帰還8
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フィレーネ城のエレノアと別れてから、早くも三日が経とうとしており、気がつけば帝都までの旅程の半分は過ぎようとしていた。もう一人で馬車に揺られても酔うことも寂しいこともなく、いつの間にか私は身の丈に合わない贅沢と大勢の人に囲まれるこの環境にだいぶ慣れていた。
ただ一つだけ。
相変わらずと言おうか、近づき辛いと言おうか……。
私とシキの距離は相変わらずのままだった。
原因はきっと私なのだろうとは思うものの、今まで通りに話しかけて良いのかわからずに躊躇していた。
キツキは相変わらずシキと一緒に行動している。
羨ましくも、それはまるでナナクサ村にいる時と変わらない二人の後ろ姿だった。
周囲の様子を見るからに、キツキの場合はおばあちゃまの跡取りとしてここにいられるのだろうし、キツキの臣下だと自ら言っていたシキが側から離れる事はなさそうだ。
では、私は?
戦争を止めたら、私はシキのそばにいる理由もこの国にいる理由もない。
私はシキにとったら一体何なのだろうか。
ただ、おばあちゃんの孫だから丁寧に扱われているだけの存在。
それがわかった今でも何故ここにいるのだろうか。
その答えを出せずにいた。
そんな答えの出ない疑問を悶々と一人で考えているうちに、今日の宿泊地に着いたようで馬車が止まる。
馬車の扉が開いたので、降りようと扉まで行くと手を差し出された。
護衛の騎士だろうか。そう深く考えずに手を添えて降りる。
馬車から顔を出したあたりから異和を感じる。手を差し出された人の服の袖は黒色ではあるが、騎士のきちっりした制服ではなく、ゆったりとした上質な素材の服だった。
私は階段を降りつつ、手を添えている右手側を見上げる。私を支える手の主はスッと背の高い黒髪の男性だった。
「お疲れ様、ヒカリ」
黒髪黒服の男性は綺麗な顔で私に微笑む。
私は目をパチクリとさせた。そこにいたのは帝都に帰ったはずのカロスだった。
「なんでいるの?」
護衛二人だけを残してキツキ達はさっさと城の奥へ行ってしまい、だだっ広いエントランスホールには四人の姿しかない。カロスに手を取られ、エントランスホールにあった横長の分厚いクッションで出来たスツールに座らせられた。先程の笑顔とは反対に、なんだかカロスの眉間には皺が寄り表情は硬い。
「なんで? それは君がフィレーネ城で倒れたとの知らせを今日の昼に受け取ったからだよ」
カロスは苦虫を噛み潰したかのように顔を顰める。
「まさか父上の能力を疑う日が来るとはね」
眉間に皺を寄せたまま、私の目の前で片膝をつき、自分の手の平の上に私の手を乗せる。カロスの手を中心に三角型の魔法円が見えたかと思うと強く光り出し、私とカロスの手の間を照らした。
「何をしてるの?」
「毒を盛られたかの確認だ。念のためだよ。問題はなさそうだ」
「そんなこともわかるのね」
「少し特殊でね。母方の魔法なんだ」
「へえ、私も使えるのかな」
「それは難しいかな」
そうなんだと残念そうに眉を下げると、それを見ていたカロスはふっと笑う。カロスはスッと立ち上がると、手を差し伸べて私を立たせた。彼の懸念していた事が解消されたためか、いつも見せていた穏やかな笑顔に戻っていた。
せっかく来たのだから今日は二人だけで一緒に夕食をとらないかとカロスは私の顔を覗き込みながら聞いてくるのだが、私はそれに対して慎重な姿勢をみせる。
二人だけということはだ、みんなとは別の部屋で食事をしようという意味なのだろう。つまりは準備する場所も、料理を出す場所も、片付ける場所も別々になってしまうのだ。なんと労力の無駄使い!
「それ、お城の人に迷惑でしょ。一緒に食べたほうがお城の人は助かるよ」
「そうかな」
アカネさんも一度に片付けたほうが楽だし早いって言っていたから間違いはない。
私は自信満々にそうよと答えるのだが、カロスの対応は思っていた反応とは違っていた。少し上を見上げるとふんぞりかえる私をもう一度見る。その顔はどこか子供っぽい。
「どうしようかな」
どうしようかな、とは。
私はお城のメイドさんに部屋を案内された後、可愛らしく設らえられた部屋に満足すると、砂を落としたくお風呂に入り、夕食用の服に着替えて呼ばれるのを待っていた。
ここでもダウタでいただいてきた、上からストンと着れて腰に飾り紐を止めるだけの自分で着られる簡単なドレスを着たのだが、エルディさんが見繕ってくれたドレスは本当にどれもこれも可愛くていつも迷う。何者なのかと思うほどセンスが良い。更に言えば寝間着も下着も可愛いのだが、これは流石に女性のメイドさんが見立ててくれたんだよね? と少し不安にもなる。
コンコンコンコンッ!
思っていたよりも早い時間に部屋の扉がノックされる。
少し不思議に思ったが、軽くドアを開けると食事への案内に来たメイドさんが立っていた。
それを見た私は先程の疑問を消し去り、扉を開けて廊下に出る。
その時に先程の異和感の原因を知るのだ。
メイドさんから少し離れた所にカロスが立っていた。
廊下に出た私を確認すると、メイドさんは私に頭を下げてそそくさと廊下を早足で逃げて行った。その様子を見て確信する。
おのれ、謀ったな?
カロスをジロッと睨む。
それにしても呆れた。メイドさんを使って誘い出すとは。
「じゃ、行こうか。ヒカリ」
作戦が成功したであろうカロスは満面の笑顔だった。
とある部屋に通される。
そこは食堂でもなく大きな広間でもなく少し広いぐらいの普通の部屋だったけれど、壁にある大きな暖炉には薪が燃やされ、部屋の中は十分に温まっていた。中央に置かれた丸いテーブルの上には既に二人分の食事の準備と色とりどりの花が飾られている。最初からこのつもりでいたのだとわかるぐらいに準備は万全だ。
カロスは後ろからついて来た私の護衛に下がるように指示をするが、先日の事があってか護衛の騎士達は抵抗をする。護衛もだいぶ過保護になって来ているのだ。
「何かあれば私が全ての責任を取る。下がれ」
カロスがそう言うと、騎士達は仕方なしに部屋から出ていく。
「そんな大袈裟な事言っていいの?」
「当然だろう。大事なヒカリを預かっているんだ。全ての責任を負うつもりだよ。君と間違いが起こってもね」
ん、最後はどういう意味だ?
カロスは私を席に座らせると目の前の席に座る。
いつ見ても身のこなしが優雅で綺麗だなとついつい見惚れてしまう。
カロスはテーブル近くにいた使用人に食事を運ぶように指示をすると、その使用人は一度部屋を出て行くがしばらくして料理を載せたワゴンを運んできた。テーブルの上に料理と飲み物を配膳し終わると、またワゴンを押して部屋からそそくさと出て行く。
護衛も城の使用人もいない。つまりは部屋には私とカロスの二人きりになる。
「ようやく二人きりになれた」
カロスはご満悦の表情だ。
「そう言えば、他の人には言ったの? 私たちの夕食は別だって」
「先に使いを出しておいたから大丈夫だろう」
「あまり勝手をすると叱られるよ?」
「叱られるだけで君といられるなら甘んじて受けるよ」
よく言うよ。
カロスには口で勝てる気がしない。
それにしても静かでいい空間だ。ここもカロスが選んだのだろうか。
「カロスがこの部屋を選んだの?」
「ああ、主だった国の城や館の間取りは頭に入っているからね。食堂とも離れていたので邪魔が入りづらそうだったのでここを使わせてもらった」
国中の城の間取りが頭に入っていると言うが、ごちゃごちゃにならないのだろうか。
そんな疑問は他所に、食事は始まる。
カロスとの食事は意外と落ち着く。
突拍子もないことを言わないし、不快になることも言わない。話し方も落ち着いていて、和むと言うか。変な間もないし、ちょうどいいぐらいで次の話題を振ったり切り替えてくれる。
何だかこの人といると楽だな。
変なの、朝から雷を放っていたカロス相手に。
……この人に一つ相談をしてみようか。
この国に来てから私の頭を悩ませている事。
「食事の後でいいんだけど、少し相談をしたいの。時間ある?」
「おや、それは嬉しい申し入れだ。時間を作ってくれるのかい?」
どちらかと言えば、私が時間を作ってもらうのだが。
私はカロスの目を見て頷くと、カロスの目は細くなり、柔らかく笑う。
「では、後で落ち着ける場所を用意させよう」
カロスはそう言って食事を続けた。
そう言えばカロスは何歳なのだろうか。
この落ち着きを見ると結構年上なのだろうか。
彼はその後も優しい声で話をしてくれる。
私はお酒を飲んでいないが、雰囲気に酔ったのだろうか。それとも彼の飲んでいるお酒の甘い香りが漂って来たからなのだろうか。彼の黒い髪が少しだけ淡い光を纏っているように見えた。
「ここなら呼ばない限りは誰も来ないだろう」
食事の後、部屋を移って豪奢な長椅子に座る。
小ホールみたいなところだろうか。
護衛の騎士達は少し離れた場所で待機している。
装飾用の柱が数本、目隠しのように建ち並び、壁のように全ての視界と音を遮断するわけではないが、護衛以外の人が通る気配も、近くに誰かが歩いて来る気配も無いそこは、確かに独立した空間を保っていた。
天井は丸みを帯び、中央はガラス張りになっていてそこから夜空が見える。面白い造りだ。
天井を見上げる私を右隣に座っているカロスは体を私に向けて、長い足を組み頬杖をついて身長差のある私の顔を覗き見る。どうやら私が“相談”を話し出すのを待っているのだろう。私は深呼吸をすると、自分の胸の内を話し出した。
「……ねえ、カロスは私がおばあちゃまの孫だからプロポーズしたの?」
「いや、違う。そうでは無い方が私は良かったが」
「ふーん、そうなんだ」
カロスは不思議そうに私を見る。
「そのことで何か悩んでいるのか?」
「おばあちゃまの孫だから優しくされていたのかなって」
ダウタ城でシキの話を聞いた時から私の中でふんわりと浮かんできた疑問。
彼は私がおばあちゃまの孫だから守ってくれていたのだろうか。
おばちゃまの孫だから優しくされていたのだろうか。
彼の気に止まる言葉も、大事そうに見つめる目も、心配そうに覗き込む顔も、優しい手も、全部。
今まで私に向けた全てが、私ではなく「おばあちゃまの孫」だったからなのではないだろうかという考えが、ずっと私に絡みついて締め付けていた。
だから、シキの側に寄れなくなった。
話しかける事も、姿を見る事もしたくなかった。
優しい言葉も、笑う顔も、単純な私は勘違いをしてしまう。
大事に守られていたのだと思っていた。
けれどそれは私に向けられたものではないと知った。
「私」ではなくて「おばあちゃまの孫」に向けられているものだと。
だから変な期待を持ってはいけない。私が大事なのではないのだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
でも、それもそろそろ限界で。
シキが側にいるこの環境から逃げ出したくてたまらない。
口から漏れそうなのだ。「ここにはいたくない」と。
次第に顔色が暗くなる私にカロスは真剣な眼差しで「私はそのような気は一切ない」と断言する。私を見据える強い目に負けそうになる。
「あ、カロスではなくて。その…」
私がどもると、カロスは目を左上に向け、再び私に視線を戻す。
「……もしかしてラシェキスか? まさか! あいつにも求婚されているのか?!」
カロスが驚いた顔で私を覗き込む。
「ち、違う! そうじゃなくておばあちゃまの孫だから大事に護られたのかなって。その、村にいる間もサウンドリア王国の間もずっと」
視線を下げるとカロスは納得するとともに落ち着きを取り戻し、安堵したかのように息を吐く。
「……そうだな。これについては本人に聞くのが一番だろうけれど。私の見立てとしては半々だな」
「半々……」
「そういう時もあったし、そうでなかった時もあったと言うことさ。」
カロスは説明を続ける。
「もし君が暴漢に襲われていたのを助けたのだとしたらきっと皇女の孫だからという理由は欠かせないだろう。彼はあれでも一応帝国の騎士だからね。でも、同じ村でしばらく生活をしていたのだ。それ以外のことだってあっただろう。彼は見ていてもキツキとはだいぶ親しそうだ。それが皇女との関係だけであれば、そうはならないと思うのだが、違うか?」
確かに、ナナクサ村では護衛というよりは同じ住民だった。
収穫祭ではキツキをからかっていたし、魔法を教える時にはキツキの頭をポンポン叩いていて嬉しそうに見ていた。
私にはスライム皮の仕事の手伝いをさせて、白い峰山では魔物退治も任せていた。
皇女の孫としてだけの私を見ていたらそんなことはさせなかっただろう。
個人としてのキツキとヒカリとして見ていてくれたところもあったのかな。
手を組んで黙ってしまう。
「半々か…」
幾分かはまっさらな私を見てくれていたのだろうか。
全てが偽りだったわけではないのか。
そう考えるだけで私の心は次第次第に軽くなっていく。口は暖かい息を吐き出し、指はもぞもぞと動く。
……そうか。良かった。
「解決しそうかい?」
私の変化を感じたのだろうか、カロスがそう聞いてくる。
カロスと目を合わせる。なんだか、あっという間に私の毒気を抜かれてしまった。
あんなに悩んだのが嘘のように、体から重りが外れて行く。
「ありがとう、解決しそう」
目を細めてカロスにお礼を言う。カロスも私に釣られたのか目を細めて笑む。
「君はそうやって笑っていた方がいいよ。どうだい、少しは私は役に立てたかい?」
私は頷く。
「そう。それはよかった。私はなかなか良い話し相手だろう?」
……話し相手。
ー 話し相手や悩み事の相談相手としてならお付き合いしてみたいですね
以前私がテラスで話した事を覚えていたのだろうか、不意に笑いがこぼれる。
「ええ、とても良い話し相手です」
「そうだヒカリ。この国にいる理由をライラ殿下以外に作ってみてはどうだろうか。そうだな、先ずはこの私のために帝国にいてくれないか?」
カロスは手を左胸に当て、私をまっすぐ見る。
ほんと、おかしな人だな。なんでここまで心地よい言葉をくれるのだろうか。
ここにいる理由を見つけられなくて、誰にも必要だと言ってもらえなくて消えてしまいそうだったのだ。
カロスのこの言葉は冗談でも嬉しかった。
「うん、そうするよ。ありがとう」
「また何か相談したい事があったらいつでもおいで。君のためならいくらでも時間を空けるよ」
キツキも過保護だけど、この人はもっと過保護そうだな。
「もしもお礼がしたいのなら、ここにキスをしてくれても良いんだよ?」
カロスは左の頬を指さしながら笑う。
なんだ、おやすみなさいのキスが欲しいのか。
おじいちゃんにもおばあちゃまにもやってきた事だ。それに私の悩みを解消してくれた。そのぐらいならお安い御用だと私は言われるがままカロスの左頬におやすみなさいと軽くキスをした。
その瞬間、カロスは固まる。
固まって彼の左側にいる私を横目で見ると震えた手で左頬を触れる。そしてカロスは左頬を触れたその手を目の前に持ってきて凝視すると愕然と肩を落としたのだ。
どうしたのだろうか。
その状態のままだったカロスはしばらくすると一言だけ力なく呟いた。
「唇と言えば良かった………」
<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。ある夜巨大スライムに飲み込まれてプロトス帝国のダウタ砦まで辿り着く。皇太子だった祖母を持つ。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、シキと一緒に村を飛び出し、帝国にやってきた。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
ナナクサ村に漂流してきた銀髪の男性。へーリオス侯爵の次男。帝国騎士。
双子の再従兄弟でもある。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
ダウタへの往訪では宰相の名代。本来は宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳ぐらいの男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。
急に態度を軟化させヒカリにプロポーズをする。将軍の愚息。
<更新メモ>
2021/09/20 文節の修正、読点の調整
2021/07/21 誤字修正、文節削除