠気を纏っていた頭が覚醒する。
「は?」
思わずヒカリの顔を覗き込んで腕を掴む。横で聞いていたシキさんだってきっと同じ気持ちだろう。
そういえば昨日、カロスの姿はあったが夕食には来ていなかった。用が済んで帰ったのだとばかり思っていた。アイツがヒカリを目の前にして易々と大人しく帰るだなんて何で思ってしまったのだろうか。
失敗した。
「もしかしたら二人だけで?」
「え、今まで食事はカロスと一緒にとった事あるし、そんなに珍しいことでもないじゃない」
「夜に二人っきりではなかっただろ。昨夜は部屋に戻って来るのが遅かったが、もしかしてずっとカロスといたのか?」
ヒカリは当然といわんばかりに首肯する。
……こいつのこの無防備はなんとかならんのか。心は謎防御力が働いて守ってくれたとしても、お前の体は守らないんだぞ。
それなのにヒカリときたら、そんな時間まで何をしていたのか聞いても答えずにヤキモキする。それに痺れを切らして強く聞き直すと、今度はヒカリの顔が豹変した。
「なんでそんな事言わないといけないのよ! キツキだって私に全部言わないでしょ?」
全くもってその通りだ。
ヒカリには言えない事が多い。それは確かにある。
でも、これとそれは別の話だ。今話しているのは妹の貞操に関わる重要なことで、兄としてはこんなところでは引けない。
「後で根掘り葉掘り聞くからな」
そう宣言するとヒカリはぷんぷんした顔で食堂に入っていき、決まっていた席には座らず俺から遠い席に勝手に座る。
迷惑だからやめろと念を送ったが効果はなかったようだ。
「それで、食後は何してたんだよ」
二両目の馬車である。
足を組んで頬杖をつくと、目の前にいるヒカリを見据える。
既に宿泊していた城は出発し、昼までは無休憩の予定だ。これで逃げも隠れも出来まい。ヒカリは目の前にいる俺がいまいましいようで、俺を倒そうとでもしているのか睨みつける。
その程度の睨みでは俺は倒せない。
態度を変えない事も俺を倒せない事もわかったのだろう、ヒカリは諦めた様子で軽く息を吐いたので、俺はそのままヒカリが話し出すのを待っていた。
「相談に乗ってもらっていたの。そのあとは世間話」
「なんの相談だよ」
「前にキツキにも聞いたでしょ? エレノアのいるお城で」
ー ねえ、シキは私のことをどう思ってここに連れて来ようとしたのかな?
「おばあちゃんの孫だから親切にしていたのかって言う相談。キツキはわからないって言っていたから…」
そういえば、気にしていたな。
シキさんの事情との兼ね合いで良い返事が出来なかった事を思い出した。
喉が急に乾いたような気がして思わず咳払いしてしまう。
それが余計に癪に障ったのかヒカリの睨みは増す。
「で、いい返事はもらえたのかよ?」
俺がそう聞くと、ヒカリは上を向いてすこし考える。
「うん、解消した」
返事をするのと同時にヒカリが俺に向けたのは屈託のない笑顔だった。おじいさまとかおばあさまの話をする時と似た笑顔だ。その瞬間に少しだけヒカリの心の隙間が見えてしまった。
俺は呆ける。
「……ヒカリ、お前カロスのことを信用しているのか?」
ヒカリはきょとんとするが、すぐに納得した表情で口を開いた。
「うん、そう言われればそうかも。私、今この国で一番信用しているかもしれない」
思いもよらない返事だった。
謎防御力は依然と発揮しているようだが、それ以外のところで黒公爵がヒカリの中にいつの間にか入り込んでいた。
『信用』の壁は外からではなかなか壊せない感情だ。
厚くなればなるほど、俺ではヒカリとカロスの関係を壊すのが難しくなる。
別に壊したいわけではない。奴が安全な人間ならば。
だから、それがわからないうちに、ヒカリに近づけたくはなかったのだ。
俺の想像を遥かに超えて、カロスはヒカリに急接近していた。
ヒカリのこの様子では『信用』という一点では、おそらくシキさんよりカロスの方が高いだろう。
全く、どんな手品だよ……。
ナナクサ村からずっとヒカリを守ってきたシキさんよりも、数回しか会っていないカロスの方が信頼が高いだなんて。“黒公爵”とは悪魔という意味なのだろうな。俺にはそうとしか思えない。若い男性にはすぐに心の防御を張るヒカリにここまで信用をさせたのだ。人間技ではないだろう。
まさかこの国に来てまでヒカリの周りで波風が立つとは思いもしていなかった。
俺の中ではこれは由々しき問題だ。
シキさんには、このことは言わないほうがいいだろうな。彼を不安にさせてしまう。
俺は嬉しそうに昨夜のカロスのことを話すヒカリを、冷めた目で眺めていた。
太陽が登り切った頃、静かな街の中の豪邸に馬車は入っていった。
次の昼食場所のようだ。
馬車が止まると俺は先に降りて、ヒカリの手を取る。
二人で馬車から降りると、一両目から丁度降り立ってきたシキさんと顔を合わせた。シキさんはチラッとヒカリの顔を見ると、どこかほっとした表情を浮かべる。ヒカリが目を逸らさなかったからだと思う。
「二人とも、仲直り出来たのか?」
「喧嘩じゃありません」
「喧嘩じゃなくて、キツキが一方的に怒っていただけ」
俺のせいかよ。
シキさんは何が可笑しかったのかくすりと笑うと、こっちだと案内を始めた。
ヒカリは今日は逃げ出す事もなく、一緒にシキさんの背中を追う。昼食の間も、ヒカリはシキさんを無視する事も話を逸らす事もしなかったためか、シキさんの顔にも安堵が見え始めてきた。それを良かったと思う反面、この素直さが腹黒のおかげだと思うと身悶える。俺が素直では無いだけかもしれないが。
昼食が終わり、出発の準備が終わるまで玄関近くの待合室で三人で待っていると、ふとシキさんは思い出したかのようにヒカリに質問をする。
「そう言えばヒカリ、昨夜はカロスと何を話していたの?」
俺が隠しておいた地雷をシキさんがわざわざ踏みに行く。
俺は冷静な顔を保ちながら心の中は焦りでいっぱいだ。心音だって早くなる。いつもの就寝時間よりも遅く帰ってきたんだ。シキさんとしては確かにそんな時間まで二人で何を話していたのか気になるところだろう。
「ふふ、内緒!」
可愛らしくもはにかんだ笑顔でヒカリはそう答える。俺でさえ滅多に見ない顔だ。その反応だけで、ヒカリのカロスに対する想いが手に取るようにわかる。今まで見せたことのないあどけないヒカリの反応は、シキさんにとったら痛手以外のなにものでもないだろう。
ただ、謎防御力のおかげでカロスを男として見ていないのが救いだ。
チラッとシキさんの顔を覗く。
笑顔を作っているけれど、目が笑えてない。
だよな………。
「シキさん、大丈夫?」
あれからシキさんの顔色があまり良くない。
ヒカリは相変わらず騎士達に囲まれもするが、シキさんから遠ざかったり無視することはしなくなっていた。それでも、カロスの影はシキさんに大きな打撃を与えたようだ。
「ああ、キツキ。大丈夫だし、何もないよ?」
「そう?」
俺にはちょっとした病人にしか見えないのだが。
当のヒカリといえば将軍と談笑している。
はたから見ればおじいちゃんと孫にも見えなくもない。
ヒカリは昔から年の離れた年上には可愛がられる。将軍もヒカリを気に入ったのだろう、可愛がっている様子が遠くから見ていてもわかる。
あの様子なら大丈夫かも知れない。
シキさんの様子も気になるということもあるのだが、俺もシキさんと話がしたかった。ダウタからは一緒にはいたが大体が移動での案内だったのでシキさんも仕事で油断が出来ていなかったし、俺もヒカリのことでなかなかシキさんとゆっくり話が出来なかった。たまにはいいよな。
「将軍もヒカリが気に入ったようだね」
「俺と違って見境なく愛嬌がありますからね」
「そうだな」
シキさんがふっと笑う。
「午後は俺と二人で馬車に乗りませんか? 将軍はヒカリを気に入ったようだし、二人にしても大丈夫そうだ」
将軍の前で縮こまるヒカリの図を想像してしまい、それが心配で今までは俺かシキさんと同乗させていた。
シキさんはどちらでもいいよと言うので、ではと将軍に入れ替えの提言をしに行く。
ちなみにだが、馬車に乗り込む人間を変更する場合は将軍に提言をしている。シキさんを馬車に押し込めたときだって直前で将軍から許可をいただいた。勝手はしていない。
現場の混乱は極力無くしているつもりだ。
「おや、よろしいのですか? ヒカリ殿とご一緒で」
将軍のその顔はもはやおじいさまに近いものがあった。ヒカリの扱いは孫そのもので、きっとヒカリが転んでも池に落ちても何をしていても可愛いのだろう。
「ええ、あと少しで帝都に入るとの事ですので、ゆっくりシキさんと話をしたいのです。それにヒカリも閣下に懐いておられるようですし」
そう言うとおじいさまのような顔をしていた将軍の顔は、余計に丸くなりほくほく顔で喜ぶ。この様子ではおじいさまに負けないぐらいにヒカリが可愛いがりそうだ。
「ではそうさせていただきましょう。ヒカリ殿の可愛らしいこと。カロスに独占させるには勿体ない」
そういって将軍はヒカリの手を引き馬車に向かう。
俺だって腹黒に独占を許可した覚えはないですけどね。
俺は笑えていない顔で馬車に乗り込む二人を見送った。
<連絡メモ>
祝祭日だけどアップします。明日もする予定
<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。ある夜巨大スライムに飲み込まれてプロトス帝国のダウタ砦まで辿り着く。皇太子だった祖母を持つ。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、シキと一緒に村を飛び出し、帝国にやってきた。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
ナナクサ村に漂流してきた銀髪の男性。へーリオス侯爵の次男。帝国騎士。
双子の再従兄弟でもある。
【将軍(ユヴィル・クシフォス)】
帝国の将軍職。金色の髪に白髪の混じった初老の男性。キツキのために辺境のフィレーネ地方のダウタ領までやってくる。
双子の少し遠い血縁。
【カロス/腹黒/黒公爵(カロス・クシフォス)】
ダウタへの往訪では宰相の名代。本来は宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳ぐらいの男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。
急に態度を軟化させヒカリにプロポーズをする。将軍の愚息。




